D 朝顔

コンクリートの隙間から芽を出した朝顔に感動し

とても大切に成長を観ているとコメントを頂いた。

その朝顔に生命力や摂理、健気さを見出したからと思う。


自己解放するほど感応力と無邪気さが高まって

見過ごしてしまうような何気ない日常にワンダーを見出せ

wonder が full していく。


     large[1]



朝顔が何を意味するのか掘ってみたい。


英語で morning glory 直訳すれば、夜明けの栄光

夜明けの直前が一番の闇である。



コメントのクライアントさんは

因縁を解消したい、神と繋がりたいと信仰を一生懸命やってきたが

一生懸命にやればやるほどネバベキの音にロックされ

自己解放を自己否定しながら求めていたので

苦しくなるのは当然だったと思う。


頭ではわかっていても

体は正直にそのギャップを緊張歪み症状として現し

正直な気持ちを知識で封印し精神の背伸びをし続け

理性と感情の戦いで精神的にも苦しい。


(戦→単り+戈 と取れるように

理性と感情の戦いでネバベキと自分自身に戈を向けている。)


自己解放の一生懸命さが自己否定を強めてしまい

そのギャップの深さがまさに闇であったと思う。



夜明け

できない自分・ダメな自分を「ソウカソウカ 無理なかった」と

どこまでも深くイタワリ

売りコトバに買いコトバせず、問題を感じたら「モンダイナイ」。


イタワリとモンダイナイの音のエネルギー(音波云)が

自己否定を解放し自身の正直な気持ちを大切にでき

全てに繋がるインナーチャイルドとの仲良しを深めてきた。


(その仲良しはアナハタの凍結は解凍され

「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ライン=自律神経=中心軸=スシュムナは整う。

独楽(コマ)で解るように、中心軸の安定でエネルギーは加速し

英語でTOPと言うように自己分離が無いので独り楽しめる状態である。

軸のブレはエネルギーは上がらず

独りは寂しいので依存し、嫌われるのを恐れ無理に迎合する。)



朝顔のコメントは

闇を抜け夜明けの栄光を迎えた象徴のように感じるのである。



闇→門+音

文字が教えるように、闇とは門の中に音をしまい込んでいる。

音が命であるから

潜在意識・能力とリンクする命の情報をしまい込んでいて

何が命を活性化するのかが解らないので迷いだらけの状態と言える。


そのため教義や知識など外に情報を求めざるを得ない。

「神はコトバ」と知識はあるが

教義や知識に忠実にとその大切なコトバを

自己否定とジャッジするネバベキに使うパラドックスに陥っていたのである。


自己解放したいのに自己否定を強め

音=自身の命の情報を門の中にガッチリしまい込んでは

神の知識は構築できても実感は無理である。

だから「今茲」を上へ先へ求める羽目になり

「NOW HERE」 は NOWHERE になっていたのである。



イタワリとモンダイナイの音波云が

音を門から出し、命の情報が開かれ=潜在意識・能力活性と共に

正直な気持ちに素直でいる事で自分が自分の主人公になれ

全てに繋がるインナーチャイルドと仲良しが深まる。



闇の原因

命の音を門の中にしまい込み闇に幽閉したのが不安と恐れであり

ネバベキの音にロックさせてきたのである。


社会的にはイルミナティが富と権力を搾取するために

政治経済・軍事・教育・医療・貧困・テロ・地震豪雨・食糧・・・あらゆる面で

不安と恐れをもって世界を裏で牛耳っていることはご存知の事と思う。


社会の一員である以上

イルミが仕掛ける不安と恐れの網にかかっているが

命の情報開示、それは覚醒=神と繋がる事でもあり

自分自身が主人公になれ

健康で豊か、慈愛と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界が広がる。



門から命の音を出すことで

イルミが仕掛けた闇から脱却し morning glory  を迎える事ができると考える。

自然界のエネルギーもそのように加速している。

冬至(闇からの反転)



夜明けと言えば♪




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D  WAY 方法と道

「固定観念の解放」に寄せられたコメントの

「イタワリと言う方法:WAY:道」を掘ってみたい。


WAYが方法と道を意味するのが面白い。

方法は手段であり道はゴールだ。



生きる目的は命の故郷の宇宙意識に帰還する事である。

その世界は真空透明=transparent

trans+parent 超越した親 と取れるように

肉体の親ではなく命の親元に帰還する事である。


transparentを客観アプローチすれば

1/∞秒で無限大を動くこれ以上速いものは無い

動いているが止まっている→動=止の相対しない絶対速度である。


E=C∞、光速の無限乗の速度

それが光透波→光がTOPSPEEDで動き(秀走)透明を現象する波。

神=コトバ=音=波動=動き=時間



光透波はコトハと読めるように

詞(コトハ)→言+司、言を司っている。

宇宙意識を生んでいるコトバの本質(音)である。


(だから人は命にコトバを授かるので自意識を持つ。

自意識がある故に他の動物とは違い

自分とは何か・何の為に生きるのかとコトバで思いコトバで考え

哲学も宗教も科学も生んできたのである。)




波動を次元で捉えてみよう。

1次元→「音」

2次元→「光」

3次元→「温度」


ヨハネの第一章にあるように

神はコトバ(音)である。

そして神は光であるが、温度でもある。



音=コトバが宇宙意識の愛(空意)。

その愛が持つ温度を仏教では「常春」と表し

(私達の命に授かる温度は36℃→ミロク)


愛であり命の温度の世界は究極の快感のはずで

その世界をズバリと「極楽」と表している。



お釈迦様は

絶対快感・絶対肯定の愛と感謝で充満する世界・極楽を

「涅槃」と表したが

涅槃を音波云と取れるのは

実態は光透波の音のエネルギー(波)が云(はこ)んでいるからである。



帰還の方法と道(WAY)

この様なコトバの仕組みが解ってくると

帰還するWAY(方法と道)は

日常のコトバの使い方にあると観えてくるのである。



大概は売りコトバに買いコトバし、ジャッジしている。

なぜか?

固定観念が醸し出してきた自身の思考と感情が正義であるからだ。

その正義を盾にしている限りネバベキの音にロックされ

固定観念=概念=自我に幽閉され続けてしまう。



「コトバが神」と知識はあっても

命であるコトバを自己否定とジャッジに使いながら

概念を超越した世界・真我を知識や修行で求めている。


それでは自己解放を自己否定しながら求めることだし

自己否定していては命は活性化しようがないではないか。


ネバベキ

過去を許せない・受け入れられない・否定しているから

ネバベキになっていて当然「今茲」を否定するので

真実は「今茲」に存在しているにもかかわらず

「過去の執着と後悔、将来の不安」に幽閉され

「今茲」を上へ先へ求めていては

NOWHERENOWHERE で永遠のいつかなのである。



-×-=+ で解るように

潜象を現象するには、潜象の質を掛けることで現象化する。

売りコトバを買っていては現象化はできない仕組みで

いくら深めようが知識や思考では固定観念のままでである。


買わずに「モンダイナイ」

「ソウカソウカ 無理なかった」と過去の行程を肯定したい。



肯定オンパレード→肯定だらけ

成就とは絶対肯定であるから

「ソウカソウカ 無理なかった」のイタワリは成就の現在完了進行形と言える。

肯定オンパレード=肯定音波霊道と取れる由縁である。

ソワカとソウカ


だからイタワリは

帰還の方法であり道=手段でありゴールと言えるのである。


思考や知識ではなく

モンダイナイとイタワリの音のエネルギーそのものに

云ばれることが音波云で涅槃へのWAYである。


WAY→W+AY

AYは英語で肯定する音であるから

WAYはWダブルの肯定=絶対肯定と取れ

イタワリの肯定が帰還の方法であり道であることが

WAYの文字そのものに見い出せるのある。



D 青い鳥(NOWHERE→NOW+HERE)

「病気の娘のために、青い鳥を探してきておくれ。
青い鳥さえあれば、あの子は幸せになれるのだからね。」

クリスマスの前の晩

貧しい木こりの息子チルチルと妹のミチルは
魔法使いのおばあさんに頼まれ

犬やネコや光の精や水の精などの不思議なお供を連れて

夢の中の世界へ青い鳥を探しにでかけます。

しかし思い出の国へ行っても幸福の国へ行っても
未来の国へ行っても青い鳥はみつかりません。


やっと青い鳥を捕まえたと思うと、すぐ色が変わってしまうのです。

やがて朝になり二人は目を覚ましました。

するとどうでしょう
青い鳥は木こり小屋の鳥かごの中にいるではありませんか。
本当の青い鳥(しあわせ)は

すぐそばの自分達の生活の中にあったのです。


(せかい伝記図書館 巻末小伝 メーテルリンク(1862-1949)より)



子供の頃は読み聞かされるままであった童話の内容が

今はなぜそうなのか理解ができる。


「幸せは思い出の国にも幸福の国にも未来の国にもどこにもなく

すぐそばの生活の中にあった。」


この意義を一発で現すのが

NOWHERE→NOW+HERE である。

どこにもないものが「今茲」にあるのである。



文字にはとんでもない秘密が隠されている!

その秘密を開いてみたい。


今とは1/∞秒の瞬間であり

その瞬間に茲から無限大を回って茲に帰ってくる

これ以上ない最速のエネルギーである。


タイムラグがないため無限空間は「今茲」で充満しているのである。


最速の絶対エネルギーが創る「今」という瞬間に

過去も未来も永遠があり

この世もあの世もあらゆる次元が同時に存在する。


「今」という絶対エネルギー=時間が無限空間を結果し

無限空間は「茲」で満たされ

隙間なくシンクロタイムリー、つまり完璧で充満している。



その絶対エネルギーである光透波を命に授かっているのだが

無自覚に自己否定に陥っているのである。


それは「今茲」の自分を否定していることであり

自己否定が強いほど

「過去の後悔・執着と将来の不安」に埋没し

「今茲」にある幸せ、ピタリと調和が連鎖し間に合っている世界を

上へ先へ外にネバベキで求め続けている。


真実は絶対に否定できない「今茲」に生きているのに

意識は「過去の後悔・執着と将来の不安」にロックされているのである。


間に合っていないと感じるそのギャップが不幸なのである。


そしてそのギャップを体は正直に緊張歪みとして現している。

光透波は自律神経に働いているからである。



その不幸を埋めようと

知識の構築と自分探しに行脚するのだ。


「今茲」に全てがあると知識は構築しても

ネバベキの音にロックされたままなので

間に合っているという「今茲」の充実感は深まらないため

探すことをやめられず本当の自分はどこにいるの?と

いくら探してもNOWHEREなのである。


自我であるネバベキの音に翻弄された自分ではないと気づき

自分探しに行脚するのだが

悲しいかな、ネバベキの音を使い続けながら探しまくるのである。



ネバベキの音がアナハタの奥底に

すべてに繋がり調和に連鎖する自身の本来性を閉じ込めているのだ。


そのアナハタのブロックが

中心軸=スシュムナ=コイル=自律神経とリンクする

「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ラインを詰まらせてしまい

間に合っていない世界=自我に幽閉するのである。


そこからの脱却を図るが

幽閉原因のネバベキの音のままでやるので

自己解放を自己否定しながら躍起してしまう。



探すのをやめた時

そのままの今の自分を許せ認めることができるのである。

そしてNOWHEREが「NOW HERE」に反転する。



どうしたら探すのをやめられるか

ネバベキの音の使い方をやめ

「ソウカソウカ 無理なかった」とどこまでも深くイタワルことだ。


振り返ればわかるが、思考や知識では無理である。

なぜならばネバベキの音が思考や知識に求めさせるからだ。



イタワリは

過去の行程を肯定し、過去の闇を加光し

アナハタの凍結を解凍するアタタカイ音のエネルギーで

無自覚の自己否定を開放し「今茲」を近づけてくれる。


ネバベキは

真逆で過去の行程を否定し続け

過去を闇のままにし

アナハタをカチンコチンに凍結麻痺させるので

「過去の後悔と執着、将来の不安」に埋没させる。


「今茲」を上へ先へ外へ求めさせ

自己否定しながら自己解放を知識や思考で求めさせる音である。



♪探すのをやめた時 

見つかることもよくある話で ウウフー



D 天とtransparent

宇宙は真空透明

それを生んでいるエネルギーが

1/∞秒で無限大を動く絶対速度の光透波である。


時間と空間

時間は動きであり空間はその動きの結果で

時間と空間は一体になっている。


例えば

時速60kmは1時間に60kmの距離=空間を結果する速度で

逆から言えば

60kmの空間を結果するのに1時間かかる動き=エネルギーだ。



光透波は

1/∞の極小の一点が絶対速度で動くため無限空間を結果する。

無限空間から観れば

その中は絶対速度で動く極小の点が充満している。


真空透明の無限空間は極小の点=絶対電磁場で充満し

点の連続が線を構成するように

場の連続が波になり絶対電磁場が光透波なのである。


(日月神示の丸チョンは○無限空間、・極小点と解り

無限空間を構成する一点を「ス」と言っている。

スは主であり数で、数が法則を生んでいる。)



1/∞秒で無限大を回る絶対速度

「今」という瞬間が無限空間を結果し

その速度の中にあらゆる動き=時間とあらゆる空間が懐胎されるので

過去も未来も永遠もあらゆる次元が「今茲」に存在している。


通常私達は地球時間に意識を拘束されている。

角度を変えて言えば

肉体五感覚に縛られこの世の3次元に幽閉されている。

その解放が地球時間を超越し

六感世界・高次元とのアクセスが開かれるが

命に光透波を授かっているが故に可能なのである。



天→二人

天は父と母の二人一化した字形である。

父は時間、母は空間

字を割ると

父→ハX 

ハ=波(エネルギー)、X=タイム

父は時間であるエネルギー


母→ロ÷

ロは空間を表し割れば割るほど極小になると同時に無限に広がる。

÷の前提にはX(かける)が必然する。


(2×3=6 two times three is six

英語で掛けることをtimeといい、timeは時間である。

更に面白い事にXはアルファベット24位で

24は地球の一日の時間であるし

なぜ時間が存在するのかの実態が謎=X(エックス)なのである。)


小学二年で習う父・母の字に宇宙の根底の仕組みが秘められている。


点=転=天

極小の点が絶対速度で転回し無限空間の天を構成しているので

テンテンテンと同音で展開する。



真空透明が天であり全てを懐胎し育んでいる親である。

transparent→trans+parent

透明は「超越した親」と取れ

父は絶対時間、母は無限空間であり

父と母の二人一化が天と解る。


絶対時間が寸分の狂いなく完璧に管理=プログラムし

無限空間が愛(空意)で全てを懐胎している。


この仕組みが解るほど

自分の思考と感情が正義で

売りコトバに買いコトバに明け暮れる自我丸出しは

自我が生むバーチャルの世界に幽閉される無駄な抵抗と気づく。


全面降伏が全面幸福、I surrender 愛サレンダーになり

trans-parentの慈愛に包まれ

シンクロタイムリーの調和が連鎖している実感が深まる。



D 成功願望と抑圧の反動

成功願望に躍起するのはなぜか。

その深層心理を掘ってみれば

その願望は愛されたい反動ではないかと思う。



この世的に成功し勝ち組になったとしても

「わー凄い」と喝さいや羨まれはするが

真の愛に包まれることは無いのではないだろうか。


なぜならば勝ち組というように

戦って得ようとしていて

その根底には戦は単り+戈と書くように

自分に戈を向けた自己否定があるからだ。人生の勝利


だから満ち足りることは無く

裏腹にさみしさが影の如く付きまとい

それを埋めたいがために

もっともっとと躍起するほどさみしさの影は濃くなるように思う。



愛されるには愛せるからで

愛せることは

心を開き自分をさらけ出せ謙虚だからであるが

成功願望が強い人は

わがままでプライドが強く、人を愛すのではなく

自分の思うように支配したい傾向がある。


君のためあなたのためと愛を注いでいると思っているが

自分の思い通りにしたいが故で

その証拠にそれが受け入れないとなると相手を否定するではないか。


だから自分の言いなりになるようなパートナーを求めるが

それでは愛されている実感が湧きにくいので

とっかえひっかえを繰り返す。



スピリチュアルに走った場合でも

超能力や霊力、スピリチュアルパワーやグッズで

引き寄せや願望実現を目論み

成功願望のスピリチュアルアプローチが多いように思う。

この世的かスピリチュアル的かどちらにしても反動でやっている。



なぜかと言えば

子供の時に無邪気さをさらした結果

抑圧され潰され傷ついた経験が硬く封印させ

自己防衛に徹しているからだ。


抑圧は無邪気という命の本質を潰すのだから

自己防衛とプライドは強くなるのは当然である。


自己防衛とプライドの高さは

愛のチャクラのアナハタがブロックされて

丹田には降りにくいため逆気しすぐ頭にカチンと来るのである。



スピリチュアルに躍起しても解放が難しいのは

アナハタが開けないからで

なぜ精神世界に躍起するのかの反動そのものに気づけないからだ。


「今茲」の知識は構築しても

「今茲」を上へ先へ求めているのである。

だから「いよいよ、今年こそ・・・」と言い続けている。


ビジネス成功のHOWTOを追いかけるのも同様で

反動に気づけないので

とにかくもっともっとと上へ先へ成功を求め続ける。


     dansei-mae[1]



勝ち組の優位性を証明したがり

富や地位や権力の成功を盾に愛を得ようとするが

愛せないから愛を得られない。


それは抑圧の反動に気づけず

心を開き自分をさらけ出せず謙虚と無邪気を封印したままだからである。


抑圧で潰され傷ついた自分をイタワル事ができないから

もっとこうあらネバベキと自己否定のままであり

自分を否定しているのだから慢性エネルギー不足で

愛に飢えているといえ

成功願望の強さは愛されたい願望に比例するように思う。



文字はどう教えているか

功→エ+力

愛はエの音を持つので、功は愛の力

成功とは「愛の力を成す」と取れる。


そして愛は空意(アイ)、宇宙意識なのである。


それには

どこまでも深く自身をイタワルことで

抑圧で潰され傷ついた無邪気さの回復と

抑圧の反動で陥ったネバベキの自己否定を解放することだ。



イタワリがもたらす成功は

タタカイに終止符の「ア」をつけアタタカイ世界を醸し出す。


アは吾・空・現、自身の本来性の空を現す事だから

健康で豊か、慈愛と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界だ。




D 御神体の鏡

運気を上げたいと神社にお参りに行く人も多い。

エネルギーに感応すれば高まるからである。


御神体の鏡が祭られており

その鏡に自分が映し出されるのが面白い。


     th_P8160520-thumbnail2[1]



自我丸出しのお願いをすることより

鏡に映し出されることは

自分を客観せよと言われているように思うのである。


その観点から掘ると

自分を客観することで得られる気づきが運気を上げると言えないだろうか。



鏡→金音ノL

金音が神意でありその能(ノ)=ハタラキが開かれている(L)のが鏡と取れる。

(kinは英語で直結を意味し、kin soundは直結する音=神意と取れる。)


