D 辛さをイタワル

絹の靴下を履き絹や麻をまとい、グッズを身につけ

還元電位の高い水や無農薬無添加食材を食し

備長炭や珪藻土を用いるなど

衣食住には浄化作用のマイナス電気に気を配る。


それらはもちろん大切であるが

物理次元を超える最も身近で究極の電気に気づけば素晴らしいではないか!


それがコトバだ。

コトバが電気でありエネルギーであることを理解したい。


ネバベキは+電気で緊張萎縮痛み酸化を生じ間に合わない世界を

イタワリは-電気で解放緩和還元を生じ間に合っている世界を醸し出す。


WORLD→WORD+L(開く意味)

世界(現象)はコトバが開いていると字が教えるように

コトバの使い方が心の在り方でそれが空間に結果している。




辛さは

電気的に言うと+電気であり

その原因はネバベキの音が根底にあり、

過去を否定しているので現状を認められない受け入れられない

自分をずーと否定し続けている+電気帯電現象である。


衣食住にいくら-電気に気を配っても

コトバを+電気に使っていては

健康と安らぎは片手落ちどころか追いつかないのである。



その辛さを

丸ごと「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワル事は

-電気を自家発電し放電することになる。


すると 幸 


ありゃりゃ、幸せになると字は教えている。

それも字形から観て上からも下からも「幸」なのである。


辛さを否定し幸せになろうとネバベキでいくら躍起しても

幸せを上へ先へ求め続けるため

衣食住に-電気をいくら配慮してもコトバを+電気に使っていては

今茲の幸せは永遠のいつかと解ってくる。



更に面白い事に

幸は辛がないと-を付けられず

辛があってこその幸で、

辛さを否定せず丸ごとイタワル事で幸せになれると解るではないか。


求めずとも幸せに転換できる材料はいっぱいある。


立ち上がれないほどの辛さであるほど

イタワリの-電気照射で幸せに大反転すると解ってくる。




スポンサーサイト

D 角度を変える

ものの見方考え方を様々な角度からできるほど良いが

抑圧が強い人ほどネバベキにロックされone-wayである。


凶→凵メ

壁にぶち当たればすぐへたばり落ち込むか

壊れないものを力ずくで壊そうとするので自滅する。


だから凶を恐れるのではないだろうか。


メ目が壁に塞がれ先が見えない状態が凶と取れるが

上が開いていることに気づきたい。


上を見れば開けるわけで、壁があったが故にでき

メ=命を開花するきっかけになると解る。


角度を変えれば、

凶こそ運気=命を開くチャンスになるのだが

one-wayの思考と感情では難しいので

壁にぶち当たらないように計算と思惑を発揮し

無自覚であるが萎縮しているのではないだろうか。


角度を変えることができれば

大凶が大吉に反転するビッグチャンスになるので恐れることはない。


(来院するクライアントさんは

病気や辛いことが有ったが故に反転でき

健康と安らぎ、間に合っている世界を開けるようになっていく。)




角度を角度を変えてみてみよう。

angle→angel

角度を変えることで天使がお出ましになることが解る。


ネバベキはone-wayで天使がお出ましにならず好転しないのである。


自分の思考と感情に固執しているのが

ネバベキとジャッジしone-wayでいることだから

角度を変えるには客観力が必要である。


イタワリとモンダイナイの音波云が

とっ捕まった思考と感情を客観するエネルギーであり

そして客観できた隙間に天使が降りてくるのである。



更に言えることは角度が覚度(覚醒の度合い)

イタワリと共に角度を広く変えるテクニックが

読みを変えることである。 一休さんのポーズと蝶形骨 2



その奥義が字割である。

字は宇宙エネルギーの結晶であり愛と真理が秘められているので

字を割ることで天使の親分がお出ましになる。


ものの見方考え方は天にリンクした全方向=善方向に広がっていく。




D 百合が象徴するエネルギー

なぜ治療院にいつも百合があるのかと聞かれた。

香りも良く好きな花であるが、どういう思いで生けているかをお話しした。


         imagesKEE5PO83.jpg



百合は六弁の構造で六芒星を象徴している。

            images[3]

六芒星

正三角形(△)と逆三角形(▽)の組み合わせで、
正三角形(△)は「能動原理」を、逆三角形(▽)は「受動原理」を現している。



エネルギーの動向であれば求心と遠心

陰陽、プラスとマイナス(+-=0)、火と水(火水=カミ)、
相対するエネルギーの象徴であり、
2つの正三角形(△と▽)が合体した六芒星は、
相対エネルギーの調和=絶対性原理=統一場を象徴する。


男性原理、女性原理の象徴でもある。  919fbf39[1]



百合→百に合う

百は完璧の意味であり、

百{一白 絶対の白とはこれ以上濁りの無い白=真空透明を現し

それに合うことは統一場を現している。


六弁

六ム=無(ゼロの世界)

無はンアイウエオの六音(永続音である母音)が弁じている。


音は波動=エネルギー=速度であるが

六音の持つ速度が、1/∞秒で∞(無限大)を回る絶対速度であり

今という瞬間に無限大を回ることは

止っているが動いていること。


止と動が相対しない→止=動の世界である。

それが統一場=絶対界=無を成立している。


その速度が光透波=コトハ=詞

言を司ると書くように、宇宙意識であり私達の命であるコトバの本質である。



無→ノ三llll灬と分けられ

ノ→先天能

三→無限3次元空間

llll→絶対4次元時間

灬→エネルギー


無とは

先天能(ハタラキ)である無限3次元空間と絶対4次元時間

が合体するエネルギー。

3+4の7次元であると文字から解る。


ンアイウエオの六音を基に

清音51、濁音20、反濁音5(パピプペポ)

計76音が宇宙に遍満している。


だから神道では神は76柱と解釈している。


その76音が宇宙意識=天意=愛を、数に働き真理という法則を成立している。


その76音を私達は命に授かっていて、命は音なのである。

そして個々の命に見合った名前(音)を授かり

名前に潜在情報(意識・能力)、命の情報がファイルされているので

愛おしく呼べば開き、名前を否定すれば潰すことになると解る。



人ヒト=一十、→0

人はゼロ=霊であり、統一場を授かる存在なのである。


統一場は

文字通りトウイツ=十一=0の場で

数=法則が微塵の狂いもなく管理するが故に

完璧に調和が連鎖している間に合っている世界であり

情感的に言えば愛と感謝イタワリと許しで充満している。



それが私の本来性であり、それとのギャップが

体では緊張歪み(病気や様々な症状)として

日常という空間では連鎖せず間に合わない現象

=問題として現れている。


別な表現をすれば教えてくれているわけで

症状にイタワリ照射すれば

あるいは問題にとっ捕まらずモンダイナイを音波云すれば

解消する仕組みである。

(問題は現象や相手ではなく、自身の思考と感情にあるのだから。)




百合→百に合うためには

ユリ=由理(コトハリに由る)

つまり自分を客観する理知力を育むことだと解る。


なぜならば

単り+戈=戦と書くように、

無自覚であろうがネバベキと自分自身と戦っていることは

感情(主観)に埋没しているので客観はできない。


「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワリができることは

感情から離れられているからで

→主観を客観できた隙間にエネルギーが降ろされ

間に合う情報がインスピレーションとしてPRESENTされる。



理知力が育まれる程

LILYリリー=理利、理(自然法則)を利用できることであり

私は本来性=ゼロに回帰し、和足しの存在になり

調和の連鎖のど真ん中にいるので間に合っている世界が広がり

好きな事楽しい事をやりながら

私を中心に動くのである。


なぜならば

無限の中ではどこに居ようが私が中心である。

しかし、「今茲」である統一場の知識をいくら構築しようが

自己否定していては届かない世界で


知識はあるが、間に合っている実感は薄く

体は緊張と歪みを持ったままではないかと思う。



この様な意味合いから

私は本来性のゼロに回帰する事をテーマにしている治療なので

百合を生けている。


私は大きい百合も小さい百合も好きだ (*^_^*)



D ソワカとソウカ

真言密教に携わっているクライアントさん。

自分をイタワルこととは全く気付かなかったと感激してくださった。


長年一生懸命携わってきたからこそ深く響かれたのだと思う。



その意義を掘ってみたい。


ダラニはソワカで終り、「成就あれ」が意味だと教えてくれた。



「ソウカソウカ、無理なかった」イタワリの音は

過去の行程を肯定するので「今」が充実し

過去の闇を加光し

凍結麻痺した自身の本来性を溶かし出すアタタカイ温度のエネルギー。


「成就あれ」だと未成就だが

ソウカは過去の肯定なので「成就」の現在完了進行形だと解ると思う。


なぜなら「成就」とは一切合切の肯定である。


ソウカのイタワリは過去に肯定のハンコを押し、それを深める音である。


誰もがオールミスをしてきた過去であるが故に

成就を願い浄化に励むと思う。


その一切合切を許し認める音のエネルギーがイタワリである。




クライアントさんは

成就を願い水をかぶりダラニを唱え様々行じてきたが

自身をイタワルことなくやっていた事に気づかれたのだ。



WORLD→WORD+Lと字は教えるように

コトバが意識を創り世界(空間)を結果している事を理解できると


「ソウカソウカ、無理なかった」のイタワリの音が

成就の現在完了進行形と響けると思う。



ウ→・ワ ウの中にワが入っているでしょ。

ソウカは同時にソワカなんですよ。


更に感激してくださった。



成就を願い一生懸命精進に励むが

願うが故にネバベキと

過去を否定し自分を否定してやっているのではないだろうか。


それに無自覚なのだ。


どこまでも深くイタワル意義がある。




D 心配

アダムとイブの時代を何かにつけて想像する。


天とも自然界とも全部に繋がっていて、

完璧に調和が連鎖する間に合っている世界、1th7(最初の楽園)だったと考える。


心配など起こりようがない。



しかし私達はお金の心配、病気の心配、仕事の心配、失う心配・・・

心配の大洪水で人生のベースとなっているのではないか。


当時も今も授かる命は変わっていないはず

全く何一つモンダイナイ=心配の必要がないのにだ。




先ず気づきたいことは、授かる命は当時と変わっていない事だ。


それに気づくと

心配は自分の思考が生んでいると解ってくる。


オがついた躾で不安と恐れを刷り込まれ、

反動で自己防衛を強くした思考である。


本来持っている調和が連鎖する情報や能力を引き出せず(educate)

ネバベキを押し付けられれば心配を生むのは当然である。


心配は委縮を生み、委縮は自律神経緊張を余儀なくし

本来の躾が生む美しい身から遠のいてしまう。


「あなたのことが心配、あなたのためよ」と子供にオのつく躾をするが

自分の中にある不安怖れをごまかしすり替えているのだ。



真実は心配ご無用。


あなたも子供も完璧を授かっているからね。



しかし、人類を家畜化し思うように支配したい闇の権力が

政治・経済・教育・医療・宗教・メディア・・あらゆる面から

不安と恐れを刷り込み心配させて

それにまんまと洗脳されているのである。


完璧に間に合っているものを授かっているのに

心配が醸し出すバーチャルの世界に封印されている。




バーチャルから脱却し調和が連鎖する間に合っている世界を開きたい!


その扉を開くエネルギーがコ・ト・バ。

コトバ=光透場 コトバは絶対の電磁場であり電磁波(コトハ)なのである。


WORLD→WORD+L と字は教えるように

コトバをどう開くかで世界が変わるのだから

「モンダイナイ」と音波云することだ。


そのエネルギーが問題=心配を無くしていく→問題は自身の思考にあるのだから。



afraid の心配から、心を配る心配に反転する。

アタタカイ心がアフレ井戸 \(^o^)/


27が象徴する2nd7=楽園が復活する時代が21世紀

革命の時と考える。




D 革命

イタワリはアストラルトリップ」の記事にコメントを頂いた。

イタワリは新しい生活の在り方であり、革命が響くと言う。


響いていただき嬉しい。 (*^_^*)



「革命」辞書には、

政治や経済の社会構造を根本的に覆す。

既成の価値や制度を根本的に変える。


歴史を振り返れば

宗教革命、産業革命、ロシア革命・・・様々革命をやってきており

その目的は人類の平和と安定にあると思うのだが

どの革命を観てもタタカイに終止符を打つ事ができず

いや、それどころか増幅してきているではないだろうか。


つまり、今までの革命はオールミスと言えると思う。





では、革命の本質を字はどう教えているか掘ってみたい。


革→あらためるという意味から

革命は「命をあらためる」ことと取れ

オールミスであったことは

命をあらためる事ができなかったのではないだろうか。



なぜならば

「命」そのものが解らなければあらためる事ができないからだ。



私達が授かっている命は

「はじめにコトバありき。コトバは神と共にあり。」と謳っている

宇宙を構成する音=光透波である。


命は音であり、音を命に授かっている。

だから個々の命は名前の音と文字に全部ファイルされている。名前は命


命はメの音を持ち、名もメと同音で命=名なのである。




命を解けば

命→A叩+解 アタタ+カイ。


アタタカイ世界が実態と解るが、

今迄の革命はネバベキとジャッジの世界から抜け出せなかったと解るではないか。


ジャッジは調和の連鎖を生むことはなく、

ムシロ旗に掲げる教義、イデオロギー、思想を唯一の正義とし

それで抑圧コントロールする事ではないか。


だからタタカイを無くそうと

様々な宗教、イデオロギーや思想をかざしてきたが

タタカイを増幅するばかりだったと思う。


命の持つアタタカイエネルギーを醸し出す事でこそできると考える。




命に宇宙の音を授かっているので

命の音を開くことは

意識は本来性の宇宙意識に同化し

愛と真理を具現化することになり

それが命をあらためるという革命になると思う。


命の音から開かれる愛と真理は

どんなイデオロギーも思想も宗教も全て網羅してしまうのである。


それがいつ開かれるかというと

革→廿一中 21世紀中と取れる。



revolution(革命)、動詞はrevolve

revolve→rev+love  revは回転を増す、より活発にすると取れ

ネバベキで抑圧コントロール、支配では真の革命にはならないと解り


愛をより活発にしそのエネルギーを増す事と取れ英語でもズバリである。




ではどうすれば命の音を開けるのか。


ファイルされている名前を愛おしく呼び、

「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでも深くイタワル事だ。


なぜなら、イタワリの音のエネルギーは

過去の行程を肯定し「今」を近づけ

過去の闇を加光し

凍結麻痺した自身の本来性を溶かし出すアタタカイ温度だから。



宇宙の質である「愛と感謝、イタワリと許し」を具現化し

私の本来性「和足し」に回帰するのである。



革命は自身をイタワル事から開かれると考える。


WORLDはWORD+Lなのだから。



D 躾

あなたはどんな躾をされてきたのだろう?

振り返ってみたい。


男の子なのだから、女の子なのだから、長男・長女、家系がこうだから・・・

こうあるベキネバの躾。


もっと勉強しなさい、イイ子でいなさい、そんなことしていてはダメになると

不安や恐怖の刷り込みと抑圧コントロールの躾。

場合によっては躾と称し体罰でだ。



はさみや壊れるものを幼児の手に届くところに置いときながら

いきなり「○○○ダメ、危ないでしょ!」

好奇心旺盛でなめたり触ったりは当たり前

それなら手に届くところに置かなければいいのにね・・・


緊迫した名前の否定がどの位緊張と萎縮を招くのか。



ちょっとの間違いや失敗で、

ほらお母さん(お父さん)の云うことを聞かないからこうなるのよ。

「だから言ったじゃないの」

云う通りにしていれば間違いないのよ。決まり文句である。



失敗や間違うことを許されず

一々指図されるので自分がやりたい事ができなくなるし、わからなくなる。

そして進路を決める時になって、何をやりたいのかと聞いてくる。


あるいはその進路さえも親が決めてしまう。

進路だけではなく結婚までもだ。



そのような躾を受けたあなたは

体の緊張と歪みが強く骨盤が寝て肩が閉じ首は縮まり猫背、


更に顎関節症ではないだろうか。     images7Z90PHY4.jpg




アナハタに自身の正直な気持ちを封印しているので

自律神経緊張でそのような姿勢も

あるいは長期のストレスで副腎疲労に陥り、

抗ストレスホルモンのコルチゾールで血糖値を上げてバランスを図る為

過食を余儀なくしぽっちゃり体型かも知れない。


それが極まれば拒食症にもなる。


そのような躾は、オがついた躾=押し付けだ。



押し付けられたら反発か萎縮ではないか。

だから気の強い子は家庭内暴力、イジメ、荒れるし

弱い子は引きこもり、喘息、過食、ウツ・・・


素直とは自分自身に正直であることなのに

それを封印し親や周りに従順になることが素直な子=イイ子だ。


どちらも生まれ持った天真爛漫純粋無垢が潰されてしまう。


あなたは初めからひねくれたいたのではなく、

押し付けという躾のなせるもので

受け継がれ先送りされてきた因縁でもある。


生まれ持った天真爛漫が

ネバベキの音にロックされ、ネバランドのお姫様王子様に君臨し

なれの果てが頑固じじぃくそばばぁで嫌われる。



今のあなたの体はどうだろう?

あるいはあなたの子供はどうだろう?

躾の現在完了進行形が現象しているのである。





「躾」という字を見てみよう。

美しい身と書くのだ。


姿勢で言えば重力と同調する中心軸でしなやかで力みが無い。

その中心軸の身体操作は、使うべき筋肉を使える合理的な動きだ。


        dansei-mae[1]


中心軸が「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ライン=自律神経=コイルと

リンクしている。


「美しい身」は自律神経活性=生命力アップでそれは個性の開花なのである。

それを別の角度で言うと

潜在能力の発揮であり比較競争に躍起することなくMYWAYを歩むことができる。


そしてコイルに電気が通ると磁界ができるように

その整ったコイルがつくる磁界がオーラで輝いている。


輝くオーラが個性の開花であり魅力である。


魅力は実力と読替えられるように、実力は忍耐努力で培うものではなく

個性の開花で発揮されると字は教えている。



美しい身となる躾をしたい。


それには押し付けるのではなく、

educateの語源はラテン語で「能力を引き出す」とあるように

内在しているものを引き出してあげることと考える。


あなたも子供もbeautiful body\(^o^)/




D ハタラク

「人に使われることが嬉しく思うのよ」とクライアントさんからメッセージを頂いた。


自己否定が無くなってきたからだと思う。


なぜならば、自己否定が強いと

自己主張が強く、されてきたように相手を抑圧コントロールしたい。


私はこんなに虐げられてきたのだから、優しくされるのは当然と

権利の主張と自己憐憫に埋没するのが常である。


そして、人を思うように使いたい、コントロールしたいし

恩着せがましく私がしてあげている、私のおかげなんだよと傲慢で

認められたい臭いがプンプンするのである。



ところが、自己否定が無くなると

エネルギーがドンジャラ増えるので「イイヨ、イイヨ」と相手を受け入れ

そのようにしてあげられる。

まるでヒヨドリの鳴き声ように「イイヨイイヨ」と口にできるのである。


傍(はた)を楽にすることが嬉しいのである。

それが「働く」意義に思う。




面白いと思うことは

西洋では働くことは、罰を受ける事である。

だから本来はやりたくない→時間が来ればすぐ止める・自分の持ち分はここまで。


日本は神に仕える事が働くこと→喜んでもらえるようにしたい・納得するまで。

働くことははたを楽にすることであり、喜びと思うのである。


仕事→イ=意、土=+-でゼロ、心をゼロにする事、

振幅激しい意識では難しく、自己否定を解消した意識が生む行為と解る。


workワーク=和供、調和を供なう事。

こういうスタンスで仕事ができる人ってイイヨね。




自己否定が無くなることは

私が私になる事=和足しの存在なのである。私って何?


それが神意に染まり調和の連鎖のど真ん中に存在し間に合っている世界の住人で

間に合っちゃっているものだから

嬉し楽しでイイヨイイヨなのである。


クライアントさんはどこにでもいるおばちゃんのふうで

神の僕なのだと感じたのである。


どこかの教祖のようにいかにもというアピールがないのが好きだ。



D 天が認めてくれている

親に認められたいが故に、自己否定を構築してきたのである。


自己否定は無自覚であるが体の緊張歪み=自律神経緊張に現れ

ウツや過食や依存・・・様々な病気、問題に潜む原因である。


だからそれを足掛かりにして

イタワリの音のエネルギーで緩める事で気づきがお出ましになってくる。

不安と恐れで自己防衛し

認められたい・愛されたい健気でか弱い自分がいる事を。



そして自己否定に陥った大きな原因は前回アップしたように

親からの抑圧であり、先祖から伝承されてきた因縁である。


親はその因縁を解消できなかったが故に

あなたに先送りしてのであり

あなたが自己否定を解消できることは

因縁の解消、先送りのストップのキャパがあることである。




プロセスとして

自己否定に気づくと

奥にしまい込んでいた認められたかった思いが表面に上がってくる。


こうして欲しかった、わかって欲しかった・・・

親に対する不満や我慢してきた事、怒りを籠らせていた休火山が突如噴火する。


いくら親にそれらを訴えてもなかなか受け止めてもらえず

親は相変わらず抑圧体制で

仕方なかった、あなたのためだったの言い訳やら

大人げない、止めなさいよと茶々を入れられる。



なぜならばあなたよりキャパが無かったが故に先送りしたわけで

親は変わらないのだ。


しかし、どこまでも深くイタワリ続けることで

親がそうであることが無理もない事であると解ってくる。


すると何がお出ましになるかというと

肉体の親を超越した命の親の存在が。



それが「天」である。

天→二人、父と母の二人が一体化した字で

父=時、母=空 

命の親は父であり母である天、実態は時間と空間で分離できないことを意味している。


天=真空透明をtrans-parent、超越した親とズバリに驚く!



