D 潜象の現象化は何を生むか

逆から観ると解りやすいと思う。

潜象界が潜象している状態は、不足感ではないだろうか。


不足感に飲み込まれたWORLDに生きているので

「今茲」を肯定できなくしている。


本当は「今茲」にあらゆるものを創造するエネルギーがあるし

それを命に授かっているのであるのだが。




不足感が満足を求めさせ、「今茲」にあるものを上へ先へと探し求めている。


不足感で病気になるし

あらゆる事に不足感を持ち、もっともっとで抑圧し計算と思惑にかられている。


そして、その自覚はなかなかできない。


満足を得る為にこんな自分ではダメだ、こうあらネバ・ベキと

自己否定しながら=「今茲」を否定しながら

あらゆる事に躍起しているのではないだろうか。



躍起を振り返ればHOWTOに、自己啓発に、宗教に、難行苦行に・・・

そしてあの本この本と知識を構築してきたのではないだろうか。


しかし、求めれば求めるほど得られない

まるでアリジゴクにはまっているようだ。



なぜならば、先のブログにアップしたように

②、 × +

「今茲」の知識は構築できても

潜象界を現象界のコトバで引き出そうとしているからである。


それでは現象されないので、

ネバベキのロックを強め=自己否定=今茲の否定をしながら

躍起する仕組みで、現象化されるのは生命力の減少化である。



病気は勿論であるが、この仕組みに気づけないでスピリチュアルに熱心の人に

ウツや癌が多いのもうなづけるのは

自己否定に無自覚で励んでいるので思い込んでいるだけで

生命力は残念ながら減少化しているからだ。




潜象界の現象化でまず実感してくるのは

シンクロ・タイムリーが増えてくることに思う。


欲しいと思ったこと、知りたいと思ったことなどが

絶妙なタイミングでもたらされる実感→シンクロ・タイムリーである。


シンクロ・タイムリーが私のコトバで言うと

調和が連鎖する間に合っている世界である。


引き寄せようとしなくても

ほらどうぞという感じで向こうからやってくるようにも感じる。



その実感が増えるほど、イヤでも嬉しい・有難い想いが湧き起ってくる。

それが本来の意識で、CONSCIOUS=感謝スではないだろうか。





なぜシンクロ・タイムリー=調和が連鎖する間に合っている世界がお出ましになるのか。


宇宙は光透波=C∞=絶対速度=絶対時間が支えているので

寸分の狂いなく=完璧にシンクロ・タイムリーで充満しているのであり

それを私達は命に授かっているのである。


無いものを獲得するのではない。

どこにいようがシンクロ・タイムリーの中にいるし

命としてプレゼントされているから、本来は引き寄せる必要がない事が解る。


現象界のコトバが創る意識が引き寄せようとするのではないだろうか。

アダムとイブは引き寄せようなど思いもよらなかったと想像する。




潜象の世界は黄泉の国

黄泉は四三、四+三の七次元であり、四=詞 三=実で言を司る光透波の実態である。


潜象界の現象化は見方を変えて言えば

「黄泉に帰る」ことなのである。


それにはヨミを変える=読み変え=ネバベキの概念を読み変えることである。

③、 × = +

潜象界に潜象界のコトバをかける=売りコトバを買わずに

「モンダイナイ、ソウカソウカ」のイタワリの音に変えることだ。


(モンダイナイで問題は無くなる仕組みだ。

問題はネバベキの音にロックされた思考と感情にあるのだから。)


それが地獄化されたこの世=現象界から甦ることになり

甦→更に生きる と書くように潜象の世界にも生きることになる。



現象界と潜象界の両方を生きる=両生類が新人類ではないだろうか。


両生類というとカエルが浮かぶ。変える=帰る。

大天使と繋がりミカエル=身変える、心身とも本来性である。

エネルギー的に言うと巳帰ル、巳はヘビ(クンダリーニ)の昇華である。



巳帰ル

個のレベルではクンダリーニ昇華で覚醒(潜象界にも生きる)であるが

人類レベルではアダムとイブに善悪を知らしめ

ジャッジをそそのかした蛇=邪の昇華と言えるのではないだろうか。


WOORLD→WORD+L

ヘビのそそのかしによる現象界に君臨するネバベキから

「愛と感謝、イタワリと許し」のコトバが開かれた世界で

パラダイスが再び開かれるのではないだろうか。




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D 潜象界を現象化する(生命力、潜在意識の活性)

宇宙=真空を命に授かっている。

創造の源、叡智であり愛を。


アダムとイブの時代はそれに生きており地上天国であった。


現代も授かっている命は変わっていないのに

モンダイアリに根づき緊張し、地獄と言える真逆のWORLDに生きている。



創造の源、叡智であり愛、命が潜象してしまったことが

病気や不幸の原因であり、カルマを生む原因ではないだろうか。



仕組みから言えば、潜象界の現象化でそれらは溶解し、

叡智は調和が連鎖するエントロピー減少のフリーエネルギーを現象し

戦争の原因であるエネルギーの奪い合いは終焉し

高度な知性と愛に生き再び地上天国を迎えると思うのである。


健康で豊かで慈愛と安らぎに満ち、調和が連鎖する間に合っている世界だ。




さてそこで、なぜ潜象してしまったかを掘ってみると

いつからかと言えば、バベルの塔の崩壊ではないだろうか。


天直結のコトバから、地上のコトバにシフトしてしまったことであり

智恵の実のリンゴを食べ善悪を知ることになった。

それがジャッジの始まりではないだろうか。何がモンダイを作っているのか



潜象界の宇宙は光透波=詞、言を司るコトバの本質で

音が数に働き寸分の狂いない法則=叡智と

意味に働き「愛と感謝、イタワリと許し」で充満している。


アダムとイブの時代、バベル崩壊前はそのコトバと直結であった。



それ以後潜象してしまった命の世界をどうすれば現象化できるのか。


その為に宗教の教えや瞑想、難行苦行、様々なHOWTOで開こうとしてきたと思う。


しかし、それらを注意深く観てみると

潜象の現象化を「ネバベキ」でやっている事に気づかないだろうか。


「ネバベキ」はジャッジであり、

過去も今も否定し上へ先へ求める音のエネルギーである。


潜象界は「今茲」にあり、「愛と感謝、イタワリと許し」で充満し

ジャッジのかけらもない世界なのに・・・。




それをシンプルに数式が現す事に気づく。

-は潜象界、+は現象界と現象化、②の-は潜象のままを意味する。


①、 × + = +

②、 × +

③、 × = +


①、+(現象界)に+(現象界)のコトバをかけても、当然+現象界のまま。

  現状のWORLD路線である。


②、-(潜象界)を引き出そうとするが、+(ネバベキ=現象界のコトバ)で

  頑張ってやっているが残念ながら、-で潜象したままで現象化されず

  なんでなんだ、まだ足りない、こんな自分ではダメなのだ!


