D 自律神経とコトバの作用 2

フィジカルアプローチ
気を病んでいると
姿勢は胸は閉じ、肩は落ちて内旋しアゴは前に出て骨盤は寝てしまう、猫背になる。

   tobotobo[1]

中心軸が重力と同調できない。
前にズレているので倒れないように前面の筋肉で支えるので
特に膝に負荷が掛りやすく、骨盤は寝て腰背筋は引っ張られ
膝痛腰痛肩こり顎関節症は当然であり、付随し様々な症状を生んでいる。


横隔膜は潰されるので呼吸は浅く、
上にある心臓は圧迫されてしまうので心肺機能は低下する。

下にある臓器も圧迫と変位されるので内臓機能低下=病気=自律神経緊張である。


意識は中心軸が前にズレているので、
「今茲」と知識を構築し頭ではわかっていても感情という抵抗で降りにくく
先の事の気がかり、心肺機能が心配昨日で、将来の不安と過去の執着に陥りやすい。


この様な中心軸のズレた姿勢は
重力と同調していれば最小エネルギーで支える事ができるのに
ズレている分、常時余計なエネルギーが必要のわけでエネルギー不足に陥っている。

だから、元気が出ないのも無理はないし
エネルギー不足を補うために過食やゴロゴロ寝ていたいのも無理はない。


そして、余剰エネルギーが無くなるに従い症状は悪化し、薬や手術で対応するが、
根底原因のネバベキのコトバの作用に気づかないままではないだろうか。

ネバベキの音が様々なバージョンで皮膚身に録音されたままなので
編集しない限り再生されるし
その音が作る思考と感情が因縁と言え、子孫に先送りされてきている。

この観点から言えば、病気は因縁とも言えるのではないか。




重力と同調する中心軸であれば、
重力を使える合理的な身体操作が可能となり
(使えないと筋力がいるので頑張る、疲れる、動きが悪い痛むとなる)
柔軟な思考と感情を持ちやすくなるのだが。


中心軸は中の心と書くよう、正直な心をネバベキと否定し封印するが故に
アナハタ=中丹田=胸が塞がれて歪み
無邪気とリンクするトランスやミラーニューロンは活性しにくい。


      dansei-mae[1]


音=コトバがエネルギーであり、エネルギーが空間を結果しているので
一番身近な空間が体であり、大きく言えば人生にコトバの作用が結果すると言える。

WORLD→WORD+L(開く意味)と取れるように
どういうコトバを開くかで世界=空間が変わると字は教えている。


その教えから言えば
命の本来性の音が持つ「愛と感謝イタワリと許し」を自身に開けば命は活性化し
「モンダイナイ」が問題を無くしていく事が観えてくると同時に

ネバベキと自己否定しながら自己解放を求め、
モンダイアリにスタンスしながら問題を解消しようと躍起している事に気づいてくる。

それではブレーキとアクセルを両方踏んでいるようなもので
頭ではわかっているのに感情が納得しないがんじがらめに陥りやすいし
解放も解消も遠いのではないか。



イタワリの音波云(ネハン)が
健康で豊かで慈愛に満ちた安らぎ、間に合っている世界の扉を開いてくれる。
(ちなみに、寝飯はおデブの扉を簡単に開いてくれる)

皮膚身にガッチリ録音されていた音の編集であり、因縁の解消でもある。


長ーい間分断されていた霊線が2014年から接続されてきているので
ネバベキの自己否定、難行苦行の時代ではなく
音波云=音のエネルギーに云(はこ)ばれるステージになっている。

それなのに、ネバベキでは簡単に緊張は強まるわけで
病人の増加や悲惨な事件が多発するのも無理はないように思う。




大腰筋と横隔膜の関係
中心軸に深部から作用するこの筋肉が気を病むことに大きく関与する。

傘と柄の関係になっている筋肉で
ネバベキの音が大腰筋(柄)と横隔膜(傘)を緊張させ、傘が閉じた猫背にする。

     imagesW3S72DOA.jpg



緩め方、音波云のフィジカルアプローチ
・大腰筋
 反応点(腸骨陵とおへその中間点)に指先で軽く触れ
 鼻呼吸で深呼吸(口呼吸はご法度)しながら、
 「ソウカソウカ、無理なかった」、「モンダイナイ」と頭の中で音を回したり
 ○○○、名前を優しく愛おしくアナハタに向け呼ぶ。
  