自己否定が解消されることは

transparentと繋がる事になり、

様々に染まり濁った心がすきとおってくることであり(谷川俊太郎

「愛と感謝、イタワリと許し」の本来性に回帰していくことである。



どんな状態に陥っても一条の光が差し込み

天が認めてくれている、愛していてくれてる、計らってくれている実感で

安らぎと間に合っている世界が広がるのである。



その世界に根=音を張り広がることで護られ恵まれている実感が深まる。


こちらが気づかなくても護り恵んでいることも解ってくると

イヤでも感謝が湧き起るわけで、

イヤでも湧き起る事こそ本来性であるから

consciousを感謝スと読めるように意識の本来性は感謝スである。



親は有難いものだ、感謝せネバと無理して精神の背伸びをしないことだ。

それをやっているとネバベキにロックのままで浄化にならないように思う。


(親孝行に励んでいるあなた、注意深く掘ってみると

認められたい反動でやっているのかもしれない・・・)




親切は親を切る と書くが、

包丁を持ち出したらお縄頂戴なので包丁は使わない。


何を切るかと言えば親とのしがらみで

それが切れることで出る想いが親切ではないか。


しがらみがある内は自己否定に陥っているから。


(その度合いが自分の名前が好きか嫌いかに見い出せる。

自分の名前が好きか嫌いか



自身をイタワル事で切れるのである。

しかし、名刀正宗のようにスパッとは切れない、ジワリジワリだ。


しがらみを切ることが因縁解消でもあることが解ると思う。




イタワルことで

自己否定が溶けtransparentを実感できるようになり

感謝スがイヤでも湧き起るのだから

それまでくそばばぁ・くそじじぃと悪たれつくのも良いではないか。

その方が自身に正直である。


それさえも天は許し認めてくれているはずだ。




D 因縁の先送り

病気の原因は心因性と考える。

思考と感情が自律神経にダイレクトに影響するからだ。


病気だけでなく

WORLD→WORD+L(開く意味)と字は教えるように

コトバの使い方が思考と感情を創り

健康も対人関係も、更には人生という空間=WORLDを創っている。


つまり、今の自分は思考と感情の現れであり

どういうコトバを展開して来たかの現在完了進行形であるが

そのコトバの使い方は親からの刷り込みに大きく起因している。


因縁である。


因縁は因音云と取れるように、どういう音(コトバ)を云われてきたか、

親や先祖から伝承されてきた思考と感情と言える。


その思考と感情を生んでいる音が

全身くまなく巡る血に録音され続けるので、血筋となっているのである。

血→ノ+皿、ノは能(ハタラキ)

血はコトバの能(ハタラキ)を受け取る皿と取れるのである。


この血の浄化はコトバに因るもので玄米では追いつかないレベルなのである。



角度を変えて言えば

病気や問題の原因は自己否定を生んでいる思考と感情、

そのような音(コトバ)を録音され、

そのままを再生して来た因縁と言える。




親は先祖から伝承されてきた因縁をあなたに先送りしたのである。

つまり親は因縁解消ができなかった。


できなかったが故に伝承されてきたコトバの使い方で

あなたを抑圧コントロールしてきたが

自己否定に気づきイタワリができることは、

あなたが因縁解消のキャパがある事と言える。


あなたがイタワリができなければ同じように子孫に先送りし、

病気や問題、とんでもない事件や事故に見るように因縁は極まっていく。




もし親が因縁を解消していれば

あなたは自己否定に陥ることなく

健康と安らぎ、間に合っている世界が開かれるはずである。


自己否定に気づきイタワリができるあなたは

親より魂のレベルが高い事と言えるのではないか。



因縁は因音云であるので

売りコトバに買いコトバの下からの使い方は因縁のままであるから

買わずに音の本来性「愛と感謝、イタワリと許し」の上からの使い方で

録音の編集をすることが因縁解消と言えるのではないか。


そして意識は本来性に回帰していく。



自己否定は親に認められたいが故に陥っていたのであるが

他の誰でもない自分自身が否定している事に気づき

自身をどこまでも深くイタワリ照射することは

自己解放であり、あなたで先送りはストップし因縁の解消、

浄化になると考えらるのではないか。



WORLDはWORD+Lなのだから

音の本来性「愛と感謝、イタワリと許し」の音を開くことで

健康と安らぎ、調和が連鎖する間に合っている世界が開かれる。



「ソウカソウカ、無理なかった」

過去の行程を肯定し「今」を近づけ、過去の闇に光を加え、

アナハタの凍結麻痺を溶かすイタワリの音が

自己否定を解消し因縁の先送りをストップする。




D こころの色(谷川俊太郎)

クライアントさんから詩集をいただいた。

谷川さんの作品は「そうそう、そうなんだよね」と

共感するものがあり好きだ。

最初ににあったのが「こころの色」、味わってみたい。

     


  こころの色

                                            

私がなにを思ってきたか

それがいまの私をつくっている

あなたがなにを考えれきたか

それがいまのあなたそのもの   


世界ははみんなのこころで決まる

世界はみんなのこころで変わる


あかんぼうのこころは白紙

大きくなると色にそまる

私のこころはどんな色?

きれいな色にこころをそめたい


きれいな色ならきっと幸せ

すきとおっていればもっと幸せ


                                                                         

imagesJD6I15U9.jpg



まさにコトバの働きを解いている詩である。


現在完了進行形でどういうコトバを開いてきたか、その結果が今の私。


WORLDはWORD+L

一人一人の心はコトバでできており

人生=世界はコトバが開かれたものだ。


だから人生=世界はコトバの使い方を変えることで変わる。


売りコトバに買いコトバの下からの使い方とジャッジを止め

命の音でありコトバの本質の「愛と感謝、イタワリと許し」を使うことだ。




その色に染まったままの心で

つまり、今まで通りの下からのコトバの使い方を続けながら

運を良くしよう、問題を解決しよう、引き寄せようと

思考でシノゴノとやっている。


目先の事は達成することもあるが、

ジャッジが創ってきたバーチャルの世界(その色の世界)から脱却できず、

モンダイはなくならない。


その色のままなのである。





人種関係なく誰もが赤ちゃんの時は命の音を発声し、

天真爛漫純粋無垢だが

地上のコトバ=色に染まり、ネバベキとジャッジし濁ってしまうのである。


命の音であるコトバの本質は透明そのもの光透波なのだ。


透きとおるにはイタワルこと

調和が連鎖する間に合っている世界の全面幸福が醸し出されていく。


そして私が透明な私に回帰する。

私は和足しの存在だ。




D 私って何?

クライアントさんから「私って何?」と質問された。


あなたならどう答えるだろう?


大概は本や人の意見など培ってきた知識を自分の考えにして

「それはね、こうだよ」とやっているのではないだろうか。


人が為したものは

人+為=偽イツワリ=五割で半分は自分のものではないし

偽物ニセモノと取れるのが面白い。


それに対して

字割(文字から誘導される答)は人の教えではなく、

インスピレーションとして降ろされた自分自身への答で本物である。


なぜなら絶対速度(光透波)の真理の音を留めるものが字であり

字は宇宙エネルギーの結晶化なのである。




「私って何?」に響いた答

私は「和足し」

私は調和を足していく存在、調和の連鎖を醸し出していく存在と響く。


それを裏付けるように英語では、Iアイ空意=愛

私は空意=宇宙意識・愛と取れ、和足しと連動し奥行きを深めてくれる。



私が私であれば

和足し・愛であり、天と繋がることなので調和の連鎖で間に合っている。


計算と思惑にロックされた損得感情や不安も恐れもないし

在るのは無邪気なアタタカイ想いだけで

conscious=感謝スと読めるようにそれが本来の意識である。



私が私でないギャップが

あらゆる面で不足を感じさせ損得感情や不安と緊張を強め

無自覚であるが体は正直にそのギャップを緊張と歪みとして現し

自律神経緊張=病気を醸し出している。


在るのは不足感とタタカイで、戦は単+戈と書くように

自身に戈(ホコ)を向けた自己否定と本来性との分離(自己分離)である。



顕在意識ではわからないギャップを

有難い事に体は現してくれているので

自己解放の拠り所、手掛かりにできるのである。


(体にスピリチュアリティを見出す所以である。)




私は渡(ワタシ)

調和の渡し役であるが故に調和の連鎖のど真ん中に居るのであり

渡→シ+度、シの度(レベル)を現し

命度=明度の意識のレベルで、死んだらそのまま個々の冥土に投影される。


シは詞(言+司)=コトハ光透波、私

詞は言の司りと書くように、

「はじめにコトバあり、コトバは神と共にあり」でいうコトバの事であり

その実態が1/∞秒で無限大を回る絶対速度の波動=光透波コトハである。


そのエネルギーを命に授かっているのが私であり

私は神の分霊であると言えるのである。



そしてどのように「和足し」「渡し」するかが

一人一人の個性によっているが

その情報が名前にファイルされているのである。


だから私は○○○という名前=音=エネルギーの存在であり

名前に宇宙の叡智=情報=命、潜在情報・能力がファイルされている。


生きているうちは実感しにくいかも知れないが

死んだら名前だけの存在になり

名前=音=エネルギー=波動=霊とリンクすると解りやすいと思う。


名前が命の音なのである。


名前を否定することは

こんな自分ではダメ、もっとこうあらネバベキと自己否定だから

生きる力や個性は開かれようが無いし

潜在情報・能力は封印されたままなので

頭では答は自分自身の内にあると知識は構築していても

外に情報を求めているのである。


外の情報は人からの情報でありいくら知識を構築しても

天直結のインスピレーションとは違い

所詮五割であるため、翻弄されてがんじがらめに陥りやすい。




私が私であるには

名前を愛おしく呼び大切にすることと解ってくると思う。

そして「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでも深くイタワル事だ。


逆は名前を否定しネガティブなエネルギーをてんこ盛りにして

呼べば簡単にエネルギーを潰してしまう。



あなたは子供やパートーナーの名前にどのようなエネルギーをのせて

呼んできたのだろうか。


自分がどういうエネルギーで名前を呼ばれて来たかが投影し

否定されて呼ばれてきた人は

自己否定に陥りやすく相手の名前を否定して呼び

抑圧コントロールしやすく


愛おしく呼ばれてきた人は相手の名前を愛おしく呼べるわけで

相手を大切に思える。


因縁の片鱗である。




D 独り楽しむ(独楽)

独楽と書いてコマと読む。

英語ではTOP。

      2015-12-05_073707-336x286[1]


中心軸が整うほど回転速度を上げられ安定するコマ。

コマ遊びは回転速度が高いと相手を撥ねつける。



私達もコマと同様で

中心軸=「秘田ー中丹田ー丹田」が整うほど

生命エネルギー=回転速度が上がり安定する。


中心軸がコイルで

電流(生命エネルギー)の通りがよくなり

オーラが厚く輝きを増し、へんてこな霊や邪気を撥ねつける。


光でいえば、輝きを増すのでまぶしくて近寄れない。


      dansei-mae[1]


それは個性の開花であるから

人と比較競争はしないし、ジャッジも抑圧もせず

ただ「私は私でありたい」となると思う。


その観点は「あなたもあなたでありたい」

人だけでなく存在するあらゆるものが「そうありたい」ことを尊重できる。



ジャッジもコントロールもしないし、依存やごまかしもなく

そのままを認め受け入れられるのではないだろうか。


だから独り楽しめる境地に思う。


それは英語でTOPというように最高な状態でゴキゲンだ。




中の心=HEART→HEAR+T(無上の十=ト答)

自身の正直な気持ちを大事にすることで

中心軸である「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ラインが整い

無上の答が聞こえるようなると取れ、

アナハタの活性で本来のハートに回帰する。



「私は私でありたい」と個を確立すると全体に繋がる仕組みで

孤独を楽しめる境地は全てに繋がることになり

調和が連鎖する世界に根=音を張るからではないだろか。


「ソウカソウカ 無理なかった」とイタワリを深めると

自己否定は溶解し「私は私でありたい」というアイデンティティが

お出ましになり独楽と同時に

繋がっている実感が醸し出されていくと思う。



寂しさ、恐れ、不安や緊張よ さようなら!



D 2017、岩戸開きとイイスター

1月27日のセミナーで、

今年2017年のエネルギーを踏まえ岩戸開きの解説をした。


岩戸開きとは

岩→山ヤマ、ヤ屋=オク大空、マ間、山は大空間

石→イシ意思


「大空間の意思の戸が開く」事であるが

アマテラスが隠れたというより、リアルに音の働きから捉えれば

バベル崩壊で、人間が天直結の命の音=母音を閉ざしたため

大空間の意思と繋がらなくなったことと考えられる。

宇宙と繋がる命の音


それ以来地上天国が消え去り、今まさに混乱の極みを迎えている。




2017年のエネルギーを観れば

21世紀の17番目、アルファベットで捉えるとq、

qは16位のp(ニゴリから反転の意味を持つ音)を開いた字形である為

今までの流れからぐれんのキュウ(q)が出される。


そのお役目がトランプ大統領である。


15年2月の段階でイルミナティがヒラリーさんに決定済みであったが

昨年9月に奥の院のトップが覆したと聞いている。


ヒラリー大統領となれば、

イルミナティの思惑通りのNWOの実現で

人類は緩慢なる毒殺による人口削減と家畜化され

支配するイルミナティには天国だが、地上天国の扉は閉ざされてしまう。


トランプ氏はイルミナティ支配の流れを崩す政策を打ち出すため

世界中大混乱が高まっていく。


創成の為には破壊が必要で

ミロク=36=666謀殺で弥勒菩薩の働きとも考えられる。弥勒菩薩



諸外国は政治も経済もあらゆる事が

ユダヤ、イスラム、キリスト教など宗教が基になっているのである。


命の音の母音を閉ざした子音系言語では一神教が必然しており

タタカイを終わらせることができない。



生まれた時はお宮参り、お寺が経営する幼稚園でさえもクリスマス会をし

正月は初詣、結婚式はチャペルで、死んだらお寺・・・一神教ではありえない。


ユダヤもイスラムもキリスト教も何でも抱擁しまとめるキャパが日本にはある。

その結果日本が舵を取るようになると思われる。  ロックフェラー、ロスチャイルドを超える 「奥の院」がこれからは日本の時代だと決めた


なぜならば

絶対肯定の大空間の意思を創る命の音をストレートに言語にしているのが

日本語であるため、日本でないと開く事ができないからである。


(トランプ政策をぐれんの観点から捉えていると、

批判する側の正体や裏社会の色々なことが観えてくると思う。)



2017は具体的にキュウ(q)が出されるが角度を変えて観ると

アルファベット1位はA、7位はGで

GはC+Tの組み合せであるから

17=AG=ACT(動く)と取れる。


ACT=開く戸、まさに岩戸が開くアクトエネルギーが今年にある。




更にリンクすることは

AGは元素番号47の銀である。

銀は何を意味するか?


AG銀→艮+金、艮の金神


艮の金神は長~い間封印されてきた神=ハタラキで

まさに命の音そのものではないか!


艮の金神がぐれんと世直しする。



封印されていた艮の金神が動くことは、

音の仕組みから言えば命の音(母音)を握る日本の台頭と考えられる。


その音が大空間の意思=空意アイ=愛であり真理を創っているのだから

命の音を開くことが岩戸開きであり

人類誰もが授かる命の音の情報でなければ、地上天国は開かれようがない。



歴史を振り返れば、

どの宗教もイデオロギーも開くことはできないどころか

戦いの原因になって来たではないか。


命の音を閉ざしてしまったが故に

宗教が台頭しイデオロギーが構築され

お互いの正義をかざし戦ってきたのではないだろうか。




イイスター

地上天国の復活、ファーストセブンはアダムとイブの時代であるが

27の数で象徴されるセカンドセブンが21世紀である。


(27は9+10+8で九十八コトハ=光透波=詞が内在し、

命の音である母音がセカンドセブンの鍵である。)



地上天国の復活=世直し=ヨナ星=47星(日=時間+生)

47の時間=年に生じる。


イイスターは良(イイ)星(スター)で47を示唆し

47=銀→艮の金神と連動しているのである。


さらに今年のイイスターは4月16日で

16の原数は1+6=7 であるから47となっている。


4=詞コトハ、つまり命の音に誘われる

(十六夜をいざよいと読むように誘(イザ)が16の意味にある)


さらにEASTERを分ければ

EAST+ER、東の人(ER)となり

日本人が復活のカギを握っていることが言える。



2017は岩戸開き、艮の金神、弥勒菩薩(666謀殺)、EASTERと連動し

ACTのエネルギーが押し寄せている。



そのBIGWAVEに乗って行くには

「愛と感謝、イタワリと許し」の音を使う事と考える。


瞑想も祈りも大切であることは言うまでもないが

日常生活で売りコトバに買いコトバの下からのコトバの使い方をしていては

命の音は開かれようがないから。




D 恩返し

前回の「宇宙に繋がる命の音」からアプローチしたい。


恩→心因

心の因(起こり、原因)と書くように

恩オン=音で、音を命に授かるが故に私達は心を持つ。


命の音は

無限絶対エネルギーの光透波で宇宙意識を生んでいる音で

空の意(こころ)が、空意アイ=愛である。


現代は「心受」と書くが、本来は愛を「必受」と書くように、yjimage[1]

人は例外なく空意の音を命に必ず受けていることが解る。



心因となっている音は空意であるから

私達の本来の意識は、CONSCIOUSカンシャス=感謝スと取れるように

「愛と感謝、イタワリと許し」である。



そのかけがいない命の音を

妬み・やっかみ・誹謗中傷・抑圧・ジャッジ・自己否定・・・

ネバベキと比較競争差別に使ってきたのである。


一体いつからであろうか?

バベル崩壊からではないだろうか。

それまでは命の音である母音言語を共有し、全てに繋がり自然界との会話ができ

空意(愛)に根=音ざした世界であったと考える。



今もって音の本来性とかけ離れた使い方をず~と続けている事に気づきたい。


そのような使い方をしていては

健康で豊かで慈愛と安らぎに満ち間に合っている世界は開かれようがない。


WORLD→WORD+L(開く)と書くように

人類の歴史を振り返っても、あるいは自身の現状も

現在完了進行形でコトバをどのように使ってきたかの結果なのである。


恩を仇で返していては、報われようがないのだ。



恩を返せば報われる

ジャッジ・自己否定・抑圧・比較競争を生むネバベキの音の使い方に終止符を打ち

命の音の本来性である「愛と感謝、イタワリと許し」に

音を返すことが天に恩返しする事である。


報恩社会のマスターキーは命の音を開く、恩=音返しにあり

主一致音(すいっちおん)が報恩社会のswitch onと考える。

スイッチオン


意識は本来性の感謝ス(CONSCIOUS)だけであり

健康で豊かで慈愛と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界が

開かれてくると考える。


コトバの働きに気づかずに

報われようと計算と思惑をいくら発揮しても砂上の楼閣に思う。

タタカイの歴史が物語っているではないか。




D 宇宙と繋がる命の音

命に音を授かっている。


その音は宇宙を構成する光透波。

1/∞秒で無限大を回るエネルギー、止と動が相対しない止=動の絶対界を成立し

そのエネルギーの中に森羅万象が懐胎され育まれている。


「初めにコトバありき、コトバは神と共にあり、コトバは神であった」

そのコトバが光透波の76音種、母音である。


76種の音が言霊=宇宙大霊=愛であり、

音が数に働き真理という法則で森羅万象を寸分の狂いなく管理(完理)し

私達人間が命に授かる音である。




赤ちゃんは同じ発声

民族人種関係なく赤ちゃんの発声は同じである。

人間だものそんなの当り前と言われそうだが、当たり前がすごい事。


命に授かる(内在している)音をそのまま出しているのだ。


ただ歯や舌など生理的に未熟のため発音はそれに見合ったものだが

内在する音は母音である。


上記を踏まえて言うと

神=宇宙、そして森羅万象の自然界と繋がっているのだ。


しかし残念なことに、赤ちゃんは自分を自覚する意識がないので

繋がっている事を自覚できない。


(私もあなたも初めからひねくれてはいない、天真爛漫純粋無垢で全てに繋がっていたのだ)



