D月経前症候群(PMS) 3

フィジカルアプローチ

副腎疲労の姿勢
見てわかるように副腎は腎臓の上に乗っかっていて一心同体です。
東洋医学では腎虚証とまとめています。


      text2998-1[1]


疲労していることは働き過ぎでオーバーヒートしています。
 腎臓のオーバーヒートが冷えの原因です。冷え取り
 萎縮や変位(正常の位置からずれる)します。
  後方変位=背中側に位置がずれ背中が盛り上がる。
  下方変位=骨盤側に下がり腸、卵巣、子宮、膀胱など骨盤臓器を圧迫。


機能低下と同時に変位を起こすので
骨盤臓器の圧迫+骨盤・背骨の歪みをもたらしています。

子宮や卵巣の圧迫にもなっているのですから、
機能的器質的にダブルで負担がかかっているわけです。

腰痛、便秘、子宮の変位(後屈で子宮内膜症になりやすい)、生理不順、頻尿、尿漏れなど
骨盤臓器に影響します。


姿勢
寝た骨盤→仙骨後方変位→ひどいと背骨と仙骨が一枚板のように隙間が少ない。
(起きた骨盤はヒップアップしており、背骨とお尻の隙間が大きい)


寝た骨盤の土台に乗る背骨は歪み、胸は潰れ肩は内旋しアゴは前に出た猫背になります。


imagesO9G6FNC8.jpg


骨盤後傾(寝た骨盤)のまま立ち上がれば、猫背の姿勢になるのが解りますね。

背骨に自律神経があるのでその姿勢は自律神経緊張です。

自律神経緊張=副腎疲労=血糖値上昇=カンジダ菌増殖とリンクすることが見えてきます。



メンタル・フィジカル面で原因が解れば解消法も見えてきますし
安易に薬などに頼らず、安らぎと健康の扉を開けられると思います。


スポンサーサイト

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

D月経前症候群(PMS) 2

副腎疲労が大きな原因
疲労度が腰脇にグリグリとゴルフボールのような硬さに出ています。


      imagesMASA1RLU.jpg


PMSの人も硬いと思います。



メンタルアプローチ
ネバベキの思考と感情が強いと、ストレスを強く受けやすい。
なぜなら自分の思考と感情が第一でそれが正義になっています。

ですから自己主張が強い=負けず嫌い=比較競争しやすく、周りを気にしやすい。
几帳面=完璧主義でもありますから、上へ先へのビジョンが強く結果を気にする。

または、感情を素直に出せない、自分の中に押し込める、我慢する。
固定観念が強くマジメな人でもあります。



ストレスを受けやすいことは副腎疲労を招きます。
副腎は抗ストレスホルモンのコルチゾールを分泌して対応しようとしますが
対応しきれなくなるとプッツンの副腎疲労症状です。


副腎は性ホルモンも分泌するので疲労していては
生理前に大量に分泌する必要があるので負担が大きいんです。

あるいは、大きなストレスを受けた時に生理が止まるとか
周期が変動するのも副腎に負荷が強くかかるからでしょうね。


ストレス=自律神経(交感神経)緊張=コルチゾール分泌=血糖値上昇
ネバベキの思考と感情は副腎に負荷が慢性的にかかっています。


副腎は腸内細菌にも関与し、疲労するとカンジダ菌増殖となります。
カンジダ菌の大好物は糖質です。


ストレスでお酒やドカ食いするのは自律神経緊張で血糖値を上げたくなるわけで
背景には副腎の疲労とカンジダ菌増殖です。


PMSはネバベキの思考と感情=ストレス=副腎疲労=自律神経緊張=血糖値上昇=
カンジダ菌増殖などの関連が見えてきますね。


副腎は生理前に性ホルモンを分泌しますが、慢性的に疲労下にある副腎には負担大きく
抗ストレスホルモンの他にも様々なホルモンを分泌するので
対応しきれないのが精神的肉体的に出ます。

その症状がPMSですね。

副腎疲労=カンジダ菌増殖ですから
PMSで甘い物、ドカ食いはカンジダ菌が欲しい欲しいするからですね。


意志の力で控えようとすれば、我慢=ストレス=自律神経緊張で
更に副腎に負荷でカンジダ菌増殖のスパイラルです。

カンジダパワーは強力で、意志の力は簡単に吹き飛ばされます。


かと言って、カンジダ菌の要求のままにドカ食いでは、
体重はゴルフのスコアの如く簡単に増えていきます。


そんな自分に自己嫌悪で自己否定を強めます(マジメですから)



テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

D月経前症候群(PMS) 1

生理の1~2週間前から心身共に不快症状が起こり、生理になると収まっていきます。

身体面では
腹部膨満や痛み、乳房の張りや痛み、むくみ、頭痛、肩こり、腰痛、関節痛、むくみ、
体重増加、脚が重い、にきび、めまい
食欲亢進(甘い物)、便秘あるいは下痢、悪心、動悸過剰な睡眠欲、不眠・・・