③、-(潜象界)を引き出すには、-(潜象界のコトバ)をかけることで+現象化する。

  潜象界のコトバは「モンダイナイ、愛と感謝、イタワリと許し」である。



仕組みがすごくわかるではないか。


なぜならば、潜象界は光透波が創り「愛と感謝、イタワリと許し」が実体であるから

それを現象化するにはその質をかければいいのである。


「場」があらゆる現象を創っているわけで、

コトバは光透場で究極の電磁場であり電磁波なのである。


しかし、潜象界がコトバの本質であり、コトバそのものの働きが理解されない為

②のように一生懸命ネバベキで前世からやってきているのではないだろうか。




当時も今も授かる命は違いが無く、

何一つ問題ない完璧を間脳の生命電磁場に絶えずプレゼントされているが

何かがそれを緊張させ出力を弱め潜象させているのである。


その何かとは「ネベ・ベキ」の現象界に君臨する音のエネルギーと考えられる。


その音のエネルギーは命の本来性とは違うため

当然脳は緊張し脳力=能力低下で

頭蓋骨も骨格も歪み生命力を弱め、潜在意識・能力を封印している。


その音にロックされている事に気づけず

「売りコトバに買いコトバの下からのコトバの使い方」をしながら

一生懸命②をやっているのではないだろうか。



あるいは、自律神経を緊張させている原因を解らずに、

薬に頼ったり、副作用を懸念し食べ物が薬と食生活にこだわるが

今の時代は極まっているのでそれだけでは難しい。


万病の妙薬は

クスリは空数理と取れ、潜象界を創る数理=エネルギーなのである。



× = +

売りコトバを買わず、イタワリとモンダイナイの音のエネルギーが

潜象界を現象化すると数式が教えている。




D 新宿鬼王神社

先日所用で新宿の鬼王神社近くに出かけた。


鬼王神社は3年間通っていた東洋鍼灸専門学校のすぐ近所でなじみの場所で

卒業以来30数年ぶりに立ち寄ってみた。


学校はH7に新大久保に移転したのだが、どうなっているのかと思い行ってみると

校舎の一階は居酒屋に変わっていた。


新宿タイガーさんの新聞店が学校の近所でよく見かけたが、今もお元気だろうか。

新宿タイガー(検索したら現役のご様子)


      img_3[1]




学校は歌舞伎町のホテル街にあり、

私が通学路にしていたのはゴールデン街を抜けホテル街に入る順路であった。


当時が懐かしくぶらつくが歌舞伎町はコマ劇場も変わっていたし、

なじみの店も無くなっていてずいぶん様変わりしているが

歌舞伎町の欲望と喧騒猥雑な雰囲気はそのままだ。



あの頃はインド放浪で知った精神的豊かさを瞑想に求め

少しでも近づきたいと一生懸命ネバベキで励み

清浄清浄と毎朝水をかぶり瞑想してから学校へ通っていた。


世田谷の成城にあれば清浄つながりでいいのだが

数時間前までにぎわっていた昭和レトロのゴールデン街の混沌とすえた匂い

朝のホテル街の疲れ切った雰囲気を感じながら登校で

ギャップを感じるのが面白かったように思う。


酸いも甘いも清濁併せ呑むオーラはこの通学時に種を蒔かれたのかとよぎる。




鬼王神社

全国唯一の鬼の王、鬼を福授けにする社

「福は内、鬼は内」


274492[1]