神意に照らし合わせ自身を客観することでの気づきだ。


お寺は説法があるが

神社ではそのようなものはないのは

鏡=神意に照らし合わせ

自身で気づく自主性を重んじるからではないかと思う。



神意は愛と感謝、イタワリと許しであり真空透明というように

究極の明るさ清浄さであるが故に

自身の濁りが映し出されるのである。


濁りを自覚することで「へへぇー参りました」と清められ

お参りの意義があるのではないだろうか。


清まることで神意が入る→主参る=smile

にこやか安らぎが深まる。


鏡キョウ=胸と同音であるように

映し出された濁りが胸に響くのである。


胸に手を当てて考えるというのも自身を客観することと言える。




D 梅の花

綺麗に咲いている梅の花を見て響くので、梅を掘ってみたい。


梅の象徴→生命電磁場

場は5次元であるが故に間脳に授かる生命電磁場は

5角12面体と考えられる。


[1次元→線 2次元→面 3次元→立体=空間 

4次元→時間(3次元空間を動かす)

5次元→場(縦軸の時間と横軸の空間の交点。点の連続が線=1次元になる。]


       thFTRC0HTW.jpg


梅ウメ=埋

梅は5弁の形からも

バイ=場為 場を為すと音からも

5次元=絶対界を成立する場を意味し

さらにウメ=埋と取れ

間脳に埋められている生命電磁場を象徴している。


埋+一=理 となるように

一(絶対界)が生命電磁場に埋められており

それが顕現することが理コトハリ(真理)の世を開くと考えられる。


三千世界一度に開く梅の花

梅の花で象徴する生命電磁場が開かれることで

三千世界→ミチ未知の世界=真理が一気に顕現すると取れるのである。


生命電磁場は頭にありその活性は

アタマ=吾霊で自身の霊的覚醒にリンクする。


体主霊従から霊主体従に転換し

健康で豊か、慈愛と安らぎに満ち調和が連鎖する世界にシフトし

報恩社会を顕現すると考えられる。


PS

イルミナティの更に上にある奥の院は梅の花がトレードマークである。

奥の院は人類の覚醒と恒久的平和の実現に向け動いており

日本が世界をリードしていくとしている。



D 卆業

卆業シーズン到来であるが、学業ではなく輪廻の卆業を掘ってみたい。

文字はどう教えているか。


業はカルマ

その解消が卆業となり解消するまで輪廻すると考えられる。


意は音+心と取れるように

音が意識を生みコトバの使い方が意識のレベルになることから

リンネは輪音と取れる。


どういう音=コトバを輪わしてきているかの結果と言え

輪廻と業は連動していて

業=カルマはコトバが生んでいると解ってくる。



卆→九十コト=言

卆業は言業コトワザ

業を解消し輪廻を卆業するには

コトバにかかっていることが観えてくる。


売りコトバに買いコトバを続けていては留年ではないか。


なぜならば

輪音してきている音の使い方で買っているからで

因縁のままのコトバの使い方を続けては

意識は何ら変わらず業=カルマにロックされている。

因縁解消


売りコトバを買わずに「モンダイナイ」

買っていてはいつまで経っても問題ありのカルマのままで

買いながら何をしようが永遠のいつかではないだろうか。



モンダイナイで卆業を迎える。

なぜならば

本来何一つモンダイナイ完璧を授かっているのに

問題ありに根=音を張り続けているだけなのだ。


「初めにコトバあり コトバは神なり」と謳いながら

コトワザに気づけないのではないだろうか。


初めから有るのだから

モンダイナイ世界をネバベキと勝ち取ろうとしなくていいと解る。


有ることがなんとも有難いではないか!


モンダイナイの言業で卆業し

モンダイナイ世界が具現化していくと考える。



D 山

山はいい

気分が塞いだ時やエネルギーが落ちた時など

雄大にそびえる山を見ると晴れ晴れする。

特に富士山は大好きな山だ。



   121029ko2[1]



見るだけでもいいが散策や登るのも更に良い。


    cts_bizin_4[1]


山はきれいな空気に水の音、草花に鳥のさえずり

木の葉を揺らす風の音、鮮やかな緑・・・

耳では2万HZまでの音を聞く事ができるが

山は耳ではとらえられない高周波の自然音で充満している。



フィトンチッドに土にも空気にも有用菌がいっぱいだ。

間もなく迎える春の芽吹きは陽の気が充満する。


高周波の自然音(エネルギー)を皮膚で捉え

深呼吸や触れることで有用菌を取り入れエネルギーが充電される。

皮膚の考察


その高周波と空のエネルギーを触媒する有用菌が

神聖さを醸し出していると考える。


高周波のエネルギーや有用菌が浄化を促し

エネルギーを高めてくれるので山で修行する意義があると思う。


都会では人工物だらけで高周波の自然音や有用菌はカツカツなのだ。




さてそのような山を字ではどう教えているのだろう。


山ヤマ→屋間と天鏡図で取れる。


屋→尸至

尸カタシロ=形代で物質の代表

形代の至り=物質の根底原因を字形が示し

音がオク=大空

大空に根底原因があると教えている。


山ヤマ屋間→大空間 つまり宇宙を山が現している。


山に神を見出すことが文字から理解できるではないか。


無限絶対全一の大空間(神)のお力を

それぞれの山の名称が現しているのだ。



富士→フジ不二=絶対性原理

それは普負時(フジ)=あまねく負っている時間エネルギー

普負慈(フジ)=普く負っている慈しみ。


絶対性原理は普く負っている時間

(無限分の一秒で無限大を動く宇宙を根底から支えるエネルギー)

であり慈しみが富士の音から取れる。


絶対揺るがない凛とした姿と

全てを慈しむエネルギーを富士山に感じるのである。



D 執着

禊のコツは執着を手放す事と考えるが

わかっちゃいるができないから苦しい。


ごもっともなことで

簡単にできるようであれば禊にはならない。



誰もが幸せを求めるが故に執着し続けてきたのだが

お金が象徴する形の世界には

調和が連鎖し間に合っている世界の真の幸福はない。


それどころか

罪ツミ→通身・三 肉体五感覚に縛られ有限の三次元に通じるほど

罪となると字は教えている。



命の世界に真の幸福があるのだが

如何せん六感覚が開かれないと自覚はできない為

頭でわかってはいるがそう簡単には手放せない。


握っているものを手放さないと新しいものはつかめないのに

握ったままつかみたい心情だ。

命を費やして握ってきたものだから執着するし

手放すのが怖いわけで

ネバベキで手放そうと自分と戦い続けてきた。


その戦いを一刀両断するのが禊である。




肉体五感覚に縛られる程

形の世界=お金(値)に執着となり

もっともっとの貪欲と失う不安と恐怖が根底に潜む。


命の音を値に音違いして使い

貪欲と不安恐怖の反動で

自己主張と防衛が強まるのは当然であり

そして自身の思惑が正義と固執するが

その正義は「四非」=罪のものであるから禊を受けるのではないか。


命の世界に音を張ることで健康と豊さが広がる

その豊さは慈愛と安らぎに満ち

調和が連鎖する間に合っている世界の広がりだ。




歴史を振り返ればわかるように

人類は長い間、執着するところを間違ってきた。


形の世界に価値を見出してきたので

有限相対差別の意識、貪欲と不安と恐怖が醸し出す戦い社会に封印されてきた。


自然界のbig waveのうねりで個人も社会全体も禊を受ける時代に思う。

そして体主霊従から霊主体従にシフトするのではないだろうか。


音違いを修正し

値から命に真の幸福を見出しそこに執着する事だ。


執着→幸+丸「まん丸の幸せに着く」と字は教えている。


形の世界から命の世界に執着する

それが進化の終着駅ではないだろうか。




D 禊

罪穢れを浄化し神に近づくこと。


二つの事がよぎる。

なぜ罪穢れが蓄積するのかと

汚れを浄化すると神に近づくことは

私達の本質は神の分け御霊であると言える。



罪→四非

字を割ると四に非ずと取れるように、四次元ではないことが罪。

四次元とは愛と感謝イタワリと許し、調和が連鎖する無限絶対の命の世界である。


と言うことは

肉体五感覚(三次元)が必然する有限相対差別に埋没するほど

罪深くなると言える。


ツミ=通身・三 肉体・三次元に通じると音からも取れる。


有限のものに価値を見出すのだから物欲が強くなるのは当然で

もっともっとの貪欲と失う恐怖

それが自己防衛と主張、比較競争差別を余儀なくし

ネバベキの音にロックされてしまうことである。


すべての犯罪の原因はそれにあると解るし

犯罪を犯さないまでも

それは命の世界とは違うので罪穢れとなるわけだ。



禊は溜まってきた「四非」を浮き彫りにするので

ミソギ→身削ぎと取れるように

まさに身を削がれる不安と恐怖苦しさに見舞われる。


溜まり続け内圧が高まった故に吹き出すと考えるが

時代的に必然する自然界のエネルギーの加速が否応なしに拍車をかける。


(地球の浄化作用もそうで

先日の白根山噴火のように予測できない災害や異常気象の増加も当然で

マグマはとぐろを巻いて繋がっているので

高まる内圧でどこがまた噴火してもおかしくはない。)



自然界のbig waveがどんどんうねる

それが自然現象にも個々の禊に拍車をかけるが

禊→示+契

神との契りが示されると字は教えるように

big waveに上手く乗れれば自身の本来性に回帰し神に近づけ

命の世界に目覚められるとわかってくる。



そのコツは

無駄な抵抗は早いとこ止めて諦める・手放す事だ。

big waveに抵抗などひとたまりもない

飲み込まれ木端微塵は目に見えている。


自分の力で頑張って生きてきた人ほど

力を抜いて流れにお任せなど怖くてできないが

しかしそれが唯一の手段ではないか。


全面降伏が全面幸福

I surrender 愛サレンダーにシフトするのだから。


そして噴出する不安恐怖苦しさを

「ソウカソウカ、無理なかった」「モンダイナイ」とイタワリ照射することだ。


じっとしていたら簡単に不安と恐怖に飲み込まれるので

体を動かしながらやると良い。

ランニング、早めのウォーキング、掃除・・・

運動は思考を介在させにくくする。



     0000000000134482[1]


自我に固執しどんなに計算と思惑を発揮しても

しょせんネバベキにロックされた氷山の一角の情報であることを理解したい。

 


ネバベキの音が過去を否定し

闇のままにし

本来性を封印してきた音のエネルギーであり

自己否定、緊張と萎縮、自我を強め「四非」を生んできたのである。


イタワリは

過去の行程を肯定し

過去の闇を加光し

凍結麻痺したアナハタの本来性を解凍するので

命の世界の開示・契りの示しを早めてくれる。


耐え難い不安恐怖苦しさの中でイタワリができることは

自身を客観するパワーがあることで

そのはざ間にイタワリの反作用=契りが示される。


だから自身を客観できるほどはざ間は広がり

それに比例し自我は薄くなり理知力が高まる。



逆に自我に埋没しあくまでも抵抗すれば

big waveに飲み込まれ文字通りあっという間に身を削がれる。


二極分割の時代であるが

big waveに飲み込まれやすいので厳しい振り分けではないだろうか。



禊で自我の死を迎え

自我の死からの生還が甦りで

甦→更に生きる 

肉体次元しか生きていなかったのが四次元の命の世界を

自覚して生きると字は教えている。


それは死と生が合った生き方であり

死合わ生→間違いのない幸せ=全面幸福にシフトする。



D 説教

説教する方はあなたの為と言いつつ

だからだめなんだよ、何回言えばわかるの、まったくぅ・・・

大概否定し正義を振りかざし

こうあるベキ・ネバならないと押し付ける。


    sensei_okoru-300x264[1]


正義といっても

その人が刷り込まれたものの見方考え方・固定観念で

それは普遍的なものではないのだが

あたかも真理であるかのような思い込みだ。



説教される方は

否定と押し付け更に不安と恐怖をあおられるので萎縮緊張する。

それは自律神経緊張で

末端の皮膚感覚が担う感応力は高まらないし

中枢の間脳力も当然高まらず脳はフリーズするのである。


気づくことでエネルギーが変わるのだが

そこには気づきなど出ようがないので

口先だけの反省でまた同じことをやってしまうのである。


(説教する方もされる方もわかっているのにやってしまうのは

両者ともカンジダ菌や寄生虫がいるのかもしれない。)



字はどう教えているか

説セツ=誠通

説教は誠に通じる教えと取れるので

される方は誠に通じた分意識は高まる。


説はトクの音を持ち「解く」=解放

萎縮の解放、問題の溶解となる教えと取れ

そしてトクはtalkとリンクし

一方的に押し付けるのではなく解放溶解になるtalkである。


また説はよろこぶ意味があるように

そのtalkは命が喜ぶ=活性すると解る。




孫悟空がどこまで行ってもお釈迦様の手の内と理解したように

全て計らいの中に生かされていることが解れば

一方的に思惑を押し付ける説教などおこがましいことではないか。


  photo_3[1]


それが解ると

イタワリのtalkができ

温かさと解放と溶解のエネルギーが醸し出され

気づきが出るのである。


気づいた分意識は高まり誠に通じるのではないだろうか。




D イツクシミ

人の成長ってなんだろう?と思っていたら

心の成長はイツクシミと響いた。


数で取ると5943→合空詞実

空の詞コトハの実態に合う事。



成長は長く成ると書くが

気を長くできないと待てない。


思惑に見合わないとイライラプンプンで

不安と恐怖を持って抑圧コントロールジャッジするが

それは自分の思考と感情が正義と固執するからだ。


気を長くできることはエネルギーが高いことでイツクシミがあるからだ。


仕組みが解るから待てる許せるわけで

イツクシミは固執した思考と感情ではなく理知力がバックしているが

5943=心が空の詞実に合うからできるのである。


その心は接する人や物に温かく丁寧で

無駄にしないエントロピー減少の所作である。



慈→茲心

茲の心を慈しむと書くように

落ち込み・イライラ・不安・心配・妬み・・・

それらに埋没している今自分の茲の心を慈しむことだ。


自己否定していては開くことはできないのだから

埋没している自分自身を「ソウカソウカ、無理なかった」と

イタワルことでエネルギーと慈しみが醸し出されて

寒波が到来しようが心はアタタカイ。


アタタカイ心と空のエネルギーを触媒する有用菌が連動し

生命力アップ=個性の開花=運気向上

理知力を育みエントロピー減少の調和が連鎖する世界を計らわれる。



D 竜のエネルギー

蛇と竜の違いでもアプローチしたが、竜の特徴は玉を握っている事。

玉にエネルギーが象徴されている。


    23[1]


文字はどう教えているか。


竜→音L(開く意味)

竜は音が開かれた宇宙の根底にあるエネルギーで

その絶対エネルギーを玉が象徴している。


dragon→drag+on

drag:引き出す   on:オン音

dragonは宇宙の根底にある真音を引き出していると取れるのである。


その真音が

意実に働き空意(アイ)=愛を

数に働き真理(法則)を創成し

それを裏付けるように

竜は

リユウ理由=コトハリに由る

タツ田通=絶対電磁場(田)に通じる

と取れる音を持っている。


だから竜は完全なる理知力を持ち

絶対のエネルギーに通じているのである。



玉とは何か

l(縦波=磁気)とー(横波=電気)の交点が創る場(絶対電磁場)が玉である。

ハ(波)×ハ(波)=バ(場)となっているのである。


  5次元



玉は極小の一点=場

その一点が絶対速度で動くので無限空間を創り

空間は絶対電磁場という場で埋め尽くされている。


無とは極小の絶対電磁場で充満し

それが全てを懐胎し育み

有を生んでいる根源である。


NOWHERE→NOW+HERE

無が今茲にあると取れるのは

極小の一点(絶対電磁場)が

1/∞秒で無限大を回る絶対速度の為

タイムラグが出ようがないからで

無限空間のどこに居ようが今茲を同時に偏在させているのである。



+をロでマークした字が田

田は絶対電磁場を意味している。

雨+田=雷 アメ=天の絶対電磁場が神ナリ

神をエネルギーで捉えれば無を創成する絶対電磁場と理解できる。


その絶対電磁場が玉であり

それを握る竜はタツ=田通と音を持つように

有という全てを生んでいる無のエネルギーなのである。



人は命にそれを授かっているが故に繋がることは可能であるが

どうしたらできるか。


音が開かれたエネルギー=真音を竜が象徴し授かる命である。


しかし封印しているのである。


売りコトバに買いコトバ、ネバベキでジャッジし

音を値(money)にネチガイして使っていては

「音」は閉ざされたままなので

有限相対差別のバーチャルの世界に幽閉され続けるのである。


ネチガイしながら

竜の絵や置物に見い出そうとしても

真音のエネルギーを握る竜と繋がるのは難しいと解るではないか。


音を開くには

売りコトバを買わず、ジャッジせず

イタワリとモンダイナイの音波云することだ。


それによって

竜神と繋がれると考える。



この観点から言うと

浦島太郎はイタワリに根=音付いていたから

竜宮に行けたのではないかと思う。


ウラシマ=裏島で潜象界を意味するので

名前からもリンクしているのが面白い。




竜宮の乙姫

竜宮は音が開かれた世界であり

乙姫は音秘めで真音を握っている。


真音は絶対速度のエネルギーであり

宇宙を根底から支える時間であるから

その世界は歓喜と愛しかなく完璧に調和が連鎖する

究極の天国=天極と考えられる。


浦島太郎は

地上の相対時間を超越し至福の体験:異次元融合したことと解る。



モンダイナイの実感

を持ったクライアントさんは音を開けた故に

竜神と繋がりができたのだと考えられる。


竜神と仲良し状態であるから何一つ問題ない世界が広がる。




D ネチガイ

首の事ではなく

音を本来性と違って使うことを掘ってみたい。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          


宇宙は音

光透波=1/∞秒で無限大を回る絶対速度を持ち宇宙意識を創っている音。


命にその音を授かっている故に

音を愛と感謝、イタワリと許しに使うことで命を活性化し

命の親許=trans-parent 宇宙意識に回帰できるのである。



命の音が真音(マネ)なのだが

maney(マネ)=値に音を使うネチガイで使うことは

有限のものに価値を求めることになり


それが強いほど

五感覚に囚われ有限相対差別の意識が伴い

maneyをもっともっととなれば

損得勘定が強くなるのは当然で


損得勘定が損得感情とリンクし

比較競争、自己防衛、妬み、やっかみ、自惚れ・・・

真音の本来性とかけ離れた意識を必然する。



間に合わせようとして

maneyをもっともっとで音を値に使う程

六感覚の幽かなシグナルは聴く事ができなくなり

間に合わなくなって行く。


無自覚であるがネバベキの音にロックされてしまうのである。



真音にこそ

健康で豊か、慈愛と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合う根源があるのだ。


    語膜


語膜の中に幽閉されている事に気づけないので

その中で間に合わせようとせざるを得ず

命である音を値に違えて使ってしまっている。


だからどうしても

自己主張と防衛を強め

売りコトバに買いコトバ、ジャッジに明け暮れてしまう。


音をそのように使いながら

知識と思考で愛を捉えているだけで

根底に恐怖が押し込まれている。


そしてそれを自覚できないのだ。



いずれその恐怖が浮上し

愛を知識と思考で捉えていたことに気づかされ

自我の死を迎える。


全面降伏するしかないところまで追い込まれ

恐怖は解放される。


自我の強さは恐怖が反動となっていることが観えてくるではないか。



自我の死からの生還が

更に生きると書くように甦りであり

全面降伏が全面幸福、I surrender 愛サレンダー

天から愛されている実感を深め


愛と感謝、イタワリと許し

真音を使う両生類(この世とあの世を生きる)にシフトしていく。



maneyはあの世に持っていけないが

真音はこの世では健康で豊か、慈愛と安らぎに満ち

間に合っている世界を醸し出し

あの世ではさらに天網に包まれるのではないだろうか。



D 人の為は偽り

世の為人の為と励んでいる人を見ると

大概ネバベキにロックされ気が上がっている。


ホントか?