授かる命の音は

神とも自然界とも共鳴する母音であり

バベル崩壊までは人類は母音言語一つでいたので

神人合一で調和の連鎖から逸脱することはなく

完璧に間に合っている世界であったと考えられる。


動物、植物、山、海、風・・・自然界のあらゆるものとも会話=繋がる事ができた。



母音は永続音であり宇宙の音=自然音であるから

風や波の音、鳥や虫の音、川のせせらぎ・・・自然音はホルマント構造で

母音も同じホルマントを持つ。


このことは

母音言語は自然音を言語として認識するため自然界との会話=繋がると考えられる。



角度を変えていえば、

命の音を開花しているので自己分離が無いからできることであり

それ故に

「私は神の分霊で、私は私でありあなたはそちらにいる私である。」

私はIアイ空意=愛である。

英語で取ればアイデアルIDEAL、理想そのものである。



戦争、政治経済、環境、貧困、病気、教育・・・あらゆる面で

極まった現代社会の根源は自己分離が招いている。


自己の本質と分離しているのだから、神とも自然界とも繋がらないし

あなたと私は分離を生むのは当然であるし

戦いは単り+戈と取れるように自分に鉾を向けていては

戦争は無くならない。


仕組みから言えば、あなたはそちらにいる私であるのだから

嫌なヤツは私の自己分離の投影といえ、その相手を憎み抑圧コントロールすることは

実は自己分離を強めていることが観えてくる。


つまり、命の音を閉ざしているが故に自己分離し

混迷と戦い、調和が連鎖しない間に合わない世界を生んでいると考える。




更に言えば

命の音を閉ざしていながら、どの宗教を持ち出そうが

民主主義共産主義だろうが、いかなるイデオロギーを振りかざしても

理想社会は開かれようがないのではないか。


閉ざしたが故に宗教やイデオロギーが台頭してきたのではないだろうか。



今必要なのは

人間が作ったイデオロギーなど外からの情報ではなく

誰もが内在している命の情報ではないか。


平和も外からの情報(イデオロギー)に求めれば

正義をかざしジャッジしジャッジされ戦いを無くそうと戦い続けて来たし

健康と安らぎ豊かさも外に求めれば

比較と競争、情報に翻弄されネバベキを強めて来たではないか。



人類は誰一人として例外無く命の音を授かる故に赤ちゃんは同じ発声なのだが

そのまま命の音が持つ情報を開けば

私はIアイ空意=愛である=IDEALとなり

宇宙=神とも自然界ともあなたとも繋がり

調和が連鎖する間に合っている世界が顕現すると考える。




岩戸開き

岩{山+石

山ヤマ、ヤ=屋オク大空 マ=間と取れ、「山は大空間」と取れ

石イシ=意思


岩は大空間の意思、その戸を開くことは

命の音を自身の中に開くことである。


アマテラスが岩戸に隠れたというが、リアルに音の働きから観れば

大空間の意思を生んでいる76音の命の音を人類が閉ざし

自己分離に陥った事と考えられる。


大空間の意思(神=天意)は隠れようにも隠れようが無いのだから。


岩戸開きは命に授かる音、76の命波音である母音を開くことであり

命の情報を開くことと考える。


つまり、どんなイデオロギーも太刀打ちできない愛に根=音を張り

エントロピーが減少するフリーエネルギーを使え

健康で豊かで慈愛と安らぎの間に合っている世界が開かれる。



その大空間の意思であり光透波の絶対エネルギーと真理である音を

ストレートに使っている言語が日本語である。

   生命の樹



ン、清音50、濁音20、パピプペポの反濁音5、計76音種で

日本語が仕組まれている。


50音図表は発声の順序と仕組みを生理的に整理したものであり

大空間の意思と真理がファイルされている。


(小田野先生が出された天鏡図で微に入り細に入り開く事ができる)


命の音の母音を言語にする日本語に理想社会の鍵があるのだ。



しかし、すごい能力を持つ日本語であっても

ネバベキとジャッジと自己否定し、

売りコトバに買いコトバの下からのコトバの使い方をしていては本領発揮はできない。


「愛と感謝、イタワリと許し」にコトバを使うことである。

それが岩戸開きと考える。




D 使命は氏名にあり

「私の使命はなんでしょうか?」と聞かれることある。


何で知りたいかと言えば

無邪気さを封印されて以来ずーと無自覚の自己否定に陥っていて

モヤモヤぐじゅぐじゅ、思考でがんじがらめ状態から脱却し始め

エネルギーが高まってきたからである。


そうなると内圧が高まりどこにエネルギー発揮すればいいのかとなってくる。


思考でがんじがらめ、モヤモヤぐじゅぐじゅそんなのもうイヤ。

抜け出したくなるのは当然である。



そこで気を付けたいことがある。

使命が解れば充実する、したいのであるが

自分の使命は何かと考えて見出そうとすることだ。


考えてもわからないので聞きたくなるのだと思う。


思考で見い出そうとすれば

今までの思考パターンに陥る危惧がある。



使命というと

社会的に大きな貢献や魂の救済などとたいそうなお役目の印象があるが

字を観ればわかるように

どう自分の命を使うかである。


自己否定は命をこうあらネバベキと自分を否定し戦いに使っている事である。


それでは大変なエネルギーの浪費で

その使い方がモヤモヤぐじゅぐじゅを生んできたのである。



自己否定に陥った原因

○○○、だめでしょ! 名前にネガティブエネルギーを載せられ

名前を否定され潰されたきたのだ。


名{タ+ロ、

タ=田 絶体電磁場を意味し、ロ=露

名メ=命 と取れるように

名前は宇宙を構成する絶対電磁場の露われ、命の情報がファイルされている。


(自分とは何かというと名前にある音=波動=エネルギーであり

死はそれが肉体から抜け出し名前=波動=エネルギーそのものの存在で

それを霊と言っている。

だから霊は車や飛行機は必要ないので呼べば来るし、

その波動に良いも悪いも同調もする=守護、憑依。)


名前を否定され潰されては命は活性しようがなく

個性は裏目に出るので自分を否定し変えようとする。オーラと個性


ファイルを開く事ができないから

命が充実するように使えないのは当然ではないか。


封印しているため、外からの情報に翻弄されて来たし

本能的に不快であるから思考で封印を開こう、修行で開こう・・・

ネバベキで開こうとしている。



自己否定とは名前を否定し潰しているので

命の情報ファイルは開きようがないではないか。


「自分を愛せばいい」とちまたで聞くが、

頭ではわかるけどそれができねぇんだよ。


思考では難しいのである。



ではどうしたら?


名前の秘密が解れば観えてくる。

アナハタに向け名前を大切に愛おしく呼ぶことだ。


ファイルが開くことは

内から閃き、インスピレーションとしてお出ましになり

その情報には迷いが無い。


それに素直に行動することでシンクロタイムリー、

間に合っている世界が広がり充実していく。


ファイルを封印しているので外からの情報に翻弄され

思考にとっ捕まりモヤモヤぐじゅぐじゅなのだ。



楽しい、嬉しい、気持ち良い、好き・・・自身の命が充実する使い方が

使命を果たす事であり

振り返った時に自身は勿論様々な人に社会に調和の連鎖を見出す。

(そのコツは損得感情を無くすこと)



始めから世の中を変えるんだとムシロ旗を振る事とは違うように思うし

抑圧の反動で振っているようにも思う。

なぜならば、ネバベキと振っているからである。



自身の名前は勿論だが、

子供の名前やパートナーや相手の名前、

あらゆるものの名前をどの位大切に愛おしく呼べるかが

自己否定・自己分離の溶解レベル=命度で

それが肉体を脱いだ時の冥土に投影すると考える。



「名前、それは燃える命」、キレのいいダンスでいってみよう!





D 酉+日+生=醒

2017、H29、酉年

数と字が内在する意味とエネルギーを掘ってみたい。



昨年2016は2+16=18、1+8=9

18は6+6+6で666が極まった年(9)


イルミナティの思惑が極まり反転すると読め、

それを裏付けるように奥の院の計画が出版された。

 

     61Pu3m25ibL[1]



今まで全くイルミナティ(ユダヤ)には口を出さなかったのだが

イルミナティのトップが創設時に奥の院と交わした約束を果たすべく

世界の秩序を整える為に動き出している。



中心となるのが縄文のDANを持つ日本人であり

魂の契りが結ばれるかのようにメンバーが構成されてきている。


そのDANとは争わない、調和をもたらすものであるが

私はその本質は宇宙の音をストレートに使う日本語に有ると考えている。

               

ミロクボサツ→666謀殺

弥勒菩薩のお力が動き出している。弥勒菩薩の字割

       



21世紀の17番目

アルファベット17位はq 16位のpが反転した字形である。


反転を意味するp(16)からぐれんと表が裏に返った形のq(17)で

合図のキュウが出ることだ。


また17は1=A、7=G{CT

AGはACTと取れ、まさにキュウと連動でACTの年と読めるし

表がひっくり返り「裏」が出て来るようになる。



ACTアクト=開く戸

岩戸開きとリンクするが

岩{山ヤマ=屋間、屋はオク=大空、山は大空間

石は意思で、

岩は「大空間の意思」、その戸が開くことである。


岩戸が開くことでエネルギーが降ろされ人類の覚醒になるのである。



それが酉でもリンクしている。

酉+日+生=醒

日=エネルギー(時間)であるから、今年の酉のエネルギーに生きる(同調する)

ことで醒サメルことが醸し出されると取れる。


H29

Hエイチ=叡智が軸(29ジク)となることで

岩戸開きのエネルギーに生き覚醒していくことであり

2+9=11=十一=0、トウイツ統一

ゼロの統一場=宇宙の叡智が軸になる事である。



この様は覚醒エネルギーがもたらされる年であるから

エネルギーに生きる=感応したい。


そのためにはフィジカルアプローチとして肩を開くことだ。



肩{月戸、肉体の戸 

と取れるように肩を閉ざした姿勢はアナハタが封印のままである。

肩を開く開くことで自律神経緊張緩和となりアナハタが開きやすく

エネルギーが入るからだ。


SHOULDER→SHOULD+ER=ネバベキの人

自己否定を生むネバベキが肩を閉ざす音のエネルギーなのである。


個々の岩戸開きは肩を開いた姿勢と

命の情報がファイルされている名前を大切にしイタワリを深める事である。


無自覚だろうがネバベキの自己否定のままで

「岩戸開きの時よね~」と受け売りだけでは開きようがないと思う。




D 願いとコトバのエネルギー

明確な願いがあれば実現の可能性が高く、逆に願い無くしては低い。


なぜ実現するかを掘ってみたい。

願いは実現の可能性を探し出す電波を出しているイメージを持つ。


電磁波を出して反射して来る方向にお目当てのものを見つける

レーダーの仕組みと同じように考える。



願いによって周波数は異なるが

電波をあらゆる方向に放射していて、

それに反射共鳴する方向や時間をキャッチし

無自覚だが(潜在意識で)そのタイミングに合うように行動している

と考えてみると面白い。


実現しやすい願いは

その電波に簡単に反射共鳴するものが多く

しにくいのは少ないと言えるが

電波の出力、周波数が高ければ時空を超えて反射共鳴を探し出せる。


前世から持ち越しているもの、あるいは未来からの情報と繋がる。




この観点から文字はどう教えているか観てみよう。

ネガイ→音が意・為

音が意識であり願いそのものを為す と解る。


つまり音が電波で間脳にある生命電磁場のアンテナから

願いを発信している。



意を成立する音は

光透波(コトハ)、1/∞秒で無限大を回る絶対電磁波であるから

時空を超越する出力なのである。



誰もが最高の出力と高周波の光透波を授かっているが、

実現がトロロイモなのは

何が出力を弱めているかに気づきたい。


同じ願い=想念=コトバを発信しても実現に差が出るのは

コトバに乗るエネルギーの差と考える。


キリストや空海や聖者の発するコトバ(想念=願い)は

即実現したと思われるからだ。


(この様なレベルでは発するコトバが光透場の磁場を生み

空間に充満するエネルギーと共鳴し、コトバが現象化すると考えられる。)



具体的に言えば

深いリラックス脳波を持つ人と恐れと不安がてんこ盛りの緊張脳波の人とでは

同じコトバ(想念)を発しても、出力が違う。


それが能力の差である。


ではその能力は脳波の違いで分かるように

脳の活性化が能力とリンクし、能力は脳力と言える。


緊張圧迫した脳のままでどう能力を高められようか?



では何が脳を緊張させているのか。

一言で言えば自律神経緊張状態であり、原因は自己否定にある。


そして、自己否定しているなど無自覚である。


無自覚どころか、つちかってきた知識に誤魔化され

自分は結構イケていると思っている人も多いように感じる。



自分を否定していては自身の命を否定しているので

脳の緊張圧迫は当然であり

想念=コトバの出力は高まりようがないのである。


その状態で大きい声で叫ぼうが強く念じようが

出力自体が弱いのである。



出力と同時に受信能力=感応力を高めたい。

微細な電波をキャッチできるほどタイミングを逃すことはないのだから。


自律神経の中枢の間脳が発信と受信のアンテナになっていて

間脳力が感応力とリンクしているのである。



セッションでは

緩むポジションをとりイタワリの音波云で自律神経緊張緩和と

知覚=感応力の活性化を図るのは、

コトバの出力を上げ願いの実現を加速する事でもある。


願いはどこから来るかと言えば、潜在意識が発信源であるから

自律神経緊張緩和=脳力=能力アップが潜在意識の活性化にリンクする。


自己否定・自己分離していては

潜在意識・能力の活性化は難しい事が解ると思う。



アダムとイブの時代は

自己否定・自己分離が無く光透波と超伝導状態と考えられ

即実現、願いと実現のタイムラグが出ない

願わずとも叶っていたのではないかと考える。


当然健康と安らぎと無邪気で

調和が連鎖する間に合っている世界、楽園に思う。




D 冬至(闇からの反転)

2016,12,21 

自然界のエネルギーがあらゆる現象を生んでいる。

そのエネルギーとは「時間」である。


今日は冬至「闇」の極まり、これを機に反転するように時間が働く。



今年の冬至が内在する数=エネルギーは

2016は21世紀の16番目=P(反転を意味する)

2016の原数は9(極まり)、

12は3、21も3、1221は



五十音図は

宇宙の仕組み、人類のプロセス、あらゆる仕組みが秘められているので

リンクさせてみよう。


6は6行目「ハヒフヘホ」。

清音から濁音バビブベボ、反濁音パピプペポと

三様に展開するミロクの行である。


人類の混濁がバビブベボ、混濁が極まり破裂反転がパピプペポを現す。


唇を閉ざし息を破裂するように出さないとパピプペポを発音できないように

社会構造もそうであろうし、

地球自体も地軸の転換の可能性もあるように

今までのものが閉ざされ極まった内圧でぐれんと反転すると考えられる。




パピプペポで反転し、7行マミムメモ=真実務命網が開かれる。


七=一L、絶体(一)が開かれた(L)行(おこない)

つまり、自然法則が開かれ調和が連鎖する行い(報恩社会)に反転していく。


今年の冬至を機にそのエネルギーが増々発揮されると音と数から取れる。




冬至は「闇」を象徴し

私達の意識を「闇」から反転するエネルギーの到来なので

サーフィンのようにその波に乗りたい。


エネルギーに乗るにはどうしたらよいか?


「闇」を文字はどう教えているか。

闇→門音

音を門の中に閉まいこんで、表に出せていない状態である。


その音は光透波(コトハ)、コトバの本質「愛と感謝、イタワリと許し」の実態である。


2次元では絶対の光

30万km/秒の地上の光は影を生むが、

光透波はこれ以上の明るさが無い「透明」を成立し、

影など存在しようがない光→光光露(ココロ)である。


3次元では

宇宙中温で仏教で言えば極楽浄土の温度=常春、

命の温度(基礎体温)となっている36℃(ミロクの温度)である。




「愛と感謝、イタワリと許し」の音を門にしまい込み

真逆のネバベキを表に出しっぱなしが「闇」の正体と解ってくる。


つまり

ネバベキのジャッジと自己否定が闇を生んでいるので

「愛と感謝、イタワリと許し」の音を表に出すことで

闇が無くなる仕組みであり

光と美に満ち調和の連鎖を醸し出すエネルギーなのである。

(間に合っている世界)



冬至がネバベキにさよならし、表に出しやすいエネルギーを運んできている。


それに乗ればサーフィンを楽しめるが

乗れなければ溺れてしまい、溺死するのはわけもなく

闇が病みなので、頭と体があっという間におかしくなる。


そういう時代=エネルギーが来ているのである。


16=pの反転と9の極まった今年がそれを現し

そしてもうすぐ、2017で7に入る。


2017=原数1、始まりである。




Dものとの対話(TALK)

治療室の花の生け方を褒められ(花びんに入れてるだけだが)

生け花を習っていたのかと聞かれるが、我流である。


意識したことはなかったが、何でだろうと思うと

花との対話に気づく。


どこから切って欲しい、どう生けて欲しい、どうしたらいい?と。



花の生け方だけでなく、料理もそうだ。

どう切って欲しい、どの位加熱や味付けすればいい・・・

レシピがあってのことだが対話してやっている。


振り返れば

治療では潜在意識(インナーチャイルド)との対話が

大切であることは言うまでもないが、

様々な所作を対話しながらやっていると思う。


(対話と言っても声に出しているのではない、頭の中でだ。

そうでないと頭おかしんじゃないのと思われる)


ものにも意識があるわけで

ものが十分に発揮でき喜んでくれるように対話しながらだと

アリガトウしやすく気持ちいい。


「気」を入れる、読むことにもリンクする。




対話なしの時もある。

どういう時だろう?


忙しい、あるいは目標にロックされている時に思う。

対話できない=自我を前面に出してやっている時だ。


そんな時はネバベキの音に支配されていて、

気持ち良くないし疲れやすい。



ものとの対話ができることは

忙しい=時間に追われるのではなく、時間を管理できる意識に思う。


目標を掲げたらネバベキに支配され、プロセスを無視しやすく

対話は難しいのではないか。




この事から解るのだが

病気を良くしたい・健康の為と食事療法、冷え取り、運動・・・

様々一生懸命励むが

自身の体と対話しているのだろうか。


目標が強いので0か100か、一か八か

思惑に見合った結果が大切でプロセスを無視しやすく

まだダメ、足りない、もっとこうあらネバベキで励んでいる。



その結果

思うようにできない、ならないで落ち込むか

増々躍起し外に情報を求めて止まない。


何でそうなったのかの気づきも出ないので、根底の原因が解消されにくい。


良くなりたいが故に知識に頼り、自身の体の声を聞く耳は塞がれている。


体との対話ができたら良くなるのに・・・




目標など設定しない方が良いのだ。


自身と対話すらできないのだから(ん~、すらというより一番難しいのかも)

ものとの対話回路は開かれない。


時間に追われプロセスを無視であり、

なんといってもネバベキの思考で自我を前面に出しっぱなしでいる。


目標設定は自分で何とかしようとするので、流れにお任せなど怖くてできない。


流れに逆らい無駄な抵抗をしていては

余剰エネルギーは枯渇の一途で頭も体もおかしくなり、

増えるのは不安と緊張で

答は自分の中にある、神の分霊と頭でわかっていても

救いを外に求めることになる。


無駄な抵抗はよせ!で I surrender 愛サレンダーなのだが。



全面降伏が全面幸福を醸し出し、ものとの対話を育み

あらゆる事と繋がる回路が開かれるのではないか。


裏からの見方考え方ができる事であり、

させられている受身の自覚とさせている側を知る事にリンクする。




対話回路を育む

どこまでも深く自身をイタワルことだ。

「ソウカソウカ、無理なかった」


イタワリの音波云は過去の行程を肯定し今を近づけるエネルギーであり

イタワルことによって

体の声、インナーチャイルドの声が聞こえるようになり

同時にものとの対話が醸し出されていく。


5次元と繋がるインナーチャイルドからの情報を得る事であり

ものがどうすればいいかと教えてくれるので気持ち良いのである。



TALKトーク、解く・答求・得

自身との対話、あらゆるものとの対話で

解く事ができ、答を求め、得る事ができると字は教えている。


対話が大和で調和の連鎖を生むと解る。


ものとの対話が同時に自我をフェードアウトするので

自我の終焉の為と瞑想に躍起せずとも

日常生活を通してできると考える。


趣味スタンスでやれる瞑想の方がかえっていいように思う。


ものとの対話、やってみなハレ




D 裏からの見方考え方をしたい

扇風機の羽は表からは時計回り、

後ろから見ると反時計回りに動いている。


見方によって羽の動きは表と裏では逆である。



扇風機の羽で解るように

動きや現象を裏からとらえられると

表とは逆というか全く別のものの見方考え方ができる。



大概は表の世界に限定したものの見方考え方をしていないだろうか。


表社会を牛耳る裏社会、政治経済の裏、人の思考と感情の裏・・・

裏が解らないと現象に翻弄され流されやすく、

きつく言えば洗脳・コントロールされる事だ。



   無題


字が示すように、裏の中に表があるわけで

裏が解れば表が解り、裏知=理知を持つ事ができるので翻弄などされない。




心をウラとも読むことに日本語の緻密で奥行きの深さを感じる。


相手を大切に思い心からの行為をオモテナシというが

まさに表無し、裏=心に徹した駆け引きなしが表に出る事に思う。



そのような事ができる人は

扇風機の動きを両方向から観れるセンスと言え

表(現象)を観て裏(原因)を認識できるのは当然と言える。


顔を見て裏を読む

人の顔を表、心を裏というのも面白い。



また、裏をリとも読む、リ=理。

自然の摂理に沿った見方考え方ができるので

些細な事でも不自然な事には敏感でありセンスの良さが光る。


表だけにとらわれた見方考え方は裏が解らず

かたよる(形寄る→物・現象に囚われる)ため

本質がわかりにくく翻弄されてしまう。



翻弄を前回のテーマからいえば

させられている自分を客観できないことだ。


させている側、つまり自分を存在させている裏(潜象界)がわからないので

自身の思考と感情にとっ捕まったままなのだ。


表(現象界)に囚われ続けることになる。




D 弥勒菩薩の字割

末世に下生され衆生救済といわれるが、文字にはどう秘められているのだろう。


弥→ますます、いよいよ

勒→革(命)力


革命=① 支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って,

    政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革。
   ② 既成の制度や価値を根本的に変革すること。


