D 「君の名は」とPRE+SENT

映画では組みひもを時間と縁(結び)の象徴にしていた。

時間の本性と名前の関係から

なぜタイムスリップや異次元融合ができるのか掘ってみたい。



前提宇宙から現宇宙のビッグバーン
求心エネルギーが極まり、極小にまで圧縮された中心点は
限界に達し爆発反転する。

求心の極は遠心の極で反転するため
極小の中心点は無限の遠心エネルギーに加速され
1/∞秒で無限大を回ってくる絶対速度(光透波)が成立した。

極小が絶対速度で動き無限大を構成している。小=大
点が転じて展開し天を成立した。(点→転→展→天)

1/∞秒が「今」という瞬間である。
その速度は無限空間のどこにいても「今」を同時に存在させている。
(タイムラグが無いため無限=全一の絶対界)


イメージは
映画のフィルムでは1秒間に数コマの情報が入っていて、その連続を見ているが

1/∞秒に無限数のコマが入っているフィルムの上映だ。

 

イメージすると体が爆発しそうになる。

 

1/∞秒で無限大を創造する「今」に過去も未来も存在し

「今」という一瞬に永遠があると解る。


上から降りてくる感覚を持つが、

未来から情報を受け取ることもできる仕組みであり

あらゆる時間、パラレルワールドが「今」の中に同時にあるから

タイムスリップ、異次元融合が可能である。

 

「今」を生んでいる絶対速度(光透波)が時の本性であり、時が命であり意識である。

だから意識でそれらが可能であるが、

意識を変性させる必要がある。

 

そのために呪術が必要であったわけだが、
映画では瀧君が口噛みの酒で変性しアクセスできたと思える。

みつはちゃんの酵素が発酵させたものであり
お神酒に情報があるわけで
滝君はそれを飲むことで感応しみつはちゃんと繋がる変性意識にシフトできる。

(霊能者が情報を読むことも意識を変性し
場や物に残留するエネルギーに感応するからと思える。

みつはちゃんは祖母・母と続く家系の影響が強いような印象を持つが
命の働きであるから本来誰にも備わっているはずで
感応力を高めれば可能であり、
感応力が間脳力なので先ずは脳の血流を上げる事が大切で
血管が通る首の緊張緩和がフィジカルアプローチになる。)



 変性のコツ

脳の血流アップ、自律神経緊張緩和と同時に
儀式や薬草の類を用いずとも変性できるようになるコツが、イタワリと考える。

「ソウカソウカ、無理なかった」、イタワリの音は
過去を肯定するエネルギーであり過去を加光し過去の闇を照らし
自己否定・分離を溶かすので命の開花=純粋意識を深め
「今」を近づけるからだ。

 

そして、名前に命の情報がファイルされているので
マントラにして大事に愛おしく一番詰まっているアナハタに向け呼びたい。(命想)

「今」という瞬間に全てがあり
名前は「今」を成立するエネルギーの音でつけられているわけで
名前に命に係わるあらゆる情報がファイルされている。

 
闇で解らなかった過去を照らすことは
潜在意識(情報)・能力を開示することになり
それらの活性化と共に

出会い、携わり、男女の性別・・・

現在の状況=必然性の理解というか意味、意義がわかってくる。

 

 

さらに参りました、全面降伏=I SURRENDERなことは

「現在」はPRESENT→PRE+SENT、あらかじめ送ってあるぞよ!

現在の状況を成立させている情報は、PRE+SENTされていて
一体いつ送られていたかというと

「今」が成立した現宇宙の誕生時のビッグバーン。

 

その時に全宇宙のあらゆることが完璧にプログラムされている。

ちょうど、遺伝子が時と条件で開示されるような感じであろうか。

 

 

この仕組みが映画の組みひもに見出せる。

無数の色合いのひも(細かく糸で撚られている)がスパイラルで縦に上がり

絡み合ってその交点で結び=産霊していく。


そのプログラムが現宇宙誕生の瞬間にPRE+SENTされ
順序良く組み合わされ編まれていて
どの時点での現在もそれによってプレゼントされている。

時を経て何度も繰り返し無数のひもの絡み合いで
様々な模様(空間、出会い)を織成していき

前世も前々々々々・・・世と生命の誕生以来結びがあったし
これからもあるわけだ。



名前が命

魂に付けられた音、それは波動=エネルギー、

それに感応することは情報が開かれ共振共鳴が起きる、それが結魂ではないか。

結婚、昏(タソガレ)た女との結びとは違い

お懐かしゅうございます、やっと会えたね!と霊的な深い結び=産霊である。


出会いの中に愛があり、振り返れば多生の縁である。


多生の縁の背景がイタワリと名前をマントラの命想で見えやすくなる。




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D メイソウ 4

命想

瞑想の神髄は命の開花だ。


命は自律神経に働いているので

開花とは程遠い自己否定を

体は緊張歪み=自律神経緊張として現している。


ならば、フィジカルからもアプローチしたい。


自律神経の活性化を図ればいいのであるから

座位に拘ることなく

緩むポジションをとって命直結のマントラ=名前を呼ぶ命想をする。



セッションでは

緩むポジション→仰向けで頭は横にし、片腕を上に挙げ、

反対の腕は肘を開き脇に置き、片膝だけ立てた姿勢にする。


(自律神経を活性化する個々に合った緩むポジションをお伝えし

セルフケアとしても活用してもらう)


このポジションを基に

さらに施術し自律神経の活性を図るのだが

アナハタに向け名前を呼びながらで

皮膚身に神示されている情報が開かれてくる。


先ずはジワリジワリと無自覚の自己否定が浮き上がってくる。



通常の瞑想では

雑念に囚われないようにするが

名前を呼ぶことでアナハタの扉が開き

押し込めていた自己否定が雑念としてお出ましであるから

「ソウカソウカ、無理なかった」と雑念にイタワリを照射する。


イタワリの音によって雑念が消えていく。

そうしたらまた名前を呼び、出たらイタワリを繰り返すことで

自律神経緊張緩和と共に浄化が加速し気づきがもたらされてくる。



名前と共にイタワリの音波云する命想は

そのまま日常にイタワリの音を使いやすくなる。


つまり知覚が活性化するので、感情の荒波、違和感に気づきやすくなり

イタワリを照射でき

売りコトバを買わなくなり、下からのコトバの使い方から解放されていく。



この事は

今までは六感体験によって意識=コトバの使い方を変えようとするスタンスで

その為には体験を深める必要がありネバベキで励まざるを得ない。


瞑想と日常に分離が生じやすいのである。(迷想だ)


しかし、コトバがエネルギーでありコトバの使い方が意識であることと、

名前に命の情報がファイルされている事が理解できるので

体験を待たなくてもいいのである。


六感は命の働きであり自律神経が活性すれば開かれてくるのだから。



自己否定で自律神経が緊張状態でエネルギーを受け取れなかったのだ。


名前を優しく愛おしく呼び、どこまでも深く自身をイタワル事は

緩みをもたらし自律神経の緊張緩和で生命力の活性化であり

自分自身を心地良くというか健気に感じるようになって行く。


それが優しく温かい眼差しに投影するのではないだろうか。




大概、

知識では自分を許し、愛し、認め有りのままでいいと解っているのだが

それができないから苦しいのである。


その大きな原因は知識・思考でやろうとするからで

頭ではわかっているのにできない→ストレスであり、自責する。


なぜならば、

体がNO!NO!そんなのできねぇ状態に陥っているのである。

つまり、感情は思考や知識では解放は難しい。


その思考や知識でネバベキとがんじがらめにしてきて

体の緊張歪みを生じているわけで

フリーズしたPCと同様に情報を入れるほど動けなくなる。



だから先ずは、

緩むポジションをとりフリーズ解消=自律神経緊張緩和を図ることが大切で

その上に名前とイタワリの音波云すると相乗効果で加速する。


無上の答と繋がるインナーチャイルドの声が聞こえる本来の

HEART(HEAR+T)を回復し

シンクロタイムリーの調和が連鎖する間に合っている世界が

日常に広がり、主役は自身の本来性にシフトする。主役はインナーチャイルド



体にスピリチュアルを見出す所以であり

メンタルだけでアプローチはかなり厳しいと実感する。

(体がNO!でいるのだから)



名前とイタワリの命想をやってみなハレ!