本当は自分の為ではないだろうか。


注意深く掘ってみると

自分の思考と感情を押し付けている。


なぜ押し付けるのかと言えば自分が正義で固まっているからであり

更に掘れば

認められたい尊重されたいからではないだろうか。


だからそういう人とそりが合わないと

だからダメなんだよとか否定されたり嫌われる。


変な話ではないだろうか。



人の為は偽り

自身の本来性との分離が無くなれば

調和が連鎖するしかないので

わざわざ人の為などと掲げなくても

自分がやりたい事、好きな事、楽しい事、嬉しい事

つまり自身の命が活性化する自分の為が

人の為に世の為に連動していくので

自己犠牲も押し付けもみじんも無い。


そのスタンスは

徳を積もうとするようないやらしいものではなく

振り返った時に人の為にもなっていたと喜べるような

無邪気でアタタカイものではないだろうか。


自分を偽らない正直になる事から始まるように思う。

上がった気は丹田に降りる。




D 本当の親がいた

子供の頃親に怒られ

お前は川から流れて来て橋の下から拾われたとよく言われたものだ。


近くに信濃川が流れ大きな橋があり

幼い私はここで拾われたのかとリアルに思っていた。


大好きな祖母が泊まりに来て

抱かって寝ると決まったように桃太郎の昔話をしてくれる。


「川向うから大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきて

川で洗濯をしていたおばあさんに拾われた・・・」


桃太郎もそうなんだ、親のコトバにしっかり呪縛され

怒られては本当の親はどこにいるんだと星空を見上げた事を思い出す。



幼少期の刷り込みの影響は大きいと思うのが

中学の時授業の一環で街の映画館に「十戒」を見に行ったことがある。


殺害から逃れる為にモーセが赤ちゃんの時にナイル川に流され

王女べシアに拾われるシーンを見た時には、モーセもか!と衝撃を受けた。


       yjimage[6]



感想文を書かせられるのだが

友達は海が割れたシーンに感動したと言っていたが

私は川に流され拾われたことに感動というか共鳴し

きれいな王女に拾われ羨ましくも思った。


それを書くのが恥ずかしく

友達と同じように、海が割れるなんて信じられないすごかった・・・

と書いた記憶がある。



三つ子の魂百までもと思えることは

戸籍を見れば確かに実の親なのであるが

心の奥底にはどこかに本当の親がいる想いがずーとあった。


怒ることはみじんもなく優しく私を丸ごと愛してくれる親。



本当の親がいた

1984年小田野先生と出会い

光透波が真空透明を成立し命であると解明されていた。


命の親は天である

天→二人 と取れるように父と母が一化した字形である。

父は時 母は空

父→ハ×、ハ=波 ×=time 時間 

母→ロ÷、ロ=カコミ ÷割る 空間


父母の字に×÷があり、時間と空間を現し

絶対速度の時間が無限空間を現象し一体となっていることを

「天」の一字が教えている。


英語では真空透明をtransparent→trans+parent

超越した親とズバリ取れるのである。



肉体の親は因縁を先送りし

私はその反動で本当の親がどこかにいると想いをはせてきたが

そのお陰で本当の親が解ってきた。

trans parentが。



D 命の活性化と美への憧れ

私はどういう生き方をしたいだろうか。

お金や地位や名誉を求めた生き方を想像すると

先へ先へと追い求めネバベキに捕まってしまい緊張感が出てしまう。


想像して欲しい

お金に不自由を感じず地位や名誉など気にしないとなると

歓び感動の命の活性化=美への憧れにを第一に思うのではないだろうか。


なぜかと考えると

命の本質は美だからではないか。


だから誰もが美しいものが好きであり心地良いと思う。


恐怖や不安が無くなれば求めるのは美への憧れだけではないだろうか。



日常の些細なものにも美を見出せる心はきっと丁寧で優しいし

美しい所作や美を表現できる生き方は素敵だ。


美への憧れが命を活性すると思う。



美→ソ王大

ソ=素、王=4次元の絶対時間、大=無限3次元空間を意味しているので

美は時間と空間が素であると解る。

絶対時間というエネルギーと結果する無限空間が素になって美を生んでいる。


それは真空透明に美の根源があること、つまり命そのものが美なのである。


お金や地位や名誉より美への憧れが強い事は

自我の解放と命の活性化と言えるのではないだろうか。



Venusビーナス→美為ス

金→全ソ 全ての素(ソ)と取れるように

金星が美と愛を象徴していることとピタリであるし

美を象徴する金が

金→全ソ 全ての素と取れるのである。


美への憧をどのくらい望んでいるか振り返ってみたい。

自然は全て美であると歌う鎌倉の太母さんを思い出す。


天地人清浄のうた

自然なる万物(ものみな)は

そのままでそれぞれに

美しき宝なり

我もまた


傷めるも病む者も

それなりに宝をば

秘めるなりあな尊き

すべてみな


美しい 美しい 

美しい 美しい

美しい 美しい

美しい


この境地に至れば美の憧れだけではないかと思うのである。




D 辛さをイタワル

絹の靴下を履き絹や麻をまとい、グッズを身につけ

還元電位の高い水や無農薬無添加食材を食し

備長炭や珪藻土を用いるなど

衣食住には浄化作用のマイナス電気に気を配る。


それらはもちろん大切であるが

物理次元を超える最も身近で究極の電気に気づけば素晴らしいではないか!


それがコトバだ。

コトバが電気でありエネルギーであることを理解したい。


ネバベキは+電気で緊張萎縮痛み酸化を生じ間に合わない世界を

イタワリは-電気で解放緩和還元を生じ間に合っている世界を醸し出す。


WORLD→WORD+L(開く意味)

世界(現象)はコトバが開いていると字が教えるように

コトバの使い方が心の在り方でそれが空間に結果している。




辛さは

電気的に言うと+電気であり

その原因はネバベキの音が根底にあり、

過去を否定しているので現状を認められない受け入れられない

自分をずーと否定し続けている+電気帯電現象である。


衣食住にいくら-電気に気を配っても

コトバを+電気に使っていては

健康と安らぎは片手落ちどころか追いつかないのである。



その辛さを

丸ごと「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワル事は

-電気を自家発電し放電することになる。


すると 幸 


ありゃりゃ、幸せになると字は教えている。

それも字形から観て上からも下からも「幸」なのである。


辛さを否定し幸せになろうとネバベキでいくら躍起しても

幸せを上へ先へ求め続けるため

衣食住に-電気をいくら配慮してもコトバを+電気に使っていては

今茲の幸せは永遠のいつかと解ってくる。



更に面白い事に

幸は辛がないと-を付けられず

辛があってこその幸で、

辛さを否定せず丸ごとイタワル事で幸せになれると解るではないか。


求めずとも幸せに転換できる材料はいっぱいある。


立ち上がれないほどの辛さであるほど

イタワリの-電気照射で幸せに大反転すると解ってくる。




D 角度を変える

ものの見方考え方を様々な角度からできるほど良いが

抑圧が強い人ほどネバベキにロックされone-wayである。


凶→凵メ

壁にぶち当たればすぐへたばり落ち込むか

壊れないものを力ずくで壊そうとするので自滅する。


だから凶を恐れるのではないだろうか。


メ目が壁に塞がれ先が見えない状態が凶と取れるが

上が開いていることに気づきたい。


上を見れば開けるわけで、壁があったが故にでき

メ=命を開花するきっかけになると解る。


角度を変えれば、

凶こそ運気=命を開くチャンスになるのだが

one-wayの思考と感情では難しいので

壁にぶち当たらないように計算と思惑を発揮し

無自覚であるが萎縮しているのではないだろうか。


角度を変えることができれば

大凶が大吉に反転するビッグチャンスになるので恐れることはない。


(来院するクライアントさんは

病気や辛いことが有ったが故に反転でき

健康と安らぎ、間に合っている世界を開けるようになっていく。)




角度を角度を変えてみてみよう。

angle→angel

角度を変えることで天使がお出ましになることが解る。


ネバベキはone-wayで天使がお出ましにならず好転しないのである。


自分の思考と感情に固執しているのが

ネバベキとジャッジしone-wayでいることだから

角度を変えるには客観力が必要である。


イタワリとモンダイナイの音波云が

とっ捕まった思考と感情を客観するエネルギーであり

そして客観できた隙間に天使が降りてくるのである。



更に言えることは角度が覚度(覚醒の度合い)

イタワリと共に角度を広く変えるテクニックが

読みを変えることである。 一休さんのポーズと蝶形骨 2



その奥義が字割である。

字は宇宙エネルギーの結晶であり愛と真理が秘められているので

字を割ることで天使の親分がお出ましになる。


ものの見方考え方は天にリンクした全方向=善方向に広がっていく。




D 百合が象徴するエネルギー

なぜ治療院にいつも百合があるのかと聞かれた。

香りも良く好きな花であるが、どういう思いで生けているかをお話しした。


         imagesKEE5PO83.jpg



百合は六弁の構造で六芒星を象徴している。

            images[3]

六芒星

正三角形(△)と逆三角形(▽)の組み合わせで、
正三角形(△)は「能動原理」を、逆三角形(▽)は「受動原理」を現している。



エネルギーの動向であれば求心と遠心

陰陽、プラスとマイナス(+-=0)、火と水(火水=カミ)、
相対するエネルギーの象徴であり、
2つの正三角形(△と▽)が合体した六芒星は、
相対エネルギーの調和=絶対性原理=統一場を象徴する。


男性原理、女性原理の象徴でもある。  919fbf39[1]



百合→百に合う

百は完璧の意味であり、

百{一白 絶対の白とはこれ以上濁りの無い白=真空透明を現し

それに合うことは統一場を現している。


六弁

六ム=無(ゼロの世界)

無はンアイウエオの六音(永続音である母音)が弁じている。


音は波動=エネルギー=速度であるが

六音の持つ速度が、1/∞秒で∞(無限大)を回る絶対速度であり

今という瞬間に無限大を回ることは

止っているが動いていること。


止と動が相対しない→止=動の世界である。

それが統一場=絶対界=無を成立している。


その速度が光透波=コトハ=詞

言を司ると書くように、宇宙意識であり私達の命であるコトバの本質である。



無→ノ三llll灬と分けられ

ノ→先天能

三→無限3次元空間

llll→絶対4次元時間

灬→エネルギー


無とは

先天能(ハタラキ)である無限3次元空間と絶対4次元時間

が合体するエネルギー。

3+4の7次元であると文字から解る。


ンアイウエオの六音を基に

清音51、濁音20、反濁音5(パピプペポ)

計76音が宇宙に遍満している。


だから神道では神は76柱と解釈している。


その76音が宇宙意識=天意=愛を、数に働き真理という法則を成立している。


その76音を私達は命に授かっていて、命は音なのである。

そして個々の命に見合った名前(音)を授かり

名前に潜在情報(意識・能力)、命の情報がファイルされているので

愛おしく呼べば開き、名前を否定すれば潰すことになると解る。



人ヒト=一十、→0

人はゼロ=霊であり、統一場を授かる存在なのである。


統一場は

文字通りトウイツ=十一=0の場で

数=法則が微塵の狂いもなく管理するが故に

完璧に調和が連鎖している間に合っている世界であり

情感的に言えば愛と感謝イタワリと許しで充満している。



それが私の本来性であり、それとのギャップが

体では緊張歪み(病気や様々な症状)として

日常という空間では連鎖せず間に合わない現象

=問題として現れている。


別な表現をすれば教えてくれているわけで

症状にイタワリ照射すれば

あるいは問題にとっ捕まらずモンダイナイを音波云すれば

解消する仕組みである。

(問題は現象や相手ではなく、自身の思考と感情にあるのだから。)




百合→百に合うためには

ユリ=由理(コトハリに由る)

つまり自分を客観する理知力を育むことだと解る。


なぜならば

単り+戈=戦と書くように、

無自覚であろうがネバベキと自分自身と戦っていることは

感情(主観)に埋没しているので客観はできない。


「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワリができることは

感情から離れられているからで

→主観を客観できた隙間にエネルギーが降ろされ

間に合う情報がインスピレーションとしてPRESENTされる。



理知力が育まれる程

LILYリリー=理利、理(自然法則)を利用できることであり

私は本来性=ゼロに回帰し、和足しの存在になり

調和の連鎖のど真ん中にいるので間に合っている世界が広がり

好きな事楽しい事をやりながら

私を中心に動くのである。


なぜならば

無限の中ではどこに居ようが私が中心である。

しかし、「今茲」である統一場の知識をいくら構築しようが

自己否定していては届かない世界で


知識はあるが、間に合っている実感は薄く

体は緊張と歪みを持ったままではないかと思う。



この様な意味合いから

私は本来性のゼロに回帰する事をテーマにしている治療なので

百合を生けている。


私は大きい百合も小さい百合も好きだ (*^_^*)



D ソワカとソウカ

真言密教に携わっているクライアントさん。

自分をイタワルこととは全く気付かなかったと感激してくださった。


長年一生懸命携わってきたからこそ深く響かれたのだと思う。



その意義を掘ってみたい。


ダラニはソワカで終り、「成就あれ」が意味だと教えてくれた。



「ソウカソウカ、無理なかった」イタワリの音は

過去の行程を肯定するので「今」が充実し

過去の闇を加光し

凍結麻痺した自身の本来性を溶かし出すアタタカイ温度のエネルギー。


「成就あれ」だと未成就だが

ソウカは過去の肯定なので「成就」の現在完了進行形だと解ると思う。


なぜなら「成就」とは一切合切の肯定である。


ソウカのイタワリは過去に肯定のハンコを押し、それを深める音である。


誰もがオールミスをしてきた過去であるが故に

成就を願い浄化に励むと思う。


その一切合切を許し認める音のエネルギーがイタワリである。




クライアントさんは

成就を願い水をかぶりダラニを唱え様々行じてきたが

自身をイタワルことなくやっていた事に気づかれたのだ。



WORLD→WORD+Lと字は教えるように

コトバが意識を創り世界(空間)を結果している事を理解できると


「ソウカソウカ、無理なかった」のイタワリの音が

成就の現在完了進行形と響けると思う。



ウ→・ワ ウの中にワが入っているでしょ。

ソウカは同時にソワカなんですよ。


更に感激してくださった。



成就を願い一生懸命精進に励むが

願うが故にネバベキと

過去を否定し自分を否定してやっているのではないだろうか。


それに無自覚なのだ。


どこまでも深くイタワル意義がある。




D 心配

アダムとイブの時代を何かにつけて想像する。


天とも自然界とも全部に繋がっていて、

完璧に調和が連鎖する間に合っている世界、1th7(最初の楽園)だったと考える。


心配など起こりようがない。



しかし私達はお金の心配、病気の心配、仕事の心配、失う心配・・・

心配の大洪水で人生のベースとなっているのではないか。


当時も今も授かる命は変わっていないはず

全く何一つモンダイナイ=心配の必要がないのにだ。




先ず気づきたいことは、授かる命は当時と変わっていない事だ。


それに気づくと

心配は自分の思考が生んでいると解ってくる。


オがついた躾で不安と恐れを刷り込まれ、

反動で自己防衛を強くした思考である。


本来持っている調和が連鎖する情報や能力を引き出せず(educate)

ネバベキを押し付けられれば心配を生むのは当然である。


心配は委縮を生み、委縮は自律神経緊張を余儀なくし

本来の躾が生む美しい身から遠のいてしまう。


「あなたのことが心配、あなたのためよ」と子供にオのつく躾をするが

自分の中にある不安怖れをごまかしすり替えているのだ。



真実は心配ご無用。


あなたも子供も完璧を授かっているからね。



しかし、人類を家畜化し思うように支配したい闇の権力が

政治・経済・教育・医療・宗教・メディア・・あらゆる面から

不安と恐れを刷り込み心配させて

それにまんまと洗脳されているのである。


完璧に間に合っているものを授かっているのに

心配が醸し出すバーチャルの世界に封印されている。




バーチャルから脱却し調和が連鎖する間に合っている世界を開きたい!