革→廿一(21)+中

勒は21世紀中に起きる力と取れる。


ボサツ→忙殺、謀殺 と読み替えできる。




救世主が現れてポーンと変革するというより、

自然界のエネルギーの変化に合わせ政治経済の社会構造が行き詰まり

反転していくイメージを受け取る。


10年ひと昔は死語となり、年々時間が早く感じるのは

ますます(弥)革命の力(勒)が強まり

社会の動きが凄まじく忙殺しているからではないか。




それを裏付けるように奥の院の話では

アメリカ大統領選は15年2月の段階でユダヤがヒラリーに決定済みであったが

覆して9月にトランプに変更したという。


トランプ政策によって

今までの体制を牛耳っていたユダヤ権力が衰退に向かうようだ。


その観点からいうと

ミロクボサツ→666謀殺と取れ、

ユダヤに代わり日本が世界をリードしていくことが観えてくる。




なぜならば、人類はタタカイの歴史であるが

日本がタタカイに終止符を打つ能力を持つからである。


なぜタタカイが起こるかというと「ア」が解らなかったからだ。


「ア=空」、全て空によって生かされていることが解らず

自分の力で勝ち取るのだと躍起してきたからで

アが付けばアタタカイになり、その社会が弥勒下生ではないだろうか。


空=天直結の音を言語とする日本人には

争わない縄文のDNAがあり、それが開示されていくと考える。




釈迦入滅後五六七千万年に下生

日月神示では、五六七をミロクと読むが

原数は5+6+7=18、1+8=9


アルファベット18位=R、9=i

Riリ=理(コトワリ)


五六七の数が秘める弥勒下生の意味は、

理コトワリの時代の到来と取れ

それが21世紀中。



革命とは不合理で高まった圧の爆発と言え

不合理が極まったのが末世であり、

衆生は理に合う(合理)→自然法則に則ることで救済される。


政治経済の根底にあるユダヤが牛耳るエネルギー問題は

フリーエネルギーに代わり、

戦争ビジネスから環境ビジネスにすることで

破壊から調和をもたらすビジネスに変えらるのではないか。


マネーが支配してきた恐怖から解放されることで、

自律神経の無自覚の緊張が緩和され環境浄化と共に自然治癒力は高まる。




空である理(自然法則)がわからないから混乱社会が極まってきたのであるが

理はコトワリ→言を割ルことで明らかにされる。


それが「字割」である。



なぜなら宇宙は音で成立し、

音が意味にハタラキ空意=愛に

数にハタラキ真理=法則、合理そのものを生んでいる。


1/∞秒で無限大を回る速度が光透波で

今という瞬間に無限大を回って来るので、動いているが止まっている速度で

仏教では如去如来と如来様のお力である。


その音が宇宙エネルギー、愛であり合理そのものであり

自我の奥にある純粋意識を生むコトバの本質である。


字は音をとどめる唯一のもので字に理(コトハリ)が秘めらていて

字割は瞑想など主観でしか掴めなかった潜象界を

目の当たりに掴むことができる術で止観の奥義と言われる。





天の音を使う言語が日本語

日本語の音(母音)、ヒフミヨイムナヤコトの数読み、

漢字カナ交じり(表意字+表音字の二本立て)の使い方に

理(コトハリ)を開く能力を秘め、天を開く完字になっている。



日本語がこのような能力を持つので

争わない、あらゆるものに命があり、生かされ計らわれている意識が根底にある。


人類史上武力無しで統治できたのは縄文の時代、卑弥呼だけではないだろうか。

天直結の言霊で統治できていたと考えられる。



一神教を生んでいる子音言語の民族では音の仕組み上

争を生んでしまいやすいが

光透波コトハ=詞(言を司る音の本来性)にストレートの日本語であれば

争にシ(詞)を付け、シ+争=浄とできる。


天直結の音を使うことで争い意識はフェイドアウトするから

世界中で日本語が第二言語となれば面白いと思う。


文化、伝統、武道、アニメ・・・日本に興味を持つ人が増加しているが

その究極は日本語の音の作用があると考える。



音=コトバが意識を生んでいるので

その仕組みからいえば弥勒の世には日本、

更に言えば日本語の能力が発揮されると考えられる。




D 感動と脳

ブログに感動したとコメントをいただき、嬉しくなり

感動の仕組みを掘ってみたくなった。


感動とは感応が生むエネルギー。


エネルギーが高まるのは感応を担う間脳が活性化しているからだ。

間脳は生命電磁場を受け取っているマグネットポイント=自律神経の中枢である。


自律神経の緊張が強いことは

脳の緊張圧迫があり間脳力=感応力が弱く感動しにくいのである。




感応力が間脳力

感動が増えるほど間脳の活性化であり、

生命力が高まる仕組みになっていて

病気回復や個性を発揮できる仕事や間に合っている空間を広げるには

「ワクワク」する感動が大切なことと解る。



しかし、ちまたのワクワクアピールも頭ではわかるが

ワクワクが見つからない、何にワクワクするかわからないのだ。


わかっているさ、ワクワクしたい、でもできねぇんだよ。


それでも、マジメだから無理してワクワクしようと励んだり、

妙にハイテンションに振る舞ったり

これがワクワクだと思い込んで躍起しているので、

長くは続かず

精神の背伸びというか疲れてしまい、ワクワクできない自分に落ち込む。


残念だが、考えても解らない、

感応するからワクワクするからだ。




なぜ感動が少ないのか。

ネバベキのマジメだからではないか。

抑圧を強く受けてきたからではないか。


自身の思考と感情が正義でジャッジし自己防衛に明け暮れ、

角度を変えれば自己否定でいるからだ。


そしてそれに無自覚でいる。


脳に緊張圧迫があり、頭蓋骨の歪みや脳脊髄液滞留で

頭が大きくなっている状態でもある。



その枠の中に入るものにしかワクワクできないので

ジャッジ・自己否定で枠が狭いほどワクワクが少なく、

ネバベキの解放に比例し枠が広がり

文字通りワクワクが増えると解る。



早い話が枠を無くしてしまえばいいのだ。

字でいえば、囚の枠=固定観念を無くしただの人になることだ。


感動のコツ、トラワレを無くすにはイタワレなのである。




無自覚であるが、

自己否定の息苦しさの反動でスピリチュアルに入れ込んでいて

無邪気さを潰された思考と感情でワクワクしようとしても難しい。


ワクワクできるのは

自己否定で高まった内圧の解放でやるSEXや過食やイジメや

依存やひどければ社会的破壊行動で、命の活性には程遠い。


でも解放しなければ内圧が高まり分裂するので無理もなく

(分裂した人も多くなっているが)

こちらのワクワクはやめられず

自己否定の反動に気づけないでスピリチュアルやっている人に

清く正しく美しくを求めながら隠しているがスケベが多いことがうなづける。



エネルギー的にいうと

クンダリーニを松果体(間脳)に昇華しようとしても

自己否定でアナハタが塞がれているので

そこから上げる事が出来ず内圧は高まる。


上にも下にも動けずその内圧がひどくなった状態がクンダリーニ症候・禅病ではないか。


そこまでストイックにならない場合

下から出すのが一番簡単なこと、SEXで解放したくなる。


アナハタのブロックは

官能に感応しやすいエネルギー状態であるから

昔からスピリチュアルには性的なものを排除するのはこの為だと考えるが

仕組みからいえば

アナハタをブロックする自己否定を溶かせば昇華しやすいと考える。


(一休さんはその辺を喝破していて好きだし

アナハタは解放でアガペーに、封印でエロスに動くように思う。)



しかし、幽体離脱や超越体験があれば話は早いが

如何せん自己否定していることに気づけないでいるのだ。


それらの体験は自己否定の解放で醸し出されるのだが

自己否定の解放を自己否定しながらでやっているので難しいわけだ。




そのスタンスは体験によって自己解放を図っているため

体験を求めるが故に「こんなんじゃダメ、まだ足りない、もっと高まらネバ」と

自己否定しているので

アナハタは解放されず内圧が高まるパラドックスなのである。


その瞑想はクンダリーニ症候という自己分裂を生む迷想の危惧が付きまとう。




コトバ=音のハタラキが理解できると

体験を待たずともイタワリの音波云と名前をマントラにした命想で

アナハタの凍結麻痺は溶解し自己否定はフェイドアウトする。


クローズアップが無邪気さの回復とミラーニューロンの活性化である。



クンダリーニは松果体に昇華し間脳力=感応力が高まり

日常の当たり前に感動が湧き起るし

シンクロタイムリーもドンジャラで

暗く投げやりの日々がワンダーランドに変わっていく。



同時に自律神経活性化で生命力・免疫力・個性の開花・

閃き直観(田心)が高まり、

健康と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界を醸し出していく。



感動は自己否定の溶解と比例し

脳力=能力を高め、エネルギーを高めてくれる。



123 ヒフミ(皮膚身)、体のスピリチュアルの日。



D 「君の名は」とPRE+SENT

映画では組みひもを時間と縁(結び)の象徴にしていた。

時間の本性と名前の関係から

なぜタイムスリップや異次元融合ができるのか掘ってみたい。



前提宇宙から現宇宙のビッグバーン
求心エネルギーが極まり、極小にまで圧縮された中心点は
限界に達し爆発反転する。

求心の極は遠心の極で反転するため
極小の中心点は無限の遠心エネルギーに加速され
1/∞秒で無限大を回ってくる絶対速度(光透波)が成立した。

極小が絶対速度で動き無限大を構成している。小=大
点が転じて展開し天を成立した。(点→転→展→天)

1/∞秒が「今」という瞬間である。
その速度は無限空間のどこにいても「今」を同時に存在させている。
(タイムラグが無いため無限=全一の絶対界)


イメージは
映画のフィルムでは1秒間に数コマの情報が入っていて、その連続を見ているが

1/∞秒に無限数のコマが入っているフィルムの上映だ。

 

イメージすると体が爆発しそうになる。

 

1/∞秒で無限大を創造する「今」に過去も未来も存在し

「今」という一瞬に永遠があると解る。


上から降りてくる感覚を持つが、

未来から情報を受け取ることもできる仕組みであり

あらゆる時間、パラレルワールドが「今」の中に同時にあるから

タイムスリップ、異次元融合が可能である。

 

「今」を生んでいる絶対速度(光透波)が時の本性であり、時が命であり意識である。

だから意識でそれらが可能であるが、

意識を変性させる必要がある。

 

そのために呪術が必要であったわけだが、
映画では瀧君が口噛みの酒で変性しアクセスできたと思える。

みつはちゃんの酵素が発酵させたものであり
お神酒に情報があるわけで
滝君はそれを飲むことで感応しみつはちゃんと繋がる変性意識にシフトできる。

(霊能者が情報を読むことも意識を変性し
場や物に残留するエネルギーに感応するからと思える。

みつはちゃんは祖母・母と続く家系の影響が強いような印象を持つが
命の働きであるから本来誰にも備わっているはずで
感応力を高めれば可能であり、
感応力が間脳力なので先ずは脳の血流を上げる事が大切で
血管が通る首の緊張緩和がフィジカルアプローチになる。)



 変性のコツ

脳の血流アップ、自律神経緊張緩和と同時に
儀式や薬草の類を用いずとも変性できるようになるコツが、イタワリと考える。

「ソウカソウカ、無理なかった」、イタワリの音は
過去を肯定するエネルギーであり過去を加光し過去の闇を照らし
自己否定・分離を溶かすので命の開花=純粋意識を深め
「今」を近づけるからだ。

 

そして、名前に命の情報がファイルされているので
マントラにして大事に愛おしく一番詰まっているアナハタに向け呼びたい。(命想)

「今」という瞬間に全てがあり
名前は「今」を成立するエネルギーの音でつけられているわけで
名前に命に係わるあらゆる情報がファイルされている。

 
闇で解らなかった過去を照らすことは
潜在意識(情報)・能力を開示することになり
それらの活性化と共に

出会い、携わり、男女の性別・・・

現在の状況=必然性の理解というか意味、意義がわかってくる。

 

 

さらに参りました、全面降伏=I SURRENDERなことは

「現在」はPRESENT→PRE+SENT、あらかじめ送ってあるぞよ!

現在の状況を成立させている情報は、PRE+SENTされていて
一体いつ送られていたかというと

「今」が成立した現宇宙の誕生時のビッグバーン。

 

その時に全宇宙のあらゆることが完璧にプログラムされている。

ちょうど、遺伝子が時と条件で開示されるような感じであろうか。

 

 

この仕組みが映画の組みひもに見出せる。

無数の色合いのひも(細かく糸で撚られている)がスパイラルで縦に上がり

絡み合ってその交点で結び=産霊していく。


そのプログラムが現宇宙誕生の瞬間にPRE+SENTされ
順序良く組み合わされ編まれていて
どの時点での現在もそれによってプレゼントされている。

時を経て何度も繰り返し無数のひもの絡み合いで
様々な模様(空間、出会い)を織成していき

前世も前々々々々・・・世と生命の誕生以来結びがあったし
これからもあるわけだ。



名前が命

魂に付けられた音、それは波動=エネルギー、

それに感応することは情報が開かれ共振共鳴が起きる、それが結魂ではないか。

結婚、昏(タソガレ)た女との結びとは違い

お懐かしゅうございます、やっと会えたね!と霊的な深い結び=産霊である。


出会いの中に愛があり、振り返れば多生の縁である。


多生の縁の背景がイタワリと名前をマントラの命想で見えやすくなる。




D 毒は主に母

排毒すれば病気は良くなると、食事療法や冷え取りにいそしみ

無農薬無添加は勿論、衣食住あらゆる事で改善を図る。


そこそこ改善はするのだが、思わしくはない。


良くなりたいが故にこれはダメ、これは邪食・・・ネバベキとシビアになっている。



先ず、毒は

生命力を落とすもの、内臓に負担をかけるもの、自律神経を緊張させるもの

血液を酸化させるもの、+電気を帯電させるもの なぜ治らなかったのか


肉体的には浄化(還元)作用の-電気を取り入れることが解毒、排毒になるので

無農薬無添加、酵素、発酵食品の摂取で改善する仕組みである。



しかし、

それらをふんだんに摂取し体に良い事を一生懸命しているのだが、(ネバベキで

残念だが、酸化は改善されず+電気帯電で体は硬く自律神経は緊張のままだ。


ジャンクフードを気にもせず、

やりたいことをエヘヘとやっている人の方が元気なのだ。


食べ物に原因があるのなら

-電気の豊富なものにすれば良くなる仕組みなのに、改善しない。


ということは

体を悪くしている毒は、他に有る!



心に溜まらせた毒だ


「毒」の字を観てみると、「主に母」と取れる。

この観点から「毒」を掘ってみよう。


あなたの母はあなたをコントロールしては来なかっただろうか。


あなたの為よ、これはダメ、こうしなさい、これにしなさい、

良い子にしてなさい、何でこんなことするの、ほらほら早くぅ、

まったくぅ、いつもこうなんだから・・・ネバベキ


お母さんの言う通りにしていれば間違いないのよ。

(それが一番の間違いなのだが・・・)

ご丁寧に、人生のレールまで敷いてくれる。


損得の駆け引きや恐怖の刷り込み(体罰)、

ネガティブなエネルギー(感情)を乗せあなたの名前を呼ぶ。


名前に潜在情報、命の情報が秘められているのに

それが否定され潰されては開花しようがないのである。




子供は天からの預かりものの認識であれば、

子供であっても一人の人格者として接しられ抑圧など有りえないのだが


どうも母親は自分のお腹から生んだので、子供は自分の分身で

何でも思うようになると無自覚だが持ってしまうようだ。



あるいは、その母も母からそのように刷り込まれ録音されており

それをそのまま、いや上乗せしてあなたに再生しているのである。


インネン=因音云と取れるように

どういう音を云ばれているかに因り、それが思考と感情のベースになり

その思考と感情が心であり、心の状態が空間に結果している。


一番身近は体であり、大きく言えば人生という空間に結果する。




子供にとって母親から愛情をもらえないことは死活問題であるので

正直な気持ちを封印し報いよう、イイ子でいなければと健気に頑張るのだ。


そうなると、行動行為は自身の正直は気持ちではなく

無自覚だが母や周りに受け入れられることが基準になっているだ。


自分自身が主人公ではなくなり

いつも母や周りを気にしている自分に気づいては来ないだろうか。


慢性緊張している事に無自覚なのは

物心つくころから抑圧されてきているので無理はない。




あなたの天真爛漫純粋無垢の本来の心を

門の中にしまい込みガチャンと鍵をかけてしまう→門+心=悶

モンモン・・・が大きくなるのは当然で、問題=悶大がわんさかだ。


そのモンモンが毒になり、体も心も酸化=惨禍を強めてしまう。

いくら抗酸化食しても難しいことが観えて来ないだろうか。



本来の心を門に閉じ込めているわけだが

それは自己分離・自己否定していことであり、

インナーチャイルドはその苦しみを体の緊張歪みとして訴えていて、

中心軸を詰まらせている。(アナハタでブロックしている)



自律神経は緊張し、エネルギーは高まりようがなく

ネバベキの音に支配された直線思考で、マ・ジ・メ。


そのマジメさが、ちょっとの事でも許せない

甘いのもを食べたからだ・・・とネバベキでがんじがらめ。


自分を責めるのだから、ウツになるのは無理もない事だ。


何が美味しいのか、何が楽しいのか嬉しいのかわからない→

知覚の麻痺で知識や情報に翻弄される。


失敗を恐れ、否定されることを恐れ自己防衛反応が強くなるのは当然で

アレルギーの深層原因である。アレルギー




心の解毒は玄米では無理なのだ。


なぜならば、肉体は地球が材料、心は宇宙を構成する光透波でできているので

次元が違い、追いつかない。




抑圧で心を門にしまい込んでいることが毒を作り続けていると解ってくる。


ではどうしたら解毒できるのか。


文字通り解毒すれば、主に母と解けたわけだ。


母とのしがらみを切ることが解毒になる。


「親切」は親を切ると書くが、

包丁で切っては大変なことになるので刃物では切らない。

(実際切ってしまった事件が多いが)



母→ロ÷

ロは母に因ってつくられたネバベキの固定観念の枠

その枠を÷(割る)ことが切ることになる。


それが呪縛・抑圧からの解放なのだ。


「割る」はネバベキにさよならし、いつも言っているイタワルこと。


「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでも深く自身をイタワル事で

その枠が粉々になり、解毒されていく。


親とのしがらみが切れてお出ましになるのが

「親切」という暖かく優しい想いで、自己否定の溶解である。


因縁の解消でもある。




D 問題とは何だろう

問題は悶大

悶(苦しいもだえ)が大きいと読み替えられ

悶→門心、心を門の中に押し込めている事が問題を生んでいると取れる。


その状態のままで「問題」を解消しようとしているのではないだろうか。

辛く苦しいから。



プロセスを掘ってみよう。

天真爛漫純粋無垢の心の本来性を持って地上に降ろされるが

何せ地上は有限=相対=差別がはびこっている世界である。


私もあなたも初めから「悶」になってはいないのだが

本来性と違う有限相対差別が生んでいるジャッジに巻き込まれていく。



ネバベキの音が支配するジャッジが嫉妬、怒り、恐怖、不安を醸し出し

心の本来性はどんどん押し込まれてしまうし

ジャッジされジャッジするネバベキの自分が台頭してくる。


本来性とのギャップが「悶」

本来性の感性が豊かであるほど悶が増えモンモン・・・悶大。


ギャップは合い入れない自分の方がおかしいのではないかと自責し

自己否定をまねくが、なかなか自覚できない。


(体は正直に緊張歪みとして現している)




地上の仕組みに本来性はいとも簡単に潰され辛い苦しい

本来の心をアナハタの奥底に押し込めて門を閉める(ガチャン)。


心を引きこもりらせては、引きこもりは当然だし、

潰されたが故に自己防衛で疑心暗鬼を強めてしまう。


出る時にはバリアを貼りオーラを頑張ってつくるので

土足でその中に入り込まれたらパニックだ。


   dansei-mae[1]


「悶」は

アナハタがブロックし生命ラインは滞り

リンクする自律神経は緊張せざるを得ずあらゆる病気不調をまねくし

生命ラインのコイルがつくるオーラは弱い。


さらにアナハタから下に降りないエネルギーが逆流し首を詰まらせ

脳の緊張圧迫は脳の機能低下で脳力=能力は上がらない。


頭でっかちと言うように、実際脳脊髄液滞留で頭が拡大している。


能力が上がれば問題は小さくなるのだが、その仕組みに気づけないので

問題を解決しようと思考が止まらず感情にロックされてしまうのである。





押し込めているほど「悶」が強いのだが

切ないことに、ネバベキに支配された自分の思考と感情が正義でいるので

現象や相手を問題し、

思考と感情に見合うようになることが問題の解消としているのだ。


それがうまくいくようにと占いや宗教スピリチュアル引き寄せに躍起するが

本当の問題は本来の心を閉じ込め、自分自身と戦っている事ではないだろうか。



本来の心は天真爛漫純粋無垢、しかしそれは荒い波動の地上では

繊細で弱く簡単に潰されてしまうので、門の中にしまい込むのは無理はない。


しかし、その本来性は宇宙と繋がっているので恐れなくていい。弱くていい




悶大になっている心を門から出してみよう。

ありゃりゃ「心が大」となり、自身の心が宇宙意識に拡大していくとわかる。


そうなりゃモンダイナイ!


悶が大きいほど解放された時は、ぐれんと反転し

私はIアイ空意(宇宙意識)、愛に溶け込まれていく。


そして、それに見合うコトバと行為を発揮し調和するWORLD(人生)が開かれていく。 

(ヨガの真髄ではないだろうか)


自己分離が無くなる=アナハタのブロック解除=生命ライン活性=

自律神経活性=コイルの整い=オーラの拡大だ


ネバベキの支配から脱却したそのオーラは清濁併せ呑む厚く温かく

ピュアだが薄く過敏な当初のものではない。


そして自己分離が無くなった脳は機能向上

小脳が司る潜在意識・能力は活性化し能力アップで問題は消滅し

脳の血管が通る首が走るで「道」になるようにMYWAYが開けてくる。




仕組みから言えば

問題は「私が私でない」ものを見せていると解る。

問題を解決しようとするのではなく、「私は私でありたい」とシフトすることだ。


そうなると

問題は、私という本来の心を「問うお題」を天から授かっている事と解るではないか。


お題を解けばいいのであるが

その答は「私=Iアイ空意=愛」

それは自分の中にあると解っていても思考では難しい。

なぜならば、その思考が問題を生んできたのだから。


(頭でっかちで思考や知識でがんじがらめになってきたことで解るでしょ?)