当時はホテル街に隣接しながらどことなく温かさと清浄さを

醸し出している神社が心地よく立ち寄っていたが、

今となると神社の名前に興味を持つ。



「鬼」を掘ってみたくなった。

鬼が云(ハコブ)で「魂」という字になるが、さてさてどう言う事だろう。


鬼は赤鬼と青鬼がいる。

赤と青の意味から考えてみると、赤=激昂、青=冷酷と響く。


熱しやすい人は冷めやすいように、激昂と冷酷は表裏一体であり

波動で言えば振幅が大きい=荒い波動で

意識で言えば激昂と冷酷を併せ持つ低い意識と言え、まさに鬼だ。



あるいは、赤=情熱、青=冷静と取ると

情熱は命の躍動、冷静は客観力となり

そうなると波動は振幅が小さい=高い波動で

振幅の小さいことは赤と青が融合することであり、色では紫になる。


紫は高貴、高い霊性(客観力の冷静が霊性とわかる)、優雅の意味がある。



色の意味合いから精神性が観えて来るではないか。

赤と青の鬼が云ぶレベルが「魂」と。



生命電磁場=松果体=サハスラーラチャクラは紫であることは

赤(生命力)と青(客観力)の融合で高い霊性の魂と理解できる。


だから、頭はアタマ=吾霊=吾玉と取れ、玉は生命電磁場なのである。



赤鬼と青鬼が誰の中にもいると思うが、

赤鬼が象徴する激昂を命の情熱に、青鬼が象徴する冷酷を客観力に

昇華融合することで紫の霊性の高い魂になるのではないだろうか。



鬼王神社は「福は内、鬼は内」、鬼を悪者にしていないのが好きだ。


悪者として外に追い出すことは自分の正義をかざすからではないか。


誰の中にもいる鬼を否定し追い出そうとすることは

自己否定であり自身と戦っている事ではないだろうか。


その鬼を否定せずイタワル事で赤鬼と青鬼が融合し紫の霊性の高い魂になるわけで

「福は内、鬼は内」の意義がわかってくる。


どことなく温かさを感じていたのは、鬼は内にしていたからと今になってわかる。


「清濁併せ呑む」がまた一つ深まり、久しぶりに訪ねた甲斐があった。




D カルマの解消とコトバ

カルマは因果応報、前世を含め過去の善悪の行為が因になり

その報いが現在に善悪の結果がもたらされること。


病気や不幸、死にたいくらい辛い事に飲み込まれる。

仏教的に言えば過去の行為の結果とされるが、


なぜ途方もなく輪廻をしているのに未だに解消されないのか。

解消どころか上乗せしているのかもしれない。


それを解消するのにはどうしたらいいのだろうか。



大概が神仏に祈願、徳を積む、スピリチュアルに躍起するし

難行苦行に求める人もいる。

この路線しかないのだろうか。




神仏の御実体は「コトバであるぞよ」

そのコトバを「ネバベキ」にロックされたままの思考と感情で

神仏に祈願してもはたして通じるのだろうか。


見返りを求めた思惑の行為は徳を積むことになるのだろうか。


あるいは、徳が積まれるとたんまりお布施する信者もいるが

思い込んでいるだけで信+者=儲かると取れるように、

実際は教祖や教団の懐を肥やすだけではないか。


あえて難行苦行に求めずとも、今の辛い状況がその行ではないだろうか。


モンダイアリにしっかり根を張りながら

問題を解消しようとあの手この手とやっているスピリチュアルは

かえって自我を強める危惧があり、スピリチュアルを謳うビジネスではないか。



なぜ辛口指摘かというと、コトバのハタラキが解ってくるからだ。





言=事

行為の元は意識であり、意識はコトバをどう使っているかに因るわけで

事(現象=カルマ)の根底には言(コトバ)が働いていると理解できてくる。


WORLD=WORD+L

コトバをどう開いてきたか(使ってきたか)が

現在も未来の現象に現在完了進行形で結果していることがわかる。



カルマはネガティブな行為の結果であり、

行為の元になるコトバのエネルギーをネガティブに使っていたわけで、

本来性に使っていなかったと解ってくる。


具体的に言えば

「売りコトバに買いコトバ」の連鎖で、「ネバベキ」の音にロックされてきたのである。


そのコトバのエネルギーは自己防衛、自己否定、ジャッジを余儀なくし

自分の思考と感情の土台になり、それが正義になってしまい

正義を貫こうとしていることが行為ではないだろうか。



コトバのハタラキに気づけずに

神仏に祈願、徳を積む、スピリチュアルに躍起しても解消は難しいのではないだろうか。





コトバの本来性は「愛と感謝、イタワリと許し」であり神仏の実体である。


これが理解できると売りコトバを買わず、本来性を使えばいいと解ってくる。


それがイタワリである。

「ソウカソウカ、無理なかった」ととことん自分をイタワル事だ。



その音は過去の行程を肯定するエネルギーであるから

闇になっている過去を加光で、光を照らす事になり

蓄積してきたネガティブエネルギーを解消するのである。


イタワリで自己否定・自己分離が溶解し、ジャッジしなくなるので

正義を貫く行為から寛容・許しの行為に変容していき

温かさが広がり、還元作用が働く。


過去を否定し闇にしたままで、行為を変えようとすることは難しい。

かえって「ネバベキ」の音に翻弄されて

にっちもさっちも行かなくなり、酸化が極まり死ぬしかないとなる。




辛+一=幸

イタワリは、過去の行為の結果である「辛い状態」に

一(絶対エネルギー、-電気)を加えているのである。


辛い状態=カルマは電気的言えば、+電気帯電で酸化=惨禍現象で

そこに-電気を自家発電し還元=換言しているのである。


コトバが究極の電磁波=電磁場なので

+電気帯電を生むネバベキから

-電気を強力に自家発電する還元=換言がイタワリなのである。


この-電気補充は物理次元と違うため、

せっせと抗酸化食し衣食住にこだわっても残念ながら追いつかないのである。



イタワリで「辛」が「幸」に転換する。

カルマの解消ズバリではないだろうか。


更に言えば、「辛」があるからこそ「一」が加えられ「幸」になる。


「辛」を否定し戦うことではないとわかるではないか。

それを長い間やり続けてきたのではないだろうか。

だから、解消にはならず前世から持越し先送りしてきているのだ。




カルマの解消=現象を変えるには

その元になるコトバを本来性に還元=換言することと解ってくる。


そして、本来性に還元することは

調和が連鎖する間に合っている世界=幸せが広がる。


コトバの働きが解ってくると難行苦行の時代ではないように思う。



卆業=カルマの解消は

卆は九十(コト)=言

イタワリの言の業(ワザ)と字は教えている。




D 心が肉体を所有する

過去最高の医療費が物語るように、医学の進歩と裏腹に病気は増加の一途である。


100年前と自然環境や農薬添加物などの食の安全性は大違いで、

確かにその影響は大きいが、果たしてそれだけが原因であろうか。



自然治癒力を高めようと

薬に頼らず食は命と無農薬無添加に、水にも衣類にもこだわり、

冷え取り、サプリ・・・良いと言われるものを長年やっているし、

さらに方位にも気を使い、パワーグッズを身につけているが

なかなか良くならないと来院するクライアントさんに共通することが有る。



お酒もたばこもやらない、食事にも冷えにも気を付け良い事をやっているのに

良くならない、かえって好き勝手やっている人の方が元気ってどういうこと?