その扉を開くエネルギーがコ・ト・バ。

コトバ=光透場 コトバは絶対の電磁場であり電磁波(コトハ)なのである。


WORLD→WORD+L と字は教えるように

コトバをどう開くかで世界が変わるのだから

「モンダイナイ」と音波云することだ。


そのエネルギーが問題=心配を無くしていく→問題は自身の思考にあるのだから。



afraid の心配から、心を配る心配に反転する。

アタタカイ心がアフレ井戸 \(^o^)/


27が象徴する2nd7=楽園が復活する時代が21世紀

革命の時と考える。




D 革命

イタワリはアストラルトリップ」の記事にコメントを頂いた。

イタワリは新しい生活の在り方であり、革命が響くと言う。


響いていただき嬉しい。 (*^_^*)



「革命」辞書には、

政治や経済の社会構造を根本的に覆す。

既成の価値や制度を根本的に変える。


歴史を振り返れば

宗教革命、産業革命、ロシア革命・・・様々革命をやってきており

その目的は人類の平和と安定にあると思うのだが

どの革命を観てもタタカイに終止符を打つ事ができず

いや、それどころか増幅してきているではないだろうか。


つまり、今までの革命はオールミスと言えると思う。





では、革命の本質を字はどう教えているか掘ってみたい。


革→あらためるという意味から

革命は「命をあらためる」ことと取れ

オールミスであったことは

命をあらためる事ができなかったのではないだろうか。



なぜならば

「命」そのものが解らなければあらためる事ができないからだ。



私達が授かっている命は

「はじめにコトバありき。コトバは神と共にあり。」と謳っている

宇宙を構成する音=光透波である。


命は音であり、音を命に授かっている。

だから個々の命は名前の音と文字に全部ファイルされている。名前は命


命はメの音を持ち、名もメと同音で命=名なのである。




命を解けば

命→A叩+解 アタタ+カイ。


アタタカイ世界が実態と解るが、

今迄の革命はネバベキとジャッジの世界から抜け出せなかったと解るではないか。


ジャッジは調和の連鎖を生むことはなく、

ムシロ旗に掲げる教義、イデオロギー、思想を唯一の正義とし

それで抑圧コントロールする事ではないか。


だからタタカイを無くそうと

様々な宗教、イデオロギーや思想をかざしてきたが

タタカイを増幅するばかりだったと思う。


命の持つアタタカイエネルギーを醸し出す事でこそできると考える。




命に宇宙の音を授かっているので

命の音を開くことは

意識は本来性の宇宙意識に同化し

愛と真理を具現化することになり

それが命をあらためるという革命になると思う。


命の音から開かれる愛と真理は

どんなイデオロギーも思想も宗教も全て網羅してしまうのである。


それがいつ開かれるかというと

革→廿一中 21世紀中と取れる。



revolution(革命)、動詞はrevolve

revolve→rev+love  revは回転を増す、より活発にすると取れ

ネバベキで抑圧コントロール、支配では真の革命にはならないと解り


愛をより活発にしそのエネルギーを増す事と取れ英語でもズバリである。




ではどうすれば命の音を開けるのか。


ファイルされている名前を愛おしく呼び、

「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでも深くイタワル事だ。


なぜなら、イタワリの音のエネルギーは

過去の行程を肯定し「今」を近づけ

過去の闇を加光し

凍結麻痺した自身の本来性を溶かし出すアタタカイ温度だから。



宇宙の質である「愛と感謝、イタワリと許し」を具現化し

私の本来性「和足し」に回帰するのである。



革命は自身をイタワル事から開かれると考える。


WORLDはWORD+Lなのだから。



D 躾

あなたはどんな躾をされてきたのだろう?

振り返ってみたい。


男の子なのだから、女の子なのだから、長男・長女、家系がこうだから・・・

こうあるベキネバの躾。


もっと勉強しなさい、イイ子でいなさい、そんなことしていてはダメになると

不安や恐怖の刷り込みと抑圧コントロールの躾。

場合によっては躾と称し体罰でだ。



はさみや壊れるものを幼児の手に届くところに置いときながら

いきなり「○○○ダメ、危ないでしょ!」

好奇心旺盛でなめたり触ったりは当たり前

それなら手に届くところに置かなければいいのにね・・・


緊迫した名前の否定がどの位緊張と萎縮を招くのか。



ちょっとの間違いや失敗で、

ほらお母さん(お父さん)の云うことを聞かないからこうなるのよ。

「だから言ったじゃないの」

云う通りにしていれば間違いないのよ。決まり文句である。



失敗や間違うことを許されず

一々指図されるので自分がやりたい事ができなくなるし、わからなくなる。

そして進路を決める時になって、何をやりたいのかと聞いてくる。


あるいはその進路さえも親が決めてしまう。

進路だけではなく結婚までもだ。



そのような躾を受けたあなたは

体の緊張と歪みが強く骨盤が寝て肩が閉じ首は縮まり猫背、


更に顎関節症ではないだろうか。     images7Z90PHY4.jpg




アナハタに自身の正直な気持ちを封印しているので

自律神経緊張でそのような姿勢も

あるいは長期のストレスで副腎疲労に陥り、

抗ストレスホルモンのコルチゾールで血糖値を上げてバランスを図る為

過食を余儀なくしぽっちゃり体型かも知れない。


それが極まれば拒食症にもなる。


そのような躾は、オがついた躾=押し付けだ。



押し付けられたら反発か萎縮ではないか。

だから気の強い子は家庭内暴力、イジメ、荒れるし

弱い子は引きこもり、喘息、過食、ウツ・・・


素直とは自分自身に正直であることなのに

それを封印し親や周りに従順になることが素直な子=イイ子だ。


どちらも生まれ持った天真爛漫純粋無垢が潰されてしまう。


あなたは初めからひねくれたいたのではなく、

押し付けという躾のなせるもので

受け継がれ先送りされてきた因縁でもある。


生まれ持った天真爛漫が

ネバベキの音にロックされ、ネバランドのお姫様王子様に君臨し

なれの果てが頑固じじぃくそばばぁで嫌われる。



今のあなたの体はどうだろう?

あるいはあなたの子供はどうだろう?

躾の現在完了進行形が現象しているのである。





「躾」という字を見てみよう。

美しい身と書くのだ。


姿勢で言えば重力と同調する中心軸でしなやかで力みが無い。

その中心軸の身体操作は、使うべき筋肉を使える合理的な動きだ。


        dansei-mae[1]


中心軸が「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ライン=自律神経=コイルと

リンクしている。


「美しい身」は自律神経活性=生命力アップでそれは個性の開花なのである。

それを別の角度で言うと

潜在能力の発揮であり比較競争に躍起することなくMYWAYを歩むことができる。


そしてコイルに電気が通ると磁界ができるように

その整ったコイルがつくる磁界がオーラで輝いている。


輝くオーラが個性の開花であり魅力である。


魅力は実力と読替えられるように、実力は忍耐努力で培うものではなく

個性の開花で発揮されると字は教えている。



美しい身となる躾をしたい。


それには押し付けるのではなく、

educateの語源はラテン語で「能力を引き出す」とあるように

内在しているものを引き出してあげることと考える。


あなたも子供もbeautiful body\(^o^)/




D ハタラク

「人に使われることが嬉しく思うのよ」とクライアントさんからメッセージを頂いた。


自己否定が無くなってきたからだと思う。


なぜならば、自己否定が強いと

自己主張が強く、されてきたように相手を抑圧コントロールしたい。


私はこんなに虐げられてきたのだから、優しくされるのは当然と

権利の主張と自己憐憫に埋没するのが常である。


そして、人を思うように使いたい、コントロールしたいし

恩着せがましく私がしてあげている、私のおかげなんだよと傲慢で

認められたい臭いがプンプンするのである。



ところが、自己否定が無くなると

エネルギーがドンジャラ増えるので「イイヨ、イイヨ」と相手を受け入れ

そのようにしてあげられる。

まるでヒヨドリの鳴き声ように「イイヨイイヨ」と口にできるのである。


傍(はた)を楽にすることが嬉しいのである。

それが「働く」意義に思う。




面白いと思うことは

西洋では働くことは、罰を受ける事である。

だから本来はやりたくない→時間が来ればすぐ止める・自分の持ち分はここまで。


日本は神に仕える事が働くこと→喜んでもらえるようにしたい・納得するまで。

働くことははたを楽にすることであり、喜びと思うのである。


仕事→イ=意、土=+-でゼロ、心をゼロにする事、

振幅激しい意識では難しく、自己否定を解消した意識が生む行為と解る。


workワーク=和供、調和を供なう事。

こういうスタンスで仕事ができる人ってイイヨね。




自己否定が無くなることは

私が私になる事=和足しの存在なのである。私って何?


それが神意に染まり調和の連鎖のど真ん中に存在し間に合っている世界の住人で

間に合っちゃっているものだから

嬉し楽しでイイヨイイヨなのである。


クライアントさんはどこにでもいるおばちゃんのふうで

神の僕なのだと感じたのである。


どこかの教祖のようにいかにもというアピールがないのが好きだ。



D 天が認めてくれている

親に認められたいが故に、自己否定を構築してきたのである。


自己否定は無自覚であるが体の緊張歪み=自律神経緊張に現れ

ウツや過食や依存・・・様々な病気、問題に潜む原因である。


だからそれを足掛かりにして

イタワリの音のエネルギーで緩める事で気づきがお出ましになってくる。

不安と恐れで自己防衛し

認められたい・愛されたい健気でか弱い自分がいる事を。



そして自己否定に陥った大きな原因は前回アップしたように

親からの抑圧であり、先祖から伝承されてきた因縁である。


親はその因縁を解消できなかったが故に

あなたに先送りしてのであり

あなたが自己否定を解消できることは

因縁の解消、先送りのストップのキャパがあることである。




プロセスとして

自己否定に気づくと

奥にしまい込んでいた認められたかった思いが表面に上がってくる。


こうして欲しかった、わかって欲しかった・・・

親に対する不満や我慢してきた事、怒りを籠らせていた休火山が突如噴火する。


いくら親にそれらを訴えてもなかなか受け止めてもらえず

親は相変わらず抑圧体制で

仕方なかった、あなたのためだったの言い訳やら

大人げない、止めなさいよと茶々を入れられる。



なぜならばあなたよりキャパが無かったが故に先送りしたわけで

親は変わらないのだ。


しかし、どこまでも深くイタワリ続けることで

親がそうであることが無理もない事であると解ってくる。


すると何がお出ましになるかというと

肉体の親を超越した命の親の存在が。



それが「天」である。

天→二人、父と母の二人が一体化した字で

父=時、母=空 

命の親は父であり母である天、実態は時間と空間で分離できないことを意味している。


天=真空透明をtrans-parent、超越した親とズバリに驚く!



自己否定が解消されることは

transparentと繋がる事になり、

様々に染まり濁った心がすきとおってくることであり(谷川俊太郎

「愛と感謝、イタワリと許し」の本来性に回帰していくことである。



どんな状態に陥っても一条の光が差し込み

天が認めてくれている、愛していてくれてる、計らってくれている実感で

安らぎと間に合っている世界が広がるのである。



その世界に根=音を張り広がることで護られ恵まれている実感が深まる。


こちらが気づかなくても護り恵んでいることも解ってくると

イヤでも感謝が湧き起るわけで、

イヤでも湧き起る事こそ本来性であるから

consciousを感謝スと読めるように意識の本来性は感謝スである。



親は有難いものだ、感謝せネバと無理して精神の背伸びをしないことだ。

それをやっているとネバベキにロックのままで浄化にならないように思う。


(親孝行に励んでいるあなた、注意深く掘ってみると

認められたい反動でやっているのかもしれない・・・)




親切は親を切る と書くが、

包丁を持ち出したらお縄頂戴なので包丁は使わない。


何を切るかと言えば親とのしがらみで

それが切れることで出る想いが親切ではないか。


しがらみがある内は自己否定に陥っているから。


(その度合いが自分の名前が好きか嫌いかに見い出せる。

自分の名前が好きか嫌いか



自身をイタワル事で切れるのである。

しかし、名刀正宗のようにスパッとは切れない、ジワリジワリだ。


しがらみを切ることが因縁解消でもあることが解ると思う。




イタワルことで

自己否定が溶けtransparentを実感できるようになり

感謝スがイヤでも湧き起るのだから

それまでくそばばぁ・くそじじぃと悪たれつくのも良いではないか。

その方が自身に正直である。


それさえも天は許し認めてくれているはずだ。




D 因縁の先送り

病気の原因は心因性と考える。

思考と感情が自律神経にダイレクトに影響するからだ。


病気だけでなく

WORLD→WORD+L(開く意味)と字は教えるように

コトバの使い方が思考と感情を創り

健康も対人関係も、更には人生という空間=WORLDを創っている。


つまり、今の自分は思考と感情の現れであり

どういうコトバを展開して来たかの現在完了進行形であるが

そのコトバの使い方は親からの刷り込みに大きく起因している。


因縁である。


因縁は因音云と取れるように、どういう音(コトバ)を云われてきたか、

親や先祖から伝承されてきた思考と感情と言える。


その思考と感情を生んでいる音が

全身くまなく巡る血に録音され続けるので、血筋となっているのである。

血→ノ+皿、ノは能(ハタラキ)

血はコトバの能(ハタラキ)を受け取る皿と取れるのである。


この血の浄化はコトバに因るもので玄米では追いつかないレベルなのである。



角度を変えて言えば

病気や問題の原因は自己否定を生んでいる思考と感情、

そのような音(コトバ)を録音され、

そのままを再生して来た因縁と言える。




親は先祖から伝承されてきた因縁をあなたに先送りしたのである。

つまり親は因縁解消ができなかった。


できなかったが故に伝承されてきたコトバの使い方で

あなたを抑圧コントロールしてきたが

自己否定に気づきイタワリができることは、

あなたが因縁解消のキャパがある事と言える。


あなたがイタワリができなければ同じように子孫に先送りし、

病気や問題、とんでもない事件や事故に見るように因縁は極まっていく。




もし親が因縁を解消していれば

あなたは自己否定に陥ることなく

健康と安らぎ、間に合っている世界が開かれるはずである。


自己否定に気づきイタワリができるあなたは

親より魂のレベルが高い事と言えるのではないか。



因縁は因音云であるので

売りコトバに買いコトバの下からの使い方は因縁のままであるから

買わずに音の本来性「愛と感謝、イタワリと許し」の上からの使い方で

録音の編集をすることが因縁解消と言えるのではないか。


そして意識は本来性に回帰していく。



自己否定は親に認められたいが故に陥っていたのであるが

他の誰でもない自分自身が否定している事に気づき

自身をどこまでも深くイタワリ照射することは

自己解放であり、あなたで先送りはストップし因縁の解消、

浄化になると考えらるのではないか。



WORLDはWORD+Lなのだから

音の本来性「愛と感謝、イタワリと許し」の音を開くことで

健康と安らぎ、調和が連鎖する間に合っている世界が開かれる。



「ソウカソウカ、無理なかった」

過去の行程を肯定し「今」を近づけ、過去の闇に光を加え、

アナハタの凍結麻痺を溶かすイタワリの音が

自己否定を解消し因縁の先送りをストップする。




D こころの色(谷川俊太郎)

クライアントさんから詩集をいただいた。

谷川さんの作品は「そうそう、そうなんだよね」と

共感するものがあり好きだ。

最初ににあったのが「こころの色」、味わってみたい。

     


  こころの色

                                            

私がなにを思ってきたか

それがいまの私をつくっている

あなたがなにを考えれきたか

それがいまのあなたそのもの   


世界ははみんなのこころで決まる

世界はみんなのこころで変わる


あかんぼうのこころは白紙

大きくなると色にそまる

私のこころはどんな色?

きれいな色にこころをそめたい


きれいな色ならきっと幸せ

すきとおっていればもっと幸せ


                                                                         

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まさにコトバの働きを解いている詩である。


現在完了進行形でどういうコトバを開いてきたか、その結果が今の私。


WORLDはWORD+L

一人一人の心はコトバでできており

人生=世界はコトバが開かれたものだ。


だから人生=世界はコトバの使い方を変えることで変わる。


売りコトバに買いコトバの下からの使い方とジャッジを止め

命の音でありコトバの本質の「愛と感謝、イタワリと許し」を使うことだ。




その色に染まったままの心で

つまり、今まで通りの下からのコトバの使い方を続けながら

運を良くしよう、問題を解決しよう、引き寄せようと

思考でシノゴノとやっている。


目先の事は達成することもあるが、

ジャッジが創ってきたバーチャルの世界(その色の世界)から脱却できず、

モンダイはなくならない。


その色のままなのである。





人種関係なく誰もが赤ちゃんの時は命の音を発声し、

天真爛漫純粋無垢だが

地上のコトバ=色に染まり、ネバベキとジャッジし濁ってしまうのである。


命の音であるコトバの本質は透明そのもの光透波なのだ。


透きとおるにはイタワルこと

調和が連鎖する間に合っている世界の全面幸福が醸し出されていく。


そして私が透明な私に回帰する。

私は和足しの存在だ。




D 私って何?

クライアントさんから「私って何?」と質問された。


あなたならどう答えるだろう?


大概は本や人の意見など培ってきた知識を自分の考えにして

「それはね、こうだよ」とやっているのではないだろうか。


人が為したものは

人+為=偽イツワリ=五割で半分は自分のものではないし

偽物ニセモノと取れるのが面白い。


それに対して

字割(文字から誘導される答)は人の教えではなく、

インスピレーションとして降ろされた自分自身への答で本物である。


なぜなら絶対速度(光透波)の真理の音を留めるものが字であり

字は宇宙エネルギーの結晶化なのである。




「私って何?」に響いた答

私は「和足し」

私は調和を足していく存在、調和の連鎖を醸し出していく存在と響く。


それを裏付けるように英語では、Iアイ空意=愛

私は空意=宇宙意識・愛と取れ、和足しと連動し奥行きを深めてくれる。



私が私であれば

和足し・愛であり、天と繋がることなので調和の連鎖で間に合っている。


計算と思惑にロックされた損得感情や不安も恐れもないし

在るのは無邪気なアタタカイ想いだけで

conscious=感謝スと読めるようにそれが本来の意識である。



私が私でないギャップが

あらゆる面で不足を感じさせ損得感情や不安と緊張を強め

無自覚であるが体は正直にそのギャップを緊張と歪みとして現し

自律神経緊張=病気を醸し出している。


在るのは不足感とタタカイで、戦は単+戈と書くように

自身に戈(ホコ)を向けた自己否定と本来性との分離(自己分離)である。



顕在意識ではわからないギャップを

有難い事に体は現してくれているので

自己解放の拠り所、手掛かりにできるのである。


(体にスピリチュアリティを見出す所以である。)




私は渡(ワタシ)

調和の渡し役であるが故に調和の連鎖のど真ん中に居るのであり

渡→シ+度、シの度(レベル)を現し

命度=明度の意識のレベルで、死んだらそのまま個々の冥土に投影される。


シは詞(言+司)=コトハ光透波、私

詞は言の司りと書くように、

「はじめにコトバあり、コトバは神と共にあり」でいうコトバの事であり

その実態が1/∞秒で無限大を回る絶対速度の波動=光透波コトハである。


そのエネルギーを命に授かっているのが私であり

私は神の分霊であると言えるのである。



そしてどのように「和足し」「渡し」するかが

一人一人の個性によっているが

その情報が名前にファイルされているのである。


だから私は○○○という名前=音=エネルギーの存在であり

名前に宇宙の叡智=情報=命、潜在情報・能力がファイルされている。


生きているうちは実感しにくいかも知れないが

死んだら名前だけの存在になり

名前=音=エネルギー=波動=霊とリンクすると解りやすいと思う。


名前が命の音なのである。


名前を否定することは

こんな自分ではダメ、もっとこうあらネバベキと自己否定だから

生きる力や個性は開かれようが無いし

潜在情報・能力は封印されたままなので

頭では答は自分自身の内にあると知識は構築していても

外に情報を求めているのである。


外の情報は人からの情報でありいくら知識を構築しても

天直結のインスピレーションとは違い

所詮五割であるため、翻弄されてがんじがらめに陥りやすい。




私が私であるには

名前を愛おしく呼び大切にすることと解ってくると思う。

そして「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでも深くイタワル事だ。


逆は名前を否定しネガティブなエネルギーをてんこ盛りにして

呼べば簡単にエネルギーを潰してしまう。



あなたは子供やパートーナーの名前にどのようなエネルギーをのせて

呼んできたのだろうか。


自分がどういうエネルギーで名前を呼ばれて来たかが投影し

否定されて呼ばれてきた人は

自己否定に陥りやすく相手の名前を否定して呼び

抑圧コントロールしやすく


愛おしく呼ばれてきた人は相手の名前を愛おしく呼べるわけで

相手を大切に思える。


因縁の片鱗である。




D 独り楽しむ(独楽)

独楽と書いてコマと読む。

英語ではTOP。

      2015-12-05_073707-336x286[1]


中心軸が整うほど回転速度を上げられ安定するコマ。

コマ遊びは回転速度が高いと相手を撥ねつける。



私達もコマと同様で

中心軸=「秘田ー中丹田ー丹田」が整うほど

生命エネルギー=回転速度が上がり安定する。


中心軸がコイルで

電流(生命エネルギー)の通りがよくなり

オーラが厚く輝きを増し、へんてこな霊や邪気を撥ねつける。


光でいえば、輝きを増すのでまぶしくて近寄れない。


      dansei-mae[1]


それは個性の開花であるから

人と比較競争はしないし、ジャッジも抑圧もせず

ただ「私は私でありたい」となると思う。


その観点は「あなたもあなたでありたい」

人だけでなく存在するあらゆるものが「そうありたい」ことを尊重できる。



ジャッジもコントロールもしないし、依存やごまかしもなく

そのままを認め受け入れられるのではないだろうか。


だから独り楽しめる境地に思う。


それは英語でTOPというように最高な状態でゴキゲンだ。




中の心=HEART→HEAR+T(無上の十=ト答)

自身の正直な気持ちを大事にすることで

中心軸である「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ラインが整い

無上の答が聞こえるようなると取れ、

アナハタの活性で本来のハートに回帰する。



「私は私でありたい」と個を確立すると全体に繋がる仕組みで

孤独を楽しめる境地は全てに繋がることになり

調和が連鎖する世界に根=音を張るからではないだろか。


「ソウカソウカ 無理なかった」とイタワリを深めると

自己否定は溶解し「私は私でありたい」というアイデンティティが

お出ましになり独楽と同時に

繋がっている実感が醸し出されていくと思う。



寂しさ、恐れ、不安や緊張よ さようなら!