思考ではなく、音のエネルギーに云ばれると良い。

アナハタに向け

名前を愛おしく呼び、「私は私でありたい」「ソウカソウカ、無理なかった」

「モンダイナイ」の音波云することだ。


それによって奥底に押し込めた宇宙と繋がる本来の心がお出ましになってくる。



そこからの情報が「調和が連鎖する間に合っている世界」を開いてくれるのであり

計算と思惑で満ちた思考からは間に合わない。


どこまでも深く自身をイタワル事だ。




D 蛇と竜の違い

アダムとイブに神のように善悪を知るものになれるとそそのかし

智恵の実のリンゴを食べさせたのが、蛇。


それによって天と分断され地上天国は消えて行くのだが

それは、天直結のコトバから地上のコトバにすり替わったことである。


善悪がジャッジであり、蛇=邪通時(ジャッジ)。

蛇によって邪に通う時代が始まった。(地上のコトバの時代)



無限=絶対=全一の絶対肯定であり愛である天との分断だ。

ジャッジでネバベキの音に支配され、

自己の否定、過去の否定を生み「今茲」にあるパラダイスは遠のき

意識は有限=相対=差別に膠着する。


その結果、愛とは裏腹の嫉妬、怒り、恐れ、不安、差別の闇を生んでしまう。

闇=病みで、あらゆる病気の根底にある原因と解る。




クンダリーニを蛇で象徴する。

覚醒はクンダリーニの昇華であるが、蛇と竜からアプローチしたい。


生命エネルギーが蛇のままであることは

意識は愛とは裏腹な蛇=邪(ジャッジ)のままで、

赤鬼=激昂、青鬼=冷酷がのさばる波動の荒い状態と考えられる。鬼王神社




蛇が生命電磁場の松果体に昇華することが、竜になる事である。

巳帰る=ミカエル、一度堕落し復活した大天使ミカエルと言える。


どう言う事か音と文字で観てみよう。

竜リュウ=理由、コトワリに由る=理知力を手にするのが竜と取れる。


その理知力によって

赤鬼の激昂は生命力の情熱に、青鬼の冷酷が客観力の冷静=霊性に昇華融合する。


松果体(サハスラーラ)は赤と青が融合した紫であり、

命の開花であり意識は主観を客観する理知=霊性を手にし

再び天と繋がることである。


   23[1]



竜は手に玉を持っている。

玉とは、5次元=宇宙を構成する絶対電磁場であり

玉タマ霊で、霊性の獲得を意味するし、

昇華したとんでもない生命エネルギーと解る。


蛇は手が無く玉(理知力)をゲットできない状態でいるので

感情は赤鬼青鬼に支配されねっちっこいし、

エネルギーを昇華できないと下に行かざるを得ず性欲物欲に支配される。



ではどうしたら竜に昇華できるのか。

文字と音が教えてくれる。


竜→音L 音を開く(L)

天=宇宙の叡智・愛は光透波コトハである音で成立している。


音を開くことは天と繋がる事であるが

リュウ理由=コトワリ光透波理=絶対性理論に由って開かれる。


文字が音を止めているので字割によって音が開かれる。(字は宇宙エネルギーの結晶)

コトワリは言割なのである。


音に秘められている天=宇宙の叡智・愛を開くことが

5次元(絶対電磁場)=玉の獲得で霊性の開花となり

理知力を獲得し天と繋がる事になる。



自分という主観を客観する理知力が無ければ

ネバベキの主観に埋没したままで蛇でがんじがらめではないか。




D 私は私でありたい 2

体で観れば

私が私でない状態は自律神経緊張であり

自己否定・自己分離は、戦は単り+戈と書くように自分自身に戈を向けているわけで

それが炎症を生んでいると考えられる。


アトピー・アレルギー、糖尿も癌もウツもあらゆる症状に潜むのは炎症であり、

私が私でないほど、炎症=酸化=惨禍しやすい。


NHKスペシャル(10,29)でも慢性炎症が寿命を縮めるとあったが

一番深い原因は自己否定・自己分離=私が私でない事ではないだろうか。NHKスペシャル



炎症

炎→二つの火=エネルギー、症→疒+正

上の火は頭アタマ吾霊を、下の火は肉体のエネルギーを象徴し

両方のエネルギーが正状でなく病んでいると字は教えている。


生命力低下の根底原因であり、

精神と肉体の濁り=バイブレーションを下げているのである。


食事は大切であることは承知するが、

もっと深い所に病気=炎症の原因があることがわかってくるではないか。




「私は私でありたい」と分離が無くなることは

自律神経とリンクする「秘田ー中丹田-丹田」の生命ラインが整う事でもある。

(命は自律神経に働いているからね)


     dansei-mae[1]



自己分離・自己否定は

自律神経緊張で炎症を起こし生命ラインを詰まらせ

意識は激昂と反作用の冷酷(赤鬼・青鬼)の不安定に傾向する。


比較競争差別を余儀なくし、嫉妬・怒り・恐れ・不安・・・安らぎは遠のき

その行為は分離と否定に根を張ったもので

イイ人ぶりしようが、期待を持って徳を積もうが、お布施をはずもうが

カルマの増蓄になってしまうのではないだろうか。




「私は私でありたい」に気づくと

「炎」にシ詞(私の本質)が付いた状態になり

そのエネルギーはシ+炎=淡。


精妙さを増していく。


アワイ空和意で空=宇宙と和す意識、穏やかさが醸し出され、

行為は空和為で空と調和し、調和の連鎖が広がると字は教えている。


その気づきが比較競争を溶解し、MY WAYを開く。


MY WAYが「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ラインの整いであり

自律神経活性化=命の活性=個性の開花とリンクし

名前に秘められている命の情報の開示である。


肉体だけでなく霊的覚醒のDNAの封印が解かれるのではないかと思う。




MY WAYの要が

頭アタマ吾霊と体の接続部「首」である。


この接続が詰まっていたらMY WAYはできない。


具体的に言えば、

知識はあっても首でブロックされ

降ろす事ができないので自覚実感ができず

自己分離を感じるが故に自分探しの船出をするのである。


船出人は頭でっかちであり、知覚は閉ざされているので

受け売りや本の内容を自身の見解にしており、

それに無自覚でいるので思い込みか情報に翻弄され、MYWAYは閉ざされている。


さらに言い方を変えれば

自己分離・自己否定が強いほど首の詰りがあり、

肉体的には炎症を持ち病気と言わないまでも歪みと緊張で疲れやすく

精神的には比較競争で頭にきやすく感情に支配され不安定である。



私が私であるためのエネルギーをブロックしているのは

字通り首がネックになっている。


首が走る(首+辶)で

MY WAYという「道」が開かれると字は教えてくれ

道路がROAD(道)でLORD(主)に通じるのである。


(PCのフリーズ解消と同様に首の緊張緩和で通じやすくなり

フィジカルアプローチで加速し、体にスピリチュアルを見出せる。)



「私は私でありたい」願いが

冷静=霊性を高め炎症を鎮静化し、

肉体のバイブレーションも高周波になり透明化していくと思われる。


この観点から類推できることは

Iam what I am 私はI=愛そのものを自覚実感できたら

肉体は存在しなくなるのではないか。



アナハタに向け「私は私でありたい」と

そっとそーっと精妙に問いかけよう。


「道」が開けてくるはずだから。




D 私は私でありたい 1

「ソウカソウカ、無理なかった」イタワリの音波云が開くもの。


その音のエネルギーは過去の行程を肯定するので

どこまでも深くイタワリ続けることで「今」が近づいてくる。


「今」が近づいてくると

「私は私でありたかった」と気づくのである。



私が私でなかったことが、モンダイを生んでいたことが観えてくる。


私が私であったなら、どうであろう?

問題は存在しようがない。


問題は私が私ではないから存在し、自己分離の投影だと解ってくる。


それに気づけず、現象や相手が問題なのだと

自己分離した自身の思考と感情に見合うように

変えよう・引き寄せようと躍起しジャッジしている。



あるいは、

自分探しの船出をしてきたのも「私は私でありたい」からであるが

その船出は私の「今茲」にあるものを上へ先へと外に求めていて

あたかも水平線を求めているようではないか。



        imagesCAGPLW1O[1]




思考も含めてあらゆる行為の出所は「私は私でありたい」思いの反動からで

自己分離の穴埋めをしたいからだと気づく。



しかし反動に気づけていない行為は、

「私は私でありたい」がゆえに自己否定を強め、過去も今も否定したものである。


その行為がジャッジであり、カルマではないだろうか。





「私は私でありたい」 ではその私とは何か。

「私」は命=エネルギー=波動であり、肉体はそれを受け取っている入れ物である。


命が私であり、私は名前=音=波動なのである。(死んだら名前=波動の存在である)

命メ=名→タ+ロ、タ田=絶対電磁場 ロROで露。


名の音と字に命の絶対電磁場が露われていてる→

私が私たる命の情報がインプットされている。



「私は私である」には名にインプットされている情報の開示が要である。

(いわゆる姓名判断ではなく、音と文字に秘められている命そのものの情報で

天鏡図に照らすことで明らかにされる)



逆を言うと解りやすい。

名前にネガティブエネルギーを載せられ否定される程

自己否定・自己分離を強めるので「私」とかけ離れてしまう。


かけ離れている程、自分の名前が好きではない。名前が好きか嫌いか


生命力も個性も潰されネバベキの音にロックされた思考と感情が「私」と錯覚し

反動の行為となっていると観えては来ないだろうか。


自己分離が生む反動の行為がカルマといえるので

「私は私でありたい」と気づくことが解消の道を歩めるようになると思う。




帰港

水平線を求めた終わりのない船出を止めるには

名前を大切に愛おしく、どこまでも深く「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワル事だ。


港に帰って来れる。


港→ミナト御名答

天と子の精霊の御名において、自身の実名ミナに答があるのだから。


その港は、シ+巷

シ=詞(コトハ光透波)が生む愛が巷(ちまた)になっている。

私が私に戻るところである。



私はI=アイ愛そのもの

I am what Iam の自覚実感がモンダイを無くし

シノゴノわんさかな人生のノイズをクリアにする。



クリアにしたいのなら

「私は私でありたい」とアナハタに問いかけてみよう。

そっと、そ~っと精妙にやるのがコツである。



「私が私でありたい」ことは「あなたはあなたでありたい」

あなただけではない、花も木も動物も

生きとし生けるものがそうありたいと存在していることが観えてくる。


それを尊重しただ愛おしく思えてくるわけで

そこからの行為はジャッジやコントロールなど無縁である。




D 潜象の現象化は何を生むか

逆から観ると解りやすいと思う。

潜象界が潜象している状態は、不足感ではないだろうか。


不足感に飲み込まれたWORLDに生きているので

「今茲」を肯定できなくしている。


本当は「今茲」にあらゆるものを創造するエネルギーがあるし

それを命に授かっているのであるのだが。




不足感が満足を求めさせ、「今茲」にあるものを上へ先へと探し求めている。


不足感で病気になるし

あらゆる事に不足感を持ち、もっともっとで抑圧し計算と思惑にかられている。


そして、その自覚はなかなかできない。


満足を得る為にこんな自分ではダメだ、こうあらネバ・ベキと

自己否定しながら=「今茲」を否定しながら

あらゆる事に躍起しているのではないだろうか。



躍起を振り返ればHOWTOに、自己啓発に、宗教に、難行苦行に・・・

そしてあの本この本と知識を構築してきたのではないだろうか。


しかし、求めれば求めるほど得られない

まるでアリジゴクにはまっているようだ。



なぜならば、先のブログにアップしたように

②、 × +

「今茲」の知識は構築できても

潜象界を現象界のコトバで引き出そうとしているからである。


それでは現象されないので、

ネバベキのロックを強め=自己否定=今茲の否定をしながら

躍起する仕組みで、現象化されるのは生命力の減少化である。



病気は勿論であるが、この仕組みに気づけないでスピリチュアルに熱心の人に

ウツや癌が多いのもうなづけるのは

自己否定に無自覚で励んでいるので思い込んでいるだけで

生命力は残念ながら減少化しているからだ。




潜象界の現象化でまず実感してくるのは

シンクロ・タイムリーが増えてくることに思う。


欲しいと思ったこと、知りたいと思ったことなどが

絶妙なタイミングでもたらされる実感→シンクロ・タイムリーである。


シンクロ・タイムリーが私のコトバで言うと

調和が連鎖する間に合っている世界である。


引き寄せようとしなくても

ほらどうぞという感じで向こうからやってくるようにも感じる。



その実感が増えるほど、イヤでも嬉しい・有難い想いが湧き起ってくる。

それが本来の意識で、CONSCIOUS=感謝スではないだろうか。





なぜシンクロ・タイムリー=調和が連鎖する間に合っている世界がお出ましになるのか。


宇宙は光透波=C∞=絶対速度=絶対時間が支えているので

寸分の狂いなく=完璧にシンクロ・タイムリーで充満しているのであり

それを私達は命に授かっているのである。


無いものを獲得するのではない。

どこにいようがシンクロ・タイムリーの中にいるし

命としてプレゼントされているから、本来は引き寄せる必要がない事が解る。


現象界のコトバが創る意識が引き寄せようとするのではないだろうか。

アダムとイブは引き寄せようなど思いもよらなかったと想像する。




潜象の世界は黄泉の国

黄泉は四三、四+三の七次元であり、四=詞 三=実で言を司る光透波の実態である。


潜象界の現象化は見方を変えて言えば

「黄泉に帰る」ことなのである。


それにはヨミを変える=読み変え=ネバベキの概念を読み変えることである。

③、 × = +

潜象界に潜象界のコトバをかける=売りコトバを買わずに

「モンダイナイ、ソウカソウカ」のイタワリの音に変えることだ。


(モンダイナイで問題は無くなる仕組みだ。

問題はネバベキの音にロックされた思考と感情にあるのだから。)


それが地獄化されたこの世=現象界から甦ることになり

甦→更に生きる と書くように潜象の世界にも生きることになる。



現象界と潜象界の両方を生きる=両生類が新人類ではないだろうか。


両生類というとカエルが浮かぶ。変える=帰る。

大天使と繋がりミカエル=身変える、心身とも本来性である。

エネルギー的に言うと巳帰ル、巳はヘビ(クンダリーニ)の昇華である。



巳帰ル

個のレベルではクンダリーニ昇華で覚醒(潜象界にも生きる)であるが

人類レベルではアダムとイブに善悪を知らしめ

ジャッジをそそのかした蛇=邪の昇華と言えるのではないだろうか。


WOORLD→WORD+L

ヘビのそそのかしによる現象界に君臨するネバベキから

「愛と感謝、イタワリと許し」のコトバが開かれた世界で

パラダイスが再び開かれるのではないだろうか。




D 潜象界を現象化する(生命力、潜在意識の活性)

宇宙=真空を命に授かっている。

創造の源、叡智であり愛を。


アダムとイブの時代はそれに生きており地上天国であった。


現代も授かっている命は変わっていないのに

モンダイアリに根づき緊張し、地獄と言える真逆のWORLDに生きている。



創造の源、叡智であり愛、命が潜象してしまったことが

病気や不幸の原因であり、カルマを生む原因ではないだろうか。



仕組みから言えば、潜象界の現象化でそれらは溶解し、

叡智は調和が連鎖するエントロピー減少のフリーエネルギーを現象し

戦争の原因であるエネルギーの奪い合いは終焉し

高度な知性と愛に生き再び地上天国を迎えると思うのである。


健康で豊かで慈愛と安らぎに満ち、調和が連鎖する間に合っている世界だ。




さてそこで、なぜ潜象してしまったかを掘ってみると

いつからかと言えば、バベルの塔の崩壊ではないだろうか。


天直結のコトバから、地上のコトバにシフトしてしまったことであり

智恵の実のリンゴを食べ善悪を知ることになった。

それがジャッジの始まりではないだろうか。何がモンダイを作っているのか



潜象界の宇宙は光透波=詞、言を司るコトバの本質で

音が数に働き寸分の狂いない法則=叡智と

意味に働き「愛と感謝、イタワリと許し」で充満している。


アダムとイブの時代、バベル崩壊前はそのコトバと直結であった。



それ以後潜象してしまった命の世界をどうすれば現象化できるのか。


その為に宗教の教えや瞑想、難行苦行、様々なHOWTOで開こうとしてきたと思う。


しかし、それらを注意深く観てみると

潜象の現象化を「ネバベキ」でやっている事に気づかないだろうか。


「ネバベキ」はジャッジであり、

過去も今も否定し上へ先へ求める音のエネルギーである。


潜象界は「今茲」にあり、「愛と感謝、イタワリと許し」で充満し

ジャッジのかけらもない世界なのに・・・。




それをシンプルに数式が現す事に気づく。

-は潜象界、+は現象界と現象化、②の-は潜象のままを意味する。


①、 × + = +

②、 × +

③、 × = +


①、+(現象界)に+(現象界)のコトバをかけても、当然+現象界のまま。

  現状のWORLD路線である。


②、-(潜象界)を引き出そうとするが、+(ネバベキ=現象界のコトバ)で

  頑張ってやっているが残念ながら、-で潜象したままで現象化されず

  なんでなんだ、まだ足りない、こんな自分ではダメなのだ!


③、-(潜象界)を引き出すには、-(潜象界のコトバ)をかけることで+現象化する。

  潜象界のコトバは「モンダイナイ、愛と感謝、イタワリと許し」である。



仕組みがすごくわかるではないか。


なぜならば、潜象界は光透波が創り「愛と感謝、イタワリと許し」が実体であるから

それを現象化するにはその質をかければいいのである。


「場」があらゆる現象を創っているわけで、

コトバは光透場で究極の電磁場であり電磁波なのである。


しかし、潜象界がコトバの本質であり、コトバそのものの働きが理解されない為

②のように一生懸命ネバベキで前世からやってきているのではないだろうか。




当時も今も授かる命は違いが無く、

何一つ問題ない完璧を間脳の生命電磁場に絶えずプレゼントされているが

何かがそれを緊張させ出力を弱め潜象させているのである。


その何かとは「ネベ・ベキ」の現象界に君臨する音のエネルギーと考えられる。


その音のエネルギーは命の本来性とは違うため

当然脳は緊張し脳力=能力低下で

頭蓋骨も骨格も歪み生命力を弱め、潜在意識・能力を封印している。


その音にロックされている事に気づけず

「売りコトバに買いコトバの下からのコトバの使い方」をしながら

一生懸命②をやっているのではないだろうか。



あるいは、自律神経を緊張させている原因を解らずに、

薬に頼ったり、副作用を懸念し食べ物が薬と食生活にこだわるが

今の時代は極まっているのでそれだけでは難しい。


万病の妙薬は

クスリは空数理と取れ、潜象界を創る数理=エネルギーなのである。



× = +

売りコトバを買わず、イタワリとモンダイナイの音のエネルギーが

潜象界を現象化すると数式が教えている。




D 新宿鬼王神社

先日所用で新宿の鬼王神社近くに出かけた。


鬼王神社は3年間通っていた東洋鍼灸専門学校のすぐ近所でなじみの場所で

卒業以来30数年ぶりに立ち寄ってみた。


学校はH7に新大久保に移転したのだが、どうなっているのかと思い行ってみると

校舎の一階は居酒屋に変わっていた。


新宿タイガーさんの新聞店が学校の近所でよく見かけたが、今もお元気だろうか。

新宿タイガー(検索したら現役のご様子)


      img_3[1]




学校は歌舞伎町のホテル街にあり、

私が通学路にしていたのはゴールデン街を抜けホテル街に入る順路であった。


当時が懐かしくぶらつくが歌舞伎町はコマ劇場も変わっていたし、

なじみの店も無くなっていてずいぶん様変わりしているが

歌舞伎町の欲望と喧騒猥雑な雰囲気はそのままだ。



あの頃はインド放浪で知った精神的豊かさを瞑想に求め

少しでも近づきたいと一生懸命ネバベキで励み

清浄清浄と毎朝水をかぶり瞑想してから学校へ通っていた。


世田谷の成城にあれば清浄つながりでいいのだが

数時間前までにぎわっていた昭和レトロのゴールデン街の混沌とすえた匂い

朝のホテル街の疲れ切った雰囲気を感じながら登校で

ギャップを感じるのが面白かったように思う。


酸いも甘いも清濁併せ呑むオーラはこの通学時に種を蒔かれたのかとよぎる。




鬼王神社

全国唯一の鬼の王、鬼を福授けにする社

「福は内、鬼は内」


274492[1]