精神面では
イライラ、反感、闘争的、憂鬱、判断力低下、無気力、孤独感
疲れやすい、不安、パニック、集中力低下、涙もろい、情緒の不安定・・・


生理前には黄体ホルモンの分泌が増えて、生理が始まると急に減ることから
排卵後の女性ホルモンの急激な変化が関係しているようです。



副腎疲労との関係
東洋医学では副腎と腎臓の機能を合わせて腎虚証と言います。
性ホルモンの分泌は副腎です。
生理前に性ホルモンの黄体ホルモンの分泌が増大することは副腎が一生懸命頑張ることですね。

疲労している副腎であれば、黄体ホルモンを分泌するは大仕事となるわけです。

副腎疲労の症状としてPMSは当然起こりやすい一つなんです。


専門医は婦人科しか見ないので、内分泌の副腎まではリンクしないのかもしれません。
「木を見て森を見ず」です。
ですから対症療法でホルモンバランスを取るピルや鎮痛剤、安定剤の処方になると思います。



PMSを副腎疲労(腎虚証)と合わせてアプローチするといろいろ見えてきます。
症状を起こしやすい物の見方考え方、気質などのメンタルの要素。
姿勢(骨盤の状態)、食べ物、嗜好品、カンジダ菌などのフィジカルの要素。




テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

D囚われ 2

本能のセンスアップ
囚われからの解放がもたらすもの

固定観念に縛られていることに無自覚です。
ということは、現象を良い悪い、正しい正しくない、こうあるベキ・ネバと
無自覚にジャッジしているわけで
意識は現象にロックしているので、原因=法則には向きません。

確かに自分の思考と感情に捕まっているので、客観はできにくい状態です。


それが生み出すものは
情報に流され鵜呑みにする、情報の受け売りで得た知識でわかった気になる、
受け売りなのに自分の考えにし思い込む=洗脳
吟味実践検証もなく知識の獲得で終りになっています。

「無知の知」の自覚には及ばず、情報に翻弄されるわけで洗脳、コントロールされやすい。


頭でっかちですから、自分が本当に心地よい事=体の声が聞えなくなります。
これが良いのだ、こうすればいいのだ、こうあるベキ・ネバ・・・と
入れ込んだ情報や知識でジャッジし体の声を聞こえなくしています。


そうなると
体の声という大切な判断力が無くなってしまいます。
自分では判断できないので、外からの情報や知識で判断となります。

情報はわんさかあり、同じ事でもこっちでは良いあっちでは悪い・・・
どっちが正しいのだ?と迷うし、翻弄されます。(TVの健康番組をこの観点から見ると面白い)



自分で判断できない事は自分が自分の主人公ではなくなります。
情報や人の意見に翻弄されるわけで
迷いはタイミングがずれ、間に合わない世界が連鎖するので
間に合わせようと更に情報や知識を入れ込みます。

自分の外に情報・エネルギーを求めてしまうんですね。



悩みが無ければ解放が無い、濁らなければ清浄がわからない
失敗するから成功があるのに・・・

ネガティブがポジティブに前提する必然性で、法則通りに動いているのに
現象に意識がロックされるのでネガティブを否定しジャッジし続けています。


例え
お腹が空いていますが、何が食べたいかわからない。
無邪気な子供はあれ食べたいと即決します。
体が要求する栄養素が有るものがわかるわけです。

固定観念=ジャッジが強いとカロリーや栄養素がどうだとか知識が先行して
判断するので、体の要求がわからない=決められない。

「ねぇ、何にするぅ?」迷った挙句、「あなたがそれなら私も」
相手が判断基準です。 良く見かけますね。



囚われない
ジャッジしない=何ダ何ダで問い続ける=現象から原因法則の理解=
自分の思考と感情(主観)の客観とリンクします。


体の声、胸の奥底で呼ぶインナーチャイルドの声が聞こえる事であり
それに従順は自己否定や自己分離が無いわけです。

固定観念が聞えなくしている事が見えてきますね。


迷いがない事は判断力がシャープのわけで
自分の心地よい物=エネルギーを高めるものを選べる力です。

決して弱めるものを選ぼうとはしません。


本能とは自分のエネルギーを高めるものを選べるセンスと考えても面白いです。
字の如く、本の能(ハタラキ)=命の持つハタラキが強まるわけですから
生命力=免疫力アップ=自律神経緊張緩和
意識で言えば「愛と感謝、イタワリと許し