・横隔膜
 両手で軽く包みながら同様に、深呼吸とイタワリの音を回す
 

       snap_karuna98_20141208545.jpg


PCと同様で、体のフリーズが解消されればサクサク動くわけで
大腰筋と横隔膜が解消の要になっている。




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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

D 自律神経とコトバの作用 1

精神的肉体的関わらず病気は自律神経緊張である。

病気は気を病むと書くが、
話は簡単で、気を病まなければ良いとわかる。

モンダイダ、タイヘンダ、ドウシヨウと気を病み四苦八苦が
SICK,HACKと取れるのが面白い。
ハッカーのHACKだが、悩ます、イライラさせる、めった打ちする意味がある。



ではどうすれば気を病まずにできるのか、
いやその前になぜ気を病むのかを掘ってみたい。

ネガティブな思考と感情が強いほど
心配と不安と緊張がつのり気を病むが、それはどこからきているのだろう。


こうなったら大変だ、問題だと幼少から刷り込まれる不安と緊張ではないか。
こうあらネバベキの抑圧が天真爛漫の無邪気さを封じ込め
間違うことや失敗を恐れるため、右肩上がりの直線思考を強めてしまう。

そしてその思考と感情が正義で、ジャッジに明け暮れていて
自分自身をネバベキとジャッジし自己否定に陥っている。


自然現象は波であるから直線思考は無理があるのは当然なのに
そのギャップを認められず気を病むのだが
ギャップを何とかしたいが故に増々ネバベキの音に捕まり自己否定を強め
抜け出たことが無いので無自覚だが、
体は正直に自律神経緊張として現している。


ネバベキの音が気を病み自律神経を緊張させている事に気づきたい。

音がエネルギーなのである。

知識や思考でギャップを埋めようとするからネバベキに捕まるのだ。



自己否定をやめればいいわけだが
その対極をやればもっと良いとわかる。

自分を愛す、許す、認める、イタワルことである。

しかし、それができないから悩んでいると言われることがある。

そういう人は感情に硬くロックされがんじがらめで無理もないのであるが
音がエネルギーなのである。

ネバベキを使いながら知識や思考で変わろうとするから難しいのだ。
そういう人はネバベキでいる事に無自覚である。



音波云(ネハン)しよう。
音のエネルギーに云(はこ)ばれよう。

「モンダイナイ」と音に乗ってみよう。
問題は気を病む直線思考と感情であり、「モンダイナイ」の音が溶かしてくれる。

「ソウカソウカ、無理なかった」の音が過去を肯定し今茲を近づけてくれる。

「アイシテイル」が自分の中に愛を醸し出してくれる。


誰だって愛され許され労られたらアタタカイ、否定されたら緊張と萎縮怒りと不安だ。

その否定エネルギーをずーと自分に向けているのだから気を病むわけだし、
相手を否定するのも当然な事である。



事あるごとに、こんな自分ではダメと自己否定をしているが
これからは何かにつけ、自分をいっぱい褒めたい。
良くできたね、上手だね、ステキ・・・

ペットの犬だってヨシヨシと褒めるとシッポ振ってご機嫌なのだ。

自分を否定しているのは自分自身であり、
音がエネルギーと理解できるとネバベキの音に支配されているだけとわかる。


難しい事はない。
命の本質である「愛と感謝、イタワリと許し」、絶対肯定の音に乗ることであり
音波云で開かれる。

意は心の音と書くように、祈りは意乗りで自分をイタワリ、自分に向けるものとわかる。


自分をイタワル音のエネルギーが万病の妙薬であり、
間に合ってる世界をも醸し出してくれる。

そして、封印されていた無邪気さ明るさ軽さが開かれ
理知力が育まれた脳天気のお出ましだ。




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ジャンル : 心と身体

D スイッチオン

健康で豊かで明るく慈愛に満ちた安らぎ、
調和が連鎖するモンダイナイ生活を誰もが望む。
その為に宗教や占いに頼り、引き寄せやHOWTOに、パワーグッズなどに求めてる。