当時はホテル街に隣接しながらどことなく温かさと清浄さを

醸し出している神社が心地よく立ち寄っていたが、

今となると神社の名前に興味を持つ。



「鬼」を掘ってみたくなった。

鬼が云(ハコブ)で「魂」という字になるが、さてさてどう言う事だろう。


鬼は赤鬼と青鬼がいる。

赤と青の意味から考えてみると、赤=激昂、青=冷酷と響く。


熱しやすい人は冷めやすいように、激昂と冷酷は表裏一体であり

波動で言えば振幅が大きい=荒い波動で

意識で言えば激昂と冷酷を併せ持つ低い意識と言え、まさに鬼だ。



あるいは、赤=情熱、青=冷静と取ると

情熱は命の躍動、冷静は客観力となり

そうなると波動は振幅が小さい=高い波動で

振幅の小さいことは赤と青が融合することであり、色では紫になる。


紫は高貴、高い霊性(客観力の冷静が霊性とわかる)、優雅の意味がある。



色の意味合いから精神性が観えて来るではないか。

赤と青の鬼が云ぶレベルが「魂」と。



生命電磁場=松果体=サハスラーラチャクラは紫であることは

赤(生命力)と青(客観力)の融合で高い霊性の魂と理解できる。


だから、頭はアタマ=吾霊=吾玉と取れ、玉は生命電磁場なのである。



赤鬼と青鬼が誰の中にもいると思うが、

赤鬼が象徴する激昂を命の情熱に、青鬼が象徴する冷酷を客観力に

昇華融合することで紫の霊性の高い魂になるのではないだろうか。



鬼王神社は「福は内、鬼は内」、鬼を悪者にしていないのが好きだ。


悪者として外に追い出すことは自分の正義をかざすからではないか。


誰の中にもいる鬼を否定し追い出そうとすることは

自己否定であり自身と戦っている事ではないだろうか。


その鬼を否定せずイタワル事で赤鬼と青鬼が融合し紫の霊性の高い魂になるわけで

「福は内、鬼は内」の意義がわかってくる。


どことなく温かさを感じていたのは、鬼は内にしていたからと今になってわかる。


「清濁併せ呑む」がまた一つ深まり、久しぶりに訪ねた甲斐があった。




D カルマの解消とコトバ

カルマは因果応報、前世を含め過去の善悪の行為が因になり

その報いが現在に善悪の結果がもたらされること。


病気や不幸、死にたいくらい辛い事に飲み込まれる。

仏教的に言えば過去の行為の結果とされるが、


なぜ途方もなく輪廻をしているのに未だに解消されないのか。

解消どころか上乗せしているのかもしれない。


それを解消するのにはどうしたらいいのだろうか。



大概が神仏に祈願、徳を積む、スピリチュアルに躍起するし

難行苦行に求める人もいる。

この路線しかないのだろうか。




神仏の御実体は「コトバであるぞよ」

そのコトバを「ネバベキ」にロックされたままの思考と感情で

神仏に祈願してもはたして通じるのだろうか。


見返りを求めた思惑の行為は徳を積むことになるのだろうか。


あるいは、徳が積まれるとたんまりお布施する信者もいるが

思い込んでいるだけで信+者=儲かると取れるように、

実際は教祖や教団の懐を肥やすだけではないか。


あえて難行苦行に求めずとも、今の辛い状況がその行ではないだろうか。


モンダイアリにしっかり根を張りながら

問題を解消しようとあの手この手とやっているスピリチュアルは

かえって自我を強める危惧があり、スピリチュアルを謳うビジネスではないか。



なぜ辛口指摘かというと、コトバのハタラキが解ってくるからだ。





言=事

行為の元は意識であり、意識はコトバをどう使っているかに因るわけで

事(現象=カルマ)の根底には言(コトバ)が働いていると理解できてくる。


WORLD=WORD+L

コトバをどう開いてきたか(使ってきたか)が

現在も未来の現象に現在完了進行形で結果していることがわかる。



カルマはネガティブな行為の結果であり、

行為の元になるコトバのエネルギーをネガティブに使っていたわけで、

本来性に使っていなかったと解ってくる。


具体的に言えば

「売りコトバに買いコトバ」の連鎖で、「ネバベキ」の音にロックされてきたのである。


そのコトバのエネルギーは自己防衛、自己否定、ジャッジを余儀なくし

自分の思考と感情の土台になり、それが正義になってしまい

正義を貫こうとしていることが行為ではないだろうか。



コトバのハタラキに気づけずに

神仏に祈願、徳を積む、スピリチュアルに躍起しても解消は難しいのではないだろうか。





コトバの本来性は「愛と感謝、イタワリと許し」であり神仏の実体である。


これが理解できると売りコトバを買わず、本来性を使えばいいと解ってくる。


それがイタワリである。

「ソウカソウカ、無理なかった」ととことん自分をイタワル事だ。



その音は過去の行程を肯定するエネルギーであるから

闇になっている過去を加光で、光を照らす事になり

蓄積してきたネガティブエネルギーを解消するのである。


イタワリで自己否定・自己分離が溶解し、ジャッジしなくなるので

正義を貫く行為から寛容・許しの行為に変容していき

温かさが広がり、還元作用が働く。


過去を否定し闇にしたままで、行為を変えようとすることは難しい。

かえって「ネバベキ」の音に翻弄されて

にっちもさっちも行かなくなり、酸化が極まり死ぬしかないとなる。




辛+一=幸

イタワリは、過去の行為の結果である「辛い状態」に

一(絶対エネルギー、-電気)を加えているのである。


辛い状態=カルマは電気的言えば、+電気帯電で酸化=惨禍現象で

そこに-電気を自家発電し還元=換言しているのである。


コトバが究極の電磁波=電磁場なので

+電気帯電を生むネバベキから

-電気を強力に自家発電する還元=換言がイタワリなのである。


この-電気補充は物理次元と違うため、

せっせと抗酸化食し衣食住にこだわっても残念ながら追いつかないのである。



イタワリで「辛」が「幸」に転換する。

カルマの解消ズバリではないだろうか。


更に言えば、「辛」があるからこそ「一」が加えられ「幸」になる。


「辛」を否定し戦うことではないとわかるではないか。

それを長い間やり続けてきたのではないだろうか。

だから、解消にはならず前世から持越し先送りしてきているのだ。




カルマの解消=現象を変えるには

その元になるコトバを本来性に還元=換言することと解ってくる。


そして、本来性に還元することは

調和が連鎖する間に合っている世界=幸せが広がる。


コトバの働きが解ってくると難行苦行の時代ではないように思う。



卆業=カルマの解消は

卆は九十(コト)=言

イタワリの言の業(ワザ)と字は教えている。




D体験でコトバ(意識)を変えようとしていた

かつての私は宇宙意識を願いストイックに瞑想し、超越体験を求めていた。

超越体験をすれば意識は解放され愛を自覚できると。



ストイックを掘ってみれば、

抑圧の反動がそうさせ「ネバベキ」でやっていたわけで、

ストイックは「ネバベキ」に硬くロックされていたと解る。


振り返ればそのストイックさは

宇宙へとがむしゃらに登りつめて成層圏まで来て

重力の限界から落下して初めて反動そのものに気づけた。成層圏から落下




今までコトバが意識を成立することに気づけなかった為に

光、愛、至福・・・とにかく自我を超越した体験を求め

体験によって意識が解放されると瞑想をしていたのである。


ストイックであるから、こんな自分ではダメ、

もっとこうあるベキネバと過去も今も自分も否定しジャッジしていたのだ。


まさに自己否定しながら自己解放を求めていたわけだ。



瞑想中は五感がフェイドアウトされ六感の世界が顔を出してもくれるが

爆裂してお出ましになればいいのだが、

如何せん「ネバベキ」のロックは強く解除にはならず

瞑想を終えればいくら体験があっても

いざとなればそんなのは吹っ飛び今まで通り「下からのコトバの使い方」を続けていた。


また、自分の思考が正義になっているので

知識を構築するほど「ネバベキ」とジャッジを強めてもいた。




それはブログでアップしているように

感情が納得したら(体験したら)、「愛と感謝、イタワリと許し」の

上からのコトバを使うスタンスと同じだと気づくのである。


自己否定しながら自己解放を、永遠のいつかを自身と戦い続けながら待つばかりだ。




しかし、小田野先生との出会いで頭が良くなってきたのである。

「コトバが意識を成立する」ことが解ってきたからだ。



WORLD→WORD+L

コトバ=音のエネルギーをどう使っているかが意識のレベルであり

そのレベルに見合った世界=空間が醸し出されている。


「聖」は王(四次元)耳口と取れるように

聖者は四次元=コトバの本来性、「愛と感謝、イタワリと許し」を

耳にし口にするから聖者なのである。


四次元と真逆のジャッジと否定のネバベキを耳にし口にしていたら

罪→四に非ず、の人である。

 


コトバをネガティブに使っていたら我の強い意識を必然するし

コトバを本来性の「愛と感謝、イタワリと許し」に使っていけば

意識の本来性に回帰していく仕組みが解ってくるではないか。


それがコトバの方程式、試→言+式と字は教えている。


本来性に回帰すればCONSCIOUSは感謝スと取れるよう、

感謝する以外湧き起らないように思う。



WORLD→WORD+Lが理解できれば

超越体験を待つことはない。

そんなの待っていたら日が暮れる、いや人生終わってしまう。


それも、かつての自分のように「ネバベキ」にロックされ自己否定し

あるいはいつかなれるのかなぁと、かなぁかなぁセミになって待つのだ。



そして六感を大事にするあまり、波動に敏感になりすぎ

電磁波だ邪気だ邪食だ・・・気にし過ぎてこれはダメあれもダメ・・・

ネバランドのお姫様王子様でオーラはきれいだが厚みが無い。


コトバが究極の電磁波であり電磁場であることが理解と実感できると

そんなのモンダイナイ!でコトバのエネルギーがチャラにしてくれ

清濁併せ呑むオーラを醸し出す。


いわゆる言霊を降ろせることだが、

フィジカルでは中心軸=コイル=自律神経が整い丹田が強化された状態であり

胸が閉じていたら難しい。


     dansei-mae[1]




長い長~い間、

コトバは伝達手段のような非常に浅い理解しかなかったと思う。

だから「コトバを超えた世界」とか「コトバでは言い難し」と表現するが

コトバを使っていること自体に気づけていないのである。


それでは体験によって意識が解放されるとしか考えられないわけだ。

つまり、体験によって

「愛と感謝、イタワリと許し」のコトバを使えるようになると。


意識はコトバとダイレクトに理解できなかったためではないか。





振り返ればコトバのハタラキに気づけなかった為に

ず~と「ネバベキ」にロックされ自己否定しながら解放を願っていたことが観える。


一体全体いつからだろうか?


「ネバベキ」と自己否定しながら自我を超越しようと

難行苦行していた健気な前世が大脳スクリーンに浮かんでくる。


バベルの崩壊以来ず~と「ネバベキ」にロックされ続けてきたと類推でき

今生でやっとこさイタワリができたと

「ソウカソウカ、無理なかった」としみじみ思うのである。




時代は変わったのである。


「コトバが意識を成立する」と解れば

ネバベキにさよならし、

売りコトバを買う「下からのコトバの使い方」から

買わずに「愛と感謝、イタワリと許し」を

音波云ネハン(音のエネルギーに云ばれる)すればいいとわかる。




わざわざヒマラヤに寝泊まりに行かずとも

泥に咲く蓮のように、ジャッジにまみれるこの社会の中でこそ

イタワリの音波云の出力は高まるのではないだろうか。



    imagesSJG2XE87.jpg




「割」は害があってこそリ=立刀、割る事ができ

また害を利用することで割れる。


さらに割=ワルカツの組み合わせ、ツ+ワ+カ+ル=労ルとなり

害=我意を否定し清く正しく美しくと精神の背伸びでは割れず、

胸の奥底に溜め込んでいるドロドロをイタワルことと字は教えてくれる。


それもどこまでも深くイタワルほど

凍結麻痺させた無邪気さも健康と安らぎも取り戻すと考える。自分を割る




音波云によってこそ体験が醸し出されてくると考えるし実感もする。


意識はコトバ、コトバは音のエネルギー、

エネルギーが空間を結果するのでリンクする体験(光、至福、愛・・・)

超越体験がお出ましになるし

わざわざ引き寄せようとしなくても

調和が連鎖する間に合っている世界、シンクロタイムリーがどんじゃらとなって行く。


そうなるとイヤでも有難いという気持ちが湧き起るわけで

本来の意識CONSCIOUS=感謝スに回帰するのではないか。



分離から融合で、日常生活に精神世界が開かれ

瞑想や宗教もストイックからお気軽な趣味感覚ででき

かえって理解と実感が深まるように思う。



そして、前回アップしたように

コトバのエネルギーを上げるには、

胸を開こう・体のフリーズを解消しよう

空間を整えるダブルアプローチが加速してくれる。





D 自分の名前を好きか嫌いか

あなたはどっち?

自分の名前が嫌い、強いほど無自覚であろうが自己否定の傾向がある。


自己否定は「ネバベキ」の音にロックされていて

その度合いが強いほど精神的にも肉体的にも緊張がある。


「ネバベキ」は過去も今も否定している音であるから

どうしても緊張を生み萎縮してしまい

「過去の執着と後悔、未来の不安」の中に埋没している状態だ。




緊張と萎縮

精神的には無邪気さを失い、ウツは元より被害者意識、妄想、統合失調・・・

肉体的には内臓の機能低下、脳の機能低下、免疫力、自然治癒力を落とし

姿勢は腰は寝て胸は閉じ肩は内旋し首は縮こまった猫背である。


自己否定は自分と戦っているのだから、

そのエネルギーは大変なものでどんどん枯渇して行くことがわかる。


大概が副腎疲労から広がっていくと考えるが

枯渇に従い症状はどう出るか個々によって違うが

緊張と萎縮が原因になっているはずである。


認知症は脳の委縮で機能低下であるが、何が萎縮させてきたのだろうか。

「ネバベキ」の音で脳にNO!NO!NO!

名前を否定され潰されて来たからではないだろうか。




自己否定を名前から掘ってみたい。

自分とは何か?

この肉体だろうか? 肉体は刻々と変化しいずれ消滅するので違う。


その肉体に宿る魂・意識で一括りすれば「命」であり

それを名前が現し、名前は「音」で音は波動=エネルギーである。



文字はどう教えているかというと

名→タ+ロ

タは田で絶対電磁場、ロはROで露

名に宇宙を構成する絶対電磁場が露われている。


さらに名は「メ」でもあり、命(メ)と同音であるから

名に絶対電磁場が露われており、それは命であると取れる。



だから、人は死んだら肉体は無くなり名前だけになり

名前=音=波動=エネルギーの存在(波動体=霊体)になる事だ。


その存在であるから、チャンネルを合わせれば通じるし

乗り物は必要ないので呼べばスッと来るのである。


ただ問題は、

こちらの発信と受信のアンテナの性能にかかっており

自己否定で緊張と萎縮が有れば念という電波の出力が弱いし

2万Hz以上の波動をキャッチする皮膚感覚が貧弱である。皮膚の考察



名前は絶対電磁場の露われで

宇宙の叡智、潜在情報、本来の個性、能力・・・

命のあらゆる情報がインプットされていると字は教えている。



その観点から考察すると

名前は親や名付け親から付けられてはいるが

NAME→N(ン=云ハコブ)+AME(天)と取れるように

天がその人を通し、

個々の命に見合った名前=音=エネルギーを授けたと考えられる。




愛情と願いを込めて付けたはずの名前なのに

物心つく頃から躾や教育と称し、

○○○、これはダメあれもダメと脳にNO!NO!NO!

そんなのでどうするの!こうあらネバベキの緊張と萎縮を生む音のエネルギーを

名前にしっかり載せられてきたのではないだろうか。


子供は親に従順の為、場合によっては親のストレス発散に一番好都合が子供である。


(社会が恐怖に洗脳されているので、

その中で生きていく為に優勝劣敗の思考がそうさせるのではないか。)



つまり、名前を否定され潰されてきたのだ。

もう一度言うが、名前が命であり本来の個性、宇宙の叡智、潜在意識や能力・・・

命の情報がインプットされているのである。


自己否定に飲み込まれ緊張と萎縮、過去に執着と後悔そして未来の不安で

今が近づかないのは名前を否定され潰されてきた結果ではないだろうか。


それを思うと、自分の名前が嫌いになるのは無理もないことではないか。

あなたも生まれた時は天真爛漫純の愛くるしい笑顔だったはずで

初めからひねくれてはいないのである。




ペットの犬でも、

優しく愛おしく呼べばご機嫌でシッポ振り頬ずりしてくるように

名前を大切に優しく愛おしく呼ぶことが命の活性化に繋がる。


ラブラブの時を思い出せば

愛おしく呼ばれることはなんとも嬉しいではないか。


子供の名前をパートナーの名前を優しく愛おしく呼んでみよう。

もしやりにくいのであれば、自己否定が強いとわかると思う。


なぜならば、自分の感情と思考が正義になっているので

そぐわなければジャッジと抑圧するし、

それが叶わないとなれば耐え忍び内圧は高まるからだ。




セッションでもやるが

インナーチャイルドがいるアナハタに向け

自分の名前を優しく愛おしく呼び、

そして「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワリの音波云してみよう。


きっと切なくなる程自分を愛おしく思えるし、

一番会いたかったのは無邪気な本来の自分自身だったと気づくと思う。



その気づきが緊張と萎縮を緩めてくれるのであり

命の活性化、潜在意識能力の活性化、個性の開花にリンクし

名前を取り戻すのだ。




D 試そうよ!

コトバの展開が人生に現在完了進行形で現象していると

WORLD=WORD+Lの知識は手にしている。


ならば、試してみようよ!

試→言+式

コトバの使い方が空間に結果するという方程式を。


TRYトライ=答来と取れるように、試すことで答が到来するわけで

知識を手にしても試さないことには到来しない。

(大概が知識留まりで終わっているように感じる。)


「恐れ」という過去の記憶が反動となった「下からのコトバの使い方」にサヨナラし

・問題を感じたら「モンダイナイ」

・過去の悲しく暗い記憶、攻撃や批判、ジャッジ、後悔・・・が押し寄せてきたら

「ソウカソウカ、無理なかった」



感情が納得しないからイタワリの音波云ができないと言う人もいるが

(トラウマ的な大変な恐れを持つ人に多く、ホルモンに感情が支配されているので

自律神経緊張緩和のフィジカル面のケアでやりやすくなる)

「音」がエネルギーであるから

感情は納得しようがしまいが関係ないので放ってしまい試す事だ。


感情が納得したらでは永遠のいつかを自分と戦いながら待ち続けてしまう。




「音波云」できることは、

実は感情のロック解除になっているわけで

解除できた分、感覚にシフトできるので

麻痺した知覚がジワリジワリ活性されていく。


知覚の活性がセンスアップであり、

自身のエネルギーを高めるものを迷わず判断できる能力である。

全てはその判断力にかかっているのだ。


(知覚の活性が無ければ、判断力は恐れがベースのままなので

迷いと外に求める連鎖を断ち切れないことがわかると思う。


そして、タイミングを逃せば間に合わない世界となるので、

増々計算と思惑が強まり、左脳>右脳で感応力が高まらない。)



解説をすれば

現象や相手が問題なのではなく、本当の問題は現象や相手を問題としている

自身の思考と感情ではないだろうか。


自身の思考と感情が正義のため、気づきにくいのは無理もないのだが

思考と感情に見合うものに引き寄せよう、変えようと

HOWTOに、言霊と称し背中丸めて「アリガトアリガト」と躍起しているのではないか。


ターゲットは引き寄せではなく

バーチャルの世界を創っている「下からのコトバの使い方」であり

自己否定・自己分離の解放であり、恐怖からの解放である。


そうしたら、調和が連鎖する間に合っている世界がお出ましになるので

引き寄せる必要はなく、引き寄せない法則に思う。



その思考と感情を掘ってみれば

刷り込まれた概念、伝承されてきた因縁(因音云)・・・

恐怖の記憶に基づく「下からのコトバの使い方」が問題にしている事がわかってくる。


そしてそれがバーチャルの世界を創っているのである。


「モンダイナイ」の音のエネルギーがその思考と感情を解放するので問題は無くなって行く。


そうでないと、

問題ありにスタンスしながら、いやガッチリ根を張りながら

問題を無くそう、引き寄せようとしている事に全く無自覚であり、

仮に思考と感情に見合ったようになっても、次にまた押し寄せてくるわけで

それでは残念ながら問題は無くならなし、

バーチャルの世界に閉ざされたままではないか。




「ソウカソウカ、無理なかった」のイタワリは

悲しく暗い過去を肯定する音のエネルギーなので、過去を加光にする。


光を加えなければいつまで経っても過去は真っ暗の為

否定し続け「ネバベキ」の音にロックされ自己否定のままで

戦は単(ひとり)+戈と書くよう、

自分に戈を向け戦いながら永遠のいつかを待つことになるが


その戦いに余剰エネルギーが浪費され

あっという間に頭と体をおかしくしてしまう時代である。




自己否定は誰がしているかはご存じなのに、

自己否定しながら自己解放を求めてしまうのは

知識や思考で解放しようとするからではないかと経験上つくづく思うのである。



「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワルことで

過去の行程を肯定するエネルギーが自家発電され、今が近づいてくるのである。


観えないように固く閉ざしていた扉を開けられ

何に恐れていたかを観る事ができる、恐レ観ヨだ。


その結果、

もがきの反動で頭でっかちに構築した知識は腑に落ちてきて

その知識をしみじみ味わえ

無駄にはしないし、知識だけでなく過去のあらゆる事が活かされる。

それが過去を加光にすることと考える。




有難いのは

何一つ問題ないパーフェクトを命に絶え間なく授かっていることである。

無いものを求めるのであれば大変極まりないが、すでに有ることが有難い。


バーチャルの世界を抜け出しその真実に触れた時、

イヤでも感謝の想いが湧き上がり、その有難さにひれ伏してしまう。


なぜならば、意識はCONSCIOUS=感謝スとズバリで

私達の本来の意識は恐れも悲しみも妬みもなく

そんなのはゴミであり、感謝スだけに違いない。


どうでもいいゴミにしっかりとっ捕まっていたことが観えてくる。



音は2次元では「光」、3次元では「温度」だから

イタワリの音波云ネハン(音のエネルギーに云ばれる)は

過去を加光にし、恐れの凍結麻痺を溶かす温かさでもある。


その温度は反熱の無い宇宙中温の36℃なのでジュッとは溶けないが

ジワリジワリと確実だ。



「モンダイナイ」、これ以上ストレートの問題解決があるだろうか。


「モンダイナイ」の音波云で、受容と許しが醸し出され問題は無くなり

バーチャルの世界から抜け出していく。




D 恐レ観ヨ♪

WORLD→WORD+L(開く)で

個々の人生はどいうコトバを開いてきたかの結果であり、現在完了進行形で展開している。


「売りコトバに買いコトバ」の下からの使い方に縛られていて

そのコトバが創るバーチャルの世界から抜け出せないでいるのだ。


大概がバーチャルの世界に気づくこともなく、

自己防衛の為に命をすり減らし死んでいくのではないだろうか。



頭のいい人はこれはバーチャルであり真実とは違うのだと

抜け出そうと瞑想し知識を求め、バーチャルを否定し戦う。


しかし、

今茲に「在るがまま」の真実の世界があることは知識ではわかっていても

下からのコトバを使い続けていては絵に描いた餅であり戦いは終わらない。



そこで掘ってみたくなる事が出て来る。

何で「売りコトバに買いコトバ」の下からのコトバの使い方を手放せないのだろうか。


原因は緊張で頭が悪くなり(能力=脳力低下)