D 2017、岩戸開きとイイスター

1月27日のセミナーで、

今年2017年のエネルギーを踏まえ岩戸開きの解説をした。


岩戸開きとは

岩→山ヤマ、ヤ屋=オク大空、マ間、山は大空間

石→イシ意思


「大空間の意思の戸が開く」事であるが

アマテラスが隠れたというより、リアルに音の働きから捉えれば

バベル崩壊で、人間が天直結の命の音=母音を閉ざしたため

大空間の意思と繋がらなくなったことと考えられる。

宇宙と繋がる命の音


それ以来地上天国が消え去り、今まさに混乱の極みを迎えている。




2017年のエネルギーを観れば

21世紀の17番目、アルファベットで捉えるとq、

qは16位のp(ニゴリから反転の意味を持つ音)を開いた字形である為

今までの流れからぐれんのキュウ(q)が出される。


そのお役目がトランプ大統領である。


15年2月の段階でイルミナティがヒラリーさんに決定済みであったが

昨年9月に奥の院のトップが覆したと聞いている。


ヒラリー大統領となれば、

イルミナティの思惑通りのNWOの実現で

人類は緩慢なる毒殺による人口削減と家畜化され

支配するイルミナティには天国だが、地上天国の扉は閉ざされてしまう。


トランプ氏はイルミナティ支配の流れを崩す政策を打ち出すため

世界中大混乱が高まっていく。


創成の為には破壊が必要で

ミロク=36=666謀殺で弥勒菩薩の働きとも考えられる。弥勒菩薩



諸外国は政治も経済もあらゆる事が

ユダヤ、イスラム、キリスト教など宗教が基になっているのである。


命の音の母音を閉ざした子音系言語では一神教が必然しており

タタカイを終わらせることができない。



生まれた時はお宮参り、お寺が経営する幼稚園でさえもクリスマス会をし

正月は初詣、結婚式はチャペルで、死んだらお寺・・・一神教ではありえない。


ユダヤもイスラムもキリスト教も何でも抱擁しまとめるキャパが日本にはある。

その結果日本が舵を取るようになると思われる。  ロックフェラー、ロスチャイルドを超える 「奥の院」がこれからは日本の時代だと決めた


なぜならば

絶対肯定の大空間の意思を創る命の音をストレートに言語にしているのが

日本語であるため、日本でないと開く事ができないからである。


(トランプ政策をぐれんの観点から捉えていると、

批判する側の正体や裏社会の色々なことが観えてくると思う。)



2017は具体的にキュウ(q)が出されるが角度を変えて観ると

アルファベット1位はA、7位はGで

GはC+Tの組み合せであるから

17=AG=ACT(動く)と取れる。


ACT=開く戸、まさに岩戸が開くアクトエネルギーが今年にある。




更にリンクすることは

AGは元素番号47の銀である。

銀は何を意味するか?


AG銀→艮+金、艮の金神


艮の金神は長~い間封印されてきた神=ハタラキで

まさに命の音そのものではないか!


艮の金神がぐれんと世直しする。



封印されていた艮の金神が動くことは、

音の仕組みから言えば命の音(母音)を握る日本の台頭と考えられる。


その音が大空間の意思=空意アイ=愛であり真理を創っているのだから

命の音を開くことが岩戸開きであり

人類誰もが授かる命の音の情報でなければ、地上天国は開かれようがない。



歴史を振り返れば、

どの宗教もイデオロギーも開くことはできないどころか

戦いの原因になって来たではないか。


命の音を閉ざしてしまったが故に

宗教が台頭しイデオロギーが構築され

お互いの正義をかざし戦ってきたのではないだろうか。




イイスター

地上天国の復活、ファーストセブンはアダムとイブの時代であるが

27の数で象徴されるセカンドセブンが21世紀である。


(27は9+10+8で九十八コトハ=光透波=詞が内在し、

命の音である母音がセカンドセブンの鍵である。)



地上天国の復活=世直し=ヨナ星=47星(日=時間+生)

47の時間=年に生じる。


イイスターは良(イイ)星(スター)で47を示唆し

47=銀→艮の金神と連動しているのである。


さらに今年のイイスターは4月16日で

16の原数は1+6=7 であるから47となっている。


4=詞コトハ、つまり命の音に誘われる

(十六夜をいざよいと読むように誘(イザ)が16の意味にある)


さらにEASTERを分ければ

EAST+ER、東の人(ER)となり

日本人が復活のカギを握っていることが言える。



2017は岩戸開き、艮の金神、弥勒菩薩(666謀殺)、EASTERと連動し

ACTのエネルギーが押し寄せている。



そのBIGWAVEに乗って行くには

「愛と感謝、イタワリと許し」の音を使う事と考える。


瞑想も祈りも大切であることは言うまでもないが

日常生活で売りコトバに買いコトバの下からのコトバの使い方をしていては

命の音は開かれようがないから。




D 恩返し

前回の「宇宙に繋がる命の音」からアプローチしたい。


恩→心因

心の因(起こり、原因)と書くように

恩オン=音で、音を命に授かるが故に私達は心を持つ。


命の音は

無限絶対エネルギーの光透波で宇宙意識を生んでいる音で

空の意(こころ)が、空意アイ=愛である。


現代は「心受」と書くが、本来は愛を「必受」と書くように、yjimage[1]

人は例外なく空意の音を命に必ず受けていることが解る。



心因となっている音は空意であるから

私達の本来の意識は、CONSCIOUSカンシャス=感謝スと取れるように

「愛と感謝、イタワリと許し」である。



そのかけがいない命の音を

妬み・やっかみ・誹謗中傷・抑圧・ジャッジ・自己否定・・・

ネバベキと比較競争差別に使ってきたのである。


一体いつからであろうか?

バベル崩壊からではないだろうか。

それまでは命の音である母音言語を共有し、全てに繋がり自然界との会話ができ

空意(愛)に根=音ざした世界であったと考える。



今もって音の本来性とかけ離れた使い方をず~と続けている事に気づきたい。


そのような使い方をしていては

健康で豊かで慈愛と安らぎに満ち間に合っている世界は開かれようがない。


WORLD→WORD+L(開く)と書くように

人類の歴史を振り返っても、あるいは自身の現状も

現在完了進行形でコトバをどのように使ってきたかの結果なのである。


恩を仇で返していては、報われようがないのだ。



恩を返せば報われる

ジャッジ・自己否定・抑圧・比較競争を生むネバベキの音の使い方に終止符を打ち

命の音の本来性である「愛と感謝、イタワリと許し」に

音を返すことが天に恩返しする事である。


報恩社会のマスターキーは命の音を開く、恩=音返しにあり

主一致音(すいっちおん)が報恩社会のswitch onと考える。

スイッチオン


意識は本来性の感謝ス(CONSCIOUS)だけであり

健康で豊かで慈愛と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界が

開かれてくると考える。


コトバの働きに気づかずに

報われようと計算と思惑をいくら発揮しても砂上の楼閣に思う。

タタカイの歴史が物語っているではないか。




D 宇宙と繋がる命の音

命に音を授かっている。


その音は宇宙を構成する光透波。

1/∞秒で無限大を回るエネルギー、止と動が相対しない止=動の絶対界を成立し

そのエネルギーの中に森羅万象が懐胎され育まれている。


「初めにコトバありき、コトバは神と共にあり、コトバは神であった」

そのコトバが光透波の76音種、母音である。


76種の音が言霊=宇宙大霊=愛であり、

音が数に働き真理という法則で森羅万象を寸分の狂いなく管理(完理)し

私達人間が命に授かる音である。




赤ちゃんは同じ発声

民族人種関係なく赤ちゃんの発声は同じである。

人間だものそんなの当り前と言われそうだが、当たり前がすごい事。


命に授かる(内在している)音をそのまま出しているのだ。


ただ歯や舌など生理的に未熟のため発音はそれに見合ったものだが

内在する音は母音である。


上記を踏まえて言うと

神=宇宙、そして森羅万象の自然界と繋がっているのだ。


しかし残念なことに、赤ちゃんは自分を自覚する意識がないので

繋がっている事を自覚できない。


(私もあなたも初めからひねくれてはいない、天真爛漫純粋無垢で全てに繋がっていたのだ)



授かる命の音は

神とも自然界とも共鳴する母音であり

バベル崩壊までは人類は母音言語一つでいたので

神人合一で調和の連鎖から逸脱することはなく

完璧に間に合っている世界であったと考えられる。


動物、植物、山、海、風・・・自然界のあらゆるものとも会話=繋がる事ができた。



母音は永続音であり宇宙の音=自然音であるから

風や波の音、鳥や虫の音、川のせせらぎ・・・自然音はホルマント構造で

母音も同じホルマントを持つ。


このことは

母音言語は自然音を言語として認識するため自然界との会話=繋がると考えられる。



角度を変えていえば、

命の音を開花しているので自己分離が無いからできることであり

それ故に

「私は神の分霊で、私は私でありあなたはそちらにいる私である。」

私はIアイ空意=愛である。

英語で取ればアイデアルIDEAL、理想そのものである。



戦争、政治経済、環境、貧困、病気、教育・・・あらゆる面で

極まった現代社会の根源は自己分離が招いている。


自己の本質と分離しているのだから、神とも自然界とも繋がらないし

あなたと私は分離を生むのは当然であるし

戦いは単り+戈と取れるように自分に鉾を向けていては

戦争は無くならない。


仕組みから言えば、あなたはそちらにいる私であるのだから

嫌なヤツは私の自己分離の投影といえ、その相手を憎み抑圧コントロールすることは

実は自己分離を強めていることが観えてくる。


つまり、命の音を閉ざしているが故に自己分離し

混迷と戦い、調和が連鎖しない間に合わない世界を生んでいると考える。




更に言えば

命の音を閉ざしていながら、どの宗教を持ち出そうが

民主主義共産主義だろうが、いかなるイデオロギーを振りかざしても

理想社会は開かれようがないのではないか。


閉ざしたが故に宗教やイデオロギーが台頭してきたのではないだろうか。



今必要なのは

人間が作ったイデオロギーなど外からの情報ではなく

誰もが内在している命の情報ではないか。


平和も外からの情報(イデオロギー)に求めれば

正義をかざしジャッジしジャッジされ戦いを無くそうと戦い続けて来たし

健康と安らぎ豊かさも外に求めれば

比較と競争、情報に翻弄されネバベキを強めて来たではないか。



人類は誰一人として例外無く命の音を授かる故に赤ちゃんは同じ発声なのだが

そのまま命の音が持つ情報を開けば

私はIアイ空意=愛である=IDEALとなり

宇宙=神とも自然界ともあなたとも繋がり

調和が連鎖する間に合っている世界が顕現すると考える。




岩戸開き

岩{山+石

山ヤマ、ヤ=屋オク大空 マ=間と取れ、「山は大空間」と取れ

石イシ=意思


岩は大空間の意思、その戸を開くことは

命の音を自身の中に開くことである。


アマテラスが岩戸に隠れたというが、リアルに音の働きから観れば

大空間の意思を生んでいる76音の命の音を人類が閉ざし

自己分離に陥った事と考えられる。


大空間の意思(神=天意)は隠れようにも隠れようが無いのだから。


岩戸開きは命に授かる音、76の命波音である母音を開くことであり

命の情報を開くことと考える。


つまり、どんなイデオロギーも太刀打ちできない愛に根=音を張り

エントロピーが減少するフリーエネルギーを使え

健康で豊かで慈愛と安らぎの間に合っている世界が開かれる。



その大空間の意思であり光透波の絶対エネルギーと真理である音を

ストレートに使っている言語が日本語である。

   生命の樹



ン、清音50、濁音20、パピプペポの反濁音5、計76音種で

日本語が仕組まれている。


50音図表は発声の順序と仕組みを生理的に整理したものであり

大空間の意思と真理がファイルされている。


(小田野先生が出された天鏡図で微に入り細に入り開く事ができる)


命の音の母音を言語にする日本語に理想社会の鍵があるのだ。



しかし、すごい能力を持つ日本語であっても

ネバベキとジャッジと自己否定し、

売りコトバに買いコトバの下からのコトバの使い方をしていては本領発揮はできない。


「愛と感謝、イタワリと許し」にコトバを使うことである。

それが岩戸開きと考える。




D 使命は氏名にあり

「私の使命はなんでしょうか?」と聞かれることある。


何で知りたいかと言えば

無邪気さを封印されて以来ずーと無自覚の自己否定に陥っていて

モヤモヤぐじゅぐじゅ、思考でがんじがらめ状態から脱却し始め

エネルギーが高まってきたからである。


そうなると内圧が高まりどこにエネルギー発揮すればいいのかとなってくる。


思考でがんじがらめ、モヤモヤぐじゅぐじゅそんなのもうイヤ。

抜け出したくなるのは当然である。



そこで気を付けたいことがある。

使命が解れば充実する、したいのであるが

自分の使命は何かと考えて見出そうとすることだ。


考えてもわからないので聞きたくなるのだと思う。


思考で見い出そうとすれば

今までの思考パターンに陥る危惧がある。



使命というと

社会的に大きな貢献や魂の救済などとたいそうなお役目の印象があるが

字を観ればわかるように

どう自分の命を使うかである。


自己否定は命をこうあらネバベキと自分を否定し戦いに使っている事である。


それでは大変なエネルギーの浪費で

その使い方がモヤモヤぐじゅぐじゅを生んできたのである。



自己否定に陥った原因

○○○、だめでしょ! 名前にネガティブエネルギーを載せられ

名前を否定され潰されたきたのだ。


名{タ+ロ、

タ=田 絶体電磁場を意味し、ロ=露

名メ=命 と取れるように

名前は宇宙を構成する絶対電磁場の露われ、命の情報がファイルされている。


(自分とは何かというと名前にある音=波動=エネルギーであり

死はそれが肉体から抜け出し名前=波動=エネルギーそのものの存在で

それを霊と言っている。

だから霊は車や飛行機は必要ないので呼べば来るし、

その波動に良いも悪いも同調もする=守護、憑依。)


名前を否定され潰されては命は活性しようがなく

個性は裏目に出るので自分を否定し変えようとする。オーラと個性


ファイルを開く事ができないから

命が充実するように使えないのは当然ではないか。


封印しているため、外からの情報に翻弄されて来たし

本能的に不快であるから思考で封印を開こう、修行で開こう・・・

ネバベキで開こうとしている。



自己否定とは名前を否定し潰しているので

命の情報ファイルは開きようがないではないか。


「自分を愛せばいい」とちまたで聞くが、

頭ではわかるけどそれができねぇんだよ。


思考では難しいのである。



ではどうしたら?


名前の秘密が解れば観えてくる。

アナハタに向け名前を大切に愛おしく呼ぶことだ。


ファイルが開くことは

内から閃き、インスピレーションとしてお出ましになり

その情報には迷いが無い。


それに素直に行動することでシンクロタイムリー、

間に合っている世界が広がり充実していく。


ファイルを封印しているので外からの情報に翻弄され

思考にとっ捕まりモヤモヤぐじゅぐじゅなのだ。



楽しい、嬉しい、気持ち良い、好き・・・自身の命が充実する使い方が

使命を果たす事であり

振り返った時に自身は勿論様々な人に社会に調和の連鎖を見出す。

(そのコツは損得感情を無くすこと)



始めから世の中を変えるんだとムシロ旗を振る事とは違うように思うし

抑圧の反動で振っているようにも思う。

なぜならば、ネバベキと振っているからである。



自身の名前は勿論だが、

子供の名前やパートナーや相手の名前、

あらゆるものの名前をどの位大切に愛おしく呼べるかが

自己否定・自己分離の溶解レベル=命度で

それが肉体を脱いだ時の冥土に投影すると考える。



「名前、それは燃える命」、キレのいいダンスでいってみよう!