ハレで思い出すのがベナレスだ。

全部を徐々に黄金色から深いオレンジ色に染めてガンガーに太陽が沈んでいく。

「ハレ~ガンガーシャンブー」と讃えながら船頭がこぐ小舟に揺られ

対岸の町の祭りに向かった。


そばを中途半端な遺灰がゆっくりと流れていく。


群青色に変わってきた空には天の川が見え始め、

対岸では岸に沿って幾多の女性が膝までつかり、燭台を手に祈りをささげていて

その灯りが水面に照らされ地上も天の川の如く続いていた。


やわらかな風とその情景の中を

櫓をこぐ音と共に繰り返し聞こえる「ハレ~ガンガーシャンブー」が

ヨギの無邪気で優しく温かい眼差しと

包み込まれるような心地よいオーラと重なったことを。


求めていた答があった。




D メイソウ 3

名前こそマントラ

瞑想は自身の命を開くことだが、命は名前という「音」なのである。

名前に秘められている情報を開くことが瞑想の神髄ではないかと考える。


宇宙を構成する光透波の音が命の根源であり、その音を名前として授かっている。



名前に

自身の本来性の情報がファイルされているのである。

宇宙の叡智・六感覚の潜象界・潜在意識・能力など命直結のあらゆる個人情報が。


NAME→N+AME

Nン云(ハコブ)AMEアメ天と示すように

親や名付け親を介して天がセットした音であり

一人一人の命にマッチした音を天によって云(はこば)れている。




名前からアプローチすれば

自己否定は自身の名前を否定していることである。名前が好きか嫌いか


なぜそうなったのかというと

○○○、だめでしょ!

名前にネバベキのネガティブエネルギーを載せられ呼ばれて来たからと思う。


名前を否定すると

NO+NAME→NON+AME

天を顕現できないのであり、顕現するのは自己分離であり

それを体は正直に緊張歪み(自律神経緊張)として現している。


名前を否定され潰されてきては開きようがないではないか。

その重苦しさが自分探し君に駆り立てたて、

瞑想に求めるようになったのである。




名前に情報がファイルされているのだから

自身の名前を優しく愛おしくアナハタに向け呼ぶことで

開示されてくることがわかるではないか。


それが自己否定から脱却するテクニックと思う。


自己否定が無くなることが成就の扉を開くのだ。

なぜならば、成就とは絶対肯定なのだから。



名前を否定しながら(無自覚であるが)

シノゴノと思考や知識で脱却を図っても難しいと解ってこないだろうか。


なぜかと言うと

自己否定とは他の誰でもない自分自身が

ネバベキと思考と知識で自身の命を否定し潰しているわけで

その命は名前なのである。



イニシエーションで授かったマントラも良いが

自身の命に直結している「音」=名前をマントラにしたらどうだろう。


名前は天が親を介して授けたマントラだ。


ダイレクトに情報開示で

自己分離・自己否定が生じる隙間が無いと思う。



瞑想時だけでなく、アナハタに向け優しく愛おしく名前を呼ぶことだ。



自己否定でH(叡智)が後ろに引っこみEARTH化し

凍結麻痺したアナハタが開けて、Hが戻った本来のHEART


HEART→HEAR+T(無上の十=ト答)


宇宙の無上の答であり自身の本来性、

インナーチャイルドの声を聞く事ができるハートを回復する。



その声が聞こえないが故に日常に反映できず

まだダメ、まだ足りないと自己解放を自己否定しながら励んできた。

(アナハタを閉ざしながら開こうとしていた)


そのからくりが「名前が命」と理解できたことでわかってきたのである。



アナハタが開けば、オートマチックの如くチャクラは連動していく。




D メイソウ 2

瞑想はマントラという「音」を使って、

潜象界=命の世界=六感覚=自身の本質にアクセスする。


普段使う音=コトバには意味が必然するが

マントラは意味を持たせず「音」そのもののを使うこと。


ということは「音」が潜象界=命の世界=六感覚=自身の本質である。


マントラという「音」にそのエネルギーが無ければアクセスしようがないのだから。




自分探しに駆り立てた満たされない想いは

この世の仕組みをネバベキで押しつけられてできた自分と

自身の本質とのギャップではないだろうか。


自身の本質=命が閉ざされた状態で、台頭するのが自我である。


それが自己分離であり、

ネバベキが構築する思考と感情の自我であり

無自覚に自分自身をジャッジし自己否定に陥っている。



瞑想での光の体験を感覚的に言えば「愛と感謝、イタワリと許し」だ。

醸し出されてくるそれこそが

命の実態であり、自身の本質と理解できる。



迷想

瞑想では自身の本質に触れる事ができてくるのだが

日常は今まで通りのネバベキの音を無自覚に使っている。


深い体験によってコトバ=意識は変えられるとしているので

よほどの体験が無ければ

刷り込まれたネバベキ(ジャッジ)はそう簡単には消えはしない。



だから、更により深い体験を求めて瞑想していたわけで

日常生活にギャップが生じるのは当然で、

瞑想の体験に固執してしまい周りとの波動の違いが浮き彫りされ

波動が悪いとか、意識が低いだとかジャッジしてしまう。


六感体験することで波動に敏感になるが故に

本質は六感の世界であり現実の日常を否定しジャッジしてしまう落とし穴で

ベナレスのヨギのような無邪気で優しく温かい眼差し、

包み込む厚みのあるオーラとかけ離れてしまう。



ヨギの眼差しに見い出した答が解るが故に

求めれば求めるほど日常に降ろせないジレンマに

もっともっと・まだ足りないと一層瞑想にのめり込んでいた。


(そりゃそうだ、日常の現実を否定しながら投影しようとしているのだから)


自己解放を自己否定しながらの迷想となった瞑想のドツボにはまり込んでいた。


このドツボをクンダリーニ症候とか禅病というのではないかと思うのである。

(自律神経緊張症状である)


せっかくの六感体験を持てても

瞑想を離れればネバベキの音=下からのコトバの使い方にロックされていて

それを体験によって変えようとしていたからだ。


だからそのロックを解除できる強烈な超越体験を求めざるを得なかった。


得られなければヒマラヤに寝泊まりに行かなければ

出家しなければ、あるいは共鳴する人とのコミュンにしか行き場が無い。




小田野先生との出会いで

コトバが意識を創っている事の理解が深まると

ジャッジするネバベキの音の使い方を止めれば良い事に気づき始めてきた。


六感体験によってこそ意識が変わると限定していた事にゆとりが出てきたのである。



自己否定とジャッジを生むネバベキと真逆な音、

「ソウカソウカ、無理なかった」「モンダイナイ」のイタワリの音に気づかされたのだ。


その音は過去の行程を肯定し今を近づけ、過去の闇を加光するエネルギーなのだ。


その音が瞑想時に限定された六感覚体験を日常にジワリジワリと

投影しやすくしてくれる。


具体的に言えば

「売りコトバに買いコトバ」から

買わずに「ソウカソウカ無理なかった」「モンダイナイ」と

自身をイタワル音の使い方にすることだ。



体験により意識を変えると限定していたが

イタワリの音を使うことで六感体験をしやすくもし

日常に降ろしやすくなることがわかってきたのである。


体験を待つことではなく

イタワル事で意識が本来性に回帰し出すのである。


買っていたらカルマのままで解放はできようがないではないか。



瞑想と日常の分離が溶解し

日常そのものに精神性を見出せるようになってきたのである。




D メイソウ 1

自分探し君

1979年、本当の豊かさってなんだろう?とインドを放浪していた。


抑圧の反動があるが故に

自己防衛があり、自身の思考と感情が正義で戦っていては

周りを気にし無自覚だが緊張がある。


それでは何かわからないが満ち足りない想いにさいなまれ

自分自身に心地良くはなく

私は私でありたいと自分探し君していたのだと思う。




「兄ちゃん、これ買わないか。お金ちょーだい・・・」

毎度ながらのバクシーシの嵐に少々うんざりしながら

人も牛も野放しの犬もリキシャもごちゃごちゃのベナレスの雑踏を

ぶらつきながらガートに向かっていた。


(ガートは聖なる河ガンガーの水で沐浴し祈りをささげ、

少し離れた所では火葬していてまだ中途半端な灰がガンガーに流れ

生と死が同居している。


014[1]