感情にロックされ感覚にシフトできないからと考えられる。


感情にロックされるのはなぜだろうか。


根底に「恐れ」があると思うのである。

失う恐れ、嫌われる恐れ、否定される恐れ、孤独の恐れ、病気の恐れ・・・


(今の世の中、一番の恐れは経済的困窮ではないだろうか。

イルミナティがまんまとその恐れを洗脳した社会に仕上げ牛耳っている。)



「恐れ」が生むものは緊張だ。

体は生体電流の+電気を帯電し自己防衛の為のホルモンを合成し

瞬時に全身くまなく行き渡るし、慢性的に分泌され続けている。 副腎疲労


ちなみに、+電気の帯電が酸化であるため

還元作用の-電気を求め衣食住にこだわるではないか。 なぜ治らなかったのか

しかし、恐怖が生む「ネバベキ」の音がいともたやすく+電気帯電と酸化させることには

気づけていないのではないだろうか。



細胞膜にあるホルモンの受容体は、

割符のように緊張ホルモン(ストレスホルモン)に合わせた形になっているので

おいそれとはハッピーホルモンを受け入れる事ができにくい。シグナル伝達


その為、ホルモンに感情が支配されているので

いくら頭ではわかっていても抜け出せないのである。

(体にスピリチュアルを見出す所以である)


食にこだわり抗酸化食品を日頃摂取していても、

一発の恐れで血液は瞬時に酸性化するのであり、

ストレスホルモンが全身駆け巡る恐れの反射作用である。




恐れに反応する事には全く目をくれず、

抗酸化で安全な食べ物やサプリを求めて止まないし

食べ物に限った事ではなく、知識やエネルギーを外に求めるのではないだろうか。


食も知識も大事であることは言うまでもないが

恐れを観る事が何よりも大切に考えるのである。



しかし、恐れを観ることは実にエネルギーがいる事であり

まじまじと恐れている自身に対峙することが恐ろしいので

観ないように、観えないようにごまかし硬くその扉を閉めているのである。


いくらごまかしていても、あるいはそれに無自覚であっても

体は正直に緊張・歪みとして現しているが。



もし観えてしまったら

真実と錯覚していた今までの人生が音を立てて崩れ

何に拠り所を見出したらよいのかわからず

ものすごい不安感に飲み込まれる気配を感じるのである。


そのためにバーチャルの世界に居続けるしかないのであるが

自然界のエネルギーがそれを許さない時代になっている。



強制的にバーチャルの世界の崩壊が加速されている為

あっという間に頭と体をおかしくししてしまう時代だ。


薬を飲もうが何を食べようが知識を構築しようが難しい時代であり、

恩寵である自然界のそのエネルギーに乗る為には

先ずは、恐レ観ヨ!ではないだろうか。



「ソウカソウカ、無理なかった」「モンダイナイ」のイタワリの音波云は

硬く閉ざした扉を開けてくれるエネルギーなのである。


歌詞にあるように、

「私にはもっと美しい太陽がある」それに照らされるのではないだろうか。






D WORLD→WORD+L

Lは開く意味がある。

なぜ開く意味があるかというと

薄い紙を縦に見ると|「線」に見える。1次元での見方だ。

線に見えていたものを横に90°開くと、L「面」とわかる。 

2次元での見方であり、面積は縦×横となるわけで

「L」は字形から開く意味を持つ。


ちなみに、どんなに薄くても厚み(高さ)があるので物の存在は3次元である。

体積は縦×横×高さである。



コトバが開いているのはWORLDとズバリと字は教えている。

一人一人の集合が家族、その集合が地域、地域の集合が自治体、その集合が国家

国家の集合が世界となっているが

世界情勢は集合意識でありその元は個々の意識であり

思考と感情も含めて意識は全てコトバが生んでいるのである。


この理解が深まると

あらゆる現象に自分の意識が無自覚のレベル(潜在意識)であるが

投影し繋がっていることが観えてくるのである。



WORLDはコトバによって開かれている事をセミナーするが

「そうなんだ・・・」「そうそう、だからコトバは大切だ」「それはもう知っています」

などの反応が大抵である。




知識止まりになっているものを動かしたい。

WORLDを世界の意味から「空間」に広げてみよう。


個々のWORLDは人生という空間そのものである。

今生に限らず前世からどういうコトバを開いてきたか、

あるいは因縁は因音云(ネン)と取れるように

どういうコトバを親を始め先祖から伝承されて来たかが

出会い、対人関係、仕事、心身の健康・・・

今の人生という空間に結果していると取れるのである。


「あの一言が人生を変えた」と良く耳にするが

インパクトのあるものがクローズアップされるのだが

それに響くだけのコトバの展開がベースにあったからで

実際は様々なコトバの開きが結果しているのである。



「エネルギーは空間に結果する」。その意味から観ても

コトバがエネルギーでありコトバが人生に結果しているのである。


つまり、刷り込まれた概念・イデオロギーは元より

抑圧や過去の悲しく暗い記憶、攻撃や批判、ジャッジ、後悔・・・

それらが反動となったコトバに縛られているので

「売りコトバに買いコトバ」の路線から離れることはない。



記憶という過去にガッチリとロックされた

下からのコトバの使い方しか知らないのではないだろうか。


別の表現をすれば

「在るがまま」の真実の世界に生きているのではなく

下からのコトバの使い方が開いているバーチャルの世界に固く閉じ込められている。


そして、死後にバーチャルだったことに気づくと思われるが

果たしてどの位気づけるのだろうか。


死んでもなおバーチャルから抜け出せないので、憑依するのではないだろうか。

念が残り(残念)重いわけで、浮かばれないのである。




いつか愛せるようになったら、許せるようになったら、やれるようになったら・・・と

感情にロックされ続けているので、「今茲」と知識はあっても

もがきながら永遠のいつかを待ち望む。


もがきの解放を知識や思考に求めるので

それに触れた時は良いのであるが感情をそれらで押し込めているものだから

じわりじわりと納得できない感情が顔を出したり、できない自分を責めたたり

こう考え「ネバベキ」に陥っているし

抜け出そうと更に上へ先へ外に求め知識の構築は大したものだが

一向に降ろす事ができないのである。


無邪気さは胸の奥底に深く深く追いやりながら無邪気さのお勉強であり

「こうあらネバベキ」と自己否定しながら自己解放を

自律神経を緊張させながら活性化を図ろうとしているのである。


コトバそのものに気づけないが故にはまり込んでいる落とし穴に思う。



ちなみに、小田野先生は「生-死=命」とシンプルに考えられ

命は客観面では「動+音+音」=エネルギーで実態は光透波

主観面では感覚にコトバがはたらいている「感情」と解明されている。


つまり、感情が主観面での命であるので

感情にロックされて「売りコトバに買いコトバ」の

下からのコトバの使い方に明け暮れていては、

命=エネルギーは高まりようが無く枯渇の一途ではないだろうか。


それが端的に一番身近な空間現象である「体」に現れるし

家庭に、対人関係に、出会いに、仕事に・・・自分のWORLD(人生)に

結果していると考えられ、まさにWORLDはWORD+Lではないだろうか。




そこで気づくことは

コトバの使い方は相変わらず下からの使い方のまま

体を良くしたい、幸せになりたいと薬に頼り、神社仏閣、方位取り、霊能者、グッズ・・・

外に求めて止まないことだ。


勿論それぞれに意義があるのだが

神様仏様の御実態が「コトバであるぞよ」なのである。


方位取りは場の持つエネルギーにあやかるのだが

北が吉方なら相対する南は凶方と考えられるし

北半球は南が陽だが、南半球では南下するほど寒く陰になり

西に方位を取り大欲張りすれば一番遠い西は、ぐるりと回り自分の真後ろである。


コトバのエネルギーに気づかないと、

少しでも良くなりたい思いが方位に過敏になり逆に気を病んでしまう。

(実際、買い物すら方位で決める人が来院したことがある)


コトバの本質は光透場で宇宙を構成する5次元エネルギーなのだから

茲にいながら満天(パーフェクト)方位取りできるのである。

空海やキリスト、聖者が行った奇跡は光透場(言霊)を降ろしたのである。



「売りコトバに買いコトバ」にさよならし、

無意識無自覚を含め記憶にロックされた下からのコトバの使い方を解放し

上からのコトバの使い方に執着したい。




なぜ「執着」と表現するかというと

感情が命であるので、誰もが自分の感情が正義であり大切なので

感情という主観に埋没して、感情を客観するには大変なエネルギーが要るからである。


様々な事件の背景には、感情の納得の為に命も惜しくはないとやってしまうのである。



しかし、「音」がエネルギーと理解があると

「ソウカソウカ、無理なかった」「モンダイナイ」の音波云できている時は

感情から離れているからこそであり、

その隙間に気づきというエネルギーが降ろされて、感情が解放されていく。


感情から感覚にシフトしていき、シャープさが磨かれていく。

それが六感覚に繋がる知覚の活性に思う。




上からの使い方とは

神様仏様の御心のコトバの本質である「愛と感謝、イタワリと許し」の音を

売りコトバを買う代わりに使うことである。


「ネバベキ」の音が作る自己否定とジャッジのWORLDから

健康と安らぎ、調和が連鎖する間に合っているWORLDが醸し出されていくと考える。


コトバの本来性に執着で、執→幸+丸と書くように丸々幸せに着くテクニックである。




コトバの大切さをご存知の方は多いのだが

知識がある故に「ネバベキ」とジャッジしたり

まだ自分はダメだと自己否定に陥っている灯台下暗しが意外に多いのではないか。




D アイウエオ50音図の力

人種に関係なく人は命に宇宙の音を授かっているので

人だけが自分を自覚できる自意識を持てる由縁である。


宇宙の音は76音種と小田野早秧先生は光透波理で解明された。



人の命は76音種の音である。

宇宙は無限永遠のエネルギーであるから、

1次元では音、その音は永続音である。

2次元では光、その光はC∞の光透波で真空透明である。

3次元では温、その温度は全宇宙の温度を中和した絶対乾燥の36℃

       常春とは極楽浄土の全くの快適温度の形容であり

       人の命の持つ基礎体温になっている。



永続音はンからウに開かれ

ア行~ワ行に展開する50音+濁音20+反濁音5(パピプペポ)の76音種である。



命に永続音の76音種を授かっていることから考察すると

人類誕生(小田野先生は360万年前と考察)から神人合一の時代は

神(76音)の音=コトバを使っており、人類は母音言語の一言語であったと考えられる。


旧約聖書、創世記 第11章1節

全地は同じ発音、同じ言葉であった。



小田野先生は人類発祥地は日本であり、日本から西進し人類が増えて行ったと考察された。

それに伴って母音から離れ子音が増えて行ったと考えられる。


バベルの塔の崩壊は

神の音(永続音=母音)からずれて子音を使うようになったと考えても面白い。


旧約聖書、創世記 第11章 7~9

7、下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう。
8 、こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、

  彼らは町を建てるのをやめた。
9、 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。 

  主がそこで全地の言葉を乱されたからである。 

  主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。




なぜ日本人は母音を保てて来たのだろうか。

それがアイウエオ50音図である。


50音図はいつの時代からあるのかわからないと言われている。


神代文字,阿比留文字・・・古代の文字は母音一音一音を表し整理したものであった。

それがアイウエオ50音図として現代まで伝承されている。


もし整理されたもの=基準・原点がなければ戻る事ができず

いかようにも変化し発音は子音化していく。


人体の構造上、発声は声帯を振動させてするので息を出す必要があり

その為に瞬間音=子音になりやすいと考えられる。




方言を観るとわかりやすい。

東北弁などフランス語のように聞こえるし、

例えば東北弁と九州弁では何を言っているのかわかりにくい。


それは発音が子音化されてしまうからである。


しかし、50音図に照らすと音が明確になり、音と意味が繋がり通じるのである。


日本でも各地に方言(子音化された発音)があるが、

50音図でフィードバックできるので通じるのである。


インドを放浪していた時に体験したが、

町や地域を少し離れただけでコトバが違い通じず

50音図のようにフィードバックできるものが無いので一々覚える必要がある。


それで多言語国家は英語など公用語を必要とするが

日本では多種の方言があっても一言語で間に合うのは50音図の力である。



音を整理した50音図が無ければ、人類の増加と分散に比例し発音は子音化し

多種多様の言語が発生するのは当然である。


なぜ6500種以上もの言語があるのか考えてみれば不思議であるが

その原因が観えてくる思いである。



人類が再び神人合一を迎えるには

コトバのハタラキから言うと

宇宙=神の音に唯一ストレートの日本語がカギを握っていると考えられる。


世界では英語が公用語のようになっているが、

これからは日本語が世界の公用語になれば良いと考える。



私たちは神の音を使っている自覚が出れば

それだけでコトバを大切に使いもっとおおらかに、優しくなれると思うし

ジャッジと自己否定からの脱却も難しくはないように感じる。




D なぜ人だけがコトバを習得できるのか

コトバをなぜ習得できるのか、当たり前すぎて全く疑問には上がらなかった。

しかし、考えてみればものすごく不思議である。


その謎を小田野早秧(サナエ)先生は光透波理論で解明された。

コトバが命であると。



どのようになっているかというと

命は宇宙エネルギー、神の分霊であると理解されているが、

エネルギーで現すと

1/∞秒で∞(無限大)を回る→今という瞬間に無限大を回り今茲に戻る速度で

無限大を回っても時間差は生じない→動いているが止まっている速度(動=止)。


それが光透波で、

C(光速30万キロ/sec)の無限乗で大真空=無限の透明を構成し

「透」は秀走と書くようにTOP(秀)の走り(動き)、

どの位の速度かというとSTOP止まっている速度と字は教えている。


STOP→S+TOP

Sはアルファベット19位で十九トク、最高の速度TOPを解くと

STOP止まっているとなり、止は上に一を付ければ正という字になるので

無上の正しさを成立する速度と理解できる。



物理の持つエネルギーはE=MC2であるが、

宇宙=神のエネルギーはE=C∞と解明された。



その波動を1次元で捉えれば「音」、2次元では「光」、3次元では「温度」。

音であり光であり温度と理解できる。


神は光であるし、如来は本来は如去如来といい去=来のC∞の速度の形容であり

常春とは極楽浄土(宇宙)の温度を現していると理解できる。


「音」が宇宙意識=天意=如来の御心を成立している。



私達の命は宇宙エネルギー、神の分霊であるが、

宇宙意識=天意を成立する「音」を命に授かっていると理解できる。

     生命の樹  



宇宙意識=天意→天網(真空透明の無限に細かい網)を構成する76音種を

間脳に生命電磁場として授かっている。


ナムアミダブツ=76(音)で編まれている網だ、仏は。


人は宇宙の「音」を命に授かっているから

赤ちゃんに日本語で話しかけ刷り込むと命に授かっている音が

日本語の音で引き出されるし

英語でやれば英語の音が引き出されるように

母国語の話しかけ刷り込みでその音が引き出され、

引き出された音の仕組み(母国語)で自意識を育んで行くのである。



EDUCATEの語源は、潜在する能力を引き出すとあり、

言語の習得も命に音があるからできるわけである。


更に言えば、すでに命に宇宙の叡智を授かっているのであるから

教える覚え込ませるでは学校は登校拒否で救いにならず

引き出すスタンスであったら救得る=SCHOOLになるのではないだろうか。



人種に関係なく人は宇宙の「音」を授かり共通しているので

どの民族語も習得が可能である。

授かる音種が共通していなければ、

命に無い音は引き出せないので習得は不可能である。



そして、宇宙の「音」は動=止の絶対界を成立するが故、

主観=客観→主観を完璧に客観できた完情=空意(アイ)=愛である。


その音を授かるため自分を自覚できる自意識を人だけが持つことができ、

自意識があるが故に「自分とは何か、何のために生きるのか」と苦悩も生じる。


他の動物は命に宇宙の音を授かっていないので自意識は持てず

そのような苦悩は無く自然のハタラキの本能で生きていおり、自然そのものである。


しかし、人は自意識を持つが故に

自分で生きている、自分の力でやっていると傲慢に陥り

摂理から外れ動物以下の残忍さも持ち合わせてしまう。



さらに、人であれば先に挙げたようにどの民族語も習得が可能であるが

動物に人の言語をいくら話しかけ刷り込んでも話せるようにならないのは

命に授かる音種が無いから引き出せないのである。



引き出された言語(母国語)の音の仕組みによって自意識を育むが

(宇宙の音がストレートの日本語の母音言語と子音言語に大別される)

どういう話しかけや刷り込みで引き出されるかで

自意識(思考と感情)のバックボォンになる。



D バックボォン(母音)2

「1」では個人のバックボォンを観たが、人類のバックボォンからアプローチしたい。


世界には6500以上の民族語があるといわれ

その中で唯一と言っていい母音言語が日本語である。(ポリネシアにもあるがマイナーである)


「ア・イ・ウ・エ・オ」は母音=永続音に違いないが

カ行以後の音はどうなのか?