やっていることは-電気を持つのでエントロピー減少=還元作用に働き

+電気の酸化作用=エントロピー増大=病気を緩和する。


それなのに、なかなか改善しないのは原因が他に有ると考えられる。

つまり、このような場合は本当は肉体が病んでいるのではないのだ。



無農薬無添加や酵素など抗酸化食品をふんだんに摂っているのに

酸化し血流を悪くし冷えて頭も内臓も機能低下しているのは

それらよりも強く影響しているものがあるわけで

その原因を解消すると良いと解る。




共通事項

知識満載の頭でっかち、少しでも良くなりたいと右肩上がりの直線思考だ。


ゼロか完璧かで、思惑の完璧な結果ばかり追い求めているので

以前より改善している事=プロセスには意識を向けられない。


そのために、思惑通りにならない=良くなっていないと自分でハンコ押しているのだ。


当然、まだダメ、まだ足りないの枠の中に居続ける。



これは体に良い悪いと知識で食べ、色々とやっていて

体が本当に必要なものか、美味しいのか、やりたいのか、楽しいのか、

気持ち良いのか、嬉しいのか・・・解らずに知識に翻弄されている。


知覚の麻痺状態に陥っている。


直線思考は

上へ先へ、もっともっと、ガンバレで「ネバベキ」にロックされている。

そして思うようにいかない、できないと自分を責め簡単に落ち込み

反省ばかりである。


反省ばかりではウツになるのも無理はない。


超やクソがつくマジメな人である。マジメな人




心が肉体を所有している事に気づきたい。

心が直線思考であるほど間違ってはいけない、悪くなってはいけない、

良い人でなくてはいけない・・・緊張を招くのは無理もない事ではないか。


その心の緊張(直線思考)が自律神経緊張に投影する。


せっせと抗酸化食していても、

残念ながら一発の不安や恐れ落ち込みで

副腎からストレスホルモンのコルチゾールが分泌され酸性化と血流低下だ。


上がるのは血糖値で、

コルチゾールのせいで糖質が欲しく過食し、内臓に負担を上乗せする。


それで食べてしまった自分やできなかった自分を責め否定しているし

あるいは我慢し続けているわけで、

自律神経緊張緩和を緊張させながらやっている。


その状態は生体電流では+電気帯電であり、

ー電気補充に衣食住に気を使っていても間に合わないのである。



この事に気づけないと

あれを食べたからだとかやらなかったからだとか足りないからだと

どんどん細かくストイックに陥り「ネバベキ」を強めやすい。




直線思考は心の緊張を余儀なくし

自己否定に陥っているのであるが、なかなか気づけないのである。


なぜならば、直線思考しか知らないからだ。


物心つく頃からこうあらネバベキと刷り込まれ

自身の素直な正直な気持ちを封印し、

親や周りの目ばかり気にし行動して来たわけで

何がやりたいのか好きなのかなど本心が麻痺してしまう。


それが知覚の麻痺とリンクし快不快の自分の知覚を判断基準にできないので

どうしても知識を求めてしまい情報過多で翻弄されてしまう。


別な表現をすれば

本来なら感応するから実感し、エネルギーは高まるのだが

知識を覚えてわかろう、エネルギーを高めよう回路で左脳>右脳である。




ずーと直線思考できているので、ずーとコルチゾール分泌を余儀なくし

副腎に疲労が蓄積しホルモンバランスを崩し

頭も内臓も機能低下=血流低下=冷えた体=自律神経緊張なのである。



健康と安らぎを深めるには心の緊張緩和を図る事だと解ってくると思う。


それにはネバベキにさよならし、

「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでもイタワルことだ。


長年の直線思考は何かにつけ問題を感じ問題だらけだが

その時は「モンダイナイ」と音波云しよう。


問題は無くなって行く仕組みになっているから。




D体験でコトバ(意識)を変えようとしていた

かつての私は宇宙意識を願いストイックに瞑想し、超越体験を求めていた。

超越体験をすれば意識は解放され愛を自覚できると。



ストイックを掘ってみれば、

抑圧の反動がそうさせ「ネバベキ」でやっていたわけで、

ストイックは「ネバベキ」に硬くロックされていたと解る。


振り返ればそのストイックさは

宇宙へとがむしゃらに登りつめて成層圏まで来て

重力の限界から落下して初めて反動そのものに気づけた。成層圏から落下




今までコトバが意識を成立することに気づけなかった為に

光、愛、至福・・・とにかく自我を超越した体験を求め

体験によって意識が解放されると瞑想をしていたのである。


ストイックであるから、こんな自分ではダメ、

もっとこうあるベキネバと過去も今も自分も否定しジャッジしていたのだ。


まさに自己否定しながら自己解放を求めていたわけだ。



瞑想中は五感がフェイドアウトされ六感の世界が顔を出してもくれるが

爆裂してお出ましになればいいのだが、

如何せん「ネバベキ」のロックは強く解除にはならず

瞑想を終えればいくら体験があっても

いざとなればそんなのは吹っ飛び今まで通り「下からのコトバの使い方」を続けていた。


また、自分の思考が正義になっているので

知識を構築するほど「ネバベキ」とジャッジを強めてもいた。




それはブログでアップしているように

感情が納得したら(体験したら)、「愛と感謝、イタワリと許し」の

上からのコトバを使うスタンスと同じだと気づくのである。


自己否定しながら自己解放を、永遠のいつかを自身と戦い続けながら待つばかりだ。




しかし、小田野先生との出会いで頭が良くなってきたのである。

「コトバが意識を成立する」ことが解ってきたからだ。



WORLD→WORD+L

コトバ=音のエネルギーをどう使っているかが意識のレベルであり

そのレベルに見合った世界=空間が醸し出されている。


「聖」は王(四次元)耳口と取れるように

聖者は四次元=コトバの本来性、「愛と感謝、イタワリと許し」を

耳にし口にするから聖者なのである。


四次元と真逆のジャッジと否定のネバベキを耳にし口にしていたら

罪→四に非ず、の人である。

 


コトバをネガティブに使っていたら我の強い意識を必然するし

コトバを本来性の「愛と感謝、イタワリと許し」に使っていけば

意識の本来性に回帰していく仕組みが解ってくるではないか。


それがコトバの方程式、試→言+式と字は教えている。


本来性に回帰すればCONSCIOUSは感謝スと取れるよう、

感謝する以外湧き起らないように思う。



WORLD→WORD+Lが理解できれば

超越体験を待つことはない。

そんなの待っていたら日が暮れる、いや人生終わってしまう。


それも、かつての自分のように「ネバベキ」にロックされ自己否定し

あるいはいつかなれるのかなぁと、かなぁかなぁセミになって待つのだ。



そして六感を大事にするあまり、波動に敏感になりすぎ

電磁波だ邪気だ邪食だ・・・気にし過ぎてこれはダメあれもダメ・・・

ネバランドのお姫様王子様でオーラはきれいだが厚みが無い。


コトバが究極の電磁波であり電磁場であることが理解と実感できると

そんなのモンダイナイ!でコトバのエネルギーがチャラにしてくれ

清濁併せ呑むオーラを醸し出す。


いわゆる言霊を降ろせることだが、

フィジカルでは中心軸=コイル=自律神経が整い丹田が強化された状態であり

胸が閉じていたら難しい。


     dansei-mae[1]




長い長~い間、

コトバは伝達手段のような非常に浅い理解しかなかったと思う。

だから「コトバを超えた世界」とか「コトバでは言い難し」と表現するが

コトバを使っていること自体に気づけていないのである。


それでは体験によって意識が解放されるとしか考えられないわけだ。

つまり、体験によって

「愛と感謝、イタワリと許し」のコトバを使えるようになると。


意識はコトバとダイレクトに理解できなかったためではないか。





振り返ればコトバのハタラキに気づけなかった為に

ず~と「ネバベキ」にロックされ自己否定しながら解放を願っていたことが観える。


一体全体いつからだろうか?


「ネバベキ」と自己否定しながら自我を超越しようと

難行苦行していた健気な前世が大脳スクリーンに浮かんでくる。


バベルの崩壊以来ず~と「ネバベキ」にロックされ続けてきたと類推でき

今生でやっとこさイタワリができたと

「ソウカソウカ、無理なかった」としみじみ思うのである。




時代は変わったのである。


「コトバが意識を成立する」と解れば

ネバベキにさよならし、

売りコトバを買う「下からのコトバの使い方」から

買わずに「愛と感謝、イタワリと許し」を

音波云ネハン(音のエネルギーに云ばれる)すればいいとわかる。




わざわざヒマラヤに寝泊まりに行かずとも

泥に咲く蓮のように、ジャッジにまみれるこの社会の中でこそ

イタワリの音波云の出力は高まるのではないだろうか。



    imagesSJG2XE87.jpg




「割」は害があってこそリ=立刀、割る事ができ

また害を利用することで割れる。


さらに割=ワルカツの組み合わせ、ツ+ワ+カ+ル=労ルとなり

害=我意を否定し清く正しく美しくと精神の背伸びでは割れず、

胸の奥底に溜め込んでいるドロドロをイタワルことと字は教えてくれる。


それもどこまでも深くイタワルほど

凍結麻痺させた無邪気さも健康と安らぎも取り戻すと考える。自分を割る




音波云によってこそ体験が醸し出されてくると考えるし実感もする。


意識はコトバ、コトバは音のエネルギー、

エネルギーが空間を結果するのでリンクする体験(光、至福、愛・・・)

