D 直線思考と自律神経緊張
直線思考
少しでも悪くなってはいけない
右肩上がりでいつも良くあり続けネバベキ
まるで利益第一の営業のスローガンだ。
右肩上がりはまだダメもっともっとに根=音を張っている。
もっと頑張れ努力しろではヘロヘロで
エネルギーは枯渇の一途で副腎疲労から始まり
心も体も悲鳴を上げ自律神経緊張まっしぐらで
極まれば癌、過労死に自死の危惧がある。
生命力が高まるから健康であり
リンクすれば個性・潜在能力の開花、命が高まるものを判断でき
それがセンスの良さであり、その判断力が運気の向上で
健康で豊か、安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界が広がる仕組みだ。
しかし直線思考は自律神経緊張=生命力低下を必然するので
その世界は遠のいてしまい
忍耐努力我慢し命を削って間に合わせようする負のスパイラルだ。
直線思考の根源
幼少期の「イイ子にしていなさい」の刷り込みが考えられる。
イイ子であらネバ否定される、それはエネルギーは落ちること。
正直な気持ちを抑えイイ子であり続けるのは
認められることでエネルギーが上がるからだ。
だから否定されることに過敏だ。
それが親や周りの気配に敏感にさせ
自身の正直な気持ちより周りがどう思うかが基準に陥っている。
それが否定を恐れるため無自覚に自己防衛させ
オーラを作って防御する。
それに費やすエネルギーは相当なもので
エネルギー枯渇のため人前に出るのが億劫になり
土足で自身のテリトリーに入られるのを嫌う。
本当の素直は字が教えるように
素に直→自身の正直な気持ちにダイレクトであるはずなのに
親や周りに従順が素直なイイ子だ。
その路線を歩み続ければ
自分が何が好きか・何がやりたいのか
自身の正直な気持ちが麻痺してわからなくなり
言われるままを頑張り続け
自分では決められず判断を外に求める。
自分が自分の主人公でなくなってしまっている。
絶えず良くあらネバベキだから
直線思考はネガを否定するし、変化を恐れる。
その思考は自然法則とギャップがある。
自然は変化の波であるからだ。
濁ることで清浄が解り、失敗によって気づけ
悩みが解放の前提になっているように
ネガがポジの前提条件である。
そのネガを否定した思考ではギャップが生じ
そのギャップを埋めようとしてさらに忍耐努力我慢する。
余剰エネルギーがありできる内はいいが枯渇したらプッツンだ。
凶
それを「凶」の字が教えている。
メ(目=ビジョン)が凵=壁に阻まれている
自身のメ=思惑が壁に阻まれにっちもさっちも行かない状態が凶と解る。
しかし、いくら忍耐努力我慢しても壊れない壁だから
ついにはもうダメとプッツン、直線思考が陥るパターンだ。
直線思考は前しか見れないからだ。
しかし自然法則の波の思考ができれば上が開いているぜ!
壁は上を見るチャンスになる。
上を見れれば新たなビジョンが広がり生命力アップではないか。
直線思考は変化しないことを安定と考えるが
それこそが不安定なのである。
自然は波→変化の波に乗れることが安定と解ってくる。
直線思考=ネガを否定するのでネガに幽閉され続け
波の思考=ネガを肯定できるのでポジに反転できる。
頭ではわかるが、できないのは体がそのようになっているからで
できない自分を責めてはいけない。
治療
自律神経緊張を緩めてあげると、自然にシフトできてくる。
なぜならそれが命の働きだからである。
そうなると「モンダイナイ」の音のエネルギーが乗って
ネガをポジに反転できモンダイナイ。
スポンサーサイト
D 自律神経に因縁を見出す
完璧宇宙を命に授かり、命は自律神経に働いている
この仕組みから
自律神経=オートマチックに繋がる神の経(みち)と取れるように
その緊張緩和で神と繋がり本来性が開かれ
生命力=自然治癒力向上
リンクすれば、個性の開花・潜在能力活性
命が高まるものが解る判断力、それがセンスの良さで運気向上である。
意識はCONSCIOUS 感謝スと英語もズバリと読み替えられ
愛と感謝、イタワリと許しに広がり
現象はシンクロタイムリーの間に合っている世界が広がる。
命に授かる宇宙は微塵の隙間なく調和が連鎖しているからだ。
病気や不幸では自律神経はどうなっているか?