アダムとイブの時代はまさにそのような何一つモンダイナイ日々で、
いわば神人合一で地上の楽園であった。

しかし、善悪を知るものとなれると知恵の実のリンゴを食べてから
神と分離しモンダイアリの失楽園が始まった。

リンゴは輪語と取れ、語という地上のコトバを輪すようになり知識を得て
それを基に善悪をはじめ様々にジャッジするようになってきた。

善悪を知ることは、固定観念に縛られジャッジすることであるから
ジャッジがモンダイアリの原因と言えるのではないだろうか。



「初めにコトバあり、コトバは神と共にあり」とご存知のように
神はコトバそのものであり、
そのコトバとは小田野先生が解明された光透波、
1/∞秒で無限大を回る絶対速度のエネルギーである。

神の実態である光透波コトハが「詞」で、神意を成立する「音」である。
その音が絶対肯定=「愛と感謝、イタワリと許し」と
数にハタラキ真理を成立させている。

絶対速度である光透波は宇宙を根底から支える時間の本性であるから、
微塵の隙間もなくシンクロタイムリーで充満しているので調和の連鎖しか存在しない。




リンゴを食べる前はその音をストレートに降ろされていたわけで、
リンゴで象徴される知恵=固定観念=ジャッジが神との分離を生んでいると思われる。

ジャッジは「ネバベキ」の音が作るのである。

振り返れば、
もの心が着くくらいから躾や教育と称しネバベキを刷り込まれてきているし
今生だけではなくずーとその音にロックされ続けてきているのである。


「ネバベキ」にロックされながら、モンダイナイ生活を求めていることが観えてくる。
それでは神様は降りようがないではないか。

「初めにコトバあり、コトバは神と共にあり」と知識は2000年も前からあっても
神の教えに従がわ「ネバベキ」できていることが宗教の落とし穴に思えてならない。



音が神そのものであり、その音が絶対肯定=「愛と感謝、イタワリと許し」であるから
その質の音をいつも使うことが神と繋がることであり、
何一つモンダイナイ、シンクロタイムリーで調和の連鎖する間に合っている世界を
広げていくと考えられないだろうか。


具体的にいえば、問題を感じたらモンダイナイ。
問題は固定観念に縛られ「ネバベキ」にロックされた思考と感情なのだから
モンダイナイの音で解除されていく。

売られたコトバを買わないことだ。
固定観念に縛られているから自身の思考と感情が誰もが正義で
正義と正義のぶつかり合いを続けてきている。

買わずにソウカソウカとイタワリ、許しの音でその正義を溶かしていくのだ。


神意である「愛と感謝、イタワリと許し」の音を使うことが
神と繋がり間に合っている世界を降ろすことになると観えてくる。


許せるようになったら許す、愛せるようになったら愛す
認められるようになったら認めるなどは、
「音」がエネルギーであり神であることが解っておらず、感情に支配されたままである。

感情である主観に埋没状態であるから、主観を客観する理知力が育まれないため
固定観念=ジャッジの世界からの脱却ははるか彼方である。



なぜならば、「ネバベキ」の音にロックされたままであるから
いくら知識を構築し、何にすがろうが、難行苦行しようが
スイッチオフ状態だからはっきり言って難しいと思うのである。