超越体験がお出ましになるし

わざわざ引き寄せようとしなくても

調和が連鎖する間に合っている世界、シンクロタイムリーがどんじゃらとなって行く。


そうなるとイヤでも有難いという気持ちが湧き起るわけで

本来の意識CONSCIOUS=感謝スに回帰するのではないか。



分離から融合で、日常生活に精神世界が開かれ

瞑想や宗教もストイックからお気軽な趣味感覚ででき

かえって理解と実感が深まるように思う。



そして、前回アップしたように

コトバのエネルギーを上げるには、

胸を開こう・体のフリーズを解消しよう

空間を整えるダブルアプローチが加速してくれる。





D 空間(体)からのアプローチ

エネルギーは空間に結果する。

そのエネルギーとは、意識である。


意識は何かというと、コトバをどう使っているかである。

それをズバリ解いているのが、WORLD→WORD+L(開く意味)で

コトバの使い方(どう展開してきているか)が、世界=空間に結果している。


一番身近な空間現象が「体」であり、対人関係、仕事・・・

人生という空間に結果しているわけである。



「モンダイアリ」のコトバの展開では問題は無くなりようがなく

「モンダイナイ」の展開で問題は無くなるのである。



「モンダイアリ」だから自己解放やら引き寄せと瞑想や自己啓発と

精神面をメインにアプローチしているのではないだろうか。




それで、意識はコトバの使い方と理解できると

「売りコトバに買いコトバ」の下からのコトバの使い方をしていては

モンダイアリのバーチャルの世界からは抜け出せないことが観えてこないだろうか。


なぜならば、コトバの使い方はそのままで

知識や思考で自己解放を狙っているわけで自己否定のままなのである。




下からの使い方から上からの使い方、つまり売りコトバを買わずに

コトバの本質の愛と感謝、イタワリと許しのコトバを回すことである。


しかし、感情が納得しないから回せない、いつか納得できたらやろうでは

永遠のいつかを自分と戦いながら待ち続けることになる。


トラウマ的な強い抑圧や恐怖や怒りを持つ人、我の強い人にその傾向があるが

そういう場合は精神面からだけでなく空間(体)からもアプローチしたい。




感情が姿勢や表情に現れる事はご存知と思う。

恐れや悲しみは、胸を閉じ骨盤を寝かせ首を縮めた猫背に、

怒りは、文字通りイカリ肩で目は吊り上り顔は険しい、

楽しい嬉しいは、胸を広げ両手を広げ笑い、ガッツポーズなど自然と現す。


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つまり、感情が筋肉と連動し、

筋肉の状態がストレスホルモン、ハッピーホルモンの分泌を促すのである。

逆を言えば姿勢や表情=筋肉を変えることで感情=意識を変える事が出来るのである。


特に抑圧が強く感情にロック状態は筋肉の緊張=自律神経緊張で

ストレスホルモン(コルチゾール)に支配されているので

頭でわかっていても難しいのである。



それでも健気に言霊と称して「アリガトアリガト」と頑張るのだが

その姿勢は胸は閉じ背中を丸めてだから、ハッピーホルモンが出にくいので

アリガトしていればいつか変わるのかなぁ、

かなぁかなぁの心もとなさが情報を外に求め依存しながらの中途半端でトロロイモである。


なぜならば、その姿勢ではフリーズしたPCに情報を入れているようで

サクサク動かないものだから「かなぁ」の不安がでるわけだ。



tobotobo[1]




問題を感じていることは、生体電流は+電気を帯電するので緊張を生み

内臓も脳も機能低下である。


+電気は酸化や腐敗のエントロピー増大なので、自律神経は緊張で心身とも具合が悪い

部屋は散らかり、対人関係も仕事も・・・

つまり調和が連鎖しにくい間に合わない人生に展開するのではないだろうか。


衣食住には-電気を求めるが

肝心のコトバの使い方は始終売りコトバを買う「下からの使い方」なので

エントロピー減少の-電気の自家発電はされないため

食にこだわっても酸化傾向なのである。



だから、コトバの使い方が要なのだが、

胸が閉じ緊張状態ではコトバの出力が弱いので、かなぁかなぁセミになっているのだ。




確かにコトバがエネルギーなのだが、

背中丸めて「アリガトアリガト」よりも胸を広げ笑顔でやる方が

出力が上がり断然良いとわかると思う。


            imagesX1Q6ZZB5.jpg



更に言えば、内臓も不随意筋という筋肉で

緊張緩和=機能向上には冷たい物の飲食は控えたいし

口呼吸にも気を付けたい。口呼吸の弊害




楽しいフリをしよう、フリがきつければ胸を開き笑顔をつくろう。

胸を開くことだ。

笑顔がきつければ、割りばしを口にくわえて筋肉を変える事だ。

それでハッピーホルモンが促され、感情のロック解除がやりやすくなっていく。


    yjimage[1]




思考に捕まって背中丸めてこもっているより運動しよう。

運動は筋肉を使うことであり感情=意識を変えることに繋がるわけで

運を動かすと文字通りではないか。




更に、

色は波動=エネルギー、赤やピンク鮮やかな色を身に着けよう。

そしてちょっとの事でもウーンと喜ぼう。

ピンクがそれをやりやすくしてくれる。

 

     20110923022007ad7[1]


林家ペーパー子さんは色の使い手だ。

あのピンクがノー天気=能転気でエネルギーを転換するわけで

暗くくすんだ色では難しい。


髪型を変えるもの良いし

部屋の模様替えや片づけをして空間を整える事だ。



精神面だけで何とかしようとするより空間を整えることを同時にやると良い。



一番身近な空間が体であり、

その体に過去からのコトバの使い方が現象し

潜在情報(意識)がインプットされているので皮膚身神示と考えられ

体にスピリチュアルを見出せるのである。



命は自律神経に働いているのだから、

自律神経緊張緩和=中心軸を整える=歪みの解消と体からのアプローチは

フリーズしたPCの修復と同じでサクサク動き情報を展開してくれ

音のエネルギー=念の出力は強くなる。


その状態はα波θ波の深くリラックスした脳波であり、脳力=能力のアップである。




D アレルギーの深層原因

長年アレルギーに悩む人は多い。

薬を多用し副作用に苦しんだ末に、

食は命と食べた物が体を作る考えで食事療法をやったり

体質改善のためと様々な療法を試みるがなかなか改善しない。


何でだろう?