カ、キ、ク、ケ、コ・サ、シ、ス、セ、ソ・・・日本語の音の表記は一音に一字だが

アルファベットで表記すると

KA,KI,KU,KE,KOと「K」+AIUEO

サ行なら「S」+AIUEO

タ行なら「T」+AIUEO

      ・

      ・ 

      ・

ワ行なら「W」+AIUEO


50音全てにAIUEOの母音が付くことがわかる。

ガギグゲゴ、パピプペポなど濁音と反濁音もAIUEOが付き、

ン(N)を合わせ76音種がある。



同時にアルファベットの特徴が理解できる。

日本語の「一音に一字」例えば「カ」をK+Aと2文字で表記することは

分析性に優れるという特徴があり、

逆から言えば、日本語は一つにまとめる特徴があることがわかる。      


   生命の樹

 

イラストは天から授かる音に根を張り、葉を茂らせている逆木サカキ=榊である。

 

コトバはコトの葉なのである。

日本語は母音=永続音であることは、宇宙を構成している音をストレートに使っている

とんでもない言語で、宇宙エネルギーが乗っかっている。


日本語はバックに宇宙という母音(親の音)を携える言語で

それ故に言霊の幸和う国なのである。


アルファベットで代表される子音言語は、

瞬間音なので宇宙の音を携える事ができないのである。




コトバが思考と感情の元素であるので

子音言語(アルファベット)は分析性に優れる特徴が

答は一つ、弁証的思考で科学が発達し、宗教では一神教を生む必然性がある。


日本語は統合性に優れるので

答は色々、臨機応変、八百の神で懐が広い。

お宮参り(神道)はするし、結婚式はチャペルの教会で、死んだらお寺だし

世界中の料理を日本流にアレンジもでき、どの国のコトバ=単語も日本語に翻訳できる。


曖昧であり、宗教観が無い、アイデンティティーが無い・・・

それはどんなことも受け入れられる裏返しではないだろうか。



これからの世界平和の礎になれるのは

音の仕組みから言って日本であると考えられる。


子音言語のどの民族も宗教がベースになっているので

一神教同士ではどうしても対立を生みやすいのである。




私たち日本人が命として授かっているバックボォン(母音)を理解し

自覚することが求められる。


小田野先生は日本語の音の仕組みに宇宙=神=命を解明できる鍵があることを

光透波理論を打ち出された。

エネルギーと幾何論で弁証するので全宗教に橋を架ける事ができる理論である。

(宗教も科学も哲学も全てはコトバに由っているわけで、そのコトバとは何かを解明している)



さらには、日本語と分析性に優れるアルファベットをこなせることが

両方の良いとこ取りができ、

世界の多くの人が日本語を使うことで母音の働きで調和が醸し出されると考える。




D バックボォン(母音) 1

BACK BONE

 背骨。 思想・信条の背景にあり、それを成り立たせている考え方。精神的支柱。


思考と感情の元となっているものは、BONEボネ=母(おや)の音と解釈でき

親からどういうコトバを刷り込まれてきたかが個々の精神的支柱になっている。



背骨の状態が姿勢や体調に現れる。

ちなみに、体型は身長に関係なく骨盤が広いと太っちょ、狭ければ細身になるので、

スレンダーになるには骨盤を締める事がコツでカロリーだけが問題ではない。


特に坐骨を締めるとヒップアップしプリッとしたお尻にすることができるし

産後に太りやすく垂れたお尻になるのは

坐骨が出産で開いたままになっているからである。



思考と感情も体型と同様だ。

「三つ子の魂百までも」というように、幼少期が思考と感情のベースになるので

ネガティブなコトバを刷り込まれてきたならば、

精神的支柱はネガティブになってしまうことが解る。


ネガティブは命の本来性と違うために誰もが不快なのである。

その不快が反動となって自己防衛を強め許す事、イタワル事、認める事が難しい。


自己防衛が「闘争か逃走」の思考と感情になり、知覚を狭め緊張させていて

その事に無自覚であるが体は正直に緊張歪みとして現し、背骨に投影している。


恐怖というネガティブエネルギーを刷り込まれたら、

「怖いーッ、やだーッ!」反射的に胸を閉じ骨盤を寝かせ

肩と首をすくめた猫背になるではないか。


姿勢だけではない。

表情筋で構成される顔にそのエネルギーが出るので、人相に投影すると考えられる。


解放解消しないとずーと蓄積され続け

それが思考と感情=精神的支柱になるばかりか体質にもなるし

運勢にも投影されると考えられる。


なぜならば、WORLD→WORD+L(開く意味がある)

自身の世界=人生はどういうコトバを展開して来たかの結果であるし

コトバを変えることで自身の世界=人生も体も変える事ができ

健康と安らぎと間に合っている世界が開かれると考えられるのである。


それなのに、コトバの使い方は依然として刷り込まれたBACK BONEのまま

自身の思考と感情に見合うように現象や相手を変えよう、

引き寄せようとしているのではないだろうか。




この仕組みがわかるとほとんどの病気の原因は心因であり、

バックにある母音(親のコトバ)であり、背骨に結果している。


病気の原因の心因は親のコトバ(母音)であり

それは、そのまた親から伝承されて来ているものであるから

因縁とも言え

因縁=因音云(インネン)と音の云(はこび)とズバリと取れる。



因縁となっている思考と感情は

代々伝承されてきた親からのコトバ(母音)でネガティブであるほど

「ネバベキ」の音にロックされ、「売りコトバに買いコトバ」にしがらんでいる。


そのしがらみは「許せるようになったら許す・認められるようになったら認める・

やれるようになったらやる」と感情に支配され続け

下からのコトバの使い方でいるので、「永遠のいつか」で解消を子孫に先送る。



その子孫である「音の仕組み」に気づけた私達は売られたコトバを買わずに、

コトバの本来性である「愛と感謝、イタワリと許し」の音を使いたい。


頭にきても「ソウカソウカ、無理なかった」、問題を感じたら「モンダイナイ」と

上からの使い方に徹することで因縁解消=バックボォンの音の編集をすることになる。


問題は現象や相手ではなく、

刷り込まれたバックボォンによる自身の思考と感情にあるのだから。



言うのはたやすいが、実際は大変なエネルギーが必要である。

しがみ付くことができるのは仕組みを理解できるからであり

理知力を獲得するからである。



それができないと、「売りコトバに買いコトバ」の下からのコトバにロックされたままで

自己否定しながら自己解放を願い、問題ありにスタンスしながら問題の解消を願い

「今茲」を上へ先へ求め続けてしまうのである。


それが「永遠のいつか」なのである。





D 祓いの考察

水の力

穢れ、汚れを電気的に捉えれば+電気の帯電と言え酸化である。

水はクラスターが小さいほど-電気を持ち還元力があるから

手を洗う、洗濯やお風呂・・・汚れや疲れを落とすことができるわけだ。水分補充の意義


また、水は情報を録音するので、神社仏閣などや高い磁場をプリントしている。

御神水や聖水など-電気の還元力と共にそれらの情報で祓いになる。


滝行、水垢離(みずごり)は水の力に祝詞や真言の音のエネルギーの発声=発生で

シノゴノこんがらがった思考や感情の自我は祓われ、本来性の誠が洗われ=現れる。




「誠」は言+成と書くように、

コトハ=詞=光透波の音の本質(言霊)の顕現である。


誠の世界は「愛と感謝、イタワリと許し」であり、シンクロタイムリーで充満し

調和の連鎖であり、それは寸分の狂いもない合理性が裏付けている。

マイナスエントロピーの発生が祓いであるとわかってくる。


真空パックは腐らない、酸化しないことでわかるように

光透波が創る真空透明こそが誠であり絶体マイナスエントロピーである。



情感で言えば神様仏様に感応が祓いであり汚れが洗われ本来性が現れると言える。

感応が祓いのコツではないだろうか。


思考や知識ではなく

詞=言霊の発声で音のエネルギーに云(はこ)ばれる音波云(ネハン)が

感応を高めてくれ、祓われた結果思考や知識は降りてくる。


声明もマントラも祈りも言霊も音のエネルギーであり音波云である。




「水に流す」という意義は

水の-電気の還元力にあずかり思考や感情わだかまりを祓いたい事と言えるし

ガンジス川に遺体を流すのも、灯篭流しも水に流すのである。




D 笑いは祓い

邪気を祓うと言うように、不合理・濁り・汚れなどを取り除くことである。


授かる命の本質は光透波

絶対の明るさ軽さ、慈愛と安らぎ、真理という合理性そのものだ。


本来性に回帰する方が心地良いわけだから

誰もが闇より明を、不安より安らぎを、濁りより清澄を、不合理より合理を求め

阻止しているものを祓いたいのだ。


有難いことは、無いものを求めるのであれば大変極まりないが、

元々授かっているのだから祓えば良いと言える。


治療の本質は祓いとも言える。




さて、その祓いが笑いであることを掘ってみたい。


「こんにちは」「私は」などハをワと発音するように、

ワライ=ハライと音が共通することは同じ質のエネルギーや意味がある。



邪気を受けている状態

不安と恐れで暗くなり思考が止まらない、胸は閉じ呼吸は浅く猫背、自律神経緊張。

自我が生んでいる不合理な思考と感情が

体は勿論だが不調和、間に合わない世界を現象しているのである。


その逆が「ワッ、ハハハ」笑いである。

こんがらがった思考と感情を吹き飛ばし、胸は開き呼吸は深く、緊張緩和する。

フィジカル面でも横隔膜の活性で祓いになっているのであるが

強調したいのが「ワッ、ハハハ」の音の発声である。



音に固定した意味を持たせず(概念化せず)発声することは、

詞を発声しているのである。


光透波が創る76音(ン、清音50、濁音反濁音20)が詞であり

宇宙を成立する音=エネルギーであり私達の命の源である。生命の樹


76音それぞれが天意=宇宙意識の「愛と感謝、イタワリと許し」、

清澄と合理そのもので調和の連鎖しかない世界、絶体マイナスエントロピーであるから

「詞」の発声はそれを発生する事である。


「詞」の発声が祓いになっているのである。


音が宇宙を構成する究極のエネルギー、いわゆる言霊の発声=発生をしている。



「ワッ、ハハハ」を詞を解明している天鏡図で取ると

「和通、波波波」→調和に通うエネルギーの連鎖の発声=発生をしているのだ。



エネルギーが空間を結果するのであるから

「ワッ、ハハハ」の発声が胸を開き呼吸を深め、緊張緩和に

和みを醸し出し調和の連鎖を発生するのである。


「ワッ、ハハハ」の発声=笑いが祓いになるのである。


「モンダイナイ」の音波云の元にやればさらに大祓いである。


笑えるようになったら笑うと感情にロックした人が多いが、

面白くなくても、感情が乗らなくても関係ないことを理解し笑ってみよう。


「笑う門には福来る」は祓いを発生しているからだ。




更に文字はどう教えているか。

祓→示一ノ・メ

一は絶対、ノは能(ハタラキ)、・は天、メは命

祓うことは、絶体の能(ハタラキ)の天=宇宙生命を示す=発生する事と取れる。


光透波である言霊の発声が祓いを発生するのである。


理知力が無ければ本来性を阻んでいる自我に翻弄されので

自分を客観できる理知力が育まれるほど祓いの発生は強まるのは言うまでもない。


こんがらがった思考と感情を笑い飛ばし、自我を祓いたい。





D 夏至

6月21日、1年で一番日が長く陽のエネルギーの極まりで

転換エネルギーの到来である。


増々自然界のエネルギーが強まり転換が加速されている昨今で

自然災害や異常気象が物語っているが

地球の声を聞けば、

「お前さん達が崩したバランスを戻そうとしているんだよ。

それを災害だとか、異常とか言われてもねぇ。」と。




24日にイギリスのEU離脱で世界経済の大波乱、

これもそのエネルギーの現象化で大転換の幕開けではないか。


当然、私たち個々もそのエネルギーに影響されている。



2016、6、21 今年の夏至を原数に戻せば

年: 2+1+6=9

月日:6+2+1=9

年+月日:9+9=18=1+8=9


(年も月日も1,2,6で構成されている意義も有るはずだ)


年も月日もトータルでも9で999。

9は極まりの数である。


summer solstice→ 絶頂点, 分岐点, 極点、重大局面

意味からも数から観ても今年は面白い。


999でサンク=惨苦かTHANK YOUかの二極分割がはっきりしてくる。


自然界のビッグウェーブにサーフィンのように乗れるか、

それとも飲み込まれるかの分岐点が今年の夏至の意味に思えるのである。




どうしたらサンキュウにできるのか、字はどう教えているか観てみよう。

夏至ゲシ→解私=解詞と取れる。

私の本質は詞(コトハ=光透波)であり、とっ捕まってきた自我にあるのではない。


つまり、自己解放することである。


アナハタと潜在意識を司る小脳にポイントがあるが

5次元と繋がっているインナーチャイルドと仲良しになる事である。



今年の夏至、まさに今そのエネルギーが到来しているわけで

乗らないと千載一遇を逃し、ビッグウェーブに飲み込まれあっという間にドボンだ。


ドボンすると簡単に頭をおかしくし、あっという間に酸化の極まりの癌であり

天変地異も当然ではあるが、頭と体の方で惨苦に見舞われるのではないだろうか。


そういう人が増えているとあなたも実感しているのではないだろうか。



私は詞、言を司っている光透波は「愛と感謝、イタワリと許し」で充満している。

音がエネルギーであるから、

自己解放とは「愛と感謝、イタワリと許し」の音をどこまでも深く使うことである。


すると、長~い間自我にあった主役がインナーチャイルドにシフトしていく。主役の交代



コトバが心の元素なのだから、

売りコトバに買いコトバの路線から抜け出し、

買わずに「愛と感謝、イタワリと許し」の音を回す事で

ビッグウェーブに乗れてサンキュウ、嫌でも有難い想いが湧き起ってくる。


なぜならば、私達の意識の本来性は、CONSCIOUS=感謝スなのである。




D 変わろうとし過ぎてはいないだろうか 2

中学生の時に容姿をけなされたことでコンプレックスを持ち

もう何年も変わろうともがいている人。


見ればちっともオヘチャじゃないのに、その時に受けたコンプレックスで

自分にオヘチャだとレッテルを貼り、絶えず気にしているので緊張しオーラを曇らせている。



こんな自分は嫌い、ダメと自己否定しているのだ。

だから変わろうともがくのであるが、自己否定していては変われない。


変わろうとするほど自己否定が強まるばかりで、変われないのである。

頭の中はコンプレックスに支配された思考と感情になっている。



自己否定していたらエネルギーは強まりようがなく

角度を変えて個性で言えば、

優しさが臆病に、気配りが取り越し苦労・心配性に、マジメが緊張や萎縮に・・・

せっかくの良い個性が裏目に出てしまい、そして自分を変えようともがく。


エネルギーが強ければ個性は開花し弱ければ裏目に出るだけのことで

持って生まれた個性は変えられないし

エネルギーの状態がオーラと個性に投影しているのである。



自己否定=エネルギーダウン=自律神経緊張=裏目に出る個性=オーラのくすみ、

「過去の執着・未来の不安」にとっ捕まっていて「今」が遠のいている状態である。




エネルギーを高めるには

自己否定がアナハタの詰りの原因であるので

名前を優しく愛おしくアナハタに向けそっと呼ぶ事である。


名前に個性・潜在情報・命・宇宙の叡智が秘められているのであるから

自己否定は名前を潰していると言えるのである。




変わるには

「過去の執着・未来の不安」から脱却し「今」が近づけば良いとわかると思う。

しかし、頭では「今茲」とわかっているが、なかなか近づかない人も多いが

知識だけでは難しいのである。


自己否定に無自覚であるし、仮に気づいてもネバベキの音に支配されたままだと

知識や思考では変わりにくいのである。



文字はどう教えているか観てみよう。

カワル→加割=割る事を加えると取れる。


割ることはもっと清く正しく美しくと精神の背伸びをするのではなく

「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワル事である。自分を割る


音がエネルギーであるから、

ソウカソウカのイタワリの音のエネルギーに云(はこ)ばれるという

音波云(ネハン)することで変わっていく。


ソウカ


イタワル事が過去を肯定する音のエネルギーであるので、「今」が近づいてくるのである。

知識や思考ではなく、音のエネルギーに云ばれる、音波云が大切である。



変わろうとし過ぎる原因は、自己否定に在り

自己否定しているから変われないことが見えてくる。


それがワカルとカワル仕組みである。



当然、自律神経緊で脳脊髄液滞留が強く頭が大きく、脳力=能力の低下状態である。

フィジカルアプローチとして

脳脊髄液滞留を解消してあげると加速する。

PCのフリーズを解消すればサクサク情報処理は動くのと同じである。



もがきの終焉を迎えて、人生が変わっていく。

良かったね




D 変わろうとし過ぎてはいないだろうか 1

変わろうとするほど変われない。

なぜならば、「今」を否定しているからであり自己否定に陥っているからである。

パラドックスである。


明るい人に、優しい人に、もっと健康に、豊かに変わりたいとセミナーを行脚したり

シノゴノやってきた人と接する。

名前には明、優、裕、祐、正、健、豊、美・・・

皆さん変わる必要のない音と文字を持っているのに。



名前には個性、命の情報、潜在意識、宇宙の叡智・・・あらゆる情報=エネルギーが

個々の名前に見合ってインプットされている。


死んだら名前だけになることでわかるように、

自分とは肉体ではなく名前の持つ音=波動=エネルギーに在る。


名→タ+ロ、タは田、ロは露 

字を割れば、絶対電磁場(田)が露われていると取れるし、

音で取れば、名はメ=命、名前に命の情報がある。




変わろうとする人の共通点は、思考や知識を詰め込み過ぎていることだ。

自身の名前に情報という宝の山があるのに、

こんな自分ではダメと自己否定しながら変わろうとして

思考や知識で外に求めているから情報は開示されないのである。



なぜ開示できなくなったのだろうか。掘り下げてみると

○○○、ダメでしょ!と物心つく頃から名前にネガティブなエネルギーを載せられ

名前を潰されて来たからではないだろうか。


潰されれば裏目に出てしまうのは当然だ。

名前を愛おしく呼ばれたのは、赤ちゃんの時かラブラブの頃だけで

あとは名前にネバベキのてんこ盛り、家でも学校でもネバベキ、社会がネバベキである。


そのままの自分を認めることも許すことも愛すこともできなくなり、

こんな自分ではいけないと変わろうともがくのではないだろうか。



ラブラブの時を思い出してみよう。

名前を愛おしく呼ばれる心地良さを。


エネルギーが高まるのだ。


犬でさえ名前を愛おしく呼ばれたらシッポを振って喜びを現すではないか。



愛おしく呼んでくれる人がいれば勿論いいわけだが

自分の名前をアナハタに向け優しく愛おしくそっと呼んでみよう。



自分を許す認める愛す・・・そんなの知ってらい!できないから苦しいんだよ。

それは、思考や知識で変わろうとするからだ。


思考や知識ではなく、どこまでも深く名前を大切に愛おしく呼び

水面に波動が伝わるようにその音の余韻を感じることだ。



そして、子供やパートナー、相手の名前も優しく愛おしく呼んでみよう。

ムカついてできないのは、自身の名前=命を潰され否定されたレベルの現れである。


それが強い人は自分の名前が嫌いというか好きではない傾向がある。





D 字割の醍醐味 2

字割はダイレクトに天意を開く

文字に潜象界である天意、法則、叡智が秘められており

それを開く術が字割である。


角度を変えれば

字割によってダイレクトに天意が降ろされることである。

つまり、一人一人が天意と繋がることが可能なのである。


この意義はとても大きい。

なぜならば、特殊な霊感者でなければできないものを、

個々にできる事なのである。


そして、チャネリングや霊感と言っても

どの次元で繋がっているのかわかりにくいし、

自我の投影でやっていることも結構あるのである。


それらは主観だけで、裏付けできるものが少ないのである。




先日のセミナーで、熊本地震に関して質問があった。

ある霊感者は、悪の枢軸の仕業で人工地震によるもので

最後のあがきをやっていると。


また、ある霊感者は建て替え立て直しで天の意思による浄化で起きていると。

どっちが本当でしょうかという質問であった。



同じ地震を悪と天の両極に分かれて意味づけをしている。

その情報に翻弄されているわけである。


小田野先生の所には

天鏡図の臭いを嗅ぎ分けるのか

様々な霊感者が押し寄せてきた。

新興宗教の開祖や教祖、知名度のある人も多かった。


「それらの人達は何の裏付けもなく霊感だけでやっているから

いい加減なことばっかり、霊感っていい加減よ」とおっしゃていたが

人が為す→偽となるように、

確かに人の教えは曖昧さが出るが

字割は光透波理(コトハリ)に裏付けられているので

ピタリピタリと整合性をもって降ろされるのである。


その上であれば、翻弄されることもなく参考にもできる。



熊本という音と文字、数を現す日時などから

字割すれば整合性を持って天意が降ろされるし、

個々の問い方に応じた答が出るのである。


人の教えに翻弄されるのではなく

字割は個々にダイレクトに天意と繋がる術なのである。



周りを見れば

人からの教え、霊感、チャネリング・・・を鵜呑みにし

思い込みにも気づけず翻弄され、自分が自身の主人公であることを

手放している人が多くないだろうか。


何に拠り所を持てばいいのかわからない時代だからだろうし

少しでも良くなりたい、少しでも悪くなりたくないという

不安と恐怖が根底にあるからではないだろうか。


字割によって母慈の光に包まれることで溶けていくと考える。



字はウ+子、宇宙の子(神の子)になる為に人間だけが持たされている。


止観の奥義は字にあると考えられるし

観音力は、「音を観る力」と書くように

「字」に秘められている潜象のエネルギーと言えるわけで

字割は観音力を授かる事とも言える。




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D 字割の醍醐味 1

私は日本語という音(コトバ)を使い意識を成立しているように

人は母国語の音で概念を構築し自意識を持っている。


意識を生んでいる音の本質は1/∞秒で∞大を回るこれ以上は無い絶対速度で

イラストの天網=真空透明を成立している絶対エネルギーである。


生命の樹



絶対速度の音が宇宙意識(天意=愛)を成立し、

音が数に働き真理という法則を成立している。



字は音を必然するが、角度を変えれば絶対速度の音を止めているのである。

止観は如来(本来は如去如来と言い、去=来の絶対速度を形容する)

を止めて観ることだが、

絶対速度を止めて観れることは奥義は字にあると考えられる。


字に如来様、宇宙意識、天意、アカシックレコード、真理・・・

概念を超越した潜象界が秘められているのである。



字割は潜象を現象界に開く術である。

別な表現をすれば概念を割る=概念を超越した世界が開かれるのである。


その字割を可能にしたのが小田野先生に降ろされた

宇宙法則である光透波理(コトハリ)を解明している天鏡図である。



瞑想や内観など主観アプローチしかできなかったが

その潜象界を字割はズバリと目で観ることができるのである。



情緒的に言えば

真空透明をTRANSPARENTというが

TRANS+PARENTで超越した親→肉体の親ではなく命を育む親

である天意、宇宙意識、愛が文字を割ることで開かれるのである。


小田野先生は親心と実感を込めて表現されていたが

這えば立て、立てば歩めの親心で、

超越した親に全て計らわれ誘導されている実感が文字を通して開かれるのである。



文字に母慈が秘められている。

字割は母慈に包まれる術である。

   

      yjimage4VJ4FP4W.jpg


母慈の光に包まれたら、不安も恐れも悲しみも影を潜め

命は躍動し癒されるのである。 


小田野先生は、癌になりたくてもなれないわよ、癌だって栄養にしちゃうんだから

と字割効果を表現されていた。





Dフリーエリア
Dプロフィール

桑原大治

Author:桑原大治
宇宙は光透波
無限分の1秒で無限大を回る絶対速度、命でありコトバの本質と解く小田野早秧先生に1984から御逝去の2001まで師事し光透波理と字割を元に、埼玉県川口市でカルナ治療院を開いています。

腰痛、膝痛、首痛、顎関節症、スポーツ障害、内臓疾患、ウツ、自律神経失調症
メンタルからもアプローチしながら対応します。
改善しにくい原因に、無自覚の自己否定、口呼吸、菌の影響があります。
MMSのアドバイスもします。

予約制、水曜・木曜休診

JR武蔵野線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)
東川口駅歩3分 

問い合わせ
kt99av@bma.biglobe.ne.jp

Dカレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
D最新記事
D最新コメント
Dカテゴリ
D月別アーカイブ
Dメールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Dフリーエリア
検索フォーム
リンク
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア
フリーエリア

FC2Ad