仕組みから緊張を余儀なくし命の情報が封印されているのである。
その自律神経を緊張させた原因があるはずだ。
何の穢れもなく純粋無垢に生まれた真っさらに
命と真逆の情報が刷り込まれたのだ。
躾・教育と称しコントロールのために恐れ不安を刷り込まれ
ネバベキの音にロックされた感情と思考で人生を展開してきているのだ。
その刷り込みこそが因縁といえる。
WORLD→WORD+L(開く意味)
個々の世界=人生という空間はコトバの開きとズバリで
命の本来性の「愛と感謝、イタワリと許し」を開いていれば
自律神経は緊張せず
健康で豊か、安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界だ。
真逆の恐れ不安、それが必然するネバベキでは
無自覚だが自己否定・自己防衛・自己分離していて
自律神経は緊張を余儀なくし、本来性は遠のいてしまう。
その分、調和が連鎖しないので
忍耐努力我慢して間に合わせようとするが、命を削ってやっているのである。
だから自律神経緊張は当然で
副腎疲労から始まり極まれば癌であり、過労死または自死である。
体調だけが自律神経の状態ではなく
生命力、運気、個性・能力・・・あらゆるものに影響しているのである。
だから因縁が自律神経に現れていると言えるのである。
因縁解消したいと信仰しお布施をはずんだり修行に励むが
手段はどうであれ自律神経緊張緩和を伴っていなければおかしいはず。
因縁=インネン因音云
因縁はどういう音を云ばれてきかに因る
つまり命の本来性の音or恐れ不安のネガな音(コトバ)かである。
そしてそれが感情と思考を生みWORLD=空間に結果し
一番身近な空間が体であり、人生という空間に結果しているのである。
治療
精神的肉体的問わず病気は自律神経緊張
頑張って間に合わせようとする運気低迷(調和が連鎖しない)も自律神経緊張
個性や能力を発揮できないのも自律神経緊張
神との繋がりをスピリチュアルに求めるが
命の不足感があるからで自律神経緊張
(自律神経はオートマチックに繋がる神の経を再認識したい。)
その原因(恐れ不安)は潜在化され無自覚に陥っているが
解放されない限り体は症状、姿勢、緊張歪み=自律神経緊張として現し
意識は自己否定自己防衛に幽閉され自己分離しエネルギー不足だ。
その不足感がスピリチュアルか億ション地位名誉の勝ち組に向けるのである。
あるいは依存症に陥らせる。
無自覚の不足感を考えてもわからないが体は正直に現している。
だから体にスピリチュアルを見出せるのである。
自律神経は背骨にあるので
背骨に意識を向けて「何が怖かった、嫌だった、何を頑張った」と
問いかけてもらう。
意識を向けたところにエネルギーは動くので
潜在化された原因にアクセスとなりそれを背骨に見出し
ソフトタッチでイタワリ照射する。
イタワリの音のエネルギーが緊張原因=因縁を解消し
健康で豊か、安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界を広げてくれる。
それに伴い、不足感の反動に気づいてくる。
スピリチュアルを行脚したり勝ち組を狙っていた反動の気づきである。
反動→反重力となるように反動の気づきが
だからだったんだ!「ソウカソウカ、無理なかった」の実感で
重力=重い思いから開放され軽くなるのである。
だから反動に気づけなければ満ちることは難しく
「いよいよ、今年こそは」と毎年言い続け「今茲」を先へ上へ求め
何億稼ごうが寂しーいッ!今度はぬくもりを求めるし
分っちゃいるがやめられない依存症から抜け出せない。
原因の因縁解消の結果として体も良くなる仕組みで
全部良くなるビジョンが大切と考える。
体だけを治そうとしても難しい時代ではないだろうか。
D 一二三四五六七
何と読むか知っているかと聞かれた。
一二三四五六七を「 はじしらず」と読むという。
その由来は儒教の重要な考え方の「四維八徳」からで
孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥からなる。
一二三四五六七だと、八番目の「恥」がないので
「はじしらず」と読むとという。
それで響くことは