アレルギーだけでなく他の疾患もうなぎ上りで、癌は今や二人に一人と言われる程である。



私達も自然生物であるから環境の影響はダイレクトで

100年ほど前とは大違いである。


放射能、PM2,5で代表する大気汚染(窒素酸化物)、農薬、加工食品に蔓延する添加物

化学物質に因る環境ホルモン、養殖や畜産にホルモン剤や抗生物質・・・

水も空気も食べ物も段違いに昔と比べ体を酸化しやすい。


体にとって有害なものはストレスになり、精神的肉体的関わらずストレスには

副腎から抗ストレスホルモン(コルチゾール)が分泌される。


更に砂糖の消費を洗脳され糖質の摂取も多い。


イルミナティの人口削減計画の緩慢なる毒殺にさらされているわけで

生命力低下は当然と考えられる。




そのような背景を承知の上に、深層原因を掘ってみたい。


アレルギーとは、過剰な免疫作用で

ちょっとの事で自己防衛作用が過剰に働く症状であり

先に書いたようにストレスがベースにある。



これを基に掘ってみると

意識がエネルギーでエネルギーが空間を結果するので

自身の意識(無自覚を含め)が体という空間に結果しているのである。


WORLD→WORD+Lでも触れたように

特に幼少期から抑圧と名前を潰されてきたらどうであろう。

慢性的にストレスを受けている状況にある。


そのため自己防衛にエネルギーを向けるのは当然で、

いや幼心に全エネルギーをそれに向けてしまうのである。


恐れや不安で緊張と萎縮を強め必死で自己防衛し

「ネバベキ」の音にロックされた思考と感情を培っていくのである。



抑圧で言いたいことも吐き出せない、臨界に達すると体は吐き出そうとするわけで

それが喘息という症状として出ると考えられる。


親の視点で子供を細かくコントロールし、

心配性で押し付けや恐怖で抑圧する親に喘息が多い。


だから緊張すると出やすかったり、

気温や気圧のちょっとした変化に対応できにくいのである。


自己防衛の姿勢、胸を閉じ肩を内旋した猫背になるとわかると思う。




「三つ子の魂百までも」で思考と感情は幼少期がベースになるので

抑圧があるほど「ネバベキ」と自己防衛と自己否定が強くなるのは当然である。



それが体にどう出るかというと、副腎疲労を招くのである。


自己防衛の為に副腎から絶えずストレスホルモンが分泌され

それが他のホルモンや腸内細菌の状態に影響を与え

常在菌のカンジダ菌は増殖しやすくなり腸内環境はよろしくない。


だから、抗酸化食品や酵素を摂っているのにいまいち効果が上がらず

CMに翻弄されサプリを取っ変え引っ変えするのではないだろうか。サプリの注意



その状態は緊張と萎縮があるのだから、

子供は疳の虫、おねしょ、便秘か下痢、風邪を引きやすい、虚弱・・・


生理痛・PMSの原因も副腎疲労が多く、それらを伴うアレルギーの人も多い。



ちなみに、なぜストレスで嘔吐や下痢をするのか。

ストレスで副腎が疲労した状態は脳脊髄液が滞留し

脳の緊張圧迫で脳圧が高い状態になっていて、ひどければ脳溢血の危惧も出る。


その圧を下げる為に食べてもいないのに嘔吐や下痢をするのであり、

あるいは食べた物が悪いとは限らない。

だから嘔吐や下痢後は脳圧が下がるので楽になるのである。


過敏性大腸炎は腸に原因があるだけでは無いと観えてくる。





この仕組みがわかると

アレルギーに副腎皮質ホルモンを使うのは副腎疲労でホルモンの分泌が悪く

外から入れないと間に合わないからである。


大切なのは副腎の疲労を取り機能回復させることなのに

それをやらずに外から入れるばかりものだから治りにくいし

副作用が出るのは当然である。



アレルギーは副腎の機能低下と観えてくるが

その状態が腰脇にゴルフボールのようなグリグリの硬さにでる。


   imagesMASA1RLU.jpg




この流れから解ると思うが

何が副腎を疲労させ機能低下させてきたのだろうか。


抑圧と名前を潰されて自己否定と自己防衛を強めてきた結果であり、

余剰エネルギーが無くなったためにアレルギー症状が出ると考えられるのである。



長期に渡り副腎からストレスホルモンの分泌で、

ホルモンに感情が支配されている状態になっている為

頭ではわかっていても、萎縮が取れない・自己否定を止められず

「ネバベキ」の音にロックされてしまっている。


更にそれをHOWTOなど知識や思考や引き寄せで何とかしようとするのであるが

残念ながらそれでは感情の解放にはなりにくいのである。


つまり、副腎の機能回復に繋がらず、

ホルモンに感情が支配されたままでいるのである。


それに気づけないので更にあれこれと知識を求め頭でっかちになり

知識に翻弄されて、「もう わかんな~いッ!」




感情の解放=自己否定の解放は

知識や思考ではなく、「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワリの音波云で

音のエネルギーに云ばれる事である。


その音が過去の行程を肯定し、自己否定で闇になっている過去を加光するので

緊張と萎縮を緩め、副腎の機能を回復しハッピーホルモンを促すのである。




深層原因は

アレルギー=荒レル偽

正直な気持ちを偽って荒れていると取れる。(無自覚であるが)

外は良い人ぶりで偽って、中では自己否定で荒れているわけで

炎症を持つのは当然ではないか。


ソウカソウカのイタワリで偽らず荒れなくなって行き

そのベースの上に食事に気を付け、カンジダ菌を抑制できる。


もっとも、菌は意識と連動するので

カンジダ菌は「ネバベキ」の思考と感情と糖質が大好きで

ソウカソウカのイタワリが天敵なのである。



この様な深層原因を解消しながら

機能低下は内臓の変位(本来ある位置からずれている)があり

それが腰脇のグリグリに現れているわけだが

フィジカル面からも副腎の機能向上を図ると改善の道が開かれる。


それと、内臓の機能低下は冷え(血流低下)と変位があるわけだから

先ずは冷たい物や冷やす物の摂取は控え、体も心も温めたい。


食事にこだわっていてもアイスクリームや冷えた飲み物などに無頓着は気を付けたい。



さらにアプローチすれば

羊水や母体の骨盤状態、精神状態など胎内環境や

難産は頭蓋を歪ませ脳の圧迫で機能低下、

帝王切開では脳圧の急激な変化でやはり機能低下の危惧があり

出産状態が先天的な原因になると考える。


それでも、頭蓋の歪み脳脊髄液滞留と脳の緊張圧迫を

副腎と合わせて緩和することで改善が見込まれる。


施術すると頭が小さくなるのはそれらが改善されるからである。



上記の環境からの影響を考慮するとMMSを併用すると更に効果が上がる。




D 自分の名前を好きか嫌いか

あなたはどっち?

自分の名前が嫌い、強いほど無自覚であろうが自己否定の傾向がある。


自己否定は「ネバベキ」の音にロックされていて

その度合いが強いほど精神的にも肉体的にも緊張がある。


「ネバベキ」は過去も今も否定している音であるから

どうしても緊張を生み萎縮してしまい

「過去の執着と後悔、未来の不安」の中に埋没している状態だ。




緊張と萎縮

精神的には無邪気さを失い、ウツは元より被害者意識、妄想、統合失調・・・

肉体的には内臓の機能低下、脳の機能低下、免疫力、自然治癒力を落とし

姿勢は腰は寝て胸は閉じ肩は内旋し首は縮こまった猫背である。


自己否定は自分と戦っているのだから、

そのエネルギーは大変なものでどんどん枯渇して行くことがわかる。


大概が副腎疲労から広がっていくと考えるが

枯渇に従い症状はどう出るか個々によって違うが

緊張と萎縮が原因になっているはずである。


認知症は脳の委縮で機能低下であるが、何が萎縮させてきたのだろうか。

「ネバベキ」の音で脳にNO!NO!NO!