原因=法則の理解と主観を客観する理知と慈しみが深まり
固定観念という濁りからの浄化で得られる老練なる無邪気さです。


囚は囗の中にいる人、
囗=カコミ=過去実、固定観念を割って成る「タダの人」が持つ
シャープな判断力=本能のセンスアップです。


究極の情報源は命にあり、本能にセットされています。


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D囚われ 1

「アルがまま=囚われない」

字はどう教えているか
囚→囗+人
囗=固定観念の中にいる人、と取れます。

囗=カコミ=過去実
固定観念とは、過去が実体とズバリです。


固定観念が強いほどネバ・ベキが強くジャッジしています。
過去=記憶に翻弄され続けます。


誰もが生まれた時は、
何の固定観念もない純粋無垢の「タダの人」ですが
ネバ・ベキの押し付けの躾や教育、抑圧で
ジワリジワリと固定観念が作られていきます。


刷り込まれた価値観、道徳、イデオロギー、蓄積してきた知識・・・
それを元に善悪、良い悪い、正しい正しくない・・・とジャッジし続けています。


真実はポジティブの前提にはネガティブが必然するという法則しかなく
必然性を良い悪いでジャッジすることは
原因にフィードバックできず現象に囚われ続けています。



過去に縛られていることは、
売りコトバに買いコトバの過去(下)からのコトバの使い方しかできません。

固定観念の中でシノゴノと生きているわけです。


狭い囗=カコミ=固定観念の自分の思考と感情が第一であり、正義ですから
強い自己主張か頑なに守ろうとするし、キレやすい。


当然、体も固定観念に合わせ固定=自律神経緊張になります。
そして薬を飲んで、あれが良いこれが良いとTVや本の情報におどらされます。


現象に意識が固定され、情報を鵜呑みにしているわけで
簡単に洗脳、コントロールされやすいです。


体の声を、胸の奥で呼ぶインナーチャイルドの声を聞こえるようになりたい。



アルがまま=囚われない世界は
囗=過去実=固定観念を超越した世界に在るわけですから
思考を超える、概念を超える、ジャッジしないなどと言われます。



囚われていることは
現象を固定観念でジャッジしていることですからジャッジしなければいいわけです。

何ダ何ダと問い続けることで現象から原因の探求が深まり
固定観念=囗が割れていき、タダの人になっていけます。

良い悪いのジャッジやネバベキの思考と感情、いわば自己否定の解放です。

主観を客観できますから埋没しない分、現象から原因=法則に意識が広がり
理知と慈しみに充実していくと思います。



赤ちゃんは固定観念が無くタダの人=純粋無垢ですが
自意識がまだないため自覚ができません。

しかしガチガチの固定観念=自我を割って成るタダの人は
物事の道理、理知力を踏まえる老練なる純粋無垢の獲得です。

「アルがままの世界」を生きるタダ者ではないタダの人ですね。



囚われなければ割ることはできず、
理知と慈しみに満ちた「アルがままの世界」を獲得できないわけです。


囗を強めるのか、囗を割るのか
どちらにエネルギーを向けるのか迫られてる時代に思います。


あこがれはタダの人。





テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Dアルがまま 3

ジャッジが「アルがまま」を封印していることが見えてきましたが
ジャッジしないとはどういうことでしょう。


字はどう教えているか。
有るがまま
「1」でアップしたように記憶=概念から抜け出せないのでジャッジは付きまといます。

「アルがまま」をなんとなくわかるがはっきりしない。


在るがまま
在→ナ l 土{+-
ナ=名でコトバ、l=絶対、+-=トヒで問い
コトバを絶対性を問う使い方です。

決めつけない=ジャッジしない唯一の方法が問い続けることです。

ジャッジは思考と感情=記憶=概念で固定しますが、問い続けることが固定からの脱却です。


それは何で?、何でそう考えたり反応するのだろう?・・・
ジャッジせず問い続けることは
善悪、良い悪い、正しい正しくないなどを拠り所にできません。
そういうことを超えて行きます。


ネガティブが前提になってポジティブが在るという必然性であり
必然性=法則を良い悪い、正しい正しくないとジャッジし翻弄されていることに気づきたい。



問い続けることで
自分は何でそう考え反応するのかと主観を客観する力を育みます。
自我を薄くしていきます。
感情に縛られなくなるので、感覚にシフトしていきます。
感覚のセンスアップが感応力=間脳力となり
 感応=電信=田心=思考を超えたインスピレーション=直観=六感が深まります。
その体は自律神経緊張緩和ですから健康と安らぎが深まります。



思考と感情にロックされることは
自我の強さであり、記憶=概念を無意識に基準にしているため
売りコトバに買いコトバで反応し続けます。

記憶という過去からのコトバの使い方しかできません。


許せるようになったら許す、ですから許せないでいます。
やれるようになったらやるスタンスですから今が充実しません。

ですから「今茲」と知識はあっても上へ先へ求めますし、
「アルがまま」と言いながらジャッジの世界から抜け出せません。


常に刷り込まれた善、正義、正解に近づかネバと、
ジャッジと精神の背伸びをするネバ(NEVER)ランドの国の人になってしまい
無邪気さは潰されてしまいますね。

腰痛肩こりでカチンコチン、体も心も緊張がネバランド人の特徴ですね。



思考と感情を超越した「アルがまま」の世界は
ジャッジの無い世界で、在るのは「愛と感謝、イタワリと許し」のアタタカイ世界が
何ダ何ダと問い続けることで開けて行き、
ネバランドからアイ(愛)ランドの国の人になると思います。

インドの聖者を~ナンダ=何ダというのが面白いですね。


アイランドの人は「無知の知」を知っている人。
パスポートは「何ダ何ダの問い」ですね。



問い続ける=知ろうとする=素人するで、
怒り恐れにロックされた思考と感情が生む自我意識から
「空立(アル)がまま」という法則=必然性=真理、宇宙意識に開けて行けると思います。


