D 字割の醍醐味 2
字割はダイレクトに天意を開く
文字に潜象界である天意、法則、叡智が秘められており
それを開く術が字割である。
角度を変えれば
字割によってダイレクトに天意が降ろされることである。
つまり、一人一人が天意と繋がることが可能なのである。
この意義はとても大きい。
なぜならば、特殊な霊感者でなければできないものを
個々にできる事なのである。
そして、チャネリングや霊感と言っても
どの次元で繋がっているのかわかりにくいし
自我の投影でやっていることも結構あるのである。
それらは主観だけで、裏付けできるものが少ないのである。
先日のセミナーで、熊本地震に関して質問があった。
ある霊感者は、悪の枢軸の仕業で人工地震によるもので
最後のあがきをやっていると。
また、ある霊感者は建て替え立て直しで天の意思による浄化で起きていると。
どっちが本当でしょうかという質問であった。
同じ地震を悪と天の両極に分かれて意味づけをしている。
その情報に翻弄されているわけである。
小田野先生の所には
天鏡図の臭いを嗅ぎ分けるのか
様々な霊感者が押し寄せてきた。
新興宗教の開祖や教祖、知名度のある人も多かった。
「それらの人達は何の裏付けもなく霊感だけでやっているから
いい加減なことばっかり、霊感っていい加減よ」とおっしゃていたが
人が為す→偽となるように
確かに人の教えは曖昧さが出るが
字割は光透波理(コトハリ)に裏付けられているので
ピタリピタリと整合性をもって降ろされるのである。
その上であれば、翻弄されることもなく参考にもできる。
熊本という音と文字、数を現す日時などから
字割すれば整合性を持って天意が降ろされるし
個々の問い方に応じた答が出るのである。
人の教えに翻弄されるのではなく
字割は個々にダイレクトに天意と繋がる術なのである。
周りを見れば
人からの教え、霊感、チャネリング・・・を鵜呑みにし
思い込みにも気づけず翻弄され、自分が自身の主人公であることを
手放している人が多くないだろうか。
何に拠り所を持てばいいのかわからない時代だからだろうし
少しでも良くなりたい、少しでも悪くなりたくないという
不安と恐怖が根底にあるからではないだろうか。
字割によって母慈の光に包まれることで溶けていくと考える。
字はウ+子、宇宙の子(神の子)になる為に人間だけが持たされている。
止観の奥義は字にあると考えられるし
観音力は、「音を観る力」と書くように
「字」に秘められている潜象のエネルギーと言えるわけで
字割は観音力を授かる事とも言える。