夕方のガートは大きな太陽が全部をオレンジ色に染めてゆっくり沈んでいく。


生と死の同居が何千年と続いているその中にたたずむのが好きで

朝に夕に出かけていた。)




後ろから「ナマステ ジャパニ」と声をかけられた。

その声にまたバクシーシかとよぎりながら振り返ってみると

道端で瀬戸物を売っている男の人であった。


パチンと目と目が合った瞬間に猜疑心は消え失せてしまい

ツカツカと歩み寄っていった。


ほんの一言二言の会話なのに、

猜疑心どころか包まれるような心地良さと

長い間会っていなかった人に会っているような親しみを感じる。



後でわかるのだが、ヨギであった。

長髪の黒髪で無邪気で優しく温かい眼差しを向けてくれ

年の離れた兄貴のように感じた。


ただ一緒にいるだけで心地良い。



体の奥から、これだ!求めていた豊かさは と響いた。



無邪気で優しく温かい眼差し

一緒にいるだけで心地良い、調和を醸し出している波動だと。



今になって振り返れば、

そのヨギは自己分離が無い、私が私である状態で

命を開花し内から湧き起る思いに素直で

損得の思惑も怒りも恐れもなく、

命の本来性をその眼差しとオーラに現していたのだと解る。



答を見つけたのだが

どうしたら手にできるようになるのだろうか。


その手段を超越瞑想(TM)に見い出し

瞑想にはまってきたのである。


手にしたいが故に

もっと浄化しなければ、もっと体験を深めなければと

ネバベキで規則正しくやっていたのだ。



自己解放、私が私でありたいのに

ネバベキでやっていては瞑想と日常にギャップが生じるのは

無理なかったとしみじみ思う。



コトバが意識を生んでいると、1984年に小田野先生と出会うまでは

まだ音の仕組みに気づいていないので

一生懸命ネバベキで答を求めるほど知識の構築と裏腹に

答は遠のくパラドックスで

瞑想が迷想になっていたと振り返えるのである。



私が私でありたいのに、自己解放したいのに

ネバベキで自己否定しながら励んでいたのである。


「ソウカソウカ、無理なかった」、本当に無理なかったのだ。




D 冷えの原因

「冷えは万病の元」と冷え取りに何年も励むが改善しないクライアントさん。


冷えているのは原因があるわけで

何で冷えるのかを理解せずに悪者のようにして励んでも

原因の解消にならなければ難しいではないか。



冷える原因を掘ってみよう。


一言で言えば、自律神経緊張が招いている。


それはストレスが溜まっている状態であり、

一般的には精神的なものをいうが、体にとって排除すべき有害物もストレスなのである。


有害物の排除解毒の為に内臓に(特に肝臓腎臓)

負荷がかかり機能低下している状態なので

解毒、血液の浄化に玄米菜食をせっせとするのである。(ネバベキで)



私達も自然現象であるから環境に影響されるわけで

水も空気も食べ物は添加物、農薬、ホルモン剤・・・電磁波等

更にはイルミナティの人口削減計画で「緩慢なる毒殺」の環境に置かれている。


100年前の環境とは大きく違い、生命力は弱くなっていると言える。


それらの有害物が原因なら

-電気(還元作用)が豊富な衣食住にすれば良いわけだから

特に食生活の改善で自律神経緊張緩和=冷えが無くなるハズである。


そんなにも有害物質てんこ盛りの食生活をしてきたとは思えない人ばかりなのだが

実際は長年励んでいても思わしくなく、逆に冷えが強くなっている人も多い。



フィジカル面で観れば有害物の排除解毒すればいいのだが

改善しにくいのはメンタルの影響、心の冷えが大きいのである。


それに気づかずに衣食住に躍起しても難しい。



なぜか、更に掘ってみよう。


ストレスで体はどう反応するのか。


ストレスで

副腎から抗ストレスホルモン(コルチゾール)が分泌される。


コルチゾール分泌は

他のホルモンの分泌や腸内細菌に大きく影響して

自律神経緊張(交感神経)をまねき、いわゆるストレス状態だ。


具体的には血糖値を上げて対応を図る。


ストレス=コルチゾール分泌=血糖値上昇で

甘い物、炭水化物、アルコール・・・糖質が欲しくなる仕組みであり

腸内細菌は糖質大好きであらゆる不調の原因のカンジダ菌増殖だ。


いくら抗酸化食や発酵食品酵素を摂っても

慢性長期のストレス状態ではコルチゾール分泌と共に

菌は意識と連動するため有用菌の増殖は難しいのである。


(ネバベキの人の腸は大好物もふんだんでカンジダ菌にはパラダイスなのだ)





メンタル面でのストレス原因

ずばり、自己否定であり「ネバベキ」の音にロックされた直線思考と感情である。


自己否定は自身を否定しているのだから

抗酸化食をしていてもエネルギーは高まりようがないし

自律神経緊張を余儀なくすることがわかると思う。



では、何が原因で自己否定に陥っているのだろうか。


大きい原因は親(特に母)からの躾教育と称する抑圧である。毒は主に母


「ネバベキ」の思考と感情を余儀なくし、

命の情報が秘められている名前をネガティブエネルギーで呼ばれては

開花しようがない。


それが物心つく前からだから、「ネバベキ」路線から外れたことが無いので

自己否定していることに無自覚である。



しかし、体は正直に反応している。

自律神経緊張として、具体的には副腎腎臓に疲労が蓄積し

オーバーヒート状態に陥っている。


慢性的に副腎はホルモンを大量に分泌し続けるため、機能低下だ。

自力できなくなっているのでアレルギー等に副腎皮質ホルモン薬を使うのである。


(機能低下の改善を図らず、薬で対応する対症療法では難しいと解ると思う)




副腎腎臓のオーバーヒート

鬱熱がこもり機能低下になっている。(慢性炎症)


ホメオスタシスで体は鬱熱を発散することで機能回復を図る。


足をラジエターにして鬱熱を取ろうとする→

それが足の冷えになっている。


効率良く発散したいのだから、足の末端が冷えることもわかると思う。

だから、大抵は足首から先が冷たーいのだ。


冷えざるを得ない原因があると解るではないか。(ソウカソウカ、無理なかったわけね)