私もそうだったが、あなたも長い間繰り返してきたのではないだろうか。


スイッチオンは主一致音
主=神意と一致する音を使うことで降りてくると響くのである。




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D 絶対自由の獲得は絶対束縛の自覚

思考と感情に見合っている状態を自由と錯覚してる。
その思考と感情を注意深く掘ってみると、固定観念に縛られていることが観えてくる。

固定観念に縛られた満足感という自由は、実は不自由なのだ。

固定観念を超えた世界が自由と言えるのではないか。

固定観念はいわば肉体五感覚に対応したもので、
それを超えた命の世界こそが、絶対自由ではないか。

固定観念の束縛が強いほど
自己否定しているので、その反動で求める自由は不自由が付きまとうのである。




その事が解ると絶対自由の獲得の足かせとなっているものが観えてくる。
自己否定を溶かしていけば良いと。

ではどうすれば溶かせるのだろう。
知識を構築すれば溶けると考えやすいが、自己否定は知識では溶けにくい。
頭でっかちになるだけに思う。



お釈迦様は難行苦行では悟れぬと悟り、涅槃と解いたそうだが
難行苦行はネバベキの音に縛られたものと言える。

涅槃は音波云(ネハン)だ。
涅槃を知識で獲得しようとしても訳が分からなくなる。

「ソウカソウカ、無理なかった」「モンダイナイ」「アリガトウ」・・・
音のエネルギー(波)に云(ハコ)ばれていくことだ。

命の世界である絶対自由は、絶対肯定で愛と感謝とイタワリと許しで充満するので
その質を回し音のエネルギーに云ばれることで溶けていく。

すると構築した知識が腑に落ちるようになる仕組みだ。

自己否定はネバベキと自己否定する音のエネルギーにロックされているわけで
そのスタンスのままで知識を構築しても溶けにくく、
絶対自由の実感、獲得は難しいのである。

知識の構築で解ったつもりに陥り、その知識でジャッジしていることに気づけず
ロックされてしまうのがスピリチュアルの落とし穴に思う。


固定観念が自己否定を作り、絶対自由を遠ざけていると考えられる。



どこまでも深く自身をイタワル事だ。
「ソウカソウカ、無理なかった」は過去を肯定するエネルギーで
「今茲」を近づけてくれる。
「今茲」に絶対自由が存在しているのである。

固定観念が作っている否定想念からジワリジワリと全肯定想念に云ばれていくのである。
そこには、命の躍動感、無邪気、明るさ軽さが広がり
シンクロタイムリーで調和が連鎖し間に合っている世界がお出ましになる。

その世界を成立している無限絶対7次元のとてつもないエネルギーに触れる事になるが
それが空の意(こころ)=愛であり
どうあがきどう抵抗しようが愛の中にしか存在できない実感である。

無駄な抵抗はよせ!の全面降伏で、その実感が全面幸福だ。
I SURRENDREが愛サレンダーとリンクする。


絶対自由の獲得はパーフェクトに計らわれ愛に絶対束縛されている自覚である。
逃げようがないのである。

だから、自分に嘘をついたり否定しているのはアホ臭く
無邪気に明るく素直にお任せする以外ないのである。

まん丸の幸せに着くと書く「執着」が絶対自由であり
ネバベキと執着している固定観念、自己否定を手放すことがコツに思う。




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ジャンル : 心と身体

D イタワリは自由の獲得

辞書に自由は、「心のままであること、思う通り」とある。
思い通りの状態が自由と定義しているが、本当だろうか。

なぜ疑問かというと
自由を感じているその思いは、掘って見れば固定観念によって作られたものである。

無自覚であるが、前世から持ち込んでいるものや
「三つ子の魂百までも」というように
幼少期の刷り込みや体験、環境に大きく影響されていて
固定観念によって醸し出されてきた思考と感情に見合うことに
自由を感じると言えないだろうか。



誰もが固定観念に束縛されているのだが
幼少期から抑圧が強い人のセッションがわかりやすい。

抑圧の反動で、人を思うようにコントロールできることが自由であり
あるいは、強くなりたい力を持ちたい称賛を浴びたいで、
有名とリッチの勝ち組になることが自由の獲得である。

一応、思い通りになり自由を感じるかもしれないが、
反動そのものに束縛されたままなので、実は不自由なのだ。

それで更に自由を求めるが、不自由さも強まるわけで
自転車操業を誰もがしているのではないだろうか。


その得体の知れない不自由さを体は正直に現している。
腰痛肩こり、頭痛、高血圧、アレルギー、肥満、ウツ、癌・・・
様々な不定愁訴や慢性疾患、自律神経緊張として現している。

体は訴えているのに、不自由さを解放せず薬やメスでごまかしているのである。




不自由を感じさせる反動からの解放が自由の獲得だと見えてこないだろうか。

そうは言っても、反動のままで不自由さの路線から外れたことがないので
反動の自覚と自由の獲得は難しい。


簡単な方法は幽体離脱でもして
鳥瞰図的に自分自身を上から丸ごと客観できたら不自由さが自覚できていいのであるが
それを待っていても日が暮れるだけである。

しかし、体は正直に不自由さを自律神経緊張として現しているのだから
緩めることで
不自由さの原因=反動=どういう固定観念に束縛されているかがわかってくる。

緊張緩和は自身を客観するエネルギーを醸し出すので
エネルギー的に観るとわずかだが幽体離脱状態になっている。

セッションで実感するあの独特の心地よい緩み状態がそうだ。




緩めば客観しやすい、緩むには許す。
自身をどこまでも深く許し「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワルことだ。