二三四五六七八九が「はじしらず」だ。
なぜならば一二三四五六七八九十(ヒフミヨイムナヤコト)
一十のハジが無いからだ。
一十はヒト=人
一十はマイナスプラス=0
つまり人はゼロ=無限絶対の存在、それが本来の人である。
それを知らないことが本当の「はじしらず」であり
「人でなし」と響くのである。
ハジ=破字
一十の0ゼロの世界は破字によって解明できるのである。
なぜならば0を生んでいるエネルギーは
1/∞秒で無限大を回る=今という瞬間に無限大を回る
動いているが止まっている。
つまり動くと止まるが相対しない動=止の絶対速度だ。
30万km/秒の光速(C)の無限乗、C∞が光透波である。
字がズバリ表すように
光透波→光が秀走(最高速度)するので影を生じない透明のエネルギー。
真空透明=宇宙の実質である。
そのエネルギーを1次元で捉えると音である。
ゼロ=無限絶対宇宙は音であり
音をとどめているのが「字」である。
だから破字(字割)によって
人の本来性である無限絶対ゼロの世界が開かれるのである。
はじしらず=破字知らず
それでは人は有限相対差別の世界に幽閉され、人でなしのままだ。
D 命を解けばアタタカイ
「命」の文字はA+叩と取れる
命を解けば、A(ア)叩解=アタタカイ
つまり命はアタタカイ
「愛と感謝、イタワリと許し」のアタタカイ意識が本来性であり
体もアタタカイ→基礎体温の36℃を保持する。
36℃が命の温度であるから心地良く
それ以下だと寒い(冷え性)、以上なら熱があると感じるのである。
36→ミロクを命の温度として授かっている
仏教では弥勒の極楽浄土=アタタカイ命の世界の温度を
常春と言っているのである。
波動は非常に振幅が細やかで変動がないことだ。
それに対し地獄は
灼熱と酷寒の世界で地獄の温度は振幅が激しい=波動が荒い。
体調で言えば暑がりで寒がり
意識で言えば熱しやすく冷めやすい・激高冷酷な人と言える。
命の本来性が封印さているからである。
治療
命解=命の情報開示をテーマにしている。
なぜならばそれは生命力アップ=自然治癒力アップで
リンクすれば、個性の開花・潜在能力発揮、
自身の命が高まるものが解る判断力
それがセンスの良さであり運気の向上で
「健康で豊か、安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界」が広がる。
完璧を授かっているのだから命の情報開示すれば
何の忍耐努力我慢せず調和が連鎖するのである。
忍耐努力我慢は命を削って間に合わせようとしていることに気づきたい。
命が高まるから調和の連鎖が広がり
アタタカイ心とアタタカイ体(基礎体温が上がってくる)
命に宇宙を授かっている
命に完璧宇宙を授かっていて、命は自律神経に働いている。
神人合一のアダムとイブの時代も今も変わらずに
命は完璧を授かっているのである。
当時は調和の連鎖しかない世界だったはず
今は何かが蓋をしているのである。
その蓋を取り除くことで本来性はお出ましになる仕組みである。
無いものと外に求めることではなく、蓋を開けることだ。
初めから有るのが、有難いのである。
蓋をしてきたのが恐れ不安であり
それがネバベキの音にロックした感情と思考で
自己否定自己防衛を余儀なくし、自律神経緊張に陥らせてきたのである。
自律神経=オートマチックに繋がる神の経(みち)と取れるように
その緊張は命の本来性の封印なのである。
それを開放する音のエネルギーが
「ソウカソウカ、無理なかった」のイタワリである。
治療は自律神経が通る背骨に意識を向け
何が怖かった・イヤだった・我慢したと自問してもらう。
意識を向けたところにエネルギーが動くので
潜在化された原因にアクセスとなり
そしてその背骨をソフトタッチでイタワリ照射することで
緊張が緩和される。
アタタカイ本来性が解かれてきて
症状は良くなると共に
個性は良い方に開き、運気の向上と連鎖し
健康で豊か、安らぎに満ち
調和が連鎖する間に合っている世界が広がってくる。
D リバウンドの原因はカンジダ菌
菌が影響している
体は60兆の細胞で構成されているが腸内細菌だけで100兆個、皮膚1㎝²に14万個の常在菌がいる。
細胞の数より菌が圧倒的に多いことは