止むに止まれぬ状況で鬱熱の発散のために

足をラジエターにして懸命にバランスを図っているのに

足を温めたらどうであろうか。


体は鬱熱は発散できないばかりか更に熱がこもり

その為に一層足が冷えるのである。


冷え取りに励むほど冷えることがわかってくると思う。


冷えがひどくなり、さらに足を温めていては鬱熱はこもるばかり→

副腎疲労=自律神経緊張が強まり

体はいよいよバランスを取りにくくなり

何らかの方法で鬱熱を取る必要に追い込まれる。


それがわかると副腎が健気に思えて、ごめんね。



体の奥に鬱熱があっては、

逆気(のぼせ)フラッシュバック、パニック、暑がりで寒がり・・・

体温調節が難しいことも観えてこないだろうか。


様々な不調を起こすのは当然の事ではないか。


それを好転反応と言っているが、違う。

鬱熱を出しやすい所から何とかして発散しようとする切羽詰まった症状なのである。


知識に翻弄され好転反応と思い込んでいるだけで、

実際に客観すれば

好転反応とハンコを押した不調がずーと続いているのではないか。


だから冷えを取ろうと安易に温め続け足から鬱熱の発散ができなくなる程

体は不調の危惧がある。




目的は自身の感性を高め

健康と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界をもたらす

「私は私でありたい」ことなのに

冷えを取ると言う手段が目的になっているのである。


その証拠が「ネバベキ」でやっている事ではないか。

「私を否定している」音なのだ。



振り返って良ーく観てみよう。

衣食住に気を付けているのにそんなにも毒が抜けないのもだろうか。


体に蓄積した老廃物有害物は断食でかなり浄化されるし、

断食でなくても冷たい物の飲食を控え少食でも内臓が休まり

機能が上がる。(口呼吸を止めることも大切だ)口呼吸




内臓の機能低下(副腎疲労)は必ず内臓の変位があり

体の緊張歪みを招いている。


緊張歪みを修正し本来の位置に戻すことで機能向上し冷える必要が無くなる。


例えば、

骨盤背骨や頭蓋骨の歪み、顎関節症などはストレートに

自律神経緊張(冷え)に投影しているが、

原因を理解しない冷え取りや玄米菜食でそれらの修正を図るのは

容易ではないわけで、

歪みの修正=中心軸を整えてあれば自律神経緊張緩和が加速する仕組みである。



しかし、

抑圧の反動で自己否定に陥っている心の冷えを持つ人は

視野を広げにくく

ネバベキでいるので振り返ることなく玄米や冷え取りに固執し

原因は他にもある事に気づけなく

ちょっとの事でも許せずストイックになりやすいし

できない自分を責めやすくもなる。


それが副腎を疲労させ、オーバーヒートになっているのだが。


楽しいね、嬉しいね、気持ち良いね・・・どこかに置き忘れてきている。





思うように改善しないので(原因は他に有るのだから当然なのだが)

更に知識を構築し情報に翻弄され、

大切な自身の快不快の知覚能力をダウンさせている。



自己否定に気づいていると言う人もいるが

それは知識(頭)でとらえただけに感じる。


そういう人に尋ねるのだが、自己否定をしているのは誰?


他の誰でもないあなた自身なのに

思考や知識で自己解放を図っているので、知覚は麻痺のままなのである。


思考や知識では感情の解放は難しい。

思考や知識でネバベキと自分を縛ってきたのだから。



ではどうすればいいかというと

どこまでも深く自身をイタワル事だ。


「ソウカソウカ、無理なかった」

「私は私でありたい」と音のエネルギーに云ばれる事だ。(音波云)



コトバがエネルギー、究極の電磁波なのである。


(電磁波過敏症で、来院できないので何人か往診したが

原因はアレルギーの深層原因と共通する。

ネバベキで自己防衛が強くなり過敏を増幅しているわけで、

コトバという究極の電磁波に気づくことだ)



ネバベキは酸化=緊張を生む+電気を自家発電

イタワリは還元=緩みを生む-電気を自家発電


イタワリの音が自律神経を緊張させている冷えの根底原因を

ジワリジワリ溶解してくれる。


体の緊張歪みの修正で内臓の機能が上がると共に

コトバのエネルギーは高まっていく。




D 毒は主に母

排毒すれば病気は良くなると、食事療法や冷え取りにいそしみ

無農薬無添加は勿論、衣食住あらゆる事で改善を図る。


そこそこ改善はするのだが、思わしくはない。


良くなりたいが故にこれはダメ、これは邪食・・・ネバベキとシビアになっている。



先ず、毒は

生命力を落とすもの、内臓に負担をかけるもの、自律神経を緊張させるもの

血液を酸化させるもの、+電気を帯電させるもの なぜ治らなかったのか


肉体的には浄化(還元)作用の-電気を取り入れることが解毒、排毒になるので

無農薬無添加、酵素、発酵食品の摂取で改善する仕組みである。



しかし、

それらをふんだんに摂取し体に良い事を一生懸命しているのだが、(ネバベキで

残念だが、酸化は改善されず+電気帯電で体は硬く自律神経は緊張のままだ。


ジャンクフードを気にもせず、

やりたいことをエヘヘとやっている人の方が元気なのだ。


食べ物に原因があるのなら

-電気の豊富なものにすれば良くなる仕組みなのに、改善しない。


ということは

体を悪くしている毒は、他に有る!



心に溜まらせた毒だ


「毒」の字を観てみると、「主に母」と取れる。

この観点から「毒」を掘ってみよう。


あなたの母はあなたをコントロールしては来なかっただろうか。


あなたの為よ、これはダメ、こうしなさい、これにしなさい、

良い子にしてなさい、何でこんなことするの、ほらほら早くぅ、

まったくぅ、いつもこうなんだから・・・ネバベキ


お母さんの言う通りにしていれば間違いないのよ。

(それが一番の間違いなのだが・・・)

ご丁寧に、人生のレールまで敷いてくれる。


損得の駆け引きや恐怖の刷り込み(体罰)、

ネガティブなエネルギー(感情)を乗せあなたの名前を呼ぶ。


名前に潜在情報、命の情報が秘められているのに

それが否定され潰されては開花しようがないのである。




子供は天からの預かりものの認識であれば、

子供であっても一人の人格者として接しられ抑圧など有りえないのだが


どうも母親は自分のお腹から生んだので、子供は自分の分身で

何でも思うようになると無自覚だが持ってしまうようだ。



あるいは、その母も母からそのように刷り込まれ録音されており

それをそのまま、いや上乗せしてあなたに再生しているのである。


インネン=因音云と取れるように

どういう音を云ばれているかに因り、それが思考と感情のベースになり

その思考と感情が心であり、心の状態が空間に結果している。


一番身近は体であり、大きく言えば人生という空間に結果する。




子供にとって母親から愛情をもらえないことは死活問題であるので

正直な気持ちを封印し報いよう、イイ子でいなければと健気に頑張るのだ。


そうなると、行動行為は自身の正直は気持ちではなく

無自覚だが母や周りに受け入れられることが基準になっているだ。


自分自身が主人公ではなくなり

いつも母や周りを気にしている自分に気づいては来ないだろうか。


慢性緊張している事に無自覚なのは

物心つくころから抑圧されてきているので無理はない。




あなたの天真爛漫純粋無垢の本来の心を

門の中にしまい込みガチャンと鍵をかけてしまう→門+心=悶

モンモン・・・が大きくなるのは当然で、問題=悶大がわんさかだ。


そのモンモンが毒になり、体も心も酸化=惨禍を強めてしまう。

いくら抗酸化食しても難しいことが観えて来ないだろうか。



本来の心を門に閉じ込めているわけだが

それは自己分離・自己否定していことであり、

インナーチャイルドはその苦しみを体の緊張歪みとして訴えていて、

中心軸を詰まらせている。(アナハタでブロックしている)



自律神経は緊張し、エネルギーは高まりようがなく

ネバベキの音に支配された直線思考で、マ・ジ・メ。


そのマジメさが、ちょっとの事でも許せない

甘いのもを食べたからだ・・・とネバベキでがんじがらめ。


自分を責めるのだから、ウツになるのは無理もない事だ。


何が美味しいのか、何が楽しいのか嬉しいのかわからない→

知覚の麻痺で知識や情報に翻弄される。


失敗を恐れ、否定されることを恐れ自己防衛反応が強くなるのは当然で

アレルギーの深層原因である。アレルギー




心の解毒は玄米では無理なのだ。


なぜならば、肉体は地球が材料、心は宇宙を構成する光透波でできているので

次元が違い、追いつかない。




抑圧で心を門にしまい込んでいることが毒を作り続けていると解ってくる。


ではどうしたら解毒できるのか。


文字通り解毒すれば、主に母と解けたわけだ。


母とのしがらみを切ることが解毒になる。


「親切」は親を切ると書くが、

包丁で切っては大変なことになるので刃物では切らない。

(実際切ってしまった事件が多いが)