イタワリの音のエネルギーは
宇宙中温のアタタカイ36度と、過去を肯定し今茲を近づけてくれ
その温度が凍結麻痺したアナハタを開いていく。

固定観念に束縛され自己否定と不自由を解放するエネルギーなのである。


すると何がお出ましになるかというと
命の躍動感であり、シンクロタイムリーで調和が連鎖する間に合っている世界が広がる。

コントロールも、計算と思惑もいらないアタタカイ思いと
調和の連鎖こそが豊さで、自由の獲得と言えないだろうか。

お金では手にできないその豊かさは
自身を客観する理知力が醸し出す仕組みで、理知がリッチにリンクするのである。


字はどう教えているかというと
自→ノ+目、
ノ=先天能(ハタラキ)、目=メ命と取れるように
授かっている先天のハタラキの命に由ることであり、
天のハタラキからの視野(ものの見方)に由ることが自由とわかる。

固定観念に縛られた反動の思いに叶うことではなく
命の世界を顕現することが自由への道ではないだろうか。


どこまでも深くイタワルことで獲得できていくと思う。
辞書にはそう付け加えたい。




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D 終着駅は執着駅

人生という列車に乗っているが、その終着駅は執着という駅である。

執着というとネガティブ感があるかもしれないが、字を割ると
執→幸+丸と書くのである。
「丸ごと幸せに着く」ことが執着と取れる。

人生いろいろあるけどね
乗っている列車の終着駅=ゴールが「丸ごと幸せ」って素敵だと思う。


銀河鉄道999が浮かんでくる。

  3063189i[1]



しかし、大概は少しでも早くと重荷を背負い列車の中を走っているのではないだろうか。
重荷も一緒に列車に運ばれているに、背負い込んで少しでも早くと走っているのだ。

走らなくても往々にして重荷を降ろせず先を急いでいるのではないだろうか。

乗っている列車の終着駅が「丸ごと幸せに着く」と知らないと
トレードマークの999は惨苦を象徴する。


終着駅を知っていれば、重荷は手放し棚にでも載せ、車窓の景色を楽しめる。
トレードマークの999はサンキュウ、感謝の象徴になる。


重荷は囚われ=執着だ。
執着を手放すことが「丸ごと幸せに着く」となるのだからパラドックスで面白い。

しかし、終着駅がわからなければ手放すのは難しいわけで、理知力が物を言う。

理知力を育むと、手放すことに執着すればいいとわかってくる。



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D モンダイナイのはんこ

無意識無自覚にモンダイアリに根付いて生きている。

そして、大変だ!問題だ!何とかしなきゃ!と問題解決に躍起になっていて
神社仏閣、占い、カウンセリング、パワーグッズなど多岐にわたって頼っている。


そこで、考えてみよう。
どんなに問題解決に躍起になってもモンダイアリに根付いていたら
問題は無くならないことが見えてはこないだろうか。

とりあえずの問題は仮に解決しても、モンダイアリでいたら問題は無くならない。


大体、占い師やカウンセラー自身がモンダイアリのスタンスでいるし、
学んだ固定観念と自我の投影でアドバイス(きつく言えばジャッジ)し、
相談者はそれを鵜呑みにして固定観念を強めてはいないだろうか。

最高のパワーを命に授かっていながら、
モンダイアリでいるからパワーグッズを手放せないのではないだろうか。

「刀」は無上の力と字は教えているが、
SWORD→S+WORDと取れるよう(Sはアルファベット19位=十九トク解く)
ネバベキを解放し、「ソウカソウカ無理なかった」のイタワリと、
「モンダイナイ」とコトバを解く=説くことでその力が発揮されるとわかる。


神様仏様にお願いに行くが
「ほほぉ~、何一つモンダイナイものを命に授けておるのじゃがのぉ、
何が問題じゃな?」と声が聞こえないだろうか。



問題は、モンダイアリに刷り込まれた思考と感情にあると気づきたい。

しかし、無意識無自覚になっているものを考えても日が暮れてしまうのが落ち。

では、どうすれば気づけるのか。



        0350[1]



おでこに「モンダイナイのはんこ」をバシッと押してしまうのだ。


おでこは思考と感情の玉座である前頭前野、そのおでこにイメージでも良いが、
手のひらをはんこにして「モンダイナイ」と音を回しながらバシッと押す。


「モンダイナイ」の音のエネルギーが、
即座に自律神経の緊張を緩和することはセッションやセミナーで実感するが
ただ「モンダイナイ」と音を回すより、
はんこはチャンネルがバシッと変わり問題の無くなり方は加速していく。