名前を否定され潰されて来たからではないだろうか。




自己否定を名前から掘ってみたい。

自分とは何か?

この肉体だろうか? 肉体は刻々と変化しいずれ消滅するので違う。


その肉体に宿る魂・意識で一括りすれば「命」であり

それを名前が現し、名前は「音」で音は波動=エネルギーである。



文字はどう教えているかというと

名→タ+ロ

タは田で絶対電磁場、ロはROで露

名に宇宙を構成する絶対電磁場が露われている。


さらに名は「メ」でもあり、命(メ)と同音であるから

名に絶対電磁場が露われており、それは命であると取れる。



だから、人は死んだら肉体は無くなり名前だけになり

名前=音=波動=エネルギーの存在(波動体=霊体)になる事だ。


その存在であるから、チャンネルを合わせれば通じるし

乗り物は必要ないので呼べばスッと来るのである。


ただ問題は、

こちらの発信と受信のアンテナの性能にかかっており

自己否定で緊張と萎縮が有れば念という電波の出力が弱いし

2万Hz以上の波動をキャッチする皮膚感覚が貧弱である。皮膚の考察



名前は絶対電磁場の露われで

宇宙の叡智、潜在情報、本来の個性、能力・・・

命のあらゆる情報がインプットされていると字は教えている。



その観点から考察すると

名前は親や名付け親から付けられてはいるが

NAME→N(ン=云ハコブ)+AME(天)と取れるように

天がその人を通し、

個々の命に見合った名前=音=エネルギーを授けたと考えられる。




愛情と願いを込めて付けたはずの名前なのに

物心つく頃から躾や教育と称し、

○○○、これはダメあれもダメと脳にNO!NO!NO!

そんなのでどうするの!こうあらネバベキの緊張と萎縮を生む音のエネルギーを

名前にしっかり載せられてきたのではないだろうか。


子供は親に従順の為、場合によっては親のストレス発散に一番好都合が子供である。


(社会が恐怖に洗脳されているので、

その中で生きていく為に優勝劣敗の思考がそうさせるのではないか。)



つまり、名前を否定され潰されてきたのだ。

もう一度言うが、名前が命であり本来の個性、宇宙の叡智、潜在意識や能力・・・

命の情報がインプットされているのである。


自己否定に飲み込まれ緊張と萎縮、過去に執着と後悔そして未来の不安で

今が近づかないのは名前を否定され潰されてきた結果ではないだろうか。


それを思うと、自分の名前が嫌いになるのは無理もないことではないか。

あなたも生まれた時は天真爛漫純の愛くるしい笑顔だったはずで

初めからひねくれてはいないのである。




ペットの犬でも、

優しく愛おしく呼べばご機嫌でシッポ振り頬ずりしてくるように

名前を大切に優しく愛おしく呼ぶことが命の活性化に繋がる。


ラブラブの時を思い出せば

愛おしく呼ばれることはなんとも嬉しいではないか。


子供の名前をパートナーの名前を優しく愛おしく呼んでみよう。

もしやりにくいのであれば、自己否定が強いとわかると思う。


なぜならば、自分の感情と思考が正義になっているので

そぐわなければジャッジと抑圧するし、

それが叶わないとなれば耐え忍び内圧は高まるからだ。




セッションでもやるが

インナーチャイルドがいるアナハタに向け

自分の名前を優しく愛おしく呼び、

そして「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワリの音波云してみよう。


きっと切なくなる程自分を愛おしく思えるし、

一番会いたかったのは無邪気な本来の自分自身だったと気づくと思う。



その気づきが緊張と萎縮を緩めてくれるのであり

命の活性化、潜在意識能力の活性化、個性の開花にリンクし

名前を取り戻すのだ。




D 試そうよ!

コトバの展開が人生に現在完了進行形で現象していると

WORLD=WORD+Lの知識は手にしている。


ならば、試してみようよ!

試→言+式

コトバの使い方が空間に結果するという方程式を。


TRYトライ=答来と取れるように、試すことで答が到来するわけで

知識を手にしても試さないことには到来しない。

(大概が知識留まりで終わっているように感じる。)


「恐れ」という過去の記憶が反動となった「下からのコトバの使い方」にサヨナラし

・問題を感じたら「モンダイナイ」

・過去の悲しく暗い記憶、攻撃や批判、ジャッジ、後悔・・・が押し寄せてきたら

「ソウカソウカ、無理なかった」



感情が納得しないからイタワリの音波云ができないと言う人もいるが

(トラウマ的な大変な恐れを持つ人に多く、ホルモンに感情が支配されているので

自律神経緊張緩和のフィジカル面のケアでやりやすくなる)

「音」がエネルギーであるから

感情は納得しようがしまいが関係ないので放ってしまい試す事だ。


感情が納得したらでは永遠のいつかを自分と戦いながら待ち続けてしまう。




「音波云」できることは、

実は感情のロック解除になっているわけで

解除できた分、感覚にシフトできるので

麻痺した知覚がジワリジワリ活性されていく。


知覚の活性がセンスアップであり、

自身のエネルギーを高めるものを迷わず判断できる能力である。

全てはその判断力にかかっているのだ。


(知覚の活性が無ければ、判断力は恐れがベースのままなので

迷いと外に求める連鎖を断ち切れないことがわかると思う。


そして、タイミングを逃せば間に合わない世界となるので、

増々計算と思惑が強まり、左脳>右脳で感応力が高まらない。)