体は菌の複合体、私達は菌の宿主と言える。
それは体調はもちろん、食の嗜好も頭の思考も菌が影響していることである。
カンジダ菌
カンジダ菌は常在菌だが、酵母の段階ならいいのだが
菌糸に成長したら大変で、腸壁に根を張りリーキーガットし
バイオフィルムで防御し増殖する。
酸欠を生む菌であるからドロドロ血液で血流悪化
太るだけでなく様々な病気の原因と考えられる。
カンジダ菌は糖質が大好き
増殖するために過食・糖質過剰摂取させるのだ。
わかっていてもやめられないのは
意志の弱さではなく、カンジダ菌のせいである。
カンジダ菌の増殖原因
ストレスで副腎から抗ストレスホルモンのコルチゾールが分泌され
血糖値を上げることで対応する。
だからストレスがあると飲酒・甘いもの・過食してしまうのである。
ストレス→コルチゾール分泌→糖質摂取
慢性的or強いストレスで糖質過剰摂取を余儀なくし
それはカンジダ菌にとっては増殖のチャンスで
酵母から菌糸に簡単に成長し
一旦菌糸に成長したら抗生物質でも玄米でも白旗を上げない。
腸壁に根を張りバイオフィルムでガードするからだ。
(カンジダ菌は水虫の真菌と同類
その治り難さでカンジダ菌のねちっこさがわかると思う。)
増殖の一途で、わかっているがやめられない
できない自分を責めてしまうが、それは自律神経緊張に拍車だ。
その自律神経緊張はストレスを自家発電しているわけで
コルチゾール分泌で余計に糖質摂取となる。
それで一念発起してダイエットに励む
頑張って運動するが、頑張っては自律神経緊張だから長くは続かない。
糖質制限も我慢するのでやはり自律神経緊張である。
糖質大好きなカンジダ菌は飢餓に追い込まれ
バイオフィルムを硬くし耐え忍んでいる状態になる。
目的の3キロ減量達成したとしよう
頑張ってやってきたので、その途端に緩み自分にご褒美だ。
一口の甘いもの、ビールが耐え忍んでいたカンジダ菌にスイッチを入れる。
カンジダ菌はあんな思いはもう御免と
燎原の火の如く増殖を図り食え食え飲め飲めさせる→ Theリバウンド
簡単に3キロ、いや今度はそれ以上に増加する。
そこで再度一念発起でダイエットに励むが
同じパターンでやるのでダイエットするほどリバウンドし
最後はどうにでもなれの自暴自棄か
食っては吐き、吐いては食うの悲惨な状態だ。
そうなるとカンジダ菌にはウハウハルンルンのパラダイス。
カンジダ菌を知らないダイエットは負のスパイラル!
もう一度言うが意志の弱さではなく、菌がそうさせるのである。
カンジダ菌を抑制したい
原因はコルチゾールを分泌させ副腎に負担をかけるストレスで
それを掘れば無自覚の自己否定自己防衛があり
ネバベキの感情と思考が強いほどストレスになるのである。
それはどこから来ているかというと
大概が幼少期に受けた抑圧が反動になっている。
開放しない限りそれが体にも意識にも影響し続ける。
それを開放するエネルギーが
「ソウカソウカ、無理なかった」のイタワリの音である。
菌と意識(コトバ)は連動する。
忍耐努力我慢はネバベキにロックのまま
自律神経緊張緩和は難しく、カンジダ菌は何の痛手も受けていない。
カンジダ菌はネバベキが大好き、イタワリが大っ嫌いなのである。
MMS
抗生物質でも玄米でも白旗を上げない超ねちっこいカンジダ菌を抑制する。
飲用もいいがお勧めはMMSで浣腸する。
浣腸でカンジダ菌が白旗を上げバイオフィルムが出るし
場合によっては寄生虫も出てくる。
カンジダ菌が抑制され食欲はコントロールしやすく
気分は穏やかさを増してくる。
D 赤ちゃんの癒す力
3.11の大地震
愛する人も家も全てを失い絶望のどん底で避難されていた中で
赤ちゃんが生まれた話を思い出す。
加護のしるし「セントエルモの灯」のように
その産声に涙し皆さん力をもらったという。
大きくなった子供が泣いたなら、うるさーいッ!だが
力強いその産声は絶望を癒し希望や力をもたらしたのである。
赤ちゃん
自分では何もできない壊れそうな弱さなのに
産声や笑い声、そのしぐさに触れたらどんな人でもイチコロだ。
赤ちゃんは命に同調したものであれば笑い、しなければ泣くように
全くの無防備、何の恐れ不安もなく純粋無垢で
命そのもののを顕現しているからだと思う。