振り返れば、モンダイアリに根付いていたのも無理なかった。

なぜならば、アダムとイブが知恵の実のリンゴを食べた以来
天との霊線が分断され体主霊従となり失楽園を広げて来たのだから。コトワリ

分断されてはモンダイアリは当然のこと。

では何のために分断されたかというと、理知力を育む為であった。

分断されたが故に、繋がるためにはこうあるベキネバの音にロックされ
固定観念を強めジャッジせざるを得なかったわけだ。

それが無意識無自覚にモンダイアリの思考と感情に落とし込んでいたのである。



本当の問題は自分の思考と感情にあるのに、
それを客観する理知力が育ってないために
現象や相手を問題にしていて、思考と感情に見合うように変えようとしているのである。

その為に修行だ、引き寄せだ、言霊だ、方位取りだ・・・シノゴノやってきているが
もう時代は変わっているのだから、
モンダイアリの思考と感情を溶かすために向けたいのである。



長い間分断されていた霊線の接続が始まっており
何一つモンダイナイ、シンクロタイムリーで充満し
調和が連鎖する世界に根付ける時が来ている。

その為にはモンダイアリに落とし込まれた思考と感情(前頭前野=おでこ)に
「モンダイナイ」のはんこをビシバシ押しまくりたい。

無題無題無題

押せば押すほど問題は無くなっていくし、霊線は整う。



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D I WAS BORN

親を自分で選んで生まれてきた、スピリチュアルで聞くフレーズである。

本当にそうだろうか?
私にはその記憶は無い。
今の親許、時代、環境に事後承諾で存在している。


もし、自分で選んで生まれてきたなら悩み嘆くのはおかしいし
人生のプロセスを把握できると思うのだが。


実際にそう言う人にその記憶があるの?と聞くと、無いというのである。
有るといった人とお目にかかったことはない。

大概「えっ、そうじゃないんですか?」と言われるが、
記憶が無いのに自分で選んできたというのは洗脳、思い込みではないか。


自己啓発アイテムで自分で選んで生まれてきたのだから、
悩みなさんな、嘆きなさんなと根底にある感情を抑え込もうなのであろうか。



残忍な事件が多いが、犯人の生い立ちを調べると親からの虐待や抑圧が背景にある。
犯罪まで行かなくても、多かれ少なかれ誰もがあるのではないだろうか。

特に母親は自分のお腹から生んだので子供は自分の分身か所有物で
無意識に思うようにコントロールする傾向があり
恐怖で、馬の前に人参の如く見返りで、あなたのためよとコントロールする。

コントロールの強さが子供は母原病になり、極まれば犯罪を犯す。


子供は健気なもので正直な気持ちを封じ込め親に報いようとし
親のコントロールでがんじがらめになり
無自覚が多いが親の抑圧の反動で自分探しの船出をしスピリチュアルにのめり込む。

そこで、自分で選んで生まれてきた、となるのである。


最初は何となく納得はするのだろうが
押し込めていた感情は解放されるどころか内圧が高まり、
自分で選んできたのに納得できない、感情という暴れ馬は手に負えなくなる。


有難いと思う気持ちも勿論あるのだが
韓国語で母親をオモニというが、確かに重荷である。
母親という重荷を軽荷にする方法がある。

それが、「I WAS BORN」、直訳すると私は生まれさせられた。
自分で選んできたなどという傲慢でしかも記憶にないものに縛られることはない。
リアルにいえば、確かに全て事後承諾なのである。


抑圧によって押し込められた自分の正直な気持ち(インナーチャイルド)を
どこまでも深くイタワリ、認め許していくと
5次元と繋がるインナーチャイルドの声が聞こえるようになる。

生まれさせたのは、TRANSPARENTだよ。
真空透明が完全なるTRANSしたPARENTなのである。


何のために?
魂の成長のために
一番不足しているのもを学ぶために
親、時代、環境にセットして

と内から聞こえてくるのだから自分の中では揺るぎない。



思考と感情は親の刷り込みや抑圧の反動が大きく、その親もまた親からと
時代性と共に先祖から受け継ぐ思考と感情が因縁といえる。

因縁は増幅され先送りされてきたわけで、多発する残忍な事件は
その極まりを見せてくれているように思えてならない。

アナハタの奥底に閉じ込めた正直な気持ちをどこまでも深くイタワリ、許し認めることで
先送りされてきた因縁は解消して行き、
事件で見せられる虐待されて育つと同じように虐待するという
因縁の増幅と子孫への先送りはSTOPである。