AMATUREがAMATERU(アマテル)ですから
「アルがまま」の世界のアイランド人はAMATURE=素人です。

濁りから浄化のコツでもあります。


山に籠り瞑想に明け暮れなくても日常生活に開けます。
手段としてではなく、趣味として瞑想を味わえます。




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Dアルがまま 2

何で「アルがまま」がいいのか?
楽、和らぐ、安らぎが深まるからではないでしょうか。
誰もがその方が良いですよね。

この観点からさらに「アルがまま」を掘ってみます。



「アルがままではない」を明確にすると
「ジャッジ」です。
あらゆることを善悪・良い悪い・正しい正しくないとジャッジしています。


経験、知識、刷り込まれた思考と感情=蓄積された記憶=概念を元に
こうあるベキ・ネバとジャッジしています。


「無知の知」を知らないと
自分の思考と感情が第一になり、同調しないものが悪・正しくないとジャッジし続けています。

自分の思考と感情という正義をかざし自己主張=ジャッジしています。

だから正義って時代、民族、イデオロギー・・・個々によって違うんですね。
普遍のものではありません。

そんなものにしっかりロックされて個人でも世界でもタタカイ続けています。


それがもたらすものは
同調しなければ怒り、潰されれば恐れ。
怒りと恐れは表裏一体で、「闘争か逃走」のどちらかのスタンスに縛られ
恨み、やっかみ、ねたみ、そしり・・・と展開します。

うぬぼれとプライドを強くするか、自己憐憫と自己否定に落ち込みます。


自分の思考と感情=自我=記憶=概念にとっ捕まっていることが
「アルがままでない」状態に思います。


悩みは解放の前提、失敗は成功の元、濁りが有るから清浄がわかる波の仕組みですが
ポジティブの前提になるネガティブを否定した直線思考と感情ですから
「ネバ・ベキ」と無自覚にジャッジしています。


なぜ無自覚かというと
自分の思考と感情が第一、それにロックされているので客観できないからですね。

ですから主観に埋没し、怒りと恐れに揺さぶられ
その中で何とかしようと計算と思惑を強め、あるいは引き寄せようとシノゴノと
いつまでも重箱の隅を楊枝でほじくるイメージです。



自覚が芽生えると
「アルがままではない」ことが濁りであり不快ですから、浄化を求めます。
清く正しく美しくあらネバ
あるがままであらネバ・・・と



気持ちは十分わかりますが、
ネバスタンスは今までの自分(思考と感情)を否定しているんですね。

でも、その中には楽、和らぎ、安らぎは無いことがわかるので
否定せざるを得ないわけで「あるがままであらネバ」になっています。

どうあがいてもジャッジの世界=概念=自我から抜け出せない。

ですから「アルがまま」をわかるようではっきりしないのでしょうね。

恐怖を受け入れる
ありのままを受け入れる
考えるない、思考を止める・・・
同様にわかるようではっきりしない、やろうとしても難しい。



それらも思考と感情を基にするジャッジの世界には無いことが見えてきます。
それで禅の道に、瞑想にと思考を超越した世界を求めるわけです。

それでは山から下りては来られないし、瞑想を止めれば元の思考と感情に
戻りやすく馴染ませるには大変、かえって分離感を強め迷想の危惧が。


どうしたら日々の日常生活にジャッジしない「アルがまま」を開けるのでしょう。





テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Dアルがまま 1

「アルがまま」に生きるとか、捉えるとか・・・「アルがまま」を良く耳にします。

思考を無くすとか、囚われないことなどと言われますが
どういうことを言うのか解るようではっきりしません。


「アルがまま」を掘ってみます。
物事の認識は過去の記憶情報を元にしています。

ということは
時代、国や地域、人種、環境、男女・・・
同じ物事でも意味付けになる記憶が違うなら個別に「アリ方」は違います。


「アリ方」は
記憶=概念=ものの見方考え方によっているわけで
同じ物事でも人によって認識が違いますし
個人でも物の見方考え方=思考と感情が以前と違えば「アリ方」が変わります。


有ルがまま
そのアリ方は思考と感情によってころころ変わるわけです。
概念が作っている「アリ方」の「有ルがまま」ですから普遍的ではありません。


有→ナ+月
ナは名=コトバ、月は肉体
肉体五感覚に乗っかるコトバと取れます。

それが概念を作っていて、物事の「アリ方」になっています。


記憶、そしてそれが基となっている思考と感情が作る「アリ方」なので
「アルがまま」に生きる、捉える・・・といっても
無自覚ですが決めつけやジャッジをしているので
概念から抜け出せず囚われていることが見えてきます。

ジャッジした途端、記憶=概念に縛られた「アリ方」になり
「アルがまま」ではなくなってしまいます。



ジャッジしない「アリ方」=囚われることなく
「アルがまま」でいるとはどういうことなんでしょう?





テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D濁りと浄化 8

字はどう教えているか

浄化=ジョウカ=場加=バカ
場のエネルギーを高めるにはバカになることと取れます。

バカとは、無知なることを知っていることです。


最高の賢者と言われたソクラテスのコトバ「無知の知」。
ソクラテスは「自分は何も知らないことを知っていた」ということは
浄化の道を歩み続けたと思います。

「無知の知」がプライド高き知識人=玄人の反感をまねき
裁判にかけられ死刑を命じられますが
自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き
自分を守ろうと損得感情で亡命するという不正を行なうよりも、
死と共に殉ずる道を選んだとされます。


バカの自覚がもたらすもの
決めつけない、ジャッジしないことですから
 絶えずそれは何で?、何でそうなるのか?問いを深めていきます。

問いが深まるほど答は深まるわけですから
知ろうとすることで場が加わり続け、場加=浄化していきます。

 自己否定や自己分離はありません。
自己否定が自律神経緊張とエネルギー不足ですから
肉体的に言うと自律神経活性化になります。

それは末端の皮膚感覚(感応力)と中枢の間脳力(六感覚)が高まり
感応力=電信=田心(思)=インスピレーション=霊感=六感アップです。

自律神経に宇宙のハタラキが入っているのですから、
宇宙の叡智に繋がって行く、宇宙意識に同調していくとも言えます。

 客観力を育む
問いを深められることは自分の感情や思考という主観を客観する力です。

 丹田強化
客観力が理知力であり、感情に動揺されない腹が据わった意識です。
恐れません、怒りません、損得感情はありません。

丹田の受皿が仙骨ですから
姿勢は起きた仙骨(骨盤)で、その土台にある背骨は整い首、アゴ、脳の圧迫もありません。

病気や痛みやコリ、怒りや不安は自律神経の交感神経緊張過多です。
副交感神経が優位になればいいのですが、モーターポイントは仙骨と首です。


丹田強化は副交感神経優位=仙骨の活性=起きた骨盤=整った中心軸=
コイル=スシュムナとリンクします。


丹田の位置は腸です。
丹田強化は腸の緊張圧迫がないわけで、腸内細菌の活性化です。
腸は脳に次いで神経が多いし、精神安定脳内ホルモンのセロトニンを分泌します。

空間エネルギーを触媒するのも腸内細菌ですね。
腸内細菌の活性化が宇宙と繋がる要素です。

それには飯→食+反 メシ=命詞、ハン=波云 と字は教えるように、
命のコトバ(詞)=エネルギー(波云)と連動する菌は食べない方が活性化します。
腹四分目で神に近づく

交感神経の緊張は血糖値を上げたくなるため食べたい飲みたい、止まらない。

聖者に大食いの人はいないはずですね。

骨盤の中に腸があるので腸の状態が骨盤(仙骨)の歪みに繋がります。


意識=コトバの使い方が自律神経に影響し、緊張度合いが骨盤の歪みに現れ
腸の状態とリンクし腸内細菌のハタラキに影響することが見えてきます。


知ろうとすることが浄化
知ろうとする=シロウトする=素人する。
素人→素の人=人の本来性になって行くことと取れます。


何→イ=人+可
何?と知ろうとすることで本来の人になることが可能なんですね。
決めつけはその可能性が閉ざされるわけです。

アーナンダ、シヴァーナンダ、ヨガナンダ・・・
とインドの聖者をナンダというのが面白いです。

「無知の知」の自覚が聖者のスタンスで
何ダ何ダが浄化と叡智、老練なる無邪気さ純粋性を育むわけです。


なぜなら
決めつけやジャッジは固定観念ですから概念の枠からは出ることはできません。
固定観念=自我の中でシノゴノと重箱の隅っこを突っついているようなイメージです。
自分の思考と感情が第一ですから、高まるのはプライドばかり。


真理という無限絶対全一の浄化の世界は概念を超えた世界に在るのですから
無知の知の自覚がもたらす絶えず知ろうとする=素人することで
近づいていくことがわかります。


ですから
素人=AMATURE(アマチュア)→AMATERU=アマテルと取れます。
固定観念=濁りを作るネバ・ベキのジャッジするコトバの使い方はしないので
濁りを作らないコトバの本来性=白音(シロオト)に素人(AMATURE)がリンクします。

プライドなど出ようがなく、出るのは老練なる無邪気さ純粋性です。


誕生の誕という字
「大げさなうそを言う、でたらめ、おろか」などの意味が有ります。
肉体を持って誕生することはそのようなベースを持っているわけで
確かに何も知らないことです。

無知の知の自覚があってこそ浄化=場加が開け
AMATURE→AMATERU、アマテルとなっていけると思います。


自己否定や自己分離の反動で(本来性との違いを感じるが故)
もっと清く正しく美しくあらネバ・ベキと浄化を求めます。

しかし、反動を生んだネバ・ベキのコトバの使い方のままで求めるので
バカになれない=自己否定しながら自己解放を、自律神経を緊張させながら
緊張緩和の浄化でいます。



「無知の知」=バカの自覚と「愛と感謝、イタワリと許し」のコトバ=光透場という
場のエネルギーを加える(場加)ことが浄化のコツ=光通に思います。


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D濁りと浄化 7

字はどう教えているか
  浄化=ジョウカ=場加


浄化=場加
場のエネルギーを加える。
つまり、波動を上げると浄化すると取れます。

音で言えば低周波から高周波に
光で言えば闇から輝きに(究極の輝きが透明=真空=光透波)
固体から液体へ気体へと、形から空へ


風水の原理にも当てはまります。
エネルギーが空間を結果する、
逆も真なりで空間を整えることでエネルギーを上げる。

色も波動ですから、ピンクや赤、鮮やかな色を身に着けることで気分が軽くなったりします。

方位取りも、自分のエネルギーを高める場のエネルギーに共鳴するわけです。

食べ物にしてもオーガニックが良いとするのも
波動が高い=-電気が多いため還元作用=浄化です。
(添加物や農薬が多いのは+電気=酸化になるからです)