母→ロ÷

ロは母に因ってつくられたネバベキの固定観念の枠

その枠を÷(割る)ことが切ることになる。


それが呪縛・抑圧からの解放なのだ。


「割る」はネバベキにさよならし、いつも言っているイタワルこと。


「ソウカソウカ、無理なかった」とどこまでも深く自身をイタワル事で

その枠が粉々になり、解毒されていく。


親とのしがらみが切れてお出ましになるのが

「親切」という暖かく優しい想いで、自己否定の溶解である。


因縁の解消でもある。




D ガチガチの首の原因(扁桃腺切除)1

鎖骨の筋肉の付着部、「痛たたっ、それ骨ですか?」と聞かれる程

筋肉がしこっているし、後頭部の付着部もガチガチ。

当然肩もガチガチである。


特定の部分が緊張しているのではなく、全体が硬くしこっている。


大きな原因に扁桃腺切除がある。



扁桃腺が腫れる原因が口呼吸 口呼吸

口呼吸が菌を簡単に体内侵入させるので免疫力低下で

あらゆる病気の原因と言っても過言ではない。


虫歯、歯周病、口臭も

口呼吸で口腔カンジダ菌など菌が増殖するからで

歯磨きだけでは片手落ちである。



風邪を引きやすくすぐ熱を出す子供。

医者は対症療法の考えなので、

「また扁桃腺が腫れてますね、扁桃腺を取れば熱は出ませんよ。取っちゃいましょう。」


安易に扁桃腺切除をされる。


熱が出なくなる代わりに、免疫力がジワリジワリ弱くなって行く。


なぜならば、扁桃腺が体内に侵入する菌を防御し戦っているのが発熱。

防御壁が無くなれば菌は体内に侵入しやすくなる。



白血球はフル活動を余儀なくし、疲労で対応できなくなっていき

免疫力低下である。


風邪をこじらせると節々が痛むのは

白血球に乗っかり菌が関節に運ばれそこに巣食い炎症を起こす症状である。


それがひどくなればリウマチ

白血球の疲労が白血病

免疫を落とすことが急性慢性を含め炎症を起こす=様々な病気。」




さて、最前線の防御役の扁桃腺を取られた体は

首回りのリンパ節を代わりに働いてもらおうとする。


首はリンパ銀座でリンパ節が密集している。

侵入する菌を何とかリンパ節に押し込めて対応するのである。


老廃物がリンパ節にたまりにたまり骨のように固くしこり

首はガチガチになる。


口呼吸→扁桃腺の腫れ→切除→リンパの代用→

リンパ節の硬縮→ガチガチの首、そして免疫力低下



27f13252[1]



特に重要なのは鎖骨リンパ節で(痛たたっ、それ骨ですか?の部分)

全身のリンパ流の流出路、静脈角(鎖骨下静脈と 内頸静脈の合流地点)にあり、

リンパ管の集約点になっている。


右鎖骨リンパ節は肺、食道からリンパの流れを受け

左鎖骨リンパ節は肺、食道に加えて

肝胆膵、腎臓、精巣、卵巣、前立腺からのリンパも受ける。

(その流れで癌が転移していく)



治療では

リンパの流れを良くし緩める事は勿論大切だが

口呼吸の弊害をお伝えし、バンドエイドを貼って就寝すると良い。口呼吸

老廃物や病原菌を分解するMMSもとても有効である。


原因→口大

体もわざわいも原因は口に大きく因る

口の中も口から出すコトバもきれいにしたい。




D 問題とは何だろう

問題は悶大

悶(苦しいもだえ)が大きいと読み替えられ

悶→門心、心を門の中に押し込めている事が問題を生んでいると取れる。


その状態のままで「問題」を解消しようとしているのではないだろうか。

辛く苦しいから。



プロセスを掘ってみよう。

天真爛漫純粋無垢の心の本来性を持って地上に降ろされるが

何せ地上は有限=相対=差別がはびこっている世界である。


私もあなたも初めから「悶」になってはいないのだが

本来性と違う有限相対差別が生んでいるジャッジに巻き込まれていく。



ネバベキの音が支配するジャッジが嫉妬、怒り、恐怖、不安を醸し出し

心の本来性はどんどん押し込まれてしまうし

ジャッジされジャッジするネバベキの自分が台頭してくる。


本来性とのギャップが「悶」

本来性の感性が豊かであるほど悶が増えモンモン・・・悶大。


ギャップは合い入れない自分の方がおかしいのではないかと自責し

自己否定をまねくが、なかなか自覚できない。


(体は正直に緊張歪みとして現している)




地上の仕組みに本来性はいとも簡単に潰され辛い苦しい

本来の心をアナハタの奥底に押し込めて門を閉める(ガチャン)。


心を引きこもりらせては、引きこもりは当然だし、

潰されたが故に自己防衛で疑心暗鬼を強めてしまう。


出る時にはバリアを貼りオーラを頑張ってつくるので

土足でその中に入り込まれたらパニックだ。


   dansei-mae[1]


「悶」は

アナハタがブロックし生命ラインは滞り

リンクする自律神経は緊張せざるを得ずあらゆる病気不調をまねくし

生命ラインのコイルがつくるオーラは弱い。


さらにアナハタから下に降りないエネルギーが逆流し首を詰まらせ

脳の緊張圧迫は脳の機能低下で脳力=能力は上がらない。


頭でっかちと言うように、実際脳脊髄液滞留で頭が拡大している。


能力が上がれば問題は小さくなるのだが、その仕組みに気づけないので

問題を解決しようと思考が止まらず感情にロックされてしまうのである。





押し込めているほど「悶」が強いのだが

切ないことに、ネバベキに支配された自分の思考と感情が正義でいるので

現象や相手を問題し、

思考と感情に見合うようになることが問題の解消としているのだ。


それがうまくいくようにと占いや宗教スピリチュアル引き寄せに躍起するが

本当の問題は本来の心を閉じ込め、自分自身と戦っている事ではないだろうか。



本来の心は天真爛漫純粋無垢、しかしそれは荒い波動の地上では

繊細で弱く簡単に潰されてしまうので、門の中にしまい込むのは無理はない。


しかし、その本来性は宇宙と繋がっているので恐れなくていい。弱くていい




悶大になっている心を門から出してみよう。

ありゃりゃ「心が大」となり、自身の心が宇宙意識に拡大していくとわかる。


そうなりゃモンダイナイ!


悶が大きいほど解放された時は、ぐれんと反転し

私はIアイ空意(宇宙意識)、愛に溶け込まれていく。


そして、それに見合うコトバと行為を発揮し調和するWORLD(人生)が開かれていく。 

(ヨガの真髄ではないだろうか)


自己分離が無くなる=アナハタのブロック解除=生命ライン活性=

自律神経活性=コイルの整い=オーラの拡大だ


ネバベキの支配から脱却したそのオーラは清濁併せ呑む厚く温かく

ピュアだが薄く過敏な当初のものではない。


そして自己分離が無くなった脳は機能向上

小脳が司る潜在意識・能力は活性化し能力アップで問題は消滅し

脳の血管が通る首が走るで「道」になるようにMYWAYが開けてくる。




仕組みから言えば

問題は「私が私でない」ものを見せていると解る。

問題を解決しようとするのではなく、「私は私でありたい」とシフトすることだ。


そうなると

問題は、私という本来の心を「問うお題」を天から授かっている事と解るではないか。


お題を解けばいいのであるが

その答は「私=Iアイ空意=愛」

それは自分の中にあると解っていても思考では難しい。

なぜならば、その思考が問題を生んできたのだから。


(頭でっかちで思考や知識でがんじがらめになってきたことで解るでしょ?)