イタワルことで自分という主観を客観する力が育まれるからである。
その客観力が理知力で、TRANSPARENTが課した魂の成長ではないかと思う。


ちなみに
誕生の「誕」はいつわる、でたらめ、うその意味がある。
字から捉えても自分で選んで生まれるほどの能力は無いとわかる。


愛であるTRANSPARENTが個々の魂の成長のためにセットしているのであり
人は受け身の存在なのである。
それがわかると気が楽にならないだろうか。





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D コトワリ

前回、2016年のエネルギーでも触れたが
21世紀は体主霊従から霊主体従の人としての本来性に回帰する。

アルファベット21番目にあるのが「U」で、21世紀がUターンの時代なのである。

21世紀

来た道を戻るならIターンだが、Uターンの意味は幅の獲得である。
幅ハバ=波場で自然法則を司るエネルギーの理解である理知力の獲得である。

アダムとイブが蛇=邪にそそのかされ智恵の実のリンゴ(輪語=地上のコトバ)を食べ
善悪を知る=固定観念によるジャッジし始めて以来
理知力を育むために何と長い時間と輪廻を繰り返して来たのだろうか。


物理の理解で科学を100年余りでF1マシンの加速のように発達させて来た。
物理法則は科(とが)学と書くように、とが=エントロピーを増大させるレベルだが
霊主体従の時代は真理を具現化するエントロピーを増大しないフリーエネルギーで
どんどん公にされてくる。

コトワリ(理)の獲得が進化と考えられるのである。


意識で言えば
自分という主観を客観する力が理知力である。
天は主観=客観で情を完成された完情、絶対に揺るがない普遍であり
理知で充満している愛である。

愛アイ=空意と取れるのである。

主観=客観は観る者であり観られる者、それを繋ぐのが理(コトワリ)なのである。



どうしたら理知力を育めるか。

逆から捉えるとわかりやすと思う。
主観に埋没していることは、「売りコトバに買いコトバ」のコトバの使い方である。
培ってきた固定観念による思考と感情でジャッジしている。

誰もが自分の思考と感情が正義で、正義と正義のタタカイを続けてきている。
つまり、培ってきた固定観念=記憶にロックされた
下からのコトバの使い方しか知らないのである。


自分とは何かと言うと意識である。
意識はコトバに由っているので、
どういうコトバを使っているかが自分ということになり
自分=言である。

言+l


横=地上のコトバで出来た自分=言を縦=天のコトバで割るのである。
天のコトバは「I」の字形でわかるよう、愛と感謝、イタワリと許しのコトバであり
そのコトバを使うことが売られたコトバを買わない事となる。

つまり感情から離れられている状態であり
その隙間に気づきがもたらされ理知力が育まれる。

ソウカ

割=ワル、カツの組み合わせで労る、ソウカで労るとなるように
自分を割る事はイタワルことである。

自分=言を割ることが、言割=コトワリ=理を育むと字は教えている。

「ソウカソウカ、無理なかった」は自分を客観し
過去を肯定する、許す、認める、労る音のエネルギーである。

イタワリは天のコトバであるから
自分をイタワルことで「今茲」が近づき、理知が育まれる。

「ネバベキ」は自己否定であり、過去を否定する音のエネルギーなので
「今茲」が近づかない。


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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桑原大治

Author:桑原大治
宇宙は光透波
無限分の1秒で無限大を回る絶対速度、命でありコトバの本質と解く小田野早秧先生に1984から御逝去の2001まで師事し光透波理と字割を元に、埼玉県川口市でカルナ治療院を開いています。

腰痛、膝痛、首痛、顎関節症、スポーツ障害、内臓疾患、ウツ、自律神経失調症
メンタルからもアプローチしながら対応します。
改善しにくい原因に、無自覚の自己否定、口呼吸、菌の影響があります。
MMSのアドバイスもします。

予約制、水曜・木曜休診

JR武蔵野線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)
東川口駅歩3分 

問い合わせ
kt99av@bma.biglobe.ne.jp

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