D 酉+日+生=醒

2017、H29、酉年

数と字が内在する意味とエネルギーを掘ってみたい。



昨年2016は2+16=18、1+8=9

18は6+6+6で666が極まった年(9)


イルミナティの思惑が極まり反転すると読め、

それを裏付けるように奥の院の計画が出版された。

 

     61Pu3m25ibL[1]



今まで全くイルミナティ(ユダヤ)には口を出さなかったのだが

イルミナティのトップが創設時に奥の院と交わした約束を果たすべく

世界の秩序を整える為に動き出している。



中心となるのが縄文のDANを持つ日本人であり

魂の契りが結ばれるかのようにメンバーが構成されてきている。


そのDANとは争わない、調和をもたらすものであるが

私はその本質は宇宙の音をストレートに使う日本語に有ると考えている。

               

ミロクボサツ→666謀殺

弥勒菩薩のお力が動き出している。弥勒菩薩の字割

       



21世紀の17番目

アルファベット17位はq 16位のpが反転した字形である。


反転を意味するp(16)からぐれんと表が裏に返った形のq(17)で

合図のキュウが出ることだ。


また17は1=A、7=G{CT

AGはACTと取れ、まさにキュウと連動でACTの年と読めるし

表がひっくり返り「裏」が出て来るようになる。



ACTアクト=開く戸

岩戸開きとリンクするが

岩{山ヤマ=屋間、屋はオク=大空、山は大空間

石は意思で、

岩は「大空間の意思」、その戸が開くことである。


岩戸が開くことでエネルギーが降ろされ人類の覚醒になるのである。



それが酉でもリンクしている。

酉+日+生=醒

日=エネルギー(時間)であるから、今年の酉のエネルギーに生きる(同調する)

ことで醒サメルことが醸し出されると取れる。


H29

Hエイチ=叡智が軸(29ジク)となることで

岩戸開きのエネルギーに生き覚醒していくことであり

2+9=11=十一=0、トウイツ統一

ゼロの統一場=宇宙の叡智が軸になる事である。



この様は覚醒エネルギーがもたらされる年であるから

エネルギーに生きる=感応したい。


そのためにはフィジカルアプローチとして肩を開くことだ。



肩{月戸、肉体の戸 

と取れるように肩を閉ざした姿勢はアナハタが封印のままである。

肩を開く開くことで自律神経緊張緩和となりアナハタが開きやすく

エネルギーが入るからだ。


SHOULDER→SHOULD+ER=ネバベキの人

自己否定を生むネバベキが肩を閉ざす音のエネルギーなのである。


個々の岩戸開きは肩を開いた姿勢と

命の情報がファイルされている名前を大切にしイタワリを深める事である。


無自覚だろうがネバベキの自己否定のままで

「岩戸開きの時よね~」と受け売りだけでは開きようがないと思う。




D 願いとコトバのエネルギー

明確な願いがあれば実現の可能性が高く、逆に願い無くしては低い。


なぜ実現するかを掘ってみたい。

願いは実現の可能性を探し出す電波を出しているイメージを持つ。


電磁波を出して反射して来る方向にお目当てのものを見つける

レーダーの仕組みと同じように考える。



願いによって周波数は異なるが

電波をあらゆる方向に放射していて、

それに反射共鳴する方向や時間をキャッチし

無自覚だが(潜在意識で)そのタイミングに合うように行動している

と考えてみると面白い。


実現しやすい願いは

その電波に簡単に反射共鳴するものが多く

しにくいのは少ないと言えるが

電波の出力、周波数が高ければ時空を超えて反射共鳴を探し出せる。


前世から持ち越しているもの、あるいは未来からの情報と繋がる。




この観点から文字はどう教えているか観てみよう。

ネガイ→音が意・為

音が意識であり願いそのものを為す と解る。


つまり音が電波で間脳にある生命電磁場のアンテナから

願いを発信している。



意を成立する音は

光透波(コトハ)、1/∞秒で無限大を回る絶対電磁波であるから

時空を超越する出力なのである。



誰もが最高の出力と高周波の光透波を授かっているが、

実現がトロロイモなのは

何が出力を弱めているかに気づきたい。


同じ願い=想念=コトバを発信しても実現に差が出るのは

コトバに乗るエネルギーの差と考える。


キリストや空海や聖者の発するコトバ(想念=願い)は

即実現したと思われるからだ。


(この様なレベルでは発するコトバが光透場の磁場を生み

空間に充満するエネルギーと共鳴し、コトバが現象化すると考えられる。)



具体的に言えば

深いリラックス脳波を持つ人と恐れと不安がてんこ盛りの緊張脳波の人とでは

同じコトバ(想念)を発しても、出力が違う。


それが能力の差である。


ではその能力は脳波の違いで分かるように

脳の活性化が能力とリンクし、能力は脳力と言える。


緊張圧迫した脳のままでどう能力を高められようか?



では何が脳を緊張させているのか。

一言で言えば自律神経緊張状態であり、原因は自己否定にある。


そして、自己否定しているなど無自覚である。


無自覚どころか、つちかってきた知識に誤魔化され

自分は結構イケていると思っている人も多いように感じる。



自分を否定していては自身の命を否定しているので

脳の緊張圧迫は当然であり

想念=コトバの出力は高まりようがないのである。


その状態で大きい声で叫ぼうが強く念じようが

出力自体が弱いのである。



出力と同時に受信能力=感応力を高めたい。

微細な電波をキャッチできるほどタイミングを逃すことはないのだから。


自律神経の中枢の間脳が発信と受信のアンテナになっていて

間脳力が感応力とリンクしているのである。



セッションでは

緩むポジションをとりイタワリの音波云で自律神経緊張緩和と

知覚=感応力の活性化を図るのは、

コトバの出力を上げ願いの実現を加速する事でもある。


願いはどこから来るかと言えば、潜在意識が発信源であるから

自律神経緊張緩和=脳力=能力アップが潜在意識の活性化にリンクする。


自己否定・自己分離していては

潜在意識・能力の活性化は難しい事が解ると思う。



アダムとイブの時代は

自己否定・自己分離が無く光透波と超伝導状態と考えられ

即実現、願いと実現のタイムラグが出ない

願わずとも叶っていたのではないかと考える。


当然健康と安らぎと無邪気で

調和が連鎖する間に合っている世界、楽園に思う。




D 冬至(闇からの反転)

2016,12,21 

自然界のエネルギーがあらゆる現象を生んでいる。

そのエネルギーとは「時間」である。


今日は冬至「闇」の極まり、これを機に反転するように時間が働く。



今年の冬至が内在する数=エネルギーは

2016は21世紀の16番目=P(反転を意味する)

2016の原数は9(極まり)、

12は3、21も3、1221は



五十音図は

宇宙の仕組み、人類のプロセス、あらゆる仕組みが秘められているので

リンクさせてみよう。


6は6行目「ハヒフヘホ」。

清音から濁音バビブベボ、反濁音パピプペポと

三様に展開するミロクの行である。


人類の混濁がバビブベボ、混濁が極まり破裂反転がパピプペポを現す。


唇を閉ざし息を破裂するように出さないとパピプペポを発音できないように

社会構造もそうであろうし、

地球自体も地軸の転換の可能性もあるように

今までのものが閉ざされ極まった内圧でぐれんと反転すると考えられる。




パピプペポで反転し、7行マミムメモ=真実務命網が開かれる。


七=一L、絶体(一)が開かれた(L)行(おこない)

つまり、自然法則が開かれ調和が連鎖する行い(報恩社会)に反転していく。


今年の冬至を機にそのエネルギーが増々発揮されると音と数から取れる。




冬至は「闇」を象徴し

私達の意識を「闇」から反転するエネルギーの到来なので

サーフィンのようにその波に乗りたい。


エネルギーに乗るにはどうしたらよいか?


「闇」を文字はどう教えているか。

闇→門音

音を門の中に閉まいこんで、表に出せていない状態である。


その音は光透波(コトハ)、コトバの本質「愛と感謝、イタワリと許し」の実態である。


2次元では絶対の光

30万km/秒の地上の光は影を生むが、

光透波はこれ以上の明るさが無い「透明」を成立し、

影など存在しようがない光→光光露(ココロ)である。


3次元では

宇宙中温で仏教で言えば極楽浄土の温度=常春、

命の温度(基礎体温)となっている36℃(ミロクの温度)である。




「愛と感謝、イタワリと許し」の音を門にしまい込み

真逆のネバベキを表に出しっぱなしが「闇」の正体と解ってくる。


つまり

ネバベキのジャッジと自己否定が闇を生んでいるので

「愛と感謝、イタワリと許し」の音を表に出すことで

闇が無くなる仕組みであり

光と美に満ち調和の連鎖を醸し出すエネルギーなのである。

(間に合っている世界)



冬至がネバベキにさよならし、表に出しやすいエネルギーを運んできている。


それに乗ればサーフィンを楽しめるが

乗れなければ溺れてしまい、溺死するのはわけもなく

闇が病みなので、頭と体があっという間におかしくなる。


そういう時代=エネルギーが来ているのである。


16=pの反転と9の極まった今年がそれを現し

そしてもうすぐ、2017で7に入る。


2017=原数1、始まりである。




Dものとの対話(TALK)

治療室の花の生け方を褒められ(花びんに入れてるだけだが)

生け花を習っていたのかと聞かれるが、我流である。


意識したことはなかったが、何でだろうと思うと

花との対話に気づく。


どこから切って欲しい、どう生けて欲しい、どうしたらいい?と。



花の生け方だけでなく、料理もそうだ。

どう切って欲しい、どの位加熱や味付けすればいい・・・

レシピがあってのことだが対話してやっている。


振り返れば

治療では潜在意識(インナーチャイルド)との対話が

大切であることは言うまでもないが、

様々な所作を対話しながらやっていると思う。


(対話と言っても声に出しているのではない、頭の中でだ。

そうでないと頭おかしんじゃないのと思われる)


ものにも意識があるわけで

ものが十分に発揮でき喜んでくれるように対話しながらだと

アリガトウしやすく気持ちいい。


「気」を入れる、読むことにもリンクする。




対話なしの時もある。

どういう時だろう?


忙しい、あるいは目標にロックされている時に思う。

対話できない=自我を前面に出してやっている時だ。


そんな時はネバベキの音に支配されていて、

気持ち良くないし疲れやすい。



ものとの対話ができることは

忙しい=時間に追われるのではなく、時間を管理できる意識に思う。


目標を掲げたらネバベキに支配され、プロセスを無視しやすく

対話は難しいのではないか。




この事から解るのだが

病気を良くしたい・健康の為と食事療法、冷え取り、運動・・・

様々一生懸命励むが

自身の体と対話しているのだろうか。


目標が強いので0か100か、一か八か

思惑に見合った結果が大切でプロセスを無視しやすく

まだダメ、足りない、もっとこうあらネバベキで励んでいる。



その結果

思うようにできない、ならないで落ち込むか

増々躍起し外に情報を求めて止まない。


何でそうなったのかの気づきも出ないので、根底の原因が解消されにくい。


良くなりたいが故に知識に頼り、自身の体の声を聞く耳は塞がれている。


体との対話ができたら良くなるのに・・・




目標など設定しない方が良いのだ。


自身と対話すらできないのだから(ん~、すらというより一番難しいのかも)

ものとの対話回路は開かれない。


時間に追われプロセスを無視であり、

なんといってもネバベキの思考で自我を前面に出しっぱなしでいる。


目標設定は自分で何とかしようとするので、流れにお任せなど怖くてできない。


流れに逆らい無駄な抵抗をしていては

余剰エネルギーは枯渇の一途で頭も体もおかしくなり、

増えるのは不安と緊張で

答は自分の中にある、神の分霊と頭でわかっていても

救いを外に求めることになる。


無駄な抵抗はよせ!で I surrender 愛サレンダーなのだが。



全面降伏が全面幸福を醸し出し、ものとの対話を育み

あらゆる事と繋がる回路が開かれるのではないか。


裏からの見方考え方ができる事であり、

させられている受身の自覚とさせている側を知る事にリンクする。




対話回路を育む

どこまでも深く自身をイタワルことだ。

「ソウカソウカ、無理なかった」


イタワリの音波云は過去の行程を肯定し今を近づけるエネルギーであり

イタワルことによって

体の声、インナーチャイルドの声が聞こえるようになり

同時にものとの対話が醸し出されていく。


5次元と繋がるインナーチャイルドからの情報を得る事であり

ものがどうすればいいかと教えてくれるので気持ち良いのである。



TALKトーク、解く・答求・得

自身との対話、あらゆるものとの対話で

解く事ができ、答を求め、得る事ができると字は教えている。


対話が大和で調和の連鎖を生むと解る。


ものとの対話が同時に自我をフェードアウトするので

自我の終焉の為と瞑想に躍起せずとも

日常生活を通してできると考える。


趣味スタンスでやれる瞑想の方がかえっていいように思う。


ものとの対話、やってみなハレ




D 裏からの見方考え方をしたい

扇風機の羽は表からは時計回り、

後ろから見ると反時計回りに動いている。


見方によって羽の動きは表と裏では逆である。



扇風機の羽で解るように

動きや現象を裏からとらえられると

表とは逆というか全く別のものの見方考え方ができる。



大概は表の世界に限定したものの見方考え方をしていないだろうか。


表社会を牛耳る裏社会、政治経済の裏、人の思考と感情の裏・・・

裏が解らないと現象に翻弄され流されやすく、

きつく言えば洗脳・コントロールされる事だ。



   無題


字が示すように、裏の中に表があるわけで

裏が解れば表が解り、裏知=理知を持つ事ができるので翻弄などされない。




心をウラとも読むことに日本語の緻密で奥行きの深さを感じる。


相手を大切に思い心からの行為をオモテナシというが

まさに表無し、裏=心に徹した駆け引きなしが表に出る事に思う。



そのような事ができる人は

扇風機の動きを両方向から観れるセンスと言え

表(現象)を観て裏(原因)を認識できるのは当然と言える。


顔を見て裏を読む

人の顔を表、心を裏というのも面白い。



また、裏をリとも読む、リ=理。

自然の摂理に沿った見方考え方ができるので

些細な事でも不自然な事には敏感でありセンスの良さが光る。


表だけにとらわれた見方考え方は裏が解らず

かたよる(形寄る→物・現象に囚われる)ため

本質がわかりにくく翻弄されてしまう。



翻弄を前回のテーマからいえば

させられている自分を客観できないことだ。


させている側、つまり自分を存在させている裏(潜象界)がわからないので

自身の思考と感情にとっ捕まったままなのだ。


表(現象界)に囚われ続けることになる。




D 弥勒菩薩の字割

末世に下生され衆生救済といわれるが、文字にはどう秘められているのだろう。


弥→ますます、いよいよ

勒→革(命)力


革命=① 支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って,

    政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革。
   ② 既成の制度や価値を根本的に変革すること。


革→廿一(21)+中

勒は21世紀中に起きる力と取れる。


ボサツ→忙殺、謀殺 と読み替えできる。




救世主が現れてポーンと変革するというより、

自然界のエネルギーの変化に合わせ政治経済の社会構造が行き詰まり

反転していくイメージを受け取る。


10年ひと昔は死語となり、年々時間が早く感じるのは

ますます(弥)革命の力(勒)が強まり

社会の動きが凄まじく忙殺しているからではないか。




それを裏付けるように奥の院の話では

アメリカ大統領選は15年2月の段階でユダヤがヒラリーに決定済みであったが

覆して9月にトランプに変更したという。


トランプ政策によって

今までの体制を牛耳っていたユダヤ権力が衰退に向かうようだ。


その観点からいうと

ミロクボサツ→666謀殺と取れ、

ユダヤに代わり日本が世界をリードしていくことが観えてくる。




なぜならば、人類はタタカイの歴史であるが

日本がタタカイに終止符を打つ能力を持つからである。


なぜタタカイが起こるかというと「ア」が解らなかったからだ。


「ア=空」、全て空によって生かされていることが解らず

自分の力で勝ち取るのだと躍起してきたからで

アが付けばアタタカイになり、その社会が弥勒下生ではないだろうか。


空=天直結の音を言語とする日本人には

争わない縄文のDNAがあり、それが開示されていくと考える。




釈迦入滅後五六七千万年に下生

日月神示では、五六七をミロクと読むが

原数は5+6+7=18、1+8=9


アルファベット18位=R、9=i

Riリ=理(コトワリ)


五六七の数が秘める弥勒下生の意味は、

理コトワリの時代の到来と取れ

それが21世紀中。



革命とは不合理で高まった圧の爆発と言え

不合理が極まったのが末世であり、

衆生は理に合う(合理)→自然法則に則ることで救済される。


政治経済の根底にあるユダヤが牛耳るエネルギー問題は

フリーエネルギーに代わり、

戦争ビジネスから環境ビジネスにすることで

破壊から調和をもたらすビジネスに変えらるのではないか。


マネーが支配してきた恐怖から解放されることで、

自律神経の無自覚の緊張が緩和され環境浄化と共に自然治癒力は高まる。




空である理(自然法則)がわからないから混乱社会が極まってきたのであるが

理はコトワリ→言を割ルことで明らかにされる。


それが「字割」である。



なぜなら宇宙は音で成立し、

音が意味にハタラキ空意=愛に

数にハタラキ真理=法則、合理そのものを生んでいる。


1/∞秒で無限大を回る速度が光透波で

今という瞬間に無限大を回って来るので、動いているが止まっている速度で

仏教では如去如来と如来様のお力である。


その音が宇宙エネルギー、愛であり合理そのものであり

自我の奥にある純粋意識を生むコトバの本質である。


字は音をとどめる唯一のもので字に理(コトハリ)が秘めらていて

字割は瞑想など主観でしか掴めなかった潜象界を

目の当たりに掴むことができる術で止観の奥義と言われる。





天の音を使う言語が日本語

日本語の音(母音)、ヒフミヨイムナヤコトの数読み、

漢字カナ交じり(表意字+表音字の二本立て)の使い方に

理(コトハリ)を開く能力を秘め、天を開く完字になっている。



日本語がこのような能力を持つので

争わない、あらゆるものに命があり、生かされ計らわれている意識が根底にある。


人類史上武力無しで統治できたのは縄文の時代、卑弥呼だけではないだろうか。

天直結の言霊で統治できていたと考えられる。



一神教を生んでいる子音言語の民族では音の仕組み上

争を生んでしまいやすいが

光透波コトハ=詞(言を司る音の本来性)にストレートの日本語であれば

争にシ(詞)を付け、シ+争=浄とできる。


天直結の音を使うことで争い意識はフェイドアウトするから

世界中で日本語が第二言語となれば面白いと思う。


文化、伝統、武道、アニメ・・・日本に興味を持つ人が増加しているが

その究極は日本語の音の作用があると考える。



音=コトバが意識を生んでいるので

その仕組みからいえば弥勒の世には日本、

更に言えば日本語の能力が発揮されると考えられる。




D 感動と脳

ブログに感動したとコメントをいただき、嬉しくなり

感動の仕組みを掘ってみたくなった。


感動とは感応が生むエネルギー。


エネルギーが高まるのは感応を担う間脳が活性化しているからだ。

間脳は生命電磁場を受け取っているマグネットポイント=自律神経の中枢である。


自律神経の緊張が強いことは

脳の緊張圧迫があり間脳力=感応力が弱く感動しにくいのである。




感応力が間脳力

感動が増えるほど間脳の活性化であり、

生命力が高まる仕組みになっていて

病気回復や個性を発揮できる仕事や間に合っている空間を広げるには

「ワクワク」する感動が大切なことと解る。



しかし、ちまたのワクワクアピールも頭ではわかるが

ワクワクが見つからない、何にワクワクするかわからないのだ。


わかっているさ、ワクワクしたい、でもできねぇんだよ。


それでも、マジメだから無理してワクワクしようと励んだり、

妙にハイテンションに振る舞ったり

これがワクワクだと思い込んで躍起しているので、

長くは続かず

精神の背伸びというか疲れてしまい、ワクワクできない自分に落ち込む。


残念だが、考えても解らない、

感応するからワクワクするからだ。




なぜ感動が少ないのか。

ネバベキのマジメだからではないか。

抑圧を強く受けてきたからではないか。


自身の思考と感情が正義でジャッジし自己防衛に明け暮れ、

角度を変えれば自己否定でいるからだ。


そしてそれに無自覚でいる。


脳に緊張圧迫があり、頭蓋骨の歪みや脳脊髄液滞留で

頭が大きくなっている状態でもある。



その枠の中に入るものにしかワクワクできないので

ジャッジ・自己否定で枠が狭いほどワクワクが少なく、

ネバベキの解放に比例し枠が広がり

文字通りワクワクが増えると解る。



早い話が枠を無くしてしまえばいいのだ。

字でいえば、囚の枠=固定観念を無くしただの人になることだ。


感動のコツ、トラワレを無くすにはイタワレなのである。




無自覚であるが、

自己否定の息苦しさの反動でスピリチュアルに入れ込んでいて

無邪気さを潰された思考と感情でワクワクしようとしても難しい。


ワクワクできるのは

自己否定で高まった内圧の解放でやるSEXや過食やイジメや

依存やひどければ社会的破壊行動で、命の活性には程遠い。


でも解放しなければ内圧が高まり分裂するので無理もなく

(分裂した人も多くなっているが)