思考ではなく、音のエネルギーに云ばれると良い。

アナハタに向け

名前を愛おしく呼び、「私は私でありたい」「ソウカソウカ、無理なかった」

「モンダイナイ」の音波云することだ。


それによって奥底に押し込めた宇宙と繋がる本来の心がお出ましになってくる。



そこからの情報が「調和が連鎖する間に合っている世界」を開いてくれるのであり

計算と思惑で満ちた思考からは間に合わない。


どこまでも深く自身をイタワル事だ。




D 蛇と竜の違い

アダムとイブに神のように善悪を知るものになれるとそそのかし

智恵の実のリンゴを食べさせたのが、蛇。


それによって天と分断され地上天国は消えて行くのだが

それは、天直結のコトバから地上のコトバにすり替わったことである。


善悪がジャッジであり、蛇=邪通時(ジャッジ)。

蛇によって邪に通う時代が始まった。(地上のコトバの時代)



無限=絶対=全一の絶対肯定であり愛である天との分断だ。

ジャッジでネバベキの音に支配され、

自己の否定、過去の否定を生み「今茲」にあるパラダイスは遠のき

意識は有限=相対=差別に膠着する。


その結果、愛とは裏腹の嫉妬、怒り、恐れ、不安、差別の闇を生んでしまう。

闇=病みで、あらゆる病気の根底にある原因と解る。




クンダリーニを蛇で象徴する。

覚醒はクンダリーニの昇華であるが、蛇と竜からアプローチしたい。


生命エネルギーが蛇のままであることは

意識は愛とは裏腹な蛇=邪(ジャッジ)のままで、

赤鬼=激昂、青鬼=冷酷がのさばる波動の荒い状態と考えられる。鬼王神社




蛇が生命電磁場の松果体に昇華することが、竜になる事である。

巳帰る=ミカエル、一度堕落し復活した大天使ミカエルと言える。


どう言う事か音と文字で観てみよう。

竜リュウ=理由、コトワリに由る=理知力を手にするのが竜と取れる。


その理知力によって

赤鬼の激昂は生命力の情熱に、青鬼の冷酷が客観力の冷静=霊性に昇華融合する。


松果体(サハスラーラ)は赤と青が融合した紫であり、

命の開花であり意識は主観を客観する理知=霊性を手にし

再び天と繋がることである。


   23[1]



竜は手に玉を持っている。

玉とは、5次元=宇宙を構成する絶対電磁場であり

玉タマ霊で、霊性の獲得を意味するし、

昇華したとんでもない生命エネルギーと解る。


蛇は手が無く玉(理知力)をゲットできない状態でいるので

感情は赤鬼青鬼に支配されねっちっこいし、

エネルギーを昇華できないと下に行かざるを得ず性欲物欲に支配される。



ではどうしたら竜に昇華できるのか。

文字と音が教えてくれる。


竜→音L 音を開く(L)

天=宇宙の叡智・愛は光透波コトハである音で成立している。


音を開くことは天と繋がる事であるが

リュウ理由=コトワリ光透波理=絶対性理論に由って開かれる。


文字が音を止めているので字割によって音が開かれる。(字は宇宙エネルギーの結晶)

コトワリは言割なのである。


音に秘められている天=宇宙の叡智・愛を開くことが

5次元(絶対電磁場)=玉の獲得で霊性の開花となり

理知力を獲得し天と繋がる事になる。



自分という主観を客観する理知力が無ければ

ネバベキの主観に埋没したままで蛇でがんじがらめではないか。




D 思考(頭)で問題解決を図っている

先日来院のクライアントさん。

ヨガのインストラクターを指導する立場であり感性豊かである。


感性が会社の方針とギャップを感じるのは無理もない事。

何とかしたいと思考が止まらなし、体調も思わしくない。



プロセスを聞けば、幼少から感性を大切にした生き方なので、

社会とのギャップつまり問題を感じてしまうのである。

(自分とはなんだろう、どこから来たのだろう・・・)


角度を変えれば

慢性的にストレスに晒されている→副腎からストレスホルモン分泌で

副腎の疲労がある状態である。(東洋医学では腎虚証という)


その影響でカンジダ菌増殖、腰痛、ウツ傾向で

逆気といって気が上がり、丹田が弱い状態であり

問題が頭から離れず思考が止まらない。



問題を思考で解決しようとしているので

モヤモヤがつのるばかり。


こういう状態に「問題とは何か」など解説しても暖簾に腕押しである。

なぜならば、培ってきた思考知識のフィルターにかけてジャッジし

頭でわかろうとするからだ。




思考で解決を図っていてはがんじがらめ

体にスピリチュアルを見出そう。


    dansei-mae[1]


「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ラインを整える事だ。

その為に体の歪みを解消するポジションをとってもらう。


仰向けで首は横、片腕は上げ片方は下げ肘を開き、片膝を立てる。


そのポジションで呼吸に合わせ骨盤底筋を活性→

丹田の受皿の仙骨の活性化だ。

(仙骨は上部頸椎と共に副交感神経のモーターポイント

交感神経緊張過多がほとんどの症状)



同時にアナハタに向け

名前を愛おしく呼び、「ソウカソウカ、無理なかった」

「モンダイナイ」の音波云する。

(ポジションとって音波云、家でもやりましょうね)



名前に「私」の情報があり、思考や知識ではなく「音」のエネルギーを照射し

音のエネルギーに云(はこ)ばれることだ。



これで生命ライン=自律神経が活性化していく。


緩みやすい=活性化しやすい=問題が解決しやすい条件が整う。



首を診ると

上部頸椎がしこりのように固くなっている。

これが意味することは脳、特に小脳の緊張圧迫である。


上部頸椎を緩めると

首が走るで「道」となるように

緊張緩和でMY WAYが整うことだが

小脳の圧迫緊張が取れ潜在意識・能力が活性するからできるのである。


      小脳 (2)


小脳は無意識からの運動を司るが、意識では潜在意識・能力とリンクする。




問題の溶解は、能力を上げる

問題を4、自分の意識=能力が5としたら

5-4=1しか余裕が無く、四六時中問題にとっ捕まっている状態である。


そして、その問題を解決しようと躍起になっていて

当然ネバベキの音にロックされ思考が止まらないことが観えてくると思う。


大概が問題を無くそうとネバベキで自分と戦っているわけで

感性豊かであるほどいわゆる頭と体のギャップで

当然余剰エネルギーは枯渇の一途と解ると思う。



ではどうするか?