上記の他にも様々に場のエネルギーを加え浄化を図る方法が有りますが
お金も時間もかからず、超簡単ダイレクトの方法が有ります。

それがコトバです。

コトバは光透場、光透という究極の場のエネルギーなんです。


エネルギーで言えば1/∞秒で無限大を回る絶対速度、真空透明の実質。
意識で言えば愛と感謝、イタワリと許しで充満する宇宙意識、天意。

その御心に感応実感するほど発するコトバにエネルギーが乗っかり
キリストや空海・・・聖者がやったようにコトバが具現化します。


聖者はそれを理解していたが故に
涅槃=ネハン=音波云、音のエネルギーが云(はこぶ)世界
初めにコトバあり、コトバは神と共にあり
真言、ずばり真のコトバ(言)

音=コトバに秘密があることを示唆しています。


人間は光透場を間脳に命としてもらい、そのエネルギーが自律神経に働いています。

コトバを本来性と違う有限相対差別に使う程
自律神経の緊張となり肉体的精神的に濁りを強めるわけです。

その結果有限相対差別という濁りの世界=自我に埋没しています。


コトバを本来性に同調する「愛と感謝、イタワリと許し」に使う程
ダイレクトに場加=浄化することが見えてきます。



エネルギーですから共振共鳴同調で高まります。

先ずコトバの本来性をいかに回すかですが、間脳力にリンクする感応力が要になります。







テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D濁りと浄化 6

字はどう教えているか


           浄→シ+争 

           シ=詞 

           争=アラソウ=現沿う




浄化は「詞=光透波を現し沿う」と取れます。



ネバ・ベキで代表される「語」は有限相対差別ですが

光透波が作るのは無限絶対全一の世界です。


「愛と感謝、イタワリと許し」で充満しています。


その思いを現し沿うことが浄化と取れます。



思いはコトバですから

コトバを変えれば、心が変わる

心が変われば、態度が変わる

態度が変われば、行動が変わる

行動が変われば、習慣が変わる

習慣が変われば、人格が変わる

人格が変われば、運命が変わる



根源はコトバの使い方にあるとわかります。



しかし、人によってはネバ・ベキと自分の感情に強くロックされているため

感情が納得していないのに「愛と感謝、イタワリと許し」のコトバなど言えない、

感情が納得したらコトバを変えてもいいかとなります。



「やれるようになったらやる」のスタンスで、コトバを変えられません。





自我の強さは感情に強烈にロックですから無理もないのですが

それでは感情にロックされたままで感覚にシフトできません。





ネバ・ベキの音の使い方は

ジャッジする直線思考と感情を強め、ロックされるほど自我を強めます。


自律神経緊張=皮膚身の緊張=骨格の歪みにリンクし

肉体的には病気、精神的には不安を増大します。



そして自我の強さが反動となり、

清く正しく美しくあらネバ・ベキと浄化を願います。



ネバ・ベキと緊張させながら、いや緊張しているが故に

元々自律神経として自分の中にあるのに、上へ先へと外に求め続けています。





音=コトバがエネルギー、エネルギーが空間に結果する

仕組みの理解が大切ですね。



感情は放っておいて、

コトバの本来性「愛と感謝、イタワリと許し」の質を回せばいいわけです。


回せることは感情から離れられているので、

(感情に捕まっていては回せない)

・感情を客観する能力を育む→理知力=丹田強化

・気づきが出る

・感情から感覚にシフトします。



感覚がシャープになるほど、感応力=間脳力が高まり

田心(思)=電信=インスピレーションを受け取れる仕組みです。



感応力=間脳力のレベルアップが自律神経緊張緩和とリンクしています。



自律神経の末端が皮膚、中枢が脳です。

皮膚は耳では捉えられない2万Hz以上の波動をキャッチするアンテナで

感応力は皮膚感覚なんです。



皮膚と脳は受精卵の外胚葉からできていて、素は同じ。


つまり皮膚と脳は直結なんです。

皮膚




自律神経に宇宙のハタラキが入っているわけですから

浄化とは自律神経の緊張緩和なんです。


ですから健康と安らぎが深まるわけです。


同時に、命の感覚=六感の世界の覚醒でもあります。




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D濁りと浄化 5

仕組みの理解
命の本来性との違いが解らないと自覚は持てません。
濁らないと綺麗さが解らない。

ギャップが自律神経緊張に現れます。
肉体的には病気、精神的には不安、怒り、恐れ・・・


肉体を持つ意義→濁る為
愛と感謝、イタワリと許しの純粋無垢の質を持って地上に生まれてきます。
地上は有限相対差別ですから、いわば弱肉強食です。
純粋無垢の質は格好の餌食になります。