こちらのワクワクはやめられず

自己否定の反動に気づけないでスピリチュアルやっている人に

清く正しく美しくを求めながら隠しているがスケベが多いことがうなづける。



エネルギー的にいうと

クンダリーニを松果体(間脳)に昇華しようとしても

自己否定でアナハタが塞がれているので

そこから上げる事が出来ず内圧は高まる。


上にも下にも動けずその内圧がひどくなった状態がクンダリーニ症候・禅病ではないか。


そこまでストイックにならない場合

下から出すのが一番簡単なこと、SEXで解放したくなる。


アナハタのブロックは

官能に感応しやすいエネルギー状態であるから

昔からスピリチュアルには性的なものを排除するのはこの為だと考えるが

仕組みからいえば

アナハタをブロックする自己否定を溶かせば昇華しやすいと考える。


(一休さんはその辺を喝破していて好きだし

アナハタは解放でアガペーに、封印でエロスに動くように思う。)



しかし、幽体離脱や超越体験があれば話は早いが

如何せん自己否定していることに気づけないでいるのだ。


それらの体験は自己否定の解放で醸し出されるのだが

自己否定の解放を自己否定しながらでやっているので難しいわけだ。




そのスタンスは体験によって自己解放を図っているため

体験を求めるが故に「こんなんじゃダメ、まだ足りない、もっと高まらネバ」と

自己否定しているので

アナハタは解放されず内圧が高まるパラドックスなのである。


その瞑想はクンダリーニ症候という自己分裂を生む迷想の危惧が付きまとう。




コトバ=音のハタラキが理解できると

体験を待たずともイタワリの音波云と名前をマントラにした命想で

アナハタの凍結麻痺は溶解し自己否定はフェイドアウトする。


クローズアップが無邪気さの回復とミラーニューロンの活性化である。



クンダリーニは松果体に昇華し間脳力=感応力が高まり

日常の当たり前に感動が湧き起るし

シンクロタイムリーもドンジャラで

暗く投げやりの日々がワンダーランドに変わっていく。



同時に自律神経活性化で生命力・免疫力・個性の開花・

閃き直観(田心)が高まり、

健康と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界を醸し出していく。



感動は自己否定の溶解と比例し

脳力=能力を高め、エネルギーを高めてくれる。



123 ヒフミ(皮膚身)、体のスピリチュアルの日。



D 「君の名は」とPRE+SENT

映画では組みひもを時間と縁(結び)の象徴にしていた。

時間の本性と名前の関係から

なぜタイムスリップや異次元融合ができるのか掘ってみたい。



前提宇宙から現宇宙のビッグバーン
求心エネルギーが極まり、極小にまで圧縮された中心点は
限界に達し爆発反転する。

求心の極は遠心の極で反転するため
極小の中心点は無限の遠心エネルギーに加速され
1/∞秒で無限大を回ってくる絶対速度(光透波)が成立した。

極小が絶対速度で動き無限大を構成している。小=大
点が転じて展開し天を成立した。(点→転→展→天)

1/∞秒が「今」という瞬間である。
その速度は無限空間のどこにいても「今」を同時に存在させている。
(タイムラグが無いため無限=全一の絶対界)


イメージは
映画のフィルムでは1秒間に数コマの情報が入っていて、その連続を見ているが

1/∞秒に無限数のコマが入っているフィルムの上映だ。

 

イメージすると体が爆発しそうになる。

 

1/∞秒で無限大を創造する「今」に過去も未来も存在し

「今」という一瞬に永遠があると解る。


上から降りてくる感覚を持つが、

未来から情報を受け取ることもできる仕組みであり

あらゆる時間、パラレルワールドが「今」の中に同時にあるから

タイムスリップ、異次元融合が可能である。

 

「今」を生んでいる絶対速度(光透波)が時の本性であり、時が命であり意識である。

だから意識でそれらが可能であるが、

意識を変性させる必要がある。

 

そのために呪術が必要であったわけだが、
映画では瀧君が口噛みの酒で変性しアクセスできたと思える。

みつはちゃんの酵素が発酵させたものであり
お神酒に情報があるわけで
滝君はそれを飲むことで感応しみつはちゃんと繋がる変性意識にシフトできる。

(霊能者が情報を読むことも意識を変性し
場や物に残留するエネルギーに感応するからと思える。

みつはちゃんは祖母・母と続く家系の影響が強いような印象を持つが
命の働きであるから本来誰にも備わっているはずで
感応力を高めれば可能であり、
感応力が間脳力なので先ずは脳の血流を上げる事が大切で
血管が通る首の緊張緩和がフィジカルアプローチになる。)



 変性のコツ

脳の血流アップ、自律神経緊張緩和と同時に
儀式や薬草の類を用いずとも変性できるようになるコツが、イタワリと考える。

「ソウカソウカ、無理なかった」、イタワリの音は
過去を肯定するエネルギーであり過去を加光し過去の闇を照らし
自己否定・分離を溶かすので命の開花=純粋意識を深め
「今」を近づけるからだ。

 

そして、名前に命の情報がファイルされているので
マントラにして大事に愛おしく一番詰まっているアナハタに向け呼びたい。(命想)

「今」という瞬間に全てがあり
名前は「今」を成立するエネルギーの音でつけられているわけで
名前に命に係わるあらゆる情報がファイルされている。

 
闇で解らなかった過去を照らすことは
潜在意識(情報)・能力を開示することになり
それらの活性化と共に

出会い、携わり、男女の性別・・・

現在の状況=必然性の理解というか意味、意義がわかってくる。

 

 

さらに参りました、全面降伏=I SURRENDERなことは

「現在」はPRESENT→PRE+SENT、あらかじめ送ってあるぞよ!

現在の状況を成立させている情報は、PRE+SENTされていて
一体いつ送られていたかというと

「今」が成立した現宇宙の誕生時のビッグバーン。

 

その時に全宇宙のあらゆることが完璧にプログラムされている。

ちょうど、遺伝子が時と条件で開示されるような感じであろうか。

 

 

この仕組みが映画の組みひもに見出せる。

無数の色合いのひも(細かく糸で撚られている)がスパイラルで縦に上がり

絡み合ってその交点で結び=産霊していく。


そのプログラムが現宇宙誕生の瞬間にPRE+SENTされ
順序良く組み合わされ編まれていて
どの時点での現在もそれによってプレゼントされている。

時を経て何度も繰り返し無数のひもの絡み合いで
様々な模様(空間、出会い)を織成していき

前世も前々々々々・・・世と生命の誕生以来結びがあったし
これからもあるわけだ。



名前が命

魂に付けられた音、それは波動=エネルギー、

それに感応することは情報が開かれ共振共鳴が起きる、それが結魂ではないか。

結婚、昏(タソガレ)た女との結びとは違い

お懐かしゅうございます、やっと会えたね!と霊的な深い結び=産霊である。


出会いの中に愛があり、振り返れば多生の縁である。


多生の縁の背景がイタワリと名前をマントラの命想で見えやすくなる。




D 毒は主に母

排毒すれば病気は良くなると、食事療法や冷え取りにいそしみ

無農薬無添加は勿論、衣食住あらゆる事で改善を図る。


そこそこ改善はするのだが、思わしくはない。


良くなりたいが故にこれはダメ、これは邪食・・・ネバベキとシビアになっている。



先ず、毒は

生命力を落とすもの、内臓に負担をかけるもの、自律神経を緊張させるもの

血液を酸化させるもの、+電気を帯電させるもの なぜ治らなかったのか


肉体的には浄化(還元)作用の-電気を取り入れることが解毒、排毒になるので

無農薬無添加、酵素、発酵食品の摂取で改善する仕組みである。



しかし、

それらをふんだんに摂取し体に良い事を一生懸命しているのだが、(ネバベキで

残念だが、酸化は改善されず+電気帯電で体は硬く自律神経は緊張のままだ。


ジャンクフードを気にもせず、

やりたいことをエヘヘとやっている人の方が元気なのだ。


食べ物に原因があるのなら

-電気の豊富なものにすれば良くなる仕組みなのに、改善しない。


ということは

体を悪くしている毒は、他に有る!



心に溜まらせた毒だ


「毒」の字を観てみると、「主に母」と取れる。

この観点から「毒」を掘ってみよう。


あなたの母はあなたをコントロールしては来なかっただろうか。


あなたの為よ、これはダメ、こうしなさい、これにしなさい、

良い子にしてなさい、何でこんなことするの、ほらほら早くぅ、

まったくぅ、いつもこうなんだから・・・ネバベキ


お母さんの言う通りにしていれば間違いないのよ。

(それが一番の間違いなのだが・・・)

ご丁寧に、人生のレールまで敷いてくれる。


損得の駆け引きや恐怖の刷り込み(体罰)、

ネガティブなエネルギー(感情)を乗せあなたの名前を呼ぶ。


名前に潜在情報、命の情報が秘められているのに

それが否定され潰されては開花しようがないのである。




子供は天からの預かりものの認識であれば、

子供であっても一人の人格者として接しられ抑圧など有りえないのだが


どうも母親は自分のお腹から生んだので、子供は自分の分身で

何でも思うようになると無自覚だが持ってしまうようだ。



あるいは、その母も母からそのように刷り込まれ録音されており

それをそのまま、いや上乗せしてあなたに再生しているのである。


インネン=因音云と取れるように

どういう音を云ばれているかに因り、それが思考と感情のベースになり

その思考と感情が心であり、心の状態が空間に結果している。


一番身近は体であり、大きく言えば人生という空間に結果する。




子供にとって母親から愛情をもらえないことは死活問題であるので

正直な気持ちを封印し報いよう、イイ子でいなければと健気に頑張るのだ。


そうなると、行動行為は自身の正直は気持ちではなく

無自覚だが母や周りに受け入れられることが基準になっているだ。


自分自身が主人公ではなくなり

いつも母や周りを気にしている自分に気づいては来ないだろうか。


慢性緊張している事に無自覚なのは

物心つくころから抑圧されてきているので無理はない。




あなたの天真爛漫純粋無垢の本来の心を

門の中にしまい込みガチャンと鍵をかけてしまう→門+心=悶

モンモン・・・が大きくなるのは当然で、問題=悶大がわんさかだ。


そのモンモンが毒になり、体も心も酸化=惨禍を強めてしまう。

いくら抗酸化食しても難しいことが観えて来ないだろうか。



本来の心を門に閉じ込めているわけだが

それは自己分離・自己否定していことであり、

インナーチャイルドはその苦しみを体の緊張歪みとして訴えていて、

中心軸を詰まらせている。(アナハタでブロックしている)



自律神経は緊張し、エネルギーは高まりようがなく

ネバベキの音に支配された直線思考で、マ・ジ・メ。


そのマジメさが、ちょっとの事でも許せない

甘いのもを食べたからだ・・・とネバベキでがんじがらめ。


自分を責めるのだから、ウツになるのは無理もない事だ。


何が美味しいのか、何が楽しいのか嬉しいのかわからない→

知覚の麻痺で知識や情報に翻弄される。


失敗を恐れ、否定されることを恐れ自己防衛反応が強くなるのは当然で

アレルギーの深層原因である。アレルギー




心の解毒は玄米では無理なのだ。


なぜならば、肉体は地球が材料、心は宇宙を構成する光透波でできているので

次元が違い、追いつかない。




抑圧で心を門にしまい込んでいることが毒を作り続けていると解ってくる。


ではどうしたら解毒できるのか。


文字通り解毒すれば、主に母と解けたわけだ。


母とのしがらみを切ることが解毒になる。


「親切」は親を切ると書くが、

包丁で切っては大変なことになるので刃物では切らない。

(実際切ってしまった事件が多いが)



母→ロ÷

ロは母に因ってつくられたネバベキの固定観念の枠

その枠を÷(割る)ことが切ることになる。


それが呪縛・抑圧からの解放なのだ。


「割る」はネバベキにさよならし、いつも言っているイタワルこと。


「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでも深く自身をイタワル事で

その枠が粉々になり、解毒されていく。


親とのしがらみが切れてお出ましになるのが

「親切」という暖かく優しい想いで、自己否定の溶解である。


因縁の解消でもある。




D 問題とは何だろう

問題は悶大

悶(苦しいもだえ)が大きいと読み替えられ

悶→門心、心を門の中に押し込めている事が問題を生んでいると取れる。


その状態のままで「問題」を解消しようとしているのではないだろうか。

辛く苦しいから。



プロセスを掘ってみよう。

天真爛漫純粋無垢の心の本来性を持って地上に降ろされるが

何せ地上は有限=相対=差別がはびこっている世界である。


私もあなたも初めから「悶」になってはいないのだが

本来性と違う有限相対差別が生んでいるジャッジに巻き込まれていく。



ネバベキの音が支配するジャッジが嫉妬、怒り、恐怖、不安を醸し出し

心の本来性はどんどん押し込まれてしまうし

ジャッジされジャッジするネバベキの自分が台頭してくる。


本来性とのギャップが「悶」

本来性の感性が豊かであるほど悶が増えモンモン・・・悶大。


ギャップは合い入れない自分の方がおかしいのではないかと自責し

自己否定をまねくが、なかなか自覚できない。


(体は正直に緊張歪みとして現している)




地上の仕組みに本来性はいとも簡単に潰され辛い苦しい

本来の心をアナハタの奥底に押し込めて門を閉める(ガチャン)。


心を引きこもりらせては、引きこもりは当然だし、

潰されたが故に自己防衛で疑心暗鬼を強めてしまう。


出る時にはバリアを貼りオーラを頑張ってつくるので

土足でその中に入り込まれたらパニックだ。


   dansei-mae[1]


「悶」は

アナハタがブロックし生命ラインは滞り

リンクする自律神経は緊張せざるを得ずあらゆる病気不調をまねくし

生命ラインのコイルがつくるオーラは弱い。


さらにアナハタから下に降りないエネルギーが逆流し首を詰まらせ

脳の緊張圧迫は脳の機能低下で脳力=能力は上がらない。


頭でっかちと言うように、実際脳脊髄液滞留で頭が拡大している。


能力が上がれば問題は小さくなるのだが、その仕組みに気づけないので

問題を解決しようと思考が止まらず感情にロックされてしまうのである。





押し込めているほど「悶」が強いのだが

切ないことに、ネバベキに支配された自分の思考と感情が正義でいるので

現象や相手を問題し、

思考と感情に見合うようになることが問題の解消としているのだ。


それがうまくいくようにと占いや宗教スピリチュアル引き寄せに躍起するが

本当の問題は本来の心を閉じ込め、自分自身と戦っている事ではないだろうか。



本来の心は天真爛漫純粋無垢、しかしそれは荒い波動の地上では

繊細で弱く簡単に潰されてしまうので、門の中にしまい込むのは無理はない。


しかし、その本来性は宇宙と繋がっているので恐れなくていい。弱くていい




悶大になっている心を門から出してみよう。

ありゃりゃ「心が大」となり、自身の心が宇宙意識に拡大していくとわかる。


そうなりゃモンダイナイ!


悶が大きいほど解放された時は、ぐれんと反転し

私はIアイ空意(宇宙意識)、愛に溶け込まれていく。


そして、それに見合うコトバと行為を発揮し調和するWORLD(人生)が開かれていく。 

(ヨガの真髄ではないだろうか)


自己分離が無くなる=アナハタのブロック解除=生命ライン活性=

自律神経活性=コイルの整い=オーラの拡大だ


ネバベキの支配から脱却したそのオーラは清濁併せ呑む厚く温かく

ピュアだが薄く過敏な当初のものではない。


そして自己分離が無くなった脳は機能向上

小脳が司る潜在意識・能力は活性化し能力アップで問題は消滅し

脳の血管が通る首が走るで「道」になるようにMYWAYが開けてくる。




仕組みから言えば

問題は「私が私でない」ものを見せていると解る。

問題を解決しようとするのではなく、「私は私でありたい」とシフトすることだ。


そうなると

問題は、私という本来の心を「問うお題」を天から授かっている事と解るではないか。


お題を解けばいいのであるが

その答は「私=Iアイ空意=愛」

それは自分の中にあると解っていても思考では難しい。

なぜならば、その思考が問題を生んできたのだから。


(頭でっかちで思考や知識でがんじがらめになってきたことで解るでしょ?)



