D ネチガイ
首の事ではなく
音を本来性と違って使うことを掘ってみたい。
宇宙は音
光透波=1/∞秒で無限大を回る絶対速度を持ち宇宙意識を創っている音。
命にその音を授かっている故に
音を愛と感謝、イタワリと許しに使うことで命を活性化し
命の親許=trans-parent 宇宙意識に回帰できるのである。
命の音が真音(マネ)なのだが
maney(マネ)=値に音を使うネチガイで使うことは
有限のものに価値を求めることになり
それが強いほど
五感覚に囚われ有限相対差別の意識が伴い
maneyをもっともっととなれば
損得勘定が強くなるのは当然で
損得勘定が損得感情とリンクし
比較競争、自己防衛、妬み、やっかみ、自惚れ・・・
真音の本来性とかけ離れた意識を必然する。
間に合わせようとして
maneyをもっともっとで音を値に使う程
六感覚の幽かなシグナルは聴く事ができなくなり
間に合わなくなって行く。
無自覚であるがネバベキの音にロックされてしまうのである。
真音にこそ
健康で豊か、慈愛と安らぎに満ち調和が連鎖する間に合う根源があるのだ。
語膜の中に幽閉されている事に気づけないので
その中で間に合わせようとせざるを得ず
命である音を値に違えて使ってしまっている。
だからどうしても
自己主張と防衛を強め
売りコトバに買いコトバ、ジャッジに明け暮れてしまう。
音をそのように使いながら
知識と思考で愛を捉えているだけで
根底に恐怖が押し込まれている。
そしてそれを自覚できないのだ。
いずれその恐怖が浮上し
愛を知識と思考で捉えていたことに気づかされ
自我の死を迎える。
全面降伏するしかないところまで追い込まれ
恐怖は解放される。
自我の強さは恐怖が反動となっていることが観えてくるではないか。
自我の死からの生還が
更に生きると書くように甦りであり
全面降伏が全面幸福、I surrender 愛サレンダー
天から愛されている実感を深め
愛と感謝、イタワリと許し
真音を使う両生類(この世とあの世を生きる)にシフトしていく。
maneyはあの世に持っていけないが
真音はこの世では健康で豊か、慈愛と安らぎに満ち
間に合っている世界を醸し出し
あの世ではさらに天網に包まれるのではないだろうか。