力を持て、金を持て、負けるな、自力をつけろ、損はしたくない、守らねば・・・
その為にはこうあるベキ・ネバと教育され抑圧されてしまう仕組みです。


本質とは裏腹な有限相対差別に染まった自意識=自我が強くなります。
濁りです。

どうしようもないんですね、コトバの仕組みから。


通常、自意識にロックされているのでそれが自分だと認識していますが、
本質とギャップが有ります。

自己分離です。

自己分離の不快感やエネルギー不足が反動となって本当の自分はどこに?
何の為に生きるのか?・・・
自分探しの行脚、スピリチュアルに傾倒します。


濁りゆえ本質との違いを自覚し浄化を願います。
本質との違いが浮き彫りになるほど、本質にあこがれ近づきたい。

出家は有限相対差別バリバリの世間から離れることでやり易いんでしょうね。



浄化の落とし穴
浄化=清く正しく美しくあらネバ 
様々な教えに近づこうと一生懸命ネバ・ベキでやります。

出来ない自分に嫌悪し自己否定に陥ります。
ネバ・ベキは濁りを否定しているんですね。


解放は良いが悩みはいけない、成功は良いが失敗はいけないと同じで
清浄は良いが濁りはいけないスタンスでいます。


ポジティブの前提になるネガティブを否定していはポジティブは近づきません。

自己否定しながら自己解放を
自律神経を緊張させながら緊張緩和を図ろうとします。

「今茲」を上へ先へ求めている状態です。


ネバ・ベキの浄化は自己否定を強める危惧があり
宇宙のハタラキが入っている自律神経の緊張緩和になりません。

自己解放という浄化を求めるが故に自己否定に陥ってしまう。
なんともパラドックスです。


肉体の浄化
玄米菜食に徹底していると、血液を濁らせるとして肉や陰性食品を排除します。
確かに食べ物は大切ですが
食べ物を良い悪い、邪食とジャッジし、ネバ・ベキで食べてしまいやすい。


ちょっとの邪食で自己嫌悪したり、
こんなの食べたからダメなんだと責められたり、否定されます。

血液をあっという間に濁らせるのは、怒りや恐れなんです。
その感情はネバ・ベキが作る直線思考に比例します。



浄化という自律神経緊張緩和を緊張させながらやってしまいます。
その落とし穴にはまっていては、せっかくの食養がマックロ・ビックリです。
玄米菜食の落とし穴


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D濁りと浄化 4

作られた物がないと壊すことができない、悩みがないと解放はあり得ないわけで
濁らないと純粋無垢がわからない。

濁れば濁るほど命の本来性との違いを感じていくわけです。
自律神経の緊張に投影し
肉体的には病気、精神的には不安に呑み込まれます。

本来性と違うため不快なんですね。

それでもっと清く正しく美しくと浄化を願います。
命の本来性が究極の清さ正しさ美しさ、コトバの本質=詞=光透波が作る世界で
無限絶対全一界の意識=愛と感謝、イタワリと許しで充満しています。


命には光透波をもらっていますが
コトバを語として地上化し自意識=自我を作っています。

地上は有限相対差別の世界ですから、自意識はその性質をモロに帯びてしまいます。


六感覚で認識できる命の本質=光透波の世界は隠れてしまい
顕現している自意識(肉体五感覚意識)は有限相対差別にロックされているので
本能的には愛と感謝、イタワリと許し、タタカイよりアタタカイ方が良いのに、
個人でも全体でもタタカイ続けています。


戦→単り+戈とあるよう、自分に矛を向けているわけで
命の本質との分離感が自己否定を強めタタカイになっているとわかります。


自然の摂理のままに生きる動物よりも凶暴、悲惨、残忍な事をやれるのは
有限相対差別に強くロックされている自意識の為せる業で
我良しですから自己防衛の為ならどんなこともやってしまいます。