問題は放っておき意識=能力を上げれば良いのであり

10に上がれば問題は半分に、上がった分問題は小さくなる。


上部頸椎の緊張緩和で小脳が活性化される→潜在意識=能力がお出ましになる仕組み。

それがどんじゃらとなれば、問題は取るに足らなくなる。


なぜならば、エネルギーは空間に結果するのだから

能力アップした分それに見合った空間=環境が整ってくる仕組みである。


問題は顕在意識と潜在意識とのギャップであり

頭と体のギャップと言ってもいい。



問題は無くそうとしたらどうあがいても戦ってしまい

問題は無くならないのである。


だから「モンダイナイ」の音のエネルギーに云ばれると良い。

何一つ問題ないものを命に授かっているのであり(それが有難い事)

刷り込まれ培ってきた思考と感情が問題を生んでいるのである。


「モンダイナイ」これ以上ストレートな解決法は無いのである。

思考から離れられるマル秘テクニックなのである。



フィジカル面から言えば

能力=脳力と解ってくるではないか。

そのためには脳の血流を上げ血管が通る首を緩め

脳の緊張圧迫を取れば良い。


詰まった状態ではPCのフリーズと同じで、

メンタルやスピリチュアルに躍起してもトロロイモではないか。




問題は「私が私でない」事に比例し、無自覚だが自己分離・自己否定なのである。


潜在意識が開かれることに比例し「私が私である」情報が出るし

能力も出て来る仕組みであり、インナーチャイルドと繋がる事でもある。


その命の情報が名前(音・字・数)に秘められているので

名前を愛おしく呼ぶ意義がある。



更に角度を変えて掘ると

「思考」が問題を生んでいるわけで、その思考はどこからきているかというと

刷り込まれた情報であり、培ってきた知識である。


その問題を生んでいる思考で問題を解決しようとしても

問題の枠から抜け出すことはできないのである。


問題は思考を超えたエネルギーでないと溶かす事ができないので

それが「音」そのもののエネルギーに云ばれることなのである。



× +

潜象界(-)を現象化しようとして、現象で培った思考(+)をいくらかけても

現象しない(-)事をこの式が現す。


× = +

潜象界(-)を現象化するには、潜象界の意味を持つ音(-)をかけることで

現象化(+)するのである。


それが「モンダイナイ」「ソウカソウカ」のイタワリである。


イタワリの音波云(ネハン)が過去の行程を肯定し「今」を近づけてくれ

近づくことは自己否定・自己分離の溶解であり

「私は私である」、潜在意識・能力の活性化でもある。




ヨガの本来の意味は「結ぶ」

私の本来性と結ばれ自己分離の溶解と解ってくる。


ヒマラヤに寝泊まりに行かなくても

泥沼と言える都会の渦巻くジャッジの中でこそ

蓮の花は咲くのではないだろうか。


     imagesSJG2XE87.jpg



ジャッジでがんじがらめをイタワル事で開花し

調和が連鎖するモンダイナイ世界が広がってくる。


私は私でありたい。




D 私は私でありたい 2

体で観れば

私が私でない状態は自律神経緊張であり

自己否定・自己分離は、戦は単り+戈と書くように自分自身に戈を向けているわけで

それが炎症を生んでいると考えられる。


アトピー・アレルギー、糖尿も癌もウツもあらゆる症状に潜むのは炎症であり、

私が私でないほど、炎症=酸化=惨禍しやすい。


NHKスペシャル(10,29)でも慢性炎症が寿命を縮めるとあったが

一番深い原因は自己否定・自己分離=私が私でない事ではないだろうか。NHKスペシャル



炎症

炎→二つの火=エネルギー、症→疒+正

上の火は頭アタマ吾霊を、下の火は肉体のエネルギーを象徴し

両方のエネルギーが正状でなく病んでいると字は教えている。


生命力低下の根底原因であり、

精神と肉体の濁り=バイブレーションを下げているのである。


食事は大切であることは承知するが、

もっと深い所に病気=炎症の原因があることがわかってくるではないか。




「私は私でありたい」と分離が無くなることは

自律神経とリンクする「秘田ー中丹田-丹田」の生命ラインが整う事でもある。

(命は自律神経に働いているからね)


     dansei-mae[1]



自己分離・自己否定は

自律神経緊張で炎症を起こし生命ラインを詰まらせ

意識は激昂と反作用の冷酷(赤鬼・青鬼)の不安定に傾向する。


比較競争差別を余儀なくし、嫉妬・怒り・恐れ・不安・・・安らぎは遠のき

その行為は分離と否定に根を張ったもので

イイ人ぶりしようが、期待を持って徳を積もうが、お布施をはずもうが

カルマの増蓄になってしまうのではないだろうか。




「私は私でありたい」に気づくと

「炎」にシ詞(私の本質)が付いた状態になり

そのエネルギーはシ+炎=淡。


精妙さを増していく。


アワイ空和意で空=宇宙と和す意識、穏やかさが醸し出され、

行為は空和為で空と調和し、調和の連鎖が広がると字は教えている。


その気づきが比較競争を溶解し、MY WAYを開く。


MY WAYが「秘田ー中丹田ー丹田」の生命ラインの整いであり

自律神経活性化=命の活性=個性の開花とリンクし

名前に秘められている命の情報の開示である。


肉体だけでなく霊的覚醒のDNAの封印が解かれるのではないかと思う。




MY WAYの要が

頭アタマ吾霊と体の接続部「首」である。


この接続が詰まっていたらMY WAYはできない。


具体的に言えば、

知識はあっても首でブロックされ

降ろす事ができないので自覚実感ができず

自己分離を感じるが故に自分探しの船出をするのである。


船出人は頭でっかちであり、知覚は閉ざされているので

受け売りや本の内容を自身の見解にしており、

それに無自覚でいるので思い込みか情報に翻弄され、MYWAYは閉ざされている。


さらに言い方を変えれば

自己分離・自己否定が強いほど首の詰りがあり、

肉体的には炎症を持ち病気と言わないまでも歪みと緊張で疲れやすく

精神的には比較競争で頭にきやすく感情に支配され不安定である。



私が私であるためのエネルギーをブロックしているのは

字通り首がネックになっている。


首が走る(首+辶)で

MY WAYという「道」が開かれると字は教えてくれ

道路がROAD(道)でLORD(主)に通じるのである。


(PCのフリーズ解消と同様に首の緊張緩和で通じやすくなり

フィジカルアプローチで加速し、体にスピリチュアルを見出せる。)



「私は私でありたい」願いが

冷静=霊性を高め炎症を鎮静化し、

肉体のバイブレーションも高周波になり透明化していくと思われる。


この観点から類推できることは

Iam what I am 私はI=愛そのものを自覚実感できたら

肉体は存在しなくなるのではないか。



アナハタに向け「私は私でありたい」と

そっとそーっと精妙に問いかけよう。


「道」が開けてくるはずだから。




D 私は私でありたい 1

「ソウカソウカ、無理なかった」イタワリの音波云が開くもの。


その音のエネルギーは過去の行程を肯定するので

どこまでも深くイタワリ続けることで「今」が近づいてくる。


「今」が近づいてくると

「私は私でありたかった」と気づくのである。



私が私でなかったことが、モンダイを生んでいたことが観えてくる。


私が私であったなら、どうであろう?

問題は存在しようがない。


問題は私が私ではないから存在し、自己分離の投影だと解ってくる。


それに気づけず、現象や相手が問題なのだと

自己分離した自身の思考と感情に見合うように

変えよう・引き寄せようと躍起しジャッジしている。



あるいは、

自分探しの船出をしてきたのも「私は私でありたい」からであるが

その船出は私の「今茲」にあるものを上へ先へと外に求めていて

あたかも水平線を求めているようではないか。



        imagesCAGPLW1O[1]




思考も含めてあらゆる行為の出所は「私は私でありたい」思いの反動からで

自己分離の穴埋めをしたいからだと気づく。



しかし反動に気づけていない行為は、

「私は私でありたい」がゆえに自己否定を強め、過去も今も否定したものである。


その行為がジャッジであり、カルマではないだろうか。





「私は私でありたい」 ではその私とは何か。

「私」は命=エネルギー=波動であり、肉体はそれを受け取っている入れ物である。


命が私であり、私は名前=音=波動なのである。(死んだら名前=波動の存在である)

命メ=名→タ+ロ、タ田=絶対電磁場 ロROで露。


名の音と字に命の絶対電磁場が露われていてる→

私が私たる命の情報がインプットされている。



「私は私である」には名にインプットされている情報の開示が要である。

(いわゆる姓名判断ではなく、音と文字に秘められている命そのものの情報で

天鏡図に照らすことで明らかにされる)