思考ではなく、音のエネルギーに云ばれると良い。

アナハタに向け

名前を愛おしく呼び、「私は私でありたい」「ソウカソウカ、無理なかった」

「モンダイナイ」の音波云することだ。


それによって奥底に押し込めた宇宙と繋がる本来の心がお出ましになってくる。



そこからの情報が「調和が連鎖する間に合っている世界」を開いてくれるのであり

計算と思惑で満ちた思考からは間に合わない。


どこまでも深く自身をイタワル事だ。




D 蛇と竜の違い

アダムとイブに神のように善悪を知るものになれるとそそのかし

智恵の実のリンゴを食べさせたのが、蛇。


それによって天と分断され地上天国は消えて行くのだが

それは、天直結のコトバから地上のコトバにすり替わったことである。


善悪がジャッジであり、蛇=邪通時(ジャッジ)。

蛇によって邪に通う時代が始まった。(地上のコトバの時代)



無限=絶対=全一の絶対肯定であり愛である天との分断だ。

ジャッジでネバベキの音に支配され、

自己の否定、過去の否定を生み「今茲」にあるパラダイスは遠のき

意識は有限=相対=差別に膠着する。


その結果、愛とは裏腹の嫉妬、怒り、恐れ、不安、差別の闇を生んでしまう。

闇=病みで、あらゆる病気の根底にある原因と解る。




クンダリーニを蛇で象徴する。

覚醒はクンダリーニの昇華であるが、蛇と竜からアプローチしたい。


生命エネルギーが蛇のままであることは

意識は愛とは裏腹な蛇=邪(ジャッジ)のままで、

赤鬼=激昂、青鬼=冷酷がのさばる波動の荒い状態と考えられる。鬼王神社




蛇が生命電磁場の松果体に昇華することが、竜になる事である。

巳帰る=ミカエル、一度堕落し復活した大天使ミカエルと言える。


どう言う事か音と文字で観てみよう。

竜リュウ=理由、コトワリに由る=理知力を手にするのが竜と取れる。


その理知力によって

赤鬼の激昂は生命力の情熱に、青鬼の冷酷が客観力の冷静=霊性に昇華融合する。


松果体(サハスラーラ)は赤と青が融合した紫であり、

命の開花であり意識は主観を客観する理知=霊性を手にし

再び天と繋がることである。


   23[1]



竜は手に玉を持っている。

玉とは、5次元=宇宙を構成する絶対電磁場であり

玉タマ霊で、霊性の獲得を意味するし、

昇華したとんでもない生命エネルギーと解る。


蛇は手が無く玉(理知力)をゲットできない状態でいるので

感情は赤鬼青鬼に支配されねっちっこいし、

エネルギーを昇華できないと下に行かざるを得ず性欲物欲に支配される。



ではどうしたら竜に昇華できるのか。

文字と音が教えてくれる。


竜→音L 音を開く(L)

天=宇宙の叡智・愛は光透波コトハである音で成立している。


音を開くことは天と繋がる事であるが

リュウ理由=コトワリ光透波理=絶対性理論に由って開かれる。


文字が音を止めているので字割によって音が開かれる。(字は宇宙エネルギーの結晶)

コトワリは言割なのである。


音に秘められている天=宇宙の叡智・愛を開くことが

5次元(絶対電磁場)=玉の獲得で霊性の開花となり

理知力を獲得し天と繋がる事になる。



自分という主観を客観する理知力が無ければ

ネバベキの主観に埋没したままで蛇でがんじがらめではないか。




D 私は私でありたい 2

体で観れば

私が私でない状態は自律神経緊張であり

自己否定・自己分離は、戦は単り+戈と書くように自分自身に戈を向けているわけで

それが炎症を生んでいると考えられる。


アトピー・アレルギー、糖尿も癌もウツもあらゆる症状に潜むのは炎症であり、

私が私でないほど、炎症=酸化=惨禍しやすい。


NHKスペシャル(10,29)でも慢性炎症が寿命を縮めるとあったが

一番深い原因は自己否定・自己分離=私が私でない事ではないだろうか。NHKスペシャル



炎症

炎→二つの火=エネルギー、症→疒+正

上の火は頭アタマ吾霊を、下の火は肉体のエネルギーを象徴し

両方のエネルギーが正状でなく病んでいると字は教えている。


生命力低下の根底原因であり、

精神と肉体の濁り=バイブレーションを下げているのである。


食事は大切であることは承知するが、

もっと深い所に病気=炎症の原因があることがわかってくるではないか。




「私は私でありたい」と分離が無くなることは

自律神経とリンクする「秘田ー中丹田-丹田」の生命ラインが整う事でもある。

(命は自律神経に働いているからね)


     dansei-mae[1]



自己分離・自己否定は

自律神経緊張で炎症を起こし生命ラインを詰まらせ

意識は激昂と反作用の冷酷(赤鬼・青鬼)の不安定に傾向する。


比較競争差別を余儀なくし、嫉妬・怒り・恐れ・不安・・・安らぎは遠のき

その行為は分離と否定に根を張ったもので

イイ人ぶりしようが、期待を持って徳を積もうが、お布施をはずもうが

カルマの増蓄になってしまうのではないだろうか。




「私は私でありたい」に気づくと

「炎」にシ詞(私の本質)が付いた状態になり

そのエネルギーはシ+炎=淡。


精妙さを増していく。


アワイ空和意で空=宇宙と和す意識、穏やかさが醸し出され、

行為は空和為で空と調和し、調和の連鎖が広がると字は教えている。


その気づきが比較競争を溶解し、MY WAYを開く。


MY WAYが「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ラインの整いであり

自律神経活性化=命の活性=個性の開花とリンクし

名前に秘められている命の情報の開示である。


肉体だけでなく霊的覚醒のDNAの封印が解かれるのではないかと思う。




MY WAYの要が

頭アタマ吾霊と体の接続部「首」である。


この接続が詰まっていたらMY WAYはできない。


具体的に言えば、

知識はあっても首でブロックされ

降ろす事ができないので自覚実感ができず

自己分離を感じるが故に自分探しの船出をするのである。


船出人は頭でっかちであり、知覚は閉ざされているので

受け売りや本の内容を自身の見解にしており、

それに無自覚でいるので思い込みか情報に翻弄され、MYWAYは閉ざされている。


さらに言い方を変えれば

自己分離・自己否定が強いほど首の詰りがあり、

肉体的には炎症を持ち病気と言わないまでも歪みと緊張で疲れやすく

精神的には比較競争で頭にきやすく感情に支配され不安定である。



私が私であるためのエネルギーをブロックしているのは

字通り首がネックになっている。


首が走る(首+辶)で

MY WAYという「道」が開かれると字は教えてくれ

道路がROAD(道)でLORD(主)に通じるのである。


(PCのフリーズ解消と同様に首の緊張緩和で通じやすくなり

フィジカルアプローチで加速し、体にスピリチュアルを見出せる。)



「私は私でありたい」願いが

冷静=霊性を高め炎症を鎮静化し、

肉体のバイブレーションも高周波になり透明化していくと思われる。


この観点から類推できることは

Iam what I am 私はI=愛そのものを自覚実感できたら

肉体は存在しなくなるのではないか。



アナハタに向け「私は私でありたい」と

そっとそーっと精妙に問いかけよう。


「道」が開けてくるはずだから。




D 私は私でありたい 1

「ソウカソウカ、無理なかった」イタワリの音波云が開くもの。


その音のエネルギーは過去の行程を肯定するので

どこまでも深くイタワリ続けることで「今」が近づいてくる。


「今」が近づいてくると

「私は私でありたかった」と気づくのである。



私が私でなかったことが、モンダイを生んでいたことが観えてくる。


私が私であったなら、どうであろう?

問題は存在しようがない。


問題は私が私ではないから存在し、自己分離の投影だと解ってくる。


それに気づけず、現象や相手が問題なのだと

自己分離した自身の思考と感情に見合うように

変えよう・引き寄せようと躍起しジャッジしている。



あるいは、

自分探しの船出をしてきたのも「私は私でありたい」からであるが

その船出は私の「今茲」にあるものを上へ先へと外に求めていて

あたかも水平線を求めているようではないか。



        imagesCAGPLW1O[1]




思考も含めてあらゆる行為の出所は「私は私でありたい」思いの反動からで

自己分離の穴埋めをしたいからだと気づく。



しかし反動に気づけていない行為は、

「私は私でありたい」がゆえに自己否定を強め、過去も今も否定したものである。


その行為がジャッジであり、カルマではないだろうか。





「私は私でありたい」 ではその私とは何か。

「私」は命=エネルギー=波動であり、肉体はそれを受け取っている入れ物である。


命が私であり、私は名前=音=波動なのである。(死んだら名前=波動の存在である)

命メ=名→タ+ロ、タ田=絶対電磁場 ロROで露。


名の音と字に命の絶対電磁場が露われていてる→

私が私たる命の情報がインプットされている。



「私は私である」には名にインプットされている情報の開示が要である。

(いわゆる姓名判断ではなく、音と文字に秘められている命そのものの情報で

天鏡図に照らすことで明らかにされる)



逆を言うと解りやすい。

名前にネガティブエネルギーを載せられ否定される程

自己否定・自己分離を強めるので「私」とかけ離れてしまう。


かけ離れている程、自分の名前が好きではない。名前が好きか嫌いか


生命力も個性も潰されネバベキの音にロックされた思考と感情が「私」と錯覚し

反動の行為となっていると観えては来ないだろうか。


自己分離が生む反動の行為がカルマといえるので

「私は私でありたい」と気づくことが解消の道を歩めるようになると思う。




帰港

水平線を求めた終わりのない船出を止めるには

名前を大切に愛おしく、どこまでも深く「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワル事だ。


港に帰って来れる。


港→ミナト御名答

天と子の精霊の御名において、自身の実名ミナに答があるのだから。


その港は、シ+巷

シ=詞(コトハ光透波)が生む愛が巷(ちまた)になっている。

私が私に戻るところである。



私はI=アイ愛そのもの

I am what Iam の自覚実感がモンダイを無くし

シノゴノわんさかな人生のノイズをクリアにする。



クリアにしたいのなら

「私は私でありたい」とアナハタに問いかけてみよう。

そっと、そ~っと精妙にやるのがコツである。



「私が私でありたい」ことは「あなたはあなたでありたい」

あなただけではない、花も木も動物も

生きとし生けるものがそうありたいと存在していることが観えてくる。


それを尊重しただ愛おしく思えてくるわけで

そこからの行為はジャッジやコントロールなど無縁である。




D 潜象の現象化は何を生むか

逆から観ると解りやすいと思う。

潜象界が潜象している状態は、不足感ではないだろうか。


不足感に飲み込まれたWORLDに生きているので

「今茲」を肯定できなくしている。


本当は「今茲」にあらゆるものを創造するエネルギーがあるし

それを命に授かっているのであるのだが。




不足感が満足を求めさせ、「今茲」にあるものを上へ先へと探し求めている。


不足感で病気になるし

あらゆる事に不足感を持ち、もっともっとで抑圧し計算と思惑にかられている。


そして、その自覚はなかなかできない。


満足を得る為にこんな自分ではダメだ、こうあらネバ・ベキと

自己否定しながら=「今茲」を否定しながら

あらゆる事に躍起しているのではないだろうか。



躍起を振り返ればHOWTOに、自己啓発に、宗教に、難行苦行に・・・

そしてあの本この本と知識を構築してきたのではないだろうか。


しかし、求めれば求めるほど得られない

まるでアリジゴクにはまっているようだ。



なぜならば、先のブログにアップしたように

②、 × +

「今茲」の知識は構築できても

潜象界を現象界のコトバで引き出そうとしているからである。


それでは現象されないので、

ネバベキのロックを強め=自己否定=今茲の否定をしながら

躍起する仕組みで、現象化されるのは生命力の減少化である。



病気は勿論であるが、この仕組みに気づけないでスピリチュアルに熱心の人に

ウツや癌が多いのもうなづけるのは

自己否定に無自覚で励んでいるので思い込んでいるだけで

生命力は残念ながら減少化しているからだ。




潜象界の現象化でまず実感してくるのは

シンクロ・タイムリーが増えてくることに思う。


欲しいと思ったこと、知りたいと思ったことなどが

絶妙なタイミングでもたらされる実感→シンクロ・タイムリーである。


シンクロ・タイムリーが私のコトバで言うと

調和が連鎖する間に合っている世界である。


引き寄せようとしなくても

ほらどうぞという感じで向こうからやってくるようにも感じる。



その実感が増えるほど、イヤでも嬉しい・有難い想いが湧き起ってくる。

それが本来の意識で、CONSCIOUS=感謝スではないだろうか。





なぜシンクロ・タイムリー=調和が連鎖する間に合っている世界がお出ましになるのか。


宇宙は光透波=C∞=絶対速度=絶対時間が支えているので

寸分の狂いなく=完璧にシンクロ・タイムリーで充満しているのであり

それを私達は命に授かっているのである。


無いものを獲得するのではない。

どこにいようがシンクロ・タイムリーの中にいるし

命としてプレゼントされているから、本来は引き寄せる必要がない事が解る。


現象界のコトバが創る意識が引き寄せようとするのではないだろうか。

アダムとイブは引き寄せようなど思いもよらなかったと想像する。




潜象の世界は黄泉の国

黄泉は四三、四+三の七次元であり、四=詞 三=実で言を司る光透波の実態である。


潜象界の現象化は見方を変えて言えば

「黄泉に帰る」ことなのである。


それにはヨミを変える=読み変え=ネバベキの概念を読み変えることである。

③、 × = +

潜象界に潜象界のコトバをかける=売りコトバを買わずに

「モンダイナイ、ソウカソウカ」のイタワリの音に変えることだ。


(モンダイナイで問題は無くなる仕組みだ。

問題はネバベキの音にロックされた思考と感情にあるのだから。)


それが地獄化されたこの世=現象界から甦ることになり

甦→更に生きる と書くように潜象の世界にも生きることになる。



現象界と潜象界の両方を生きる=両生類が新人類ではないだろうか。


両生類というとカエルが浮かぶ。変える=帰る。

大天使と繋がりミカエル=身変える、心身とも本来性である。

エネルギー的に言うと巳帰ル、巳はヘビ(クンダリーニ)の昇華である。



巳帰ル

個のレベルではクンダリーニ昇華で覚醒(潜象界にも生きる)であるが

人類レベルではアダムとイブに善悪を知らしめ

ジャッジをそそのかした蛇=邪の昇華と言えるのではないだろうか。


WOORLD→WORD+L

ヘビのそそのかしによる現象界に君臨するネバベキから

「愛と感謝、イタワリと許し」のコトバが開かれた世界で

パラダイスが再び開かれるのではないだろうか。




D 潜象界を現象化する(生命力、潜在意識の活性)

宇宙=真空を命に授かっている。

創造の源、叡智であり愛を。


アダムとイブの時代はそれに生きており地上天国であった。


現代も授かっている命は変わっていないのに

モンダイアリに根づき緊張し、地獄と言える真逆のWORLDに生きている。



創造の源、叡智であり愛、命が潜象してしまったことが

病気や不幸の原因であり、カルマを生む原因ではないだろうか。



仕組みから言えば、潜象界の現象化でそれらは溶解し、

叡智は調和が連鎖するエントロピー減少のフリーエネルギーを現象し

戦争の原因であるエネルギーの奪い合いは終焉し

高度な知性と愛に生き再び地上天国を迎えると思うのである。


健康で豊かで慈愛と安らぎに満ち、調和が連鎖する間に合っている世界だ。




さてそこで、なぜ潜象してしまったかを掘ってみると

いつからかと言えば、バベルの塔の崩壊ではないだろうか。


天直結のコトバから、地上のコトバにシフトしてしまったことであり

智恵の実のリンゴを食べ善悪を知ることになった。

それがジャッジの始まりではないだろうか。何がモンダイを作っているのか



潜象界の宇宙は光透波=詞、言を司るコトバの本質で

音が数に働き寸分の狂いない法則=叡智と

意味に働き「愛と感謝、イタワリと許し」で充満している。


アダムとイブの時代、バベル崩壊前はそのコトバと直結であった。



それ以後潜象してしまった命の世界をどうすれば現象化できるのか。


その為に宗教の教えや瞑想、難行苦行、様々なHOWTOで開こうとしてきたと思う。


しかし、それらを注意深く観てみると

潜象の現象化を「ネバベキ」でやっている事に気づかないだろうか。


「ネバベキ」はジャッジであり、

過去も今も否定し上へ先へ求める音のエネルギーである。


潜象界は「今茲」にあり、「愛と感謝、イタワリと許し」で充満し

ジャッジのかけらもない世界なのに・・・。




それをシンプルに数式が現す事に気づく。

-は潜象界、+は現象界と現象化、②の-は潜象のままを意味する。


①、 × + = +

②、 × +

③、 × = +


①、+(現象界)に+(現象界)のコトバをかけても、当然+現象界のまま。

  現状のWORLD路線である。


②、-(潜象界)を引き出そうとするが、+(ネバベキ=現象界のコトバ)で

  頑張ってやっているが残念ながら、-で潜象したままで現象化されず

  なんでなんだ、まだ足りない、こんな自分ではダメなのだ!


③、-(潜象界)を引き出すには、-(潜象界のコトバ)をかけることで+現象化する。

  潜象界のコトバは「モンダイナイ、愛と感謝、イタワリと許し」である。



仕組みがすごくわかるではないか。


なぜならば、潜象界は光透波が創り「愛と感謝、イタワリと許し」が実体であるから

それを現象化するにはその質をかければいいのである。


「場」があらゆる現象を創っているわけで、

コトバは光透場で究極の電磁場であり電磁波なのである。


しかし、潜象界がコトバの本質であり、コトバそのものの働きが理解されない為

②のように一生懸命ネバベキで前世からやってきているのではないだろうか。




当時も今も授かる命は違いが無く、

何一つ問題ない完璧を間脳の生命電磁場に絶えずプレゼントされているが

何かがそれを緊張させ出力を弱め潜象させているのである。


その何かとは「ネベ・ベキ」の現象界に君臨する音のエネルギーと考えられる。


その音のエネルギーは命の本来性とは違うため

当然脳は緊張し脳力=能力低下で

頭蓋骨も骨格も歪み生命力を弱め、潜在意識・能力を封印している。


その音にロックされている事に気づけず

「売りコトバに買いコトバの下からのコトバの使い方」をしながら

一生懸命②をやっているのではないだろうか。



あるいは、自律神経を緊張させている原因を解らずに、

薬に頼ったり、副作用を懸念し食べ物が薬と食生活にこだわるが

今の時代は極まっているのでそれだけでは難しい。


万病の妙薬は

クスリは空数理と取れ、潜象界を創る数理=エネルギーなのである。



× = +

売りコトバを買わず、イタワリとモンダイナイの音のエネルギーが

潜象界を現象化すると数式が教えている。




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Dプロフィール

桑原大治

Author:桑原大治
宇宙は光透波
無限分の1秒で無限大を回る絶対速度、命でありコトバの本質と解く小田野早秧先生に1984から御逝去の2001まで師事し光透波理と字割を元に、埼玉県川口市でカルナ治療院を開いています。

腰痛、膝痛、首痛、顎関節症、スポーツ障害、内臓疾患、ウツ、自律神経失調症
メンタルからもアプローチしながら対応します。
改善しにくい原因に、無自覚の自己否定、口呼吸、菌の影響があります。
MMSのアドバイスもします。

予約制、水曜・木曜休診

JR武蔵野線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)
東川口駅歩3分 

問い合わせ
kt99av@bma.biglobe.ne.jp

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