BABYベビーは「辺備」と取れるように
辺は刀+走、無上の力(刀)の走りが備わっている。
命の顕現は最強だ。
その力が最高のヒーリングパワーではないか。
そんな赤ちゃんを抱っこしたら可愛くてたまらない。
無条件に何であんなに可愛いのだろうか。
モミジの様な手が何であんなに気持ちいいのだろう。
それは恐れ不安、それが反動となった自己否定自己防衛
さらにそれが生む損得勘定と伴う感情、比較競争、妬み・・・
何層ものそれらの汚れで解らなくなった奥底にある
命の本来性が同調し引き出されるからだと思う。
それらの汚れが命の本来性を封印し
自律神経緊張の根底原因と解ってくるではないか。
癒される
それは奥底にある命の本来性が同調し引き出されることだ。
その要を担うのが皮膚感覚である。
皮膚は自律神経の末端
ちくわ構造で皮膚と内臓は繋がっている
耳は2万Hzが限界だが皮膚はそれ以上の高周波をキャッチする
詳しくは→皮膚
赤ちゃんと触れることは
皮膚感覚でその情報を受け取り
奥底に押し込めた命の本来性が同調するのである。
顕現したい
命の本来性が顕現されれば生命力が高まるのは当然で
健康で豊か、安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界が広がる。
角度を変えれば無邪気さの回復であるが
何層もの汚れからの回復だから自身を客観できる練られた無邪気さだ。
赤ちゃんの時は自意識がないので命の顕現は無自覚だったが
今度はそれを自覚できる→全てに繋がっている自覚だ。
だから調和が連鎖する間に合っている世界が広がり
命にコトバの本質である光透波を授かっているため
発する念=コトバにエネルギーが乗り言霊を降ろせ
何の忍耐努力我慢なしに間に合っていくのである。
本来性が封印されているから
ネバベキと忍耐努力我慢=命を削って求めしまうのである。
それに気づき治療する私が本来性を自覚し顕現するほど
手からも話からも発揮できるわけで
施術者の意識が投影するので物理療法とは違ってくる。
本来性に回帰し命の世界を顕現するのは
忍耐努力我慢や難行苦行はいらない。
どこまでも深く「ソウカソウカ、無理なかった」と
自分自身をイタワルことである。
イタワリの音波云が何層にもしていた蓋を除けてくれる。
赤ちゃんの時は自覚できなかったが
今度は自覚し顕現できるのである。
D 「かんしゃく」から「く」を取るとかんしゃ
イライラぷんぷん、すぐキレる癇癪持ち
生まれた時は純粋無垢で可愛かったのに…
それが何で癇癪持ちになったかというと
恐れ不安の抑圧を刷り込まれたからで、自己防衛をせざるを得なかった。
否定されることに過敏
思い通りにならないと、自分がされたように相手を抑圧しコントロールするのである。
それは自身の本来性が封印されているので
自分自身が心地良くない=いつも不満=エネルギー不足=自律神経緊張だから
慢性的に苦しい状態なのである。
だから「かんしゃく」から「苦」が取れれば
かんしゃ=感謝となるように
本来性が開かれエネルギーは高まり自律神経は緊張緩和で
自分自身が心地良く無邪気さを回復する。
意識は本来性の「愛と感謝、イタワリと許し」を広げ
英語で CONSCIOUS カンシャス=感謝ス
感謝に満ちることが意識の本来性とズバリ日本語とリンクするのが面白い。
どんなことにでも感謝スなら
安らぎに満ち癇癪など起こしようがない
それは生かされ計らわれ護られている自覚を持てるからではないか。
しかし癇癪持ちは「苦」の取り方が解らない。
イヤだったはずなのに
同じように刷り込まれたことを子供や相手にやってしまうし
忍耐努力我慢しているので、その琴線に触れると癇癪を起すのである。
「苦」の取り方
「ソウカソウカ、無理なかった」
どこまでも深く自身をイタワリすることである。
フィジカル面では自律神経緊張緩和を図ること
モーターポイントの肩甲骨間部が詰まっている。
文字通り、健康のコツが肩甲骨にある。
肩甲骨の詰まりは猫背で肩コリ。
肩は月戸→肉体の戸
戸を開ければエネルギーが入るのである。
shoulderはshould+erと取れ、ネバベキの人ほど肩コリで
戸が閉まってエネルギーが入らないと解る。