解説をすれば

現象や相手が問題なのではなく、本当の問題は現象や相手を問題としている

自身の思考と感情ではないだろうか。


自身の思考と感情が正義のため、気づきにくいのは無理もないのだが

思考と感情に見合うものに引き寄せよう、変えようと

HOWTOに、言霊と称し背中丸めて「アリガトアリガト」と躍起しているのではないか。


ターゲットは引き寄せではなく

バーチャルの世界を創っている「下からのコトバの使い方」であり

自己否定・自己分離の解放であり、恐怖からの解放である。


そうしたら、調和が連鎖する間に合っている世界がお出ましになるので

引き寄せる必要はなく、引き寄せない法則に思う。



その思考と感情を掘ってみれば

刷り込まれた概念、伝承されてきた因縁(因音云)・・・

恐怖の記憶に基づく「下からのコトバの使い方」が問題にしている事がわかってくる。


そしてそれがバーチャルの世界を創っているのである。


「モンダイナイ」の音のエネルギーがその思考と感情を解放するので問題は無くなって行く。


そうでないと、

問題ありにスタンスしながら、いやガッチリ根を張りながら

問題を無くそう、引き寄せようとしている事に全く無自覚であり、

仮に思考と感情に見合ったようになっても、次にまた押し寄せてくるわけで

それでは残念ながら問題は無くならなし、

バーチャルの世界に閉ざされたままではないか。




「ソウカソウカ、無理なかった」のイタワリは

悲しく暗い過去を肯定する音のエネルギーなので、過去を加光にする。


光を加えなければいつまで経っても過去は真っ暗の為

否定し続け「ネバベキ」の音にロックされ自己否定のままで

戦は単(ひとり)+戈と書くよう、

自分に戈を向け戦いながら永遠のいつかを待つことになるが


その戦いに余剰エネルギーが浪費され

あっという間に頭と体をおかしくしてしまう時代である。




自己否定は誰がしているかはご存じなのに、

自己否定しながら自己解放を求めてしまうのは

知識や思考で解放しようとするからではないかと経験上つくづく思うのである。



「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワルことで

過去の行程を肯定するエネルギーが自家発電され、今が近づいてくるのである。


観えないように固く閉ざしていた扉を開けられ

何に恐れていたかを観る事ができる、恐レ観ヨだ。


その結果、

もがきの反動で頭でっかちに構築した知識は腑に落ちてきて

その知識をしみじみ味わえ

無駄にはしないし、知識だけでなく過去のあらゆる事が活かされる。

それが過去を加光にすることと考える。




有難いのは

何一つ問題ないパーフェクトを命に絶え間なく授かっていることである。

無いものを求めるのであれば大変極まりないが、すでに有ることが有難い。


バーチャルの世界を抜け出しその真実に触れた時、

イヤでも感謝の想いが湧き上がり、その有難さにひれ伏してしまう。


なぜならば、意識はCONSCIOUS=感謝スとズバリで

私達の本来の意識は恐れも悲しみも妬みもなく

そんなのはゴミであり、感謝スだけに違いない。


どうでもいいゴミにしっかりとっ捕まっていたことが観えてくる。



音は2次元では「光」、3次元では「温度」だから

イタワリの音波云ネハン(音のエネルギーに云ばれる)は

過去を加光にし、恐れの凍結麻痺を溶かす温かさでもある。


その温度は反熱の無い宇宙中温の36℃なのでジュッとは溶けないが

ジワリジワリと確実だ。



「モンダイナイ」、これ以上ストレートの問題解決があるだろうか。


「モンダイナイ」の音波云で、受容と許しが醸し出され問題は無くなり

バーチャルの世界から抜け出していく。




D 恐レ観ヨ♪

WORLD→WORD+L(開く)で

個々の人生はどいうコトバを開いてきたかの結果であり、現在完了進行形で展開している。


「売りコトバに買いコトバ」の下からの使い方に縛られていて

そのコトバが創るバーチャルの世界から抜け出せないでいるのだ。


大概がバーチャルの世界に気づくこともなく、

自己防衛の為に命をすり減らし死んでいくのではないだろうか。



頭のいい人はこれはバーチャルであり真実とは違うのだと

抜け出そうと瞑想し知識を求め、バーチャルを否定し戦う。


しかし、

今茲に「在るがまま」の真実の世界があることは知識ではわかっていても

下からのコトバを使い続けていては絵に描いた餅であり戦いは終わらない。



そこで掘ってみたくなる事が出て来る。

何で「売りコトバに買いコトバ」の下からのコトバの使い方を手放せないのだろうか。


原因は緊張で頭が悪くなり(能力=脳力低下)

感情にロックされ感覚にシフトできないからと考えられる。


感情にロックされるのはなぜだろうか。


根底に「恐れ」があると思うのである。

失う恐れ、嫌われる恐れ、否定される恐れ、孤独の恐れ、病気の恐れ・・・


(今の世の中、一番の恐れは経済的困窮ではないだろうか。

イルミナティがまんまとその恐れを洗脳した社会に仕上げ牛耳っている。)



「恐れ」が生むものは緊張だ。

体は生体電流の+電気を帯電し自己防衛の為のホルモンを合成し

瞬時に全身くまなく行き渡るし、慢性的に分泌され続けている。 副腎疲労


ちなみに、+電気の帯電が酸化であるため

還元作用の-電気を求め衣食住にこだわるではないか。 なぜ治らなかったのか

しかし、恐怖が生む「ネバベキ」の音がいともたやすく+電気帯電と酸化させることには

気づけていないのではないだろうか。



細胞膜にあるホルモンの受容体は、

割符のように緊張ホルモン(ストレスホルモン)に合わせた形になっているので

おいそれとはハッピーホルモンを受け入れる事ができにくい。シグナル伝達


その為、ホルモンに感情が支配されているので

いくら頭ではわかっていても抜け出せないのである。

(体にスピリチュアルを見出す所以である)


食にこだわり抗酸化食品を日頃摂取していても、

一発の恐れで血液は瞬時に酸性化するのであり、

ストレスホルモンが全身駆け巡る恐れの反射作用である。




恐れに反応する事には全く目をくれず、

抗酸化で安全な食べ物やサプリを求めて止まないし

食べ物に限った事ではなく、知識やエネルギーを外に求めるのではないだろうか。


食も知識も大事であることは言うまでもないが

恐れを観る事が何よりも大切に考えるのである。



しかし、恐れを観ることは実にエネルギーがいる事であり

まじまじと恐れている自身に対峙することが恐ろしいので

観ないように、観えないようにごまかし硬くその扉を閉めているのである。


いくらごまかしていても、あるいはそれに無自覚であっても

体は正直に緊張・歪みとして現しているが。



もし観えてしまったら

真実と錯覚していた今までの人生が音を立てて崩れ

何に拠り所を見出したらよいのかわからず

ものすごい不安感に飲み込まれる気配を感じるのである。


そのためにバーチャルの世界に居続けるしかないのであるが

自然界のエネルギーがそれを許さない時代になっている。



強制的にバーチャルの世界の崩壊が加速されている為

あっという間に頭と体をおかしくししてしまう時代だ。


薬を飲もうが何を食べようが知識を構築しようが難しい時代であり、

恩寵である自然界のそのエネルギーに乗る為には

先ずは、恐レ観ヨ!ではないだろうか。



「ソウカソウカ、無理なかった」「モンダイナイ」のイタワリの音波云は

硬く閉ざした扉を開けてくれるエネルギーなのである。


歌詞にあるように、

「私にはもっと美しい太陽がある」それに照らされるのではないだろうか。






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Dプロフィール

桑原大治

Author:桑原大治
宇宙は光透波
無限分の1秒で無限大を回る絶対速度、命でありコトバの本質と解く小田野早秧先生に1984から御逝去の2001まで師事し光透波理と字割を元に、埼玉県川口市でカルナ治療院を開いています。

腰痛、膝痛、首痛、顎関節症、スポーツ障害、内臓疾患、ウツ、自律神経失調症
メンタルからもアプローチしながら対応します。
改善しにくい原因に、無自覚の自己否定、口呼吸、菌の影響があります。
MMSのアドバイスもします。

予約制、水曜・木曜休診

JR武蔵野線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)
東川口駅歩3分 

問い合わせ
kt99av@bma.biglobe.ne.jp

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