自意識に埋没しそのまま濁りを極めていくのか
本来性との違いを理解するための必然性として濁りを捉えるか

浄化のコツが見えてきます。


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D濁りと浄化 3

濁りのプロセス
誰もが生まれた時は天真爛漫純粋無垢。
初めから濁っていないし、ひねくれていませんね。

天直結の赤ちゃんの笑顔には悩殺されます。


しかし、赤ちゃんは天真爛漫純粋無垢を自覚はできません。
なぜなら、命に内在している音を引き出されていないので
自分を自覚する自意識はまだ育まれていないからです。


認識
その真っさらに
「ママだよ、パパだよ・・・」様々なコトバの繰り返しと投げかけで
音と対象が結び付き、あるいは音と行為が結び付き認識を広げていきます。


日本語で投げかけられたら日本語の音の仕組みで、
英語、仏語、独語・・・・それぞれの民族語で引き出されるわけです。

コトバを覚えて行きます。

語彙が増え、数も覚えていき認識の拡大や
感情をコトバで表現できることは知識と自意識の成長でもあります。


数の習得で面白いのは
10円玉5枚と100円玉1枚では、
幼いと数の多い10円に価値が有るとしますが
認識が深まると1枚でも100円玉に有るとわかります。

損得勘定がでてきます。
数の習得で損得勘定=感情を作っていくわけです。


躾教育と称し、知識は増えて行き、常識道徳を刷り込まれ
こうあらネバ・ベキで有限相対差別の地上の仕組みにどっぷりになって行きます。

コトバと数の習得は知識と自意識の成長と裏腹に
語が有限相対差別の地上の仕組みに働くため
天直結状態の天真爛漫純粋無垢に荷語理=濁りが浸透していきます。


そのようなベースにさらに抑圧です。
脳にNO!NO!NO!のマシンガンを撃ち込まれ
体罰や恐怖の爆弾を投下され天真爛漫は潰されてしまいます。

身も心も緊張萎縮。

子供は親からの否定や、愛情をもらえないことは
死活問題の為必死で親に報いようとします。


素直とは素に直と書くよう、自分の本心に正直なことなのに
本心に蓋をして親や周りに従順になります。

親にすれば素直となりますが、子供は自己分離です。


抑圧が強いほど分離と自己否定を強め本心を閉ざし
自分を守る為に損得勘定=感情にどっぷりになっていきます。
それが我の強さですね。


自己否定から来るエネルギー不足を補うために
過食し体を濁らせ、計算と思惑で依存し心も濁らせます。

抑圧の反動や自己満足の為にひどい事も意に介しません。


誰もが赤ちゃんの時は体は柔らかく天真爛漫の笑顔なのに
腰痛肩こりでカチンコチン、いつのまにやら駆け引きの作り笑いが上手です。


命の本来性との違い
宇宙のハタラキが自律神経に有るので自律神経に緊張として現れます。
違い=分離感が中丹田(胸)の詰りです。

本心=中の心を詰まらせているのですから、中の心=中心軸の歪みになります。
胸でブロックしています。


姿勢は
腰は寝て、胸は閉じ肩は内旋し、首は詰り顎関節は緊張です。

中心軸=自律神経=秘田ー中丹田ー丹田=コイル=スシュムナとリンクします。

それらを詰まらせ濁らせている大元はにあるわけです。


自意識が無ければ天真爛漫純粋無垢がわからない
しかし、自意識の成長で自我が強まり純粋無垢は閉ざされ濁っていく。



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

D濁りと浄化 2

なぜコトバを習得できるか?
命に76種の音をもらっています。
118種の元素が森羅万象を創るように、76種の音が様々な民族語の素です。


日本人なら日本語で、英語圏なら英語で赤ちゃんに語りかけ
内在している音を引き出されコトバを習得していきます。



人間だけが宇宙の音=光透波=詞=76音種をもらっているので
コトバの習得に合わせ自分を自覚できる自意識を育んでいきます。
客観能力を持つことでもあります。


自意識があるため、人間だけが自問自答、自分は何の為に生きるのか?
自分とは何か?  哲学できるんですね。

人種を問わず人間であればどの民族語も習得できます。

何ヶ国語でも習得可能なのは、命に76音種の光透波をもらっているためですし
その音が自分を自覚できるエネルギーを持っているからで
人間であれば誰もが自意識が有るんです。


動物は人間のコトバを習得できない
動物にいくらコトバを教えても話せないのは
命に光透波の音をもらっていないので引き出せないからです。

ですから自意識を持てません。
客観能力もありません。

命に内在する音しか引き出せないので
チンパンジーにいくらコトバを教えても日本語や英語は話せず
人生とは何ぞやと哲学は持てないし、文明文化の発展はできません。


人間以外の動植物は自然の摂理のままの存在なんです。
ですから濁ることはありません。


人間は自意識を持てる音を命にもらっているため
思考能力があり、自然法則を解明し文明文化を発展させ
哲学という抽象を思考できるわけですが

その能力が裏目に出れば
荷語理(ニゴリ)ゆえ有限相対差別の意識を強め、自然の摂理に反することをもやり
動物以下という程の冷酷残忍、極悪非道にもなるわけです。


語→言+吾、コトバが自分という自意識をつくります。
語は肉体五感覚に伴う有限相対差別の地上のコトバです。


        語=カタリ
          ll
          形理
          ll
          片理



語の持つ能力は形理=物理の自然法則を打ち出せますが
それだけでは片方の理(片理)で全理という真理は出てきません。

意識では自意識=自我と概念を成立しています。

概念の世界を超えた天念=宇宙意識=真理=無の世界は
語の素になっている詞=光透波が作っているので
「曰く言い難し、コトバを超えた世界・・・」と言うのだと思います。

しかし、そういうコトバでもって表していること、
コトバそのもののハタラキに気づけないでいます。


もし人間が地球にいなければ環境汚染、自然破壊など有りえません。
全くの自然の摂理のままの在り方です。



原因は人間であり、さらに言えば語というコトバにあります。
荷語理が濁りなんですね。





テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Dフリーエリア
Dプロフィール

桑原大治

Author:桑原大治
宇宙は光透波
無限分の1秒で無限大を回る絶対速度、命でありコトバの本質と解く小田野早秧先生に1984から御逝去の2001まで師事し光透波理と字割を元に、埼玉県川口市でカルナ治療院を開いています。

腰痛、膝痛、首痛、顎関節症、スポーツ障害、内臓疾患、ウツ、自律神経失調症
メンタルからもアプローチしながら対応します。
改善しにくい原因に、無自覚の自己否定、口呼吸、菌の影響があります。
MMSのアドバイスもします。

予約制、水曜・木曜休診

JR武蔵野線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)
東川口駅歩3分 

問い合わせ
kt99av@bma.biglobe.ne.jp

Dカレンダー
02 | 2015/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
D最新記事
D最新コメント
Dカテゴリ
D月別アーカイブ
Dメールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Dフリーエリア
検索フォーム
リンク
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア
フリーエリア

FC2Ad