逆を言うと解りやすい。

名前にネガティブエネルギーを載せられ否定される程

自己否定・自己分離を強めるので「私」とかけ離れてしまう。


かけ離れている程、自分の名前が好きではない。名前が好きか嫌いか


生命力も個性も潰されネバベキの音にロックされた思考と感情が「私」と錯覚し

反動の行為となっていると観えては来ないだろうか。


自己分離が生む反動の行為がカルマといえるので

「私は私でありたい」と気づくことが解消の道を歩めるようになると思う。




帰港

水平線を求めた終わりのない船出を止めるには

名前を大切に愛おしく、どこまでも深く「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワル事だ。


港に帰って来れる。


港→ミナト御名答

天と子の精霊の御名において、自身の実名ミナに答があるのだから。


その港は、シ+巷

シ=詞(コトハ光透波)が生む愛が巷(ちまた)になっている。

私が私に戻るところである。



私はI=アイ愛そのもの

I am what Iam の自覚実感がモンダイを無くし

シノゴノわんさかな人生のノイズをクリアにする。



クリアにしたいのなら

「私は私でありたい」とアナハタに問いかけてみよう。

そっと、そ~っと精妙にやるのがコツである。



「私が私でありたい」ことは「あなたはあなたでありたい」

あなただけではない、花も木も動物も

生きとし生けるものがそうありたいと存在していることが観えてくる。


それを尊重しただ愛おしく思えてくるわけで

そこからの行為はジャッジやコントロールなど無縁である。




D アトピーの原因

長年アトピーで苦しんでいたクライアントさん。

当然様々な治療もインナーチャイルド等スピリチュアル面からも改善を試みてきている。


でも何をやっても良くならなかったのだ。


アトピーだけではない。

顎関節症、強い食いしばりで歯はすり減り、首の詰り、白内障、片頭痛、過食、ウツ・・・

いつも周りを気にし緊張して来たし、良かれと食事療法も様々な事を試みても

できない自分、分かっていてもやってしまう自分に腹を立て、落ち込み、自分を責め

何度ももう死んでしまいたいと苦しんできた。


口では淡々と話してくれるが、その切なくどうしようもなかったことを

波動が訴えてくる。



全てと言っていい精神的肉体的病気の原因は

無自覚であるが自己否定しているのだ。



親は不動産で騙されヤクザがらみで経済的精神的に追い込まれ大変な窮地であったそうで

物心つく前からそのような緊張せざるを得ない環境で育ってきたと言う。


その家庭環境、幼子の心境は言わずもがなではないか。


子供は健気なのだ、純粋なのだ。


そのような波動を敏感に感じ取って緊張するし、自分が良い子でないからだと

自責してしまうのである。




不安と恐怖、そしてそれが当然緊張を余儀なくし

子供心に大変なストレスで副腎からストレスホルモンが慢性的に分泌し続けてきたのだ。


副腎は慢性的に疲労し、あらゆるホルモンバランスと腸内細菌に影響し

カンジダ菌で代表する悪玉菌増殖を余儀なくする。


腸内フローラは炎症を起こしリーキーガット(腸透過性)で毒素が漏れ出し

アトピーを引き起こす。



ストレスホルモン分泌で

血糖値を上げることでバランスをとる為、糖質の過剰摂取をせざるを得ない。

当然、血糖値スパイクを起こし精神的肉体的に重く苦しい状況に追い込まれる。


常在菌のカンジダ菌増殖は当然であるし、

さらに口呼吸し(特に睡眠時)冷たい物の飲食で内臓を冷やしていては

まず治らないと思う。


アトピーに副腎皮質ホルモンを使うことでわかるように

副腎が機能低下し対応するホルモンをもう作れない状況に追い込まれているのだ。


大切なのは副腎の機能をアップすることなのに、そのケアをしないまま

塗布するだけでは一時的に改善するが根治にはなりにくいのである。




アトピーはリーキーガットで毒素が漏れるのが原因と腸の改善の為に

食事が重要視される。


食べ物が菌のエサで腸内細菌の質になるので

原因が食べ物なら食事療法で改善するが、実際は一進一退が多い。


それは、断腸の思い、はらわたが煮えくり返る、腹が立つ・・・というように

感情は腸にストレートに影響し蓄積され

ストレスで副腎のコルチゾールが悪玉菌(カンジダ菌)増殖に

拍車をかけることに気づいていないからだ。



リーキーガットで腸が炎症を起こしてしまうメンタル原因がある。



玄米菜食しようが何をしようが改善しなかったのは

恐怖と不安で飲み込まれた反動で自己否定している事に気づけていないのである。


いつも自分を責め恐れと不安で萎縮し副腎の機能低下だし

自己否定していることは、

こんな自分ではいけない、ダメこうあらネバベキにロックされているので

無自覚であるが自身と戦い続けてきているのである。



そのエネルギーは大変なもので枯渇の一途であり、

引きこもるのは無理もないし、

人によっては紛らわしとエネルギー補充の為に

抑圧、アルコール、薬物、SEX、ギャンブル・・・様々に依存し自滅していく。



自己否定し自身と戦っていては(戦は単り+戈、自分にホコを向けている)

炎症を起こすことは当然である。


炎症がアトピーだけではなくあらゆる病気を醸し出し生命力を弱めているのである。

(なぜ炎症するのか→根底に自己否定があり自身と戦っているからだ)



恐怖と不安がフィジカルでもメンタルでも緊張を余儀なくし

自律神経緊張で姿勢は胸を閉じ肩を内旋し首を縮め、内臓=皮膚に炎症を持つのである。




自己啓発、インナーチャイルド等やっても、

コトバ自体の働きとそのエネルギーに気づけないまま

知識で感情を解放を試みるが、それでは難しい。


なぜなら、知識でわかった分(その時は良いのだが)

余計に感情を知識でコントロールしてしまい

解放溶解にはならず感情は内圧が高まりやすく

インナーチャイルドと繋がるのは難しい。



自己否定していることに無自覚なのだ。

幼少期から追い込まれているのでわからないのであるが

体は正直にそれを現している。



緩むことそしてイタワル事でそれが観えて来るのである。

いかに自分を責め否定していたことが。


アトピーの根底原因が解ってくるのである。



ネバベキの音を解除し、

どこまでも深く「ソウカソウカ、無理なかった」とイタワル事だ。


その音のエネルギーは過去を加光し、辛かった過去の行程を肯定し

辛に一を加え、辛+一=幸にする。


辛は+電気帯電状態、そこにイタワリの-電気の自家発電することで

幸になっていく。


アトピーは+電気帯電の皮膚

だから-電気を持った絹や麻、還元電位の高い水などが良いと解るが、

それだけでは残念だが対症療法なので完治は難しいと思う。



フィジカルでは体の歪み=自律神経緊張緩和し副腎は元より内臓の機能向上

脳脊髄液滞留、脳の緊張圧迫を施術し

メンタルではネバベキに別れを告げ、

どこまでも深く「ソウカソウカ、無理なかった」「モンダイナイ」

の音波云するダブルアプローチで

体も心も明るく軽く、健康と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合っている世界が

醸し出されていく。



体にスピリチュアルを見出すことで道が開けると考えるし、実感している。




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桑原大治

Author:桑原大治
宇宙は光透波
無限分の1秒で無限大を回る絶対速度、命でありコトバの本質と解く小田野早秧先生に1984から御逝去の2001まで師事し光透波理と字割を元に、埼玉県川口市でカルナ治療院を開いています。

腰痛、膝痛、首痛、顎関節症、スポーツ障害、内臓疾患、ウツ、自律神経失調症
メンタルからもアプローチしながら対応します。
改善しにくい原因に、無自覚の自己否定、口呼吸、菌の影響があります。
MMSのアドバイスもします。

予約制、水曜・木曜休診

JR武蔵野線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)
東川口駅歩3分 

問い合わせ
kt99av@bma.biglobe.ne.jp

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