Dアルがまま 3

ジャッジが「アルがまま」を封印していることが見えてきましたが
ジャッジしないとはどういうことでしょう。


字はどう教えているか。
有るがまま
「1」でアップしたように記憶=概念から抜け出せないのでジャッジは付きまといます。

「アルがまま」をなんとなくわかるがはっきりしない。


在るがまま
在→ナ l 土{+-
ナ=名でコトバ、l=絶対、+-=トヒで問い
コトバを絶対性を問う使い方です。

決めつけない=ジャッジしない唯一の方法が問い続けることです。

ジャッジは思考と感情=記憶=概念で固定しますが、問い続けることが固定からの脱却です。


それは何で?、何でそう考えたり反応するのだろう?・・・
ジャッジせず問い続けることは
善悪、良い悪い、正しい正しくないなどを拠り所にできません。
そういうことを超えて行きます。


ネガティブが前提になってポジティブが在るという必然性であり
必然性=法則を良い悪い、正しい正しくないとジャッジし翻弄されていることに気づきたい。



問い続けることで
自分は何でそう考え反応するのかと主観を客観する力を育みます。
自我を薄くしていきます。
感情に縛られなくなるので、感覚にシフトしていきます。
感覚のセンスアップが感応力=間脳力となり
 感応=電信=田心=思考を超えたインスピレーション=直観=六感が深まります。
その体は自律神経緊張緩和ですから健康と安らぎが深まります。



思考と感情にロックされることは
自我の強さであり、記憶=概念を無意識に基準にしているため
売りコトバに買いコトバで反応し続けます。

記憶という過去からのコトバの使い方しかできません。


許せるようになったら許す、ですから許せないでいます。
やれるようになったらやるスタンスですから今が充実しません。

ですから「今茲」と知識はあっても上へ先へ求めますし、
「アルがまま」と言いながらジャッジの世界から抜け出せません。


常に刷り込まれた善、正義、正解に近づかネバと、
ジャッジと精神の背伸びをするネバ(NEVER)ランドの国の人になってしまい
無邪気さは潰されてしまいますね。

腰痛肩こりでカチンコチン、体も心も緊張がネバランド人の特徴ですね。



思考と感情を超越した「アルがまま」の世界は
ジャッジの無い世界で、在るのは「愛と感謝、イタワリと許し」のアタタカイ世界が
何ダ何ダと問い続けることで開けて行き、
ネバランドからアイ(愛)ランドの国の人になると思います。

インドの聖者を~ナンダ=何ダというのが面白いですね。


アイランドの人は「無知の知」を知っている人。
パスポートは「何ダ何ダの問い」ですね。



問い続ける=知ろうとする=素人するで、
怒り恐れにロックされた思考と感情が生む自我意識から
「空立(アル)がまま」という法則=必然性=真理、宇宙意識に開けて行けると思います。


AMATUREがAMATERU(アマテル)ですから
「アルがまま」の世界のアイランド人はAMATURE=素人です。

濁りから浄化のコツでもあります。


山に籠り瞑想に明け暮れなくても日常生活に開けます。
手段としてではなく、趣味として瞑想を味わえます。




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Dアルがまま 2

何で「アルがまま」がいいのか?
楽、和らぐ、安らぎが深まるからではないでしょうか。
誰もがその方が良いですよね。

この観点からさらに「アルがまま」を掘ってみます。



「アルがままではない」を明確にすると
「ジャッジ」です。
あらゆることを善悪・良い悪い・正しい正しくないとジャッジしています。


経験、知識、刷り込まれた思考と感情=蓄積された記憶=概念を元に
こうあるベキ・ネバとジャッジしています。


「無知の知」を知らないと
自分の思考と感情が第一になり、同調しないものが悪・正しくないとジャッジし続けています。

自分の思考と感情という正義をかざし自己主張=ジャッジしています。

だから正義って時代、民族、イデオロギー・・・個々によって違うんですね。
普遍のものではありません。

そんなものにしっかりロックされて個人でも世界でもタタカイ続けています。


それがもたらすものは
同調しなければ怒り、潰されれば恐れ。
怒りと恐れは表裏一体で、「闘争か逃走」のどちらかのスタンスに縛られ
恨み、やっかみ、ねたみ、そしり・・・と展開します。

うぬぼれとプライドを強くするか、自己憐憫と自己否定に落ち込みます。


自分の思考と感情=自我=記憶=概念にとっ捕まっていることが
「アルがままでない」状態に思います。


悩みは解放の前提、失敗は成功の元、濁りが有るから清浄がわかる波の仕組みですが
ポジティブの前提になるネガティブを否定した直線思考と感情ですから
「ネバ・ベキ」と無自覚にジャッジしています。


なぜ無自覚かというと
自分の思考と感情が第一、それにロックされているので客観できないからですね。

ですから主観に埋没し、怒りと恐れに揺さぶられ
その中で何とかしようと計算と思惑を強め、あるいは引き寄せようとシノゴノと
いつまでも重箱の隅を楊枝でほじくるイメージです。



自覚が芽生えると
「アルがままではない」ことが濁りであり不快ですから、浄化を求めます。
清く正しく美しくあらネバ
あるがままであらネバ・・・と



気持ちは十分わかりますが、
ネバスタンスは今までの自分(思考と感情)を否定しているんですね。

でも、その中には楽、和らぎ、安らぎは無いことがわかるので
否定せざるを得ないわけで「あるがままであらネバ」になっています。

どうあがいてもジャッジの世界=概念=自我から抜け出せない。

ですから「アルがまま」をわかるようではっきりしないのでしょうね。

恐怖を受け入れる
ありのままを受け入れる
考えるない、思考を止める・・・
同様にわかるようではっきりしない、やろうとしても難しい。



それらも思考と感情を基にするジャッジの世界には無いことが見えてきます。
それで禅の道に、瞑想にと思考を超越した世界を求めるわけです。

それでは山から下りては来られないし、瞑想を止めれば元の思考と感情に
戻りやすく馴染ませるには大変、かえって分離感を強め迷想の危惧が。


どうしたら日々の日常生活にジャッジしない「アルがまま」を開けるのでしょう。





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Dアルがまま 1

「アルがまま」に生きるとか、捉えるとか・・・「アルがまま」を良く耳にします。

思考を無くすとか、囚われないことなどと言われますが
どういうことを言うのか解るようではっきりしません。


「アルがまま」を掘ってみます。
物事の認識は過去の記憶情報を元にしています。

ということは
時代、国や地域、人種、環境、男女・・・
同じ物事でも意味付けになる記憶が違うなら個別に「アリ方」は違います。


「アリ方」は
記憶=概念=ものの見方考え方によっているわけで
同じ物事でも人によって認識が違いますし
個人でも物の見方考え方=思考と感情が以前と違えば「アリ方」が変わります。


有ルがまま
そのアリ方は思考と感情によってころころ変わるわけです。
概念が作っている「アリ方」の「有ルがまま」ですから普遍的ではありません。


有→ナ+月
ナは名=コトバ、月は肉体
肉体五感覚に乗っかるコトバと取れます。

それが概念を作っていて、物事の「アリ方」になっています。


記憶、そしてそれが基となっている思考と感情が作る「アリ方」なので
「アルがまま」に生きる、捉える・・・といっても
無自覚ですが決めつけやジャッジをしているので
概念から抜け出せず囚われていることが見えてきます。

ジャッジした途端、記憶=概念に縛られた「アリ方」になり
「アルがまま」ではなくなってしまいます。



ジャッジしない「アリ方」=囚われることなく
「アルがまま」でいるとはどういうことなんでしょう?





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Dプロフィール

桑原大治

Author:桑原大治
宇宙は光透波
無限分の1秒で無限大を回る絶対速度、命でありコトバの本質と解く小田野早秧先生に1984から御逝去の2001まで師事し光透波理と字割を元に、埼玉県川口市でカルナ治療院を開いています。

腰痛、膝痛、首痛、顎関節症、スポーツ障害、内臓疾患、ウツ、自律神経失調症
メンタルからもアプローチしながら対応します。
改善しにくい原因に、無自覚の自己否定、口呼吸、菌の影響があります。
MMSのアドバイスもします。

予約制、水曜・木曜休診

JR武蔵野線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)
東川口駅歩3分 

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kt99av@bma.biglobe